眠っていた音
昼も夜もない仕事の連続で体力的にも精神的にも追いやられていた佐和子のもとに、一本の電話が鳴った。
「おっす〜元気してるか?」
S市LIVEで2度来てくれたKからのものだった。
「お疲れ様です!元気してますよ!」
「約束、忘れてねぇな〜?(笑)」
「約束…?」
「(笑)やっぱり忘れてやがったな(笑)」
「ベースだよ、ベース!使わねぇのがあるんだろ?」
「あっ…あります!」
Aから貰った鳴らないSGタイプの白いステッカー付きパンク仕様のことだった。
自分の愛機は一本で十分だったし、一生モノとして大切な相棒だったので、こっちのベースならと差し出すことにしていたのを、最近の忙しさにかまけてすっかり抜け落ちていた。
「近々F市にいくからよ、その時持ってこいよ、お前のベースと一緒にさ。」
「でも…鳴りませんよ?そのベース。」
些か不安げに佐和子は囁いた。なら要らないと言われたら、行き場の無いベースは更に行き場を失って、遺物のように押し入れに眠るだけだったからだ。
「問題ねぇよ。鳴らないなら大体電装系だ。何本も直してきたしな。」
「それよりお前の相棒の方が欲しいくらいだ(笑)」
「Kさんのスラップ技術の横でスラップ鳴らしまくりは、音の不協和音を生み出しそうです(笑)」
「ガッハッハッ!まぁそんなこんなでよ、〇日空いてっか?空いてたらベース持ってこいよ、修理もするし、メシ食いに行く約束もあるしな。」
押し入れで眠るだけだったベースに、もう一度音が戻るかもしれない。
ベランダのドラセナが背中を押しているような気がした。
「わかりました!場所は━━━」
数週間後、約束の日取りに少しばかり遅れてKはやってきた。重たい重装備はない。この場で修理するというより、入院させるつもりのようだ。その代わりに使ってないからという理由で、小さな家庭用ベースアンプをくれた。
これで家でも鳴らせるな!と背中を叩いてきた。
自主練習なんてS市でのLIVE以来長いことしていなかった。スタジオ練習に入るぞとの連絡もHからはこない。完全に「冬眠状態」に入っているか「作曲創作モード」に入っているかのどちらかだったが、破天荒なHのことだ。ふとした時にまた連絡してくるだろう。
佐和子が住まう家の近くにある中華屋へ入った。思えば前バンドの活動休止LIVEの打ち上げで入ったのも中華屋だった。理由は今回も「なんとなく」だった。
「おーい、ネーチャン!これとこれとこれと…。」
「そんなに食べきれますか?」
「問題ねぇよ。俺見た目通りよく食うんだ(笑)」
「いや、それでも多いですって。」
「大丈夫大丈夫。俺デブ専だから(笑)」
そうじゃなくてと苦笑するも、Hとはまた違った意味での破天荒っぷりを誇るKのノリに些かビックリしつつも変わらなさに安堵感を覚える。
ビールとコーラが先に出された。
勿論、体格のいいKにビールは渡されたが、前述の通りKは下戸で、佐和子は酒飲みなので、無言で交換して乾杯をした。久しぶりに美味しいお酒だ。
「あーもうたまらない。」
「あっはっは!!そうかそうか!ベーシストは身体が資本だぜ?訓練しねぇとだな…。」
「それバンドマン全員に言えちゃいます(笑)」
「確かにな(笑)それと、本当にあのベースもらっていいんか?SGの。」
「…はい。」
そういいつつ生ビールをグイッと一口飲んだ。どうせ鳴らないのだ。どうせ使わないのだ。
「良い楽器なのになぁ。まぁ俺が一番狙ってたのは佐和子の相棒の方だけどな(笑)」
「あればかりはさすがにKさんにもあげられませんね(笑)」
笑って誤魔化したが本気だった。
買った初日は抱いて寝て、レシートは大事に手帳に挟んで日毎に文字は薄れ、ローンが終わり初めて自分のものとなった。
ベース歴は8年ほどで弾いてない期間もあったが、いつだって佐和子の横にいた相棒だ。
これからもずっと。
「ちょっくら、鳴らしてみるか?」
「え、今からうちでですか?」
「おう。思い立ったが吉日!なんつって!」
返事を待つ前に会計を済ませようとしたので、慌てて財布を取り出す。数千円渡そうとするとHと違い、「おうサンキュー!!」と素直に受け取る。アンプ代金、修理代金として貰ってくれたなら、との思いだった。
佐和子の家までは徒歩5分ほどである。
わざわざO市、S市、F市と県を跨いでまで連れていったAとの思い出をKに託す。思いとは裏腹に「煮ても焼いてもお好きに」と、こころの中で一言添えて。
部屋に到着するなり様子を見ていたKであったが、ベースを弾きたい欲求が強くなったのだろう、ちょっと貸してみろと言って佐和子からベースを奪い、華麗なスラップを魅せる。
「いいか、ここで、一音置くんだよ。そしたら右手で1回叩くだけで2音出来上がってだな……!」
怒涛のように技術論を語る。
グループLINEで誰かが奏法の相談をすれば、真っ先に返事をするのも大抵Kだ。
スラップに関しては、とにかく上手いという評判だったし、佐和子が何度も足を運んだKのLIVEでも、見事なスラップを独特のリズムで披露する。
怒涛の説明には正直ついていけなかったが、バンドマンとの会話はいつだって、刺激と安らぎをくれる。
「………てなわけだ!わかったか??」
「…すみません、ちんぷんかんぷんです(笑)」
「ガッハッハッ!!!お前らしい!!いいぞ、特訓ならいくらでも付き合うしな!!!」
豪快なKの笑い声と家庭用とはいえアンプを通したベースの音で近所からクレームが来ないかなどを心配していた佐和子であったが、こころからの笑みでこう告げた。
「Kさん、ありがとうございます。」
「生き返らせてくれて。」
Kはベースを弄る手を一切止めずに「何をだ?」と聞いてきたが、敢えてその問いには答えなかった。
Kが帰り支度をする時には、SGベースと相棒ベースの両方を託した。また修理と調整が出来たら連絡するとの事だった。承諾して見送り、風呂の準備をする。
今日も夜職の日だ。
それでも、少しだけ足取りは軽かった。
蛾が蝶になれないんじゃない。
わたしが蛾を選んだだけだ。
色白狼の横で、わたしは何になれるだろうか。




