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転生できないので、此の世界を異世界にしました。 〜HP23・MP12・本日のクエスト:生存〜  作者: 深海周二


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第二話「ギルドへようこそ、株式会社ホドホド物産」

第二話「ギルドへようこそ、株式会社ホドホド物産」



 異世界に転生した主人公の、二日目というのは重要だ。無双系なら最初のダンジョンをクリアしている頃だ。追放系なら、理不尽な仕打ちを受けながらも新しい仲間との出会いを予感し始めている。ドラッグストア開業系なら、地元の薬草の効能を調べて困っている村人に感謝されている。どのジャンルであれ、二日目には必ず「物語が動いている」という手応えがある。


 田中守の異世界二日目は、目覚まし時計の音で始まった。六時三十分。昨日より十分早い。田中はすぐに手帳を手に取り、昨日書いた「異世界一日目・生存」という記録を確認した。確かに書いてある。夢ではなかった。ペンを取り、続きを書いた。


◆本日(異世界二日目)ステータス:

 HP算出根拠:睡眠時間7時間(昨日比プラス、補正プラス3)/朝食トースト一枚・摂取済み(プラス5)/天候:曇り(マイナス2)/幹部Aとの遭遇予測:高(デバフ警戒、マイナス5)→総合算出——HP:71

 MP算出根拠:コーヒー済(プラス10)/本日クエスト予測難易度:B(週次営業会議あり、長期消耗見込み)/睡眠負債:解消傾向(プラス3)→総合算出——MP:58

 本日のクエスト:週次営業会議(難易度B)、懸案の見積書作成(難易度C)。警戒事項:幹部Aの動向。会議が長引く可能性。


 書き終えて、田中は一度だけ読み返した。われながら、おかしい。社会人二十七歳の朝一番にやることではない。でも——昨日もそう思いながら書いた。今日も書いた。つまりこれは、もう習慣だ。シャワーを浴びながら、今日の作戦を考える。異世界の冒険者が二日目にやるべきことは「ギルドの構造を把握すること」だ。どんなメンバーがいて、誰が何のロールを担っていて、どこに罠があるか。情報収集は、生存の基本だ。——行くか。


 株式会社ホドホド物産、本社ビル。エレベーターの前で、田中は三十秒待った。


(転移魔法陣——起動が遅い。昨日も遅かった。おそらく魔力の流れが悪い箇所がある。改善要望を出すべきかもしれないが、ギルドの設備に新参者が口を出すのは時期尚早だ)


 三階で開いた扉の向こうに、総務の佐藤さんが立っていた。四十代、ショートヘア、口角が常に上がっている。


「おはようございます、田中さん」

「おはようございます」


 佐藤さんが微笑む。完璧な微笑みだ。


(鑑定——ギルド受付。スキル:愛想笑いLv.MAX、情報収集Lv.8、場の空気の把握Lv.10。——強い。このフロアで最も情報を持っている可能性がある)


 タイムカードを打刻しながら、田中は手帳にそっと書き留めた。「後日、交渉の余地あり」


 第三営業部のフロアに入ると、すでに何人かが席についていた。


(ギルド本部——本日も開館中)


 田中は改めて、初めて来た場所を見るように見渡した。二十四のデスク。蛍光灯の白い光。キーボードの音と電話の保留音。自席につきながら、パーティー構成の把握を続ける。斜め向かいの坂口は二十四歳・昨年入社・声が大きい。スキル:やる気Lv.9、経験値Lv.1。育てれば頼れる仲間になるかもしれない。隣席の山本さんは三十二歳で、締め切りを破ったことが一度もないという伝説がある。スキル:堅実Lv.MAX、冒険心Lv.0。パーティーに一人はいてほしいタイプだ。そして——


「田中くん、今日の会議、資料持ってきた?」


 黒沢雄一が立っていた。


(幹部A——黒沢雄一、Lv.34。本日の機嫌:通常。HP:高め。スーツ:完璧。目の奥:例の光。攻撃モード:確認攻撃・通常仕様)


「持ってます」

「先方の最新数字、入れてあるよね」

「入れてあります」


 黒沢は一瞬だけ田中の机の上の手帳を見た。何か言いたそうな顔をして、言わなかった。「じゃあよろしく」と言って自席に戻った。田中は手帳に書いた。


◆幹部Aとの接触①:確認攻撃×2。受け流しスキル発動。消耗MP:2


 まだ九時五分だった。


 週次営業会議は九時ちょうどに始まった。会議室に入ると、長方形のテーブルに十二人が並んでいた。上座に田辺部長。四十八歳、ネクタイが毎回微妙によれている、胃腸が弱い、という情報は入社一年目に山本さんから教えてもらった。


(ギルドマスター——田辺康之、Lv.推定42。スキル:調整Lv.8、根回しLv.9、話の長さLv.MAX)


「えーと、じゃあ始めましょうか。その前にちょっと、最近の業界動向について共有しておきたいことがあって——」


 田中はそっと手帳を膝の上に置いた。


◆幹部会議(ギルドマスターによる訓示)記録:

 09:03 「業界動向の話」開始。本題との関連:不明

 09:05 具体的な数字が出てきた。ただし二年前のデータ

 09:07 「若い頃に営業で苦労した話」に移行。本題との関連:皆無

 09:09 消耗MP:3。受け流しスキル、発動中

 09:11 「お客さんとの信頼関係が大事で」——本当のことだが、今言う必要があるかは別の問題だ

 09:13 消耗MP:追加2。計5

 09:15 黒沢が手元でメモを取っている。(鑑定——本当にメモしているのか。それとも別の何かを書いているのか。——判断保留)

 09:17 「話が長い。MP消耗:7」


 田中がそう書いた瞬間、黒沢がちらりとこちらを見た。目が合った。田中は素知らぬ顔で手帳を閉じ、前を向いた。心臓が少し速くなったが、表情には出さなかった。


(想定の範囲内とする)


 想定はしていなかった。


 田辺部長の話がようやく本題に入ったのは九時二十二分だった。営業数字の確認が始まり、各自が先月の実績を報告する。黒沢が最初に立った。


「先月は目標対比百十四パーセントで、新規が三件取れました。今月も同じペースで行けそうです」


 淡々と、しかし確実に、数字が並べられた。周囲がうなずき、田辺部長が「さすがだね、黒沢くん」と言った。黒沢は「おかげさまで」と言って座った。謙遜ではなく、事実の確認として言っている声だった。


(追放系の幹部は、たいていこの段階では絶好調だ。主人公が見返すのは中盤以降。——今は耐える局面だ)


 田中の番が来た。


「目標対比九十一パーセントでした。既存客のフォローは継続中です」

「九十一か」


 田辺部長の声に悪意はない。ただの確認だ。黒沢が横から言った。


「田中くん、この数字でいいの?」


 悪意はない。本当に聞いているのだ。だからこそ、答えに詰まる。


「改善します」

「うん、まあ頑張って」


 黒沢が視線を資料に戻した。


(消耗MP:追加3。——毒状態、継続中)


 会議は十時十五分に終わった。田中の手帳には「総消耗MP:12」と書いてあった。


 昼休み、田中はひとりでコンビニのカツ丼を食べながら手帳を開いた。


◆午前中の消耗・回復記録:

 幹部会議(訓示フェーズ):MP消耗7/幹部Aとの接触①②:MP消耗5/その他(電話応対、メール処理):MP消耗3

 午前合計消耗:15 残MP:43

 回復措置:カツ丼(推定MP+8)→昼後予測MP:51

 本日後半戦:見積書作成(難易度C)および幹部Aとの再交戦リスク(確率60%)——戦えます。たぶん。


 「たぶん」と書き足してから、田中はカツ丼の残りを食べた。窓の外に、昼のサラリーマンたちが歩いていた。弁当を買いに行く人、タバコを吸いに行く人、スマホを見ながら歩く人。


(同士たちよ)


 田中は手帳を閉じて、コーヒーを飲んだ。


 午後の作業は見積書の作成だった。久しぶりに、仕事が静かに進んでいた。


「田中くん」


 声がした。黒沢だった。


「この見積、先方のフォーマットで出してるよね」


 田中の手が止まった。


「……確認します」

「うん、以前そういう話になってたと思うから」


 黒沢が去った。田中はメールを遡った。三週間前のやり取りの中に、たしかに一行あった。「先方指定のフォーマットをご使用ください」。田中宛ではなく、プロジェクト全体への連絡として流れていたメールだった。


(——これは「情報の非対称性攻撃」だ。知っているはずという前提を相手の中に作り、知らなかった側が勝手に消耗する。黒沢に悪意はない。奴はただ確認しただけだ。でも、こちらのHPは削られた)


 フォーマットを探して作り直した。三十分のロスだった。田中は手帳に書いた。


◆幹部Aとの交戦②:情報の非対称性攻撃×1。消耗MP:5。時間ロス:30分。対策:プロジェクト関連メールの精読を習慣化すること。——次回は、防ぐ


 そう書いてから、田中はまた作業に戻った。四時十分、見積書が完成した。


 定時の少し前に、田中は資料をすべて提出し終えた。椅子の背もたれに体を預け、窓の外を見る。十一月の空が暗くなり始めていた。フロアに残業組が残っている。黒沢もまだいる。資料を広げて、誰かに電話をかけていた。


(……奴は、本当に仕事ができる。追放系の幹部はたいてい実力がある。だから主人公を見下す側にいられる。物語が面白くなるのは、その実力を持った相手に、別の方法で挑むからだ。——俺の「別の方法」は、まだ見つかっていない)


 手帳を開いた。


◆本日の戦果:

 見積書、完了。週次会議:出席。幹部Aとの交戦:2回。

 総消耗MP:20。各種回復(コーヒー・カツ丼):+11。本日最終残MP:38。

 ——生存。経験値:微量。


 「経験値:微量」と書いてから、田中は少しだけ間を置いた。微量でも、ゼロではない。立ち上がって、帰り支度をした。


 夜の通勤路。田中は歩きながら手帳を開いた。ステータス、クエスト、交戦記録、回復記録、本日の戦果——几帳面な字で、びっしりと書いてある。異世界の主人公の二日目は、何をしていただろうか。最初のダンジョンをクリアして、仲間の信頼を勝ち取って、自分のチートの力を確認している頃だ。誰かに「あなたが必要だ」と言われている。俺の二日目は——週次会議と、見積書のフォーマット修正だった。


 田中は立ち止まった。横断歩道の前、信号が赤だった。手帳の「経験値:微量」という文字をもう一度見て、それから、ペンを取って、その下に静かに書いた。


◆本日の総評:今日も、生き延びた。


 手帳を閉じた。信号が青になった。


 帰宅してジャケットをハンガーにかけ、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。テレビをつける前に、田中はもう一度手帳を開いた。最後のページの余白に、一行だけ書き足した。「——明日も、続く」


 テレビをつけると、追放系の最新話だった。主人公がパーティーを追い出されるシーンだった。理不尽だった。でも主人公は俯いたまま、何も言わなかった。


(……わかる気がする)


 床に座って、ビールを飲みながら画面を見た。薄暗い1Kの部屋に、アニメの音だけが満ちていた。


〔第二話・了〕

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