表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生できないので、此の世界を異世界にしました。 〜HP23・MP12・本日のクエスト:生存〜  作者: 深海周二


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/12

第十二話 ようこそ、異世界へ

 異世界アニメにおける「最終回」は、たいてい明確だ。魔王が倒れる。ヒロインが主人公の名前を呼ぶ。仲間たちが笑っている。BGMが静かになって、主人公が空を見上げる。そしてEDテーマが流れ始めたとき、視聴者は「これが終わりだ」とわかる。終わりは、わかりやすく来る。

 田中守の、此の世界での五十日目は…普通の金曜日だった。


◆本日(異世界五十日目)ステータス:

 HP算出根拠:睡眠7時間(良好)/朝食:トーストと卵(摂取済み)/天候:晴れ(プラス3)/幹部Aとの遭遇予測:低(本日外出予定)→総合算出——HP:74

 MP算出根拠:コーヒー済(プラス10)/本日クエスト難易度:C(プロジェクト後処理フェーズ)/精神的余剰:安定(プラス5)→総合算出——MP:58

 本日のクエスト:合同プロジェクト後処理(難易度C)。先週の先方提案は、通過した。——残りのクエストを、片付ける。

 スキル状態:全スキル、安定稼働中。


 書き終えて、田中は一度だけ読み返した。「難易度C」——一日目のステータスにも「難易度C」と書いてあった。あのとき田中はまだ、此の世界に降り立ったばかりだった。一日目のCと、五十日目のCは、同じ記号だが、中身がどう違うのかを田中は言語化しようとして、うまくいかなかった。ただ、違う、という感覚はある。

 手帳を外ポケットに入れた。今日も、手が速かった。


 株式会社ホドホド物産、本社ビル。エレベーターを降りて第三営業部のフロアに入ると、山本さんが先に来ていた。

「おはようございます」

「おはよう。昨日の先方、よかったらしいね」と山本さんが言った。画面を見たまま言った。

「聞いてたんですか」

「速水さんが廊下で言ってたから」

 田中は「そうですか」と答えて自席についた。先週の先方への提案は、通過した。速水が「先方、前向きに検討してくれるって」と会議室で言ったのが木曜日の夕方だった。柚葉が「よかった」と言い、坂口が「やりましたね!」と声を上げた。黒沢は「次のフェーズの準備を早めにやろう」と言った。田中は手帳に「クエスト:達成。経験値:大」と書いた。

 午前中の業務は静かだった。黒沢は外出していた。坂口が後処理の資料を持ってきて、田中が確認した。「これで合ってます」と答えると、坂口が「田中さん、プロジェクト通してありがとうございました」と言った。「パーティー全員のクリアです」と田中は答えた。坂口が笑った。「パーティーって言うんですか、やっぱり」と言いながら、自席に戻った。

(坂口:スキル更新。経験値Lv.2。成長している)

 昼前に、速水が第三営業部のフロアに顔を出した。何かの確認のためらしかった。黒沢の席の前で立ち止まり、資料を一枚置いて、去りかけた。廊下に出る直前、田中の方を一度だけ見た。

「お疲れ」

 それだけだった。田中は「お疲れ様です」と答えた。速水は廊下に消えた。

(……速水幹部:本日の「お疲れ」——先週の「そう」よりも、さらに何かが違った。近かった。言葉にするならそういうことだと思う)

 手帳にそのまま書いた。言語化できないことは、言語化できないまま書く。それが五十日間の方針だった。

 昼休み、田中は給湯室でコーヒーを淹れながら窓の外を見た。十一月の空が青かった。

 神様は現れなかった。トラックも来なかった。俺はただ、二十七歳になった。——そう書いた夜から、五十日が経っていた。魔王は倒したか。英雄になったか。誰かに「あなたが必要だ」と言われたか。答えは、全部、まだ途中だ。でも手帳は、続いている。それだけは、確かだった。


◆昼・MP確認:

 現在MP:46(黒沢幹部・不在のため交戦なし。その他午前中の各種消耗を差し引き)。

 コーヒー回復:プラス8。昼後予測MP:54。

 本日後半戦:後処理業務(難易度C)および柚葉との振り返り予定。——戦えます。


 コーヒーを持って自席に戻った。

 午後の業務は落ち着いて進んだ。後処理の資料を仕上げ、メールを処理した。黒沢が外出から戻り、田中と一度目が合った。「うん」と黒沢は言った。田中は「お帰りなさい」と答えた。それだけだった。でも、その「うん」が、四十日前の黒沢の「うん」と、少し種類が違う気がした。田中はそれを確認して、手帳に一行書いた。


◆黒沢幹部:本日の「うん」——一日目の頃と、何かが違う。根拠は出てこない。でも、記録する。


 定時前に、柚葉からメールが来た。

「今日、少し時間ありますか。プロジェクトの振り返りをまとめたくて」

 田中は返信した。「あります」

 定時を十分過ぎた頃、田中は小会議室に向かった。

 柚葉が先に来ていた。テーブルに資料を広げ、ノートパソコンが開いている。田中が入ると、顔を上げて「来てくれてありがとうございます」と言った。

「こちらこそ」と田中は言った。

 振り返りのまとめは、三十分で終わった。プロジェクトの経緯を整理し、先方への提案の結果を記録し、次フェーズへの課題を書き出した。柚葉の進行は速く、田中は営業側のデータを補足した。二人の間に、無駄のないやりとりが積み重なった。コピー機の前で手帳を覗かれた日から、こういうやりとりができるようになるまで、四十六日かかった。

「これで大丈夫だと思います」と柚葉が言った。

「はい」

 柚葉がパソコンを閉じた。資料を揃えた。少しの間、そのままテーブルの上を見ていた。

「田中さん」と柚葉が言った。

「はい」

「このプロジェクト、最初の頃…私、田中さんのこと、よくわからなかったんですよね」

「最初にコピー機の前でステータスを説明したので」

「それもあるんですが」と柚葉は言った。

「なんか、方向が独特で。普通に仕事してる人と、何かが違って。それが何なのかずっとわからなくて」

「今は、わかりますか」

 柚葉が少し考えた。

「……なんか、本気なんですよね。異世界語りとか手帳とかを除いても、根本的に。それが何に向けての本気なのかは、まだよくわからないんですけど」

 本気——本物。

 田中はその言葉を聞いて、同じ言葉を聞いた日のことを思い出した。小会議室で資料を並べながら、柚葉が「あなたって、なんか本気なんですよね」と言ったあの日。あのとき田中は「本物」という言葉を一瞬だけ反芻して、うまく言語化できなかった。でも今日はその言葉が、少し違う響きを持った。

「此の世界が本物だと思っているので」と田中は言った。

「俺が決めたことだけど、決めてから五十日経って、その気持ちは変わっていないです」

「此の世界って」

「この世界のことです。アニメの異世界じゃなくて、ここのことを」

 柚葉が少しの間、何も言わなかった。

「……それって、当たり前じゃないですか」

「俺には、そうじゃなかったので。最初はここじゃないどこかに、もっと本物の世界がある気がしていたと思います」

「今は?」

「今は、此の世界の方が、本物だと思ってます」

「なんで」

 田中は少し考えた。

「思い通りにならないから」と田中は言った。

「アニメの異世界では、主人公が必要とされる。召喚されて、最強で、ヒロインが好きになる。全部、思い通りになる。でも此の世界は思い通りにならない。鑑定スキルが弾かれる相手がいる。プロジェクトが頓挫する。チートの名前が二十一文字になる。思い通りにならないものの方が、たぶん、本物だと思って」

 柚葉の顔が、少し変わった。

「……鑑定スキルが弾かれる相手」

「はい」と田中は言った。

「相川さんのことです」

 柚葉が、少しだけ目を細めた。驚いているのとも、困惑しているのとも違う顔だった。

「今も、弾かれてますか」

「はい」と田中は言った。

「今日も試みましたが、出てこないです」

「……ずっと試みてるんですか?」

「随時」

 柚葉が少しの間、何かを考えた。田中はその横顔を見ながら、鑑定を試みた。今日も出てこない。分類しようとすると、手が止まる。いつも止まる。五十日間、ずっと止まる。

(……鑑定できない、ということは)

 四日目の手帳に書いた。


「鑑定できない=俺の想定外の相手。……思い通りにならない相手、か」と。今日、思い通りにならないものが本物だと言った。ならば——

(鑑定できない=本物の他者、だ)


 田中はその論理が出てきた瞬間、少し止まった。鑑定スキルが弾かれるのは、相川柚葉が田中の想定を超えているからだ。テンプレートに当てはまらない。分類できない。アニメの異世界でヒロインたちが主人公を必要とするように設計されているのと違って、柚葉は田中の設計の外にいる。だから鑑定できない。だから、本物だ。

「田中さん」と柚葉が言った。

「はい」

「手帳、見せてもらえますか。最初から」

 田中は止まった。

 今度は、別の止まり方だった。心臓が、少し速くなった。

(……鑑定スキルがついに)

 田中は胸の中で呟いた。五十日間、弾かれ続けてきた。手帳を見せるということは、田中守の五十日間を、全部、相川柚葉に渡すということだ。HP。MP。交戦記録。チートの名前。「諦めない」Lv.2。全部が、そこにある。

(……ガチ緊張している)

 田中は自覚した。心臓が速い。いつもは外ポケットからすぐ出てくる手帳が、今日に限って、少しだけ時間がかかった。

 柚葉が田中の顔を見た。「……顔に出てますよ」と言った。

「想定の範囲内とします」と田中は言った。

「いつものやつですか」

「はい」

 田中は手帳を取り出した。五十日分の記録が入っている。几帳面な字で、びっしりと。HPとMPと交戦記録と鑑定記録とクエストと戦果と、チートの名前と、「諦めない」と。全部、此の世界の記録だ。

 手帳を、柚葉に向けて差し出した。

 柚葉は受け取った。表紙を見た。それからゆっくりとページを開いた。

 田中は、柚葉が手帳を読む間、窓の外を見ていた。夕方の空が暗くなり始めていた。フロアの蛍光灯が白く光っていた。キーボードの音と電話の保留音だけがしていた。

 柚葉がページをめくる音だけが、しばらく続いた。

「……田中さん」と柚葉が言った。

「はい」

「これ、全部自分で書いたんですか」

「はい」

「一日目から」

「はい」

 柚葉がまたページをめくった。しばらくして「……HP23の朝のページ」と言った。田中は何も言わなかった。

「『でも出た』って書いてある」

「はい」

「HP23でも、MP12でも、出た、って」

「出たので、そう書きました」

 柚葉が少しの間、そのページを見た。それからもう少しだけページをめくって、また止まった。何を読んでいるのか、田中には見えなかった。でも見ようとしなかった。柚葉が手帳を読んでいる時間は、柚葉のものだと思った。

「ペン、貸してもらえますか」と柚葉が言った。

 田中はボールペンを差し出した。

 柚葉は手帳の空白のページを開いた。少しの間、止まった。何を書くかを考えているようだった。それから、書き始めた。

 田中は見えなかった。でも見ようとしなかった。鑑定スキルが弾かれ続けてきた五十日間の、その続きとして、柚葉が自分で書いている。田中が分類するのではない。柚葉が、自分のステータスを、自分で定義している。

 柚葉が、ペンを置いた。

 手帳を田中に返した。

 田中はページを見た。


◆HP:??。本日のクエスト:不明。でも、続きが気になる。


 田中は、その一行を読んだ。もう一度、読んだ。

(……鑑定スキルが、通った)

 違う、と思った。通ったのではない。柚葉が、自分でそこに書いた。鑑定したのは田中ではない。相川柚葉が自分のステータスを、自分で定義した。五十日間、鑑定できなかった理由が今わかった気がした。柚葉は田中の分類の外にいたのではなく、最初から、自分で書ける人間だったからだ。他者性のある本物の他者は、誰かに鑑定されない。自分で書く。

 英雄にはなれなかった。でも、俺の物語の主人公には、なれた。

 柚葉も立ち上がっていた。荷物を持っていた。田中と目が合った。

「帰りましょうか」と柚葉が言った。

「はい」

 小会議室を出た。廊下を歩いた。エレベーターを待った。二人で乗り込んだ。一階のボタンを押した。扉が閉まった。

 エレベーターが下降する間、田中は手帳を外ポケットには入れなかった。胸の前で、持っていた。

 扉が開いた。ロビーを抜けた。外に出ると、夜の空気が冷たかった。十一月の夜だ。街灯が点いている。

 横断歩道の前に出た。信号が赤だった。

 柚葉が隣に立った。田中は正面を向いた。向こうに、夜の街が続いている。車が走っている。人が歩いている。此の世界の、いつもの夜だ。

「田中さん」と柚葉が言った。

「はい」

「此の世界って、異世界ですか」

 田中は少しの間、考えた。

 一日目の夜、手帳を開いてそう書いた。「此の世界は、異世界だ。——俺がそう決めた」。あのときは、決めることで異世界になると思っていた。でも五十日間を経て、今この横断歩道の前に立って、田中は少し違うことを思っていた。決めたから異世界なのではない。此の世界には、鑑定できない相手がいた。思い通りにならない相手がいた。テンプレートを超えてくる幹部たちがいた。HP23の朝があった。証明できない「諦めない」Lv.2があった。二十一文字のダサいチートがあった。思い通りにならないものだらけの、此の世界は——

「はい」と田中は答えた。

「本物の——異世界です」

 柚葉が、田中を見た。何かを言おうとして、少しの間、止まった。

 田中は手帳を胸の前に持ったまま、柚葉を見た。五十日間、鑑定スキルが弾かれ続けた相手。「HP:??。本日のクエスト:不明。でも、続きが気になる」と書いた人間。思い通りにならない、本物の他者。

「ようこそ」と田中は言った。「——異世界へ」

 信号が、青になった。

二人は歩き始めた。

 夜の冷たい空気と、街灯の光と、隣を歩く気配が、あった。手帳を胸の前に持ったまま、田中はふと、柚葉の顔を見た。彼女は前を向いていた。街灯の光の中で、少しだけ口の端が上がっていた。

 此の世界が、こんなにも愛しい。

 正面を向くと、視界の端がまばゆい…

 トラックのライトが、迫ってくる。

「えっ…なんで…今さら…」


〔暗転〕


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ