笑え。
夜職の中で楽しいことなんてほんのひと握りだ。
99%は嘘で塗りたくられ、作り笑顔をし、行く予定も無いような旅行話しで盛り上げ、酒を飲ませ飲ませてもらう。そんな汚い世界だ。
今日もこ難しいオジサンがやってきた。この店結成当初からの常連だが、「新人キラー」とのあだ名を持つほど、新人いじめが大好きだ。
カランコロン。店の扉に着けた鐘がなる。来客の合図だ。
「いらっしゃいませー。」
佐和子、年配の先輩、ママの3人体制で暇な平日をタバコを吹かしながら過ごしていた窮屈な時間が終わる。接客していない時の無言さは地味に体力を奪われる。それが悪魔の来店だとしてもまだマシだと思っていた。
カウンターの真ん中を陣取り、ぴくりとも動かない表情はまるで氷のようだ。凍てつく空気の中でも接客はしなければならない。殊更喋りが苦手な先輩は掃除にでも行ったのか姿が見えない。こうなると、新人の佐和子が接客しなくてはならなくなった。
ママはカウンターの横の席に座り、佐和子はカウンターの中で立ちながらお喋りをしたりお酒を作ったりしていた。
この常連もママにだけはさすがに少しだけ話をする。が、表情は依然として暗く、それが自己防衛なのだなと、佐和子は勝手ながら分析していた。
「どうしたの、あいちゃん。ほら、お喋りして。」
口元だけ笑いつつ、早くしろと心の中の苛立ちを目で訴えてくるママ。なるほど、連携プレーより自己保身に走ったという訳だ。尊敬の念は少しずつ削れていく。
「はじめまして、あいと申します。」
「お飲み物はどうされますか?」
バンッとカウンターを叩いて常連は牙を向いた。
「俺の名前のボトルがあるだろう。」
「なんて出来損ないの新人だ。」
名前なんて知るわけ無いじゃない、初対面だしママからも何も伝達もないのだから、とこころで毒づいて、
「失礼しました。お名前お伺いしてもよろしいでしょうか?初めましてなもので…」
返事がない。苛立ちがふつふつと込み上げてくるようだ。まるで世間すべてを敵だと思い込んでいるような顔だった。
ママが仕方なしにカウンターから腰を上げ、常連のボトルを見つけ出しそっとおいた。
「ごめんねぇ、この子入ったばかりだし使い物にならないの。」
耳を疑った。今までこの店で失敗したことなど無かったし、自分で集客する努力もしていたし、今回のことなど誰が予測出来ただろうか。
この店ではオープン後必ずSNSライブ配信をしている。知名度をあげるため、来客を掴むためだと言っていた。先輩は喋らないので、佐和子とママでライブ配信をしていたが、視聴者の多くは新人の佐和子への質問だったし、それにおどけてみせたり可愛子ぶって見せたりしてアイテムを貰う貢献を一刻前までしていたではないか。
そんな不条理を受けてもこの常連には関係がない。初めての水商売を経験した時、泣かされるまで怒鳴られて「客は笑顔見に来てんだよ。笑え。」と突き飛ばされたことを思い返す。
そうだ、笑顔だ。笑顔を作っておけば大半は斥けられる。そんなものだ。
しかしこの常連の厄介なところは所謂構ってちゃんなところだ。
自分では話さないし、話しかけられたら怒るのだが、放置されると怒りが最高潮に足して問答無用に喚き散らす。そんな様を見て数々の新人が辞めていったという。どう対処すれば?分からない。
「ママとはいつ頃からの仲なんですか?」
「…………。」
「ご趣味はあったりされるんですか?」
「…………。」
「あっ、お酒の濃さ、大丈夫そうですか?」
「…………チッ。」
何が気に食わなかったのかまるで分からないまま、舌打ちをされた。ママは横で睨んでいる。一体全体どういうことだ。
尿意を催したので、一言退席する旨を告げて作戦を練っていたが、やりにくい客だ。今迄会ったこともないような種類の人間だった。何より酒で人格が変わる人間を軽蔑していた佐和子にとっては体力の消耗戦のように感じた。
酔っ払いが嫌いになったのは中学生の頃だ。
酒好きの父親が回らない呂律で母親に罵声を浴びせているさまを見て、なんて醜いのだろうと思った。
大人になってからは人それぞれに事情があると頭では理解しつつも、どうしても身体が受け入れない。
それでも水商売に突き進んだのは単純に借金のせいだけでなく、人当たりがソフトな佐和子はよく客から好かれるからであり、佐和子自身もお話は得意だったからだ。しかし今度の相手はいやがおうにも父親を連想させる要素が組み込まれていた。
トイレから戻ると先輩がカウンターの中にいる。
常連は酒が回り出したのだろう、幾分口数が増え、その全てが不満なことだった。
例えば掃除がなってないであったり、灰皿の変えるタイミングが遅いだったり、つまらないだったり。
殊更苛立たせたのは先輩が作った酒の濃さだった。
飲みきったあとで作って欲しい人もいれば、減った段階で作れと怒る人もいる。
正解なんて初めから存在しない。
どんなに緻密に考えても答えをくれない先生からは単位は貰えない。佐和子と先輩が入れ替わり、酒を作って1口飲んだ瞬間、ついに常連の怒りは頂点へと達した。
「何だこの酒は!さっきと全然濃さが違うじゃないか!!」
「おい!!ママがちゃんと教育しないからだろ!!」
「俺の酒を無駄に使いやがって!!」
「てめぇ、許さねぇからな!!」
理不尽に怒鳴られた。父親と重なる。完全にフラッシュバックだ。常連はロックグラスを投げつけてきた。パリンと割れる音がする。
ママに目線で助けを求めると、大きく溜息をつきこう言い放った。
「ごめんねぇ、ちゃんと言ったんだけど…うちの子達みんな覚えが悪いのよ。お会計は安くしとくわね。」
「俺は店のことを思って━━━」
その辺から佐和子は店を飛び出していた。
過呼吸が止まらない。思い出したくない怒鳴り声、酒の匂い、男の声、暴力、仁義の擦り付け。
やっとの思いでママにちょっと来て欲しいとドアを少しだけ開けて言った。
経緯を軽く話し、このままでは接客にならないから早退させて欲しいと告げた。
「はぁ…もういいわ。帰って頂戴。あとね、このタイミングで外に呼んだら変に思われるでしょう?その辺考えてるの?」
守ってもらえるわけもないか、と、佐和子は半ば諦めつつ最後のぞみをこめて頼ったことすら咎められた。退店しようと心に決めて、立ち去る。今日の給与なんて、もうどうでもいい。
帰り道幼少期の記憶が深く思い出された。
これだから酔っ払いは嫌いなのだ。
いや、何より嫌いなのはそんな酔っ払いに媚びを売って生計を成り立たせている自分自身だ。




