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転生できないので、此の世界を異世界にしました。 〜HP23・MP12・本日のクエスト:生存〜  作者: 深海周二


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第十話 チートの名前が、決まった

 異世界アニメにおける「チートの命名シーン」は、たいてい劇的だ。主人公がスキルウィンドウを開いた瞬間、画面が光る。BGMが変わる。そこに輝いているのは「無限創造」「全属性適正」「時間支配」——四文字から六文字の、かっこいい名前だ。短い。力強い。声に出すと気持ちいい。「これが……俺のチートか」と呟いた瞬間、主人公は変わる。名前があることで、力は「信じられるもの」になる。それが、異世界の作法だ。田中守は年間五百話以上の視聴経験から、そのシーンを三桁以上見ていた。

 問いを立てたのは、異世界五日目の朝だった。

 電車の中で「チート能力・候補リスト」を書き、七項目並べて、全部に弱い言葉をつけた。あれから二十七日が経っていた。


◆本日(異世界三十二日目)ステータス:

 HP算出根拠:睡眠7時間(良好)/朝食:トーストと目玉焼き(摂取済み)/天候:晴れ(プラス3)/幹部Aとの遭遇予測:中(通常警戒)→総合算出——HP:71

 MP算出根拠:コーヒー済(プラス10)/本日クエスト難易度:B(合同プロジェクト仕切り直し・第二週)/精神的余剰:回復傾向→総合算出——MP:58

 本日のクエスト:合同プロジェクト再整理(難易度B)。

 スキル更新:【諦めない】Lv.2(確定。証明はできないが、俺はそう信じることにした)


 書き終えて、田中は一度だけ読み返した。「HP:71」——あの朝の「HP:23」から、四十八の差がある。数値は戻っていた。ただ、何かが変わった気もした。うまく言語化できなかった。

 手帳の外ポケットへの収め方が、あの朝から少し変わっている。取り出すとき、手が速い。

 電車の中で、田中はスキル欄を開いた。


◆スキル一覧(現在):

 【異世界テンプレ全網羅】Lv.MAX

 【フラグ察知】Lv.8(エクセルで83%集計済み)

 【鑑定】Lv.2(育成中)

 【諦めない】Lv.2(確定)

 チート:——未定義


 「未定義」という文字を見た。二十七日間、ずっとそこにあった。

(……あの朝、何があったか)

 HP23で、それでも玄関を出た朝。田中の中にあったのは何だったか。諦めた——でも手帳を持って出た。物語が終わるとは思わなかった。

(なぜか)

(此の世界は、物語だから。俺がそう決めたから)

 電車が駅に着いた。田中はペンのキャップを閉めた。


 株式会社ホドホド物産、本社ビル。エレベーターを降りて第三営業部のフロアに入ると、坂口が先に来ていた。机の上に資料が広がっている。

「田中さん、おはようございます」

「おはようございます」

「先週仕切り直した資料なんですが、ここの数字は先方確認前のものとして扱っていいですか」

「合ってます。来週の打ち合わせで更新します。今の段階では仮置きで問題ないです」

「わかりました」

 坂口がメモを取った。声に、先週より力が戻っていた。

(……フィールドの状態は、回復傾向にある)

 午前中は静かに進んだ。黒沢との交戦は一回(消耗MP:3。メール返信の遅延についての確認。通常攻撃パターン)。資料の更新が午前中に完了した。

 昼休み、田中はひとりで給湯室に向かった。コーヒーを淹れながら、手帳を開いた。チート候補リストのページ。七項目。全部に弱い言葉がついている。八項目目の空白。ペンを持った。

(……書く)


◆チート候補(第八案):諦めた世界でも物語が続いていると信じる力


 書いた。読み返した。

(……長い)

 もう一度読み返した。「無限創造」は四文字だ。「時間支配」も四文字だ。田中のチートは二十一文字ある。このままチートの名前にするのは——長い。略称が必要だ。

「略称……」

 田中は小声で呟きながら、候補を書き始めた。


◆略称候補:

 ①諦力——「あきりょく」か「ていりょく」か判定不能。読み方が二通りある時点で失格。

 ②信念力——ありきたりすぎる。異世界アニメで三十七回以上見た表現。Lv.1の雑魚幹部が持っていそう。

 ③継続力——意味は正確だが、社内研修のワークシートの「あなたの強みを書いてください」欄に書く言葉だ。

 ④物語力——広すぎる。何が強いのかわからない。結局すべての人間が持っていることになる。

 ⑤此の世界眼——「このせかいがん」か「しのせかいまなこ」か読み方が不安定。そもそも「眼」という字は俺のチートと関係があるか。


 田中はリストを見た。どれも弱い。略称を考えるほど、元の名前の方がましに見えてくる。

「……長すぎる。なんかないか」

 声に出した。

「なんかないか、って何の話ですか」

 声がして、田中は顔を上げた。

 相川柚葉が給湯室の入り口に立っていた。マグカップを持っている。

「チートの略称を考えていました」と田中は言った。

「チートの?」

「はい。名前が決まったんですが、長すぎて略称が必要なので。候補を五つ出したんですが、どれも弱くて」

 柚葉がお湯を注ぎながら、田中の手帳を横目で見た。

「……見せてもらっていいですか」

 田中は手帳を柚葉の方に向けた。

 柚葉は読んだ。チート候補第八案。略称候補①から⑤。全部。

 読み終えて、少しの間、黙っていた。

「……田中さん」

「はい」

「略称の前に」と柚葉は言った。

「チートの名前、決まったんですか。諦めた世界でも物語が続いていると信じる力って」

 田中は少し考えた。

「……決まりました」

「いつ」

「HP23の朝に」と田中は言った。

「あの朝、諦めてたんですが——手帳を持って出ました。此の世界はまだ物語だと、そう思っていたから。たぶん、それです」

 柚葉が少しの間、田中を見た。

 先週の仕切り直し以降、柚葉と話す機会は続いていた。会議室で、廊下で、メールで。少しずつやりとりが積み重なっていた。コピー機の前で手帳を覗いて引いていた頃の顔と、「なんで気になるんだろ」と思っていた頃と、「あなたって、なんか本気なんですよね」と言った日と——今日は、また何かが違っていた。言葉の出し方が違った。何かを測っている距離感ではなく、ただそこで聞いている、という出し方だった。

「HP23って、かなり低いですよね」と柚葉が言った。

「最低記録です」と田中は言った。

「算出根拠を確認したら、どれも悪い数字が並んでいて。ただMP12は残ってたので、動けました」

「MP12でも動けるんですか」

「ギリギリですが。異世界アニメだと瀕死状態です。このタイミングで誰かが助けに来るか、本当の力が開花するシーンになります」

「……田中さんの場合は」

「手帳を持って玄関を出ました」と田中は言った。

「それだけです。劇的なことは何もなかったです」

 柚葉がマグカップを持ち直した。少しの間、何も言わなかった。

「……劇的じゃない方が、なんかすごいと思います」

「そうですか」

「うん」

「うん」——という言葉が、柚葉から出てきたのは初めてだった気がした。田中の中で少し引っかかった。一緒にそこにいる人間の、ただの返事だった。

「略称はどうするつもりですか」と柚葉が聞いた。

「まだ決まってないです。どれも弱くて」

「……じゃあ略さなくていいんじゃないですか」と柚葉は言った。

「長くても、その名前の方がちゃんとしてると思うので」

「チートの名前が長いのは」

「田中さんらしくていいと思います」

 それだけ言って、柚葉は給湯室を出た。

 田中は略称候補リストを見た。①から⑤まで、全部に静かに線を引いた。

(……略さない、か)

 コーヒーを飲みながら、少しの間、考えた。

(ダサいチートだ)

 自分の中でその言葉を出してみた。ダサい。「無限創造」は四文字で、声に出すと力強い。「諦めた世界でも物語が続いていると信じる力」は二十一文字で、声に出すと長い。無双系の主人公がこれを叫んだら、たぶん一話で打ち切りになる。かっこよくない。短くない。光らない。

 でも——HP23で手帳を持って玄関を出たとき、田中の中にあったのはこれだった。これしか、なかった。かっこよくなくても、短くなくても、これが田中守の持っていたものだった。

(ダサいチートだけど)

 田中はペンを取った。

(でも、これは誰にも奪えない)


◆チートの名前——確定:「諦めた世界でも物語が続いていると信じる力」


 長い。略称なし。ダサいと思う。でも——此の世界で、此の世界が物語だと信じ続けた田中守の、唯一のチートだ。黒沢幹部には根拠のある正しさがある。速水幹部には経験に基づく判断がある。柚葉には——まだ鑑定できない何かがある。俺には、これがある。

 書き終えて、田中はペンのキャップを閉めた。コーヒーを飲んだ。少し冷めていた。

(……決まった)

 午後の業務は落ち着いて進んだ。黒沢との交戦が一回(消耗MP:3。来月のスケジュール確認。通常の攻撃パターン)。坂口が新しい資料案を持ってきて、田中が確認した。「仕切り直し後の方向性と合ってます」と答えると、坂口が「よかった」と言った。声に、また少し力が戻っていた。

 夕方、速水が第三営業部のフロアに顔を出した。合同プロジェクトの確認のためらしかった。黒沢と短い言葉を交わし、田中の方を一度見た。

「田中くん、今週の分、出せそうか」

「出せます」と田中は答えた。

「そう」

 速水は一秒、田中を見た。それだけで去った。

(速水幹部:鑑定試行⑤。今日も完全には通らなかった。——ただ今日の「そう」は、先週より少し違った気がした)

 違ったが、言語化できなかった。手帳にそのまま書いた。

 定時を少し過ぎて、田中は手帳を開いた。


◆本日の戦果:

 合同プロジェクト再整理:進捗良好。黒沢幹部との交戦:2回。消耗MP:6。坂口の資料確認:完了。

 本日最終残MP:47。——生存。経験値:中。

 「経験値:中」と書いた。あの日の「経験値:微量」から、少し上がった。

 立ち上がりながら、田中はスキル欄を開いた。

◆スキル一覧(更新):

 【異世界テンプレ全網羅】Lv.MAX

 【フラグ察知】Lv.8(エクセルで83%集計済み)

 【鑑定】Lv.2(育成中)

 【諦めない】Lv.2(確定)

 チート:【此の世界は物語だと信じる力】——Lv.1。習得済み


 書き終えて、田中はペンを置いた。少し縮めた。でも——本質は、変わっていない。

 田中は手帳を読み返した。


◆チート:【此の世界は物語だと信じる力】——Lv.1。習得済み

 

 Lv.1、か。 少しだけ、笑った。

 無双系の主人公なら最初からLv.MAXだ。追放系なら追放後に一気に開花する。田中のチートは、三十二日目でようやくLv.1だった。遅い。遅すぎる。

 でも——Lv.0は、なかった。ずっと、ここにあった。名前がなかっただけだ。

 フロアを出るとき、山本さんが顔を上げた。

「田中さん、最近なんか違いますね」

「そうですか」

「うん。手帳、前より速く開くようになった」

 山本さんはそれだけ言って、画面に視線を戻した。田中は「お疲れ様です」と言って廊下に出た。

(山本さん:鑑定更新——観察眼、Lv.予想以上。このギルドで最も情報を持っているのはやはりこの人だ)

 夜の通勤路。田中は横断歩道の前に立った。信号が赤だ。

 カバンの中の手帳を、手で確認した。硬い表紙の感触があった。その中に「チート:【此の世界は物語だと信じる力】——Lv.1。習得済み」と書いてある。

 三十二日目でLv.1。ダサいチートだ。間違いなく、ダサい。

 でも——信号が青になった。

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