第七話 パーティーを編成する
異世界アニメにおける「パーティー編成」は、物語の本格的な始まりを告げる儀式だ。主人公がひとりで動いている段階と、仲間を得た段階では、物語のスケールが根本から変わる。ソロの段階では主人公の内面が主題になる。パーティーが組まれた瞬間から、物語は「関係」を主題にし始める。誰かと共に行動するということは、自分の意図が相手に届くかどうかを試されるということでもある。そしてたいてい思い通りにはいかない。
それでも、仲間がいる物語の方が、先を読みたくなる。田中はそのことを、一万話以上の視聴経験から知っていた。
◆本日(異世界十四日目)ステータス:
HP:69(睡眠7時間、朝食あり。天候:晴れ。黒沢幹部は午前中外出の情報あり、プラス補正。)
MP:61(コーヒー済。本日クエスト難易度:B)
本日のクエスト:合同プロジェクト・中間整理。難易度B。企画部との協働作業。
警戒事項:フラグ察知スキルが朝から反応している。——今日は何かが動く。
先週月曜の会議から、七日が経っていた。合同プロジェクトは進んでいるとも、進んでいないとも言い難い状態だった。方向性は出た。資料も揃いつつある。しかし「これで行こう」という手応えが、まだどこにもなかった。田中はその状態を手帳に「中ボス前の膠着フェーズ」と書いていた。
「田中くん、午後の作業ってどこでやりますか」
声がした。相川柚葉だった。
企画部のフロアから第三営業部側に来るのは今週で二度目だ。先週の会議以来、やりとりがメールから対面に変わっていた。どちらが言い出したわけでもない。ただ、いつからかそうなっていた。
「資料室の小会議室を押さえています」
「じゃあそっちで。資料持って行きます」
それだけ言って、柚葉は企画部側に戻った。田中は手帳を取り出した。
(接触②——本日。フラグ察知スキルの反応、これか。今日は何かが変わる日だ)
まだ午前中だった。
午後の小会議室には、柚葉が先に来ていた。テーブルに資料が広げてある。ノートパソコンが開いていた。田中が入ると、柚葉が顔を上げ、向かいの椅子を軽く示した。
田中は荷物を置き、手帳を外ポケットから出してテーブルの端に開いた。今日の作業計画は朝のうちに書いてあった。しかしページをめくると、その一つ前に昨夜書いたものが出てきた。
◆合同プロジェクト・パーティー編成:完了!
タンク:田中守(前線での消耗役。黒沢幹部の攻撃を受け止める。)
ヒーラー:相川柚葉(推定)(場の状態を整え、消耗した者を立て直す。)
アタッカー:坂口(二年目・突破力あり。ただし経験値不足。)
サポート:山本さん(情報収集・堅実。必要な場面で必要な情報を出す。)
速水幹部:——分類保留。敵か、味方か、まだ判定できない。
田中がページを確認しようとした瞬間、柚葉が資料を取るためにテーブル越しに手を伸ばした。視線が、田中の手帳に止まった。
「……ヒーラー?」
田中は顔を上げた。柚葉が手帳を読んでいた。
「パーティー編成です」と田中は言った。
「なんで私がヒーラーなんですか」
「場の状態を整える動きをされているので。先週の会議のあと、坂口さんに確認の声をかけていましたよね。あれは典型的なヒーリング行動です」
柚葉の表情に、何かが浮かんだ。引いているのとも、困惑しているのとも違う。処理しようとして、処理が間に合っていない顔だった。
「ヒーリング行動」
「はい。回復魔法の適性があると判断しました。Lv.はまだ測定中ですが、少なくとも8以上は確実です。山本さんに次ぐ水準です」
「……タンクって」と柚葉が言った。「自分で自分をタンクに書いてるんですか」
「ロールには向き不向きがありますので。アタッカーの適性がないことは三日目の交戦データで確認済みです。タンクが現状の最善手です」
柚葉が少しの間、田中を見た。テーブルに肘をつき、頬に片手を当てた。何かを言いかけて、資料の方に目を落とした。
「速水さんのこと、判定保留って書いてありましたけど」
「はい。まだ確信が持てていないので。敵として分類するには、何かが引っかかっています」
「私も、よくわからないんですよね、あの人」
それは田中にとって少し意外な一言だった。柚葉が速水について何かを言うとは、思っていなかった。
「先週の会議のあとで坂口くんに声をかけたのは」と柚葉は続けた。「私も、どうすればよかったかわからなかったから、とりあえず、というだけで」
整理しながら話している声だった。
「坂口くん、ああいう場面が続いたら、この先どうなるんだろうって」
「速水さんが意図してやっているとは思わないんですけど」
「そうです」と田中は言った。「フィールド全体への呪い展開型です。悪意はない。でも、効果がある」
「呪い」
「経験に基づいている分、性質が悪いです。根拠があるので反論できない。ただ——黒沢幹部の攻撃とは種類が違います。黒沢幹部は圧をかける。速水幹部は——火を消す」
短い沈黙があった。柚葉が資料をめくった。
「……田中さんって、全部そうやって整理するんですか」
「そうする方が、何が起きているかが見やすいです」と田中は言った。「異世界のテンプレに当てはめると、パターンが出てくるので」
「じゃあ今日の作業は、どっちから始めますか」と柚葉が言った。
「課題整理を先に」と田中は答えた。「今のプロジェクトのメインクエストが何か、まず確定させたいです」
「クエスト」
「目標という意味です。今の状態は目標が複数あって優先順位が決まっていないと思うので」
柚葉が少し考えた。「……それ、そうかもしれない」
「先方が求めているのは、新規の提案ですか。それとも今の関係の維持ですか」
「……両方だと思ってたんですけど」
「どちらもメインにすると、どちらも中途半端になるリスクがあります。今の段階でどちらを優先するかを決めると、資料の方向性が変わります」
柚葉がテーブルの資料を見た。しばらく読んだ。「先方との関係的には、今は維持がメインで、新規はサブクエストにする方が自然かもしれない」
「そうすると、ここが変わります」と田中は言い、柚葉の資料の一か所を指した。「ここが新規提案メインの組み立てになっているので、先方の意向を確認してから補足する形にすると、消耗を抑えられます」
柚葉は田中が指した箇所を読んだ。しばらくして「……確かに」と言った。「なんでそれがわかるんですか」
「黒沢幹部との交戦を分析したとき、目標設定の優先順位が曖昧で、どちらも中途半端になるという傾向を確認していたので。此の世界の攻略パターンは再利用できます」
「黒沢さんとの交戦の、分析が」
「はい」
柚葉が、田中を見た。さっきヒーラーを読んだときとは少し違う顔だった。何かを測るような、でも測り終えた後のような顔だった。
「……あなたって、なんか本気なんですよね」
確認ではなかった。独り言に近かった。
田中は答えようとして、一瞬、「本気」という言葉が頭の中で形を変えた。
本気——本物。
本気でやっているから——何かが、本物になる。速水が坂口の光を消すのは「どうせ」という言葉だ。「どうせ無意味だ」「どうせ変わらない」。その逆は「変わるかもしれない」ではない。「本気でやる」、だ。本気でやり続けると、此の世界が少しずつ、本物の異世界に近づいていく——そういうことなのかもしれない。
「……そうかもしれないです」と田中は言った。うまく言語化できなかったので、それだけにした。
柚葉が資料に赤ペンを走らせ始めた。「じゃあメインクエストを関係維持にして、進めましょうか」
「はい」
それだけで、作業が動き始めた。二人の間に、静かな時間が生まれた。
二時間後、中間整理が終わった。完成ではなかった。でも、方向が見えた。柚葉が資料をまとめながら「思ったより進みましたね」と言った。田中は手帳に記録を書き始めた。荷物をまとめた柚葉が立ち上がる前に、もう一度だけ田中のページを覗いた。
「パーティー編成、また更新するんですか」
「随時更新します。精度が上がりますので」
柚葉が、笑った。
田中はそれを確認した。確かに笑った。正確には、口の端がわずかに上がり、目が少し細くなった。だがそれは笑いだった。田中が手帳に何かを書くのを見て、笑ったのだ。
「じゃあ、また明日」
柚葉が荷物を持って会議室を出た。
田中は一人、会議室に残った。蛍光灯の音だけがしていた。テーブルの上に、今日の記録が広がっている。田中はペンを取り、書いた。
◆本日の戦果:
合同プロジェクト・中間整理:完了。作業時間:二時間。
メインクエスト確定:関係維持(サブ:新規提案)。
クエスト思考の転用:機能した。
相川柚葉との協働:——問題なし。
◆特記事項:本日、一瞬だけ笑った。——フラグ、立ったかもしれない。
本人は、気づいていなかった。
帰り道、田中は手帳の「パーティー編成」のページを開いた。「ヒーラー:相川柚葉(推定)」の欄を見た。(推定)のかっこを、ペンで消そうとして——止めた。まだ確定するには早い。でも、確定に向かっている気はした。そっとペンを仕舞った。
横断歩道の前に立った。信号が赤だ。隣に人が並んだ。今日は声をかけなかった。ただ、カバンの中の手帳の重さが、昨日より少し違う気がした。
此の世界は、やはり複雑だ。——まだ、十四日目だ。




