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転生できないので、此の世界を異世界にしました。 〜HP23・MP12・本日のクエスト:生存〜  作者: 深海周二


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第六話 幹部B、速水千晶の正体

 異世界アニメにおける「元英雄」型のキャラクターは、たいてい中盤に登場する。序盤の幹部とは違う。主人公を「戦力外」と切り捨てる追放系の敵役でもなく、魔王に仕える古典的なボスでもない。このタイプはただ——疲れている。かつては誰よりも輝いていたのに、今は消えている。何かがあったのかを本人は語らない。語る気力がないというより、語る意味がないと思っている。物語の中でこのタイプが主人公に言うセリフは、だいたい決まっている。「お前もいずれわかる」——か、あるいは「どうせ同じだ」だ。


 田中守がそのセリフを初めて聞いたのは、異世界七日目の昼だった。


◆本日(異世界七日目)ステータス:

 HP:66(睡眠7時間、朝食あり。天候:晴れ。ただし月曜特有の出鼻をくじかれる感覚あり、マイナス補正)

 MP:57(コーヒー済。本日クエスト:難易度B)

 本日のクエスト:午後の合同プロジェクト会議(難易度B)。警戒事項:新規接触リスク・高。フラグ察知スキルが朝から反応している。


 フラグ察知スキルが反応しているのは、月曜の朝から胃の辺りがうっすら緊張しているからだ。異世界アニメで言えば「OP映像が不穏な回」の感覚に近い。何が起きるかはわからない。でも、今日は何かが起きる気がした。田中はそう手帳に書いてから、コーヒーを飲んだ。


 午前の業務は滞りなく進んだ。黒沢との接触は一回(消耗MP:3、内容:先週の資料の差し替え依頼、特記事項なし)。山本さんに書式を確認し、電話対応を三件こなした。午後一時からの合同プロジェクト会議に備えて、田中は資料を整えた。第三営業部と企画部の合同会議だ。参加者が増える。顔ぶれが変わる。


(新規接触の可能性:高)


 田中は手帳を外ポケットに入れ、会議室へ向かった。


 会議室に入ったとき、上座に速水千晶が座っていた。


 田中は一瞬、止まった。止まった理由は自分でも整理できなかった。強敵の予感とは少し違う。黒沢に初めて会ったときの「これは追放系の幹部だ」という即座の分類もなかった。あったのは、もっと薄い感覚だった。——火が消えている、という感じがした。本人は今も机の前に座って、資料を確認しているのに。


(鑑定——)


 速水千晶。三十二歳。田中より五年先輩。入社当時は部内でも指折りのエースだったと、山本さんから聞いていた。数年前に何かがあって、今は守り入りだと。直接やり取りしたことはなかった。でも廊下や全体会議でときどき目にする。いつも効率的だ。無駄がない。そして——どこか遠い。


(——分類が、出てこない)


 相川柚葉が鑑定を「弾く」のとは違う弾かれ方だった。柚葉の場合は「分類しようとしても種類が出てこない」だった。速水の場合は「分類しようとして、手が止まる」だ。異世界テンプレのどこかに当てはまるはずなのに、うまく当てはまらない。何かが引っかかる。


◆速水千晶(第三営業部先輩・32歳)——鑑定試行①:

 分類:保留。「元英雄型」の可能性。詳細不明。

 特記事項:火が消えている。——要観察。


 会議が始まった。速水が資料を開いた。


「じゃあ始めましょう。今月の合同プロジェクト、進捗確認から」


 声は低く、淀みがなかった。テキパキしている。効率的だ。しかしその効率性が、どこかに向かっていない感じがした。目的地のない走り方。仕事をしている。ただ、こなしている。


(——呪文詠唱、開始)


 田中の頭の中でBGMが鳴り始めた。重低音。フィールドに魔力が漂い始める感覚。異世界アニメで強力な魔法使いが詠唱を始めるときの、あの空気の変化だ。


(このタイプの攻撃は直撃ダメージではない。「そんなことをしても無意味だ」という呪いをフィールド全体に広げるタイプだ。かかった相手は自分から動けなくなる。即死しない。ただ、じわじわと行動意欲が——)


 坂口が手を挙げた。二十四歳、昨年入社、声が大きい若手だ。


「速水さん、このセクションなんですが——先方への提案、もう少し踏み込んだ内容にできないかと思って。新しい切り口を持っていくと、反応が変わると思うんですよね」


(——詠唱、第二フェーズ)


 速水が坂口を見た。一秒。


「坂口くん、何年目」

「二年目です」

「そう」


 速水は声のトーンを変えなかった。悪意がないのは田中にも伝わった。ただ確認している。次に何を言うべきかを、すでに計算し終えている。


「踏み込んだ内容、というのは具体的には」

「こちらから提案の幅を広げて、先方のリアクションを見てから方向を絞るやり方で——」

「それ、やったことある?」


 坂口が止まった。


「……ないですが」

「うん。このプロジェクトは既存の信頼関係が土台だから、変動リスクを抑えた方が現実的。踏み込むのは来季以降でいいと思う」


(——詠唱、完了。呪い放出)


 田中の頭の中でエフェクトが走った。坂口のHPゲージから、緑の光が少しだけ抜け落ちる。目には見えない。でも、何かが減った。坂口は「わかりました」と言って視線を資料に落とした。さっきまであった声の張りが、消えていた。


(——消耗型の呪いだ。効果:行動意欲低下。一撃では倒せない。じわじわと、「どうせ無駄だ」という感覚を蓄積させる。黒沢の攻撃とは種類が違う。黒沢は圧をかける。速水は——火を消す)


 田中は膝の上でそっと手帳を開き、一行書いた。


◆速水幹部・攻撃様式:

 直接攻撃ではなく、フィールド全体への呪い展開型。「現実的に考えたら」という詠唱により対象の行動意欲を低下させる。悪意はない。経験に基づいている。

 ——だからこそ、手に負えない可能性がある。


 速水が田中の方を向いた。


「田中くん、営業側の進捗は」

「今週中に先方確認が取れる見込みです。問題なく進んでいます」

「そう。じゃあ続けて」


 それだけだった。ダメージはなかった。でも——なかっただけで、坂口と同じ「消し方」をされた気はした。「続けて」というのは「それ以上は必要ない」という意味でもある。


◆速水幹部との接触①:所要時間:約10秒。消耗MP:1(直接ダメージなし。ただし呪い型の余波あり)


 会議は四十分で終わった。速水は効率的に全員の報告を処理し、問題点を指摘し、「現実的に」という言葉で着地させた。誰も反論しなかった。相川柚葉が速水に何か確認して、速水が短く答えていた。坂口は早足で出た。出口のところで一度だけ振り返ったが、何も言わずに廊下に消えた。田中は最後に立ち上がり、ゆっくりと出口に向かった。


 速水が、ドアの近くで書類を束ねていた。田中と、二人になった。


 速水が顔を上げて、田中を見た。


「田中くん、最近まじめにやってるって聞いた」

「はい」と田中は答えた。

「続けばいいけど」


 その言葉が、田中の中に引っかかった。続けばいい——という言葉の中に、「続かない」という予測が含まれていた。経験則として。実績として。あるいは——


(このセリフを、俺は知っている)


 田中は頭の中で検索した。異世界アニメ、元英雄型のキャラクター。この人物が主人公に言う言葉。「続けばいいけど」「お前もいずれわかる」「若いうちはみんなそう言う」。どれも——かつて希望を持っていた人間の言い方じゃない。かつて希望を持っていて、それが消えた人間の言い方だ。


(——この人は、昔、何かを言われた)


「速水さん」と田中は言った。


 速水が田中を見た。


「昔、同じことを、誰かに言われたんですか」


 一秒が長かった。


 速水の顔が、変わった。変わった、というのは正確ではないかもしれない。固まった、という方が近い。いつも最短で言葉が出てくる速水が——止まった。何かを探して、出てこない、という顔だった。


 田中は自分が触れてはいけないものに触れた気がした。でも取り消せなかった。言葉はもう出ていた。そして——鑑定スキルが、何かを見た。初めて、見た。


「……なんでそう思う」と速水が言った。声のトーンが変わっていた。低いのは同じだ。でも何かが一枚、剥がれていた。いつもの「効率的に処理する」速水が、そこにいなかった。


「わからないです」と田中は答えた。正直に言った。「鑑定しようとして、うまくいかなかったので。ただ——そういう気がしました」


「鑑定」と速水が繰り返した。


「はい。スキルです。Lv.2で、まだ育成中なんですが」


 速水が少しの間、田中を見た。何かを言いかけて、言わなかった。代わりに、かすかに口の端が動いた。笑ったのか、何か別の表情なのか、田中には判断できなかった。


「……変わってるな、お前」


 褒めてもいなかった。貶してもいなかった。ただ、言った。それだけだった。速水は書類を抱えて、会議室を出た。


 田中は会議室に一人残った。蛍光灯の音だけがしていた。


(——何が起きた)


 田中は手帳を開いた。ペンを取った。何を書くべきかを、少しの間、考えた。鑑定の記録。でも何を鑑定したのか。速水の「続けばいいけど」という言葉の中にあったものを。あの一秒の沈黙を。


◆速水幹部との接触②(会議室・退出時):

 速水の発言:「続けばいいけど」

 田中の問い:「昔、同じことを誰かに言われたんですか」

 速水の反応:——1秒以上、止まった。

 鑑定スキル、部分的に発動。——何かが、見えた。


 夕方の帰り道、田中は速水千晶を整理しようとした。黒沢は「追放系の幹部」だった。根拠ある正しさを武器にして、悪意なく相手を削る。対処法がある。速水は——違う。速水が坂口に言ったことは、攻撃じゃなかった。「やめろ」とも「お前には無理だ」とも言っていない。ただ「どうせ」が含まれていた。「続けばいいけど」という言葉の中に。


(……あれは、諦めた人間の言い方だ)


 田中はそこで足を止めた。横断歩道の前だった。信号が赤だ。なぜあの問いを発したのか、自分でもわからなかった。鑑定スキルが機能した、と最初は思った。でも鑑定は「分析する」スキルのはずだ。「問いかける」スキルじゃない。あの問いは——どこから来たのか。


 答えは出なかった。出なかったまま、考え続けた。


 諦めた人間の言い方——田中はその言葉を自分の中で反芻した。速水はかつてエースだった。今は守り入りだ。何かがあった。そしてその「何か」が、今の速水に「続けばいいけど」と言わせている。あるいは——かつて速水自身が、同じことを言われたのかもしれない。誰かに。上司に。先輩に。あるいは、自分自身に。


 坂口の、さっきの顔が頭に浮かんだ。「わかりました」と言って視線を落とした瞬間。あの光が少し減った瞬間。


(……速水は、あの光を消している。おそらく——自分の光が消えたやり方で)


 信号が青になった。田中は歩き始めた。


 帰宅して手帳を開いた。


◆本日の戦果:

 合同プロジェクト会議:参加完了。黒沢幹部との交戦:1回。消耗MP:3。

 速水千晶との接触:会議中1回・退出時1回。消耗MP:1。

 本日最終残MP:48。——生存。

 速水幹部・鑑定更新——分類:「元英雄型」。傷を持っている。「続けばいいけど」という言葉は、経験から来ている。ただし——それだけじゃない。かつて同じことを、誰かに言われた可能性が高い。

 ——幹部にも、傷がある。此の世界は、俺が思ってたより複雑だ。


 書き終えて、田中はペンのキャップを閉めた。


 アニメをつけた。今夜は「元英雄」の話だった。かつて最強だった男が、酒を飲みながら主人公に言う。「俺みたいになるな」と。主人公は黙って聞いている。


 田中はビールを飲みながら、その場面をじっと見ていた。


(此の世界の幹部たちは、みんなちゃんと、傷を持っている)


 黒沢の、あの虚しそうな顔。速水の、あの一秒の沈黙。どちらも、異世界アニメのテンプレには書いていないやつだ。テンプレの幹部は、主人公が倒すための存在として登場する。でも此の世界の幹部たちは——倒す前に、何かを持っている。


 テレビの画面の中で、元英雄が静かにグラスを置いた。


 ——まだ、七日目だ。

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