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転生できないので、此の世界を異世界にしました。 〜HP23・MP12・本日のクエスト:生存〜  作者: 深海周二


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第一話「召喚されない勇者」

第一話「召喚されない勇者」



 神様は現れなかった。トラックも来なかった。俺はただ、二十七歳になった。

 だから俺は、手帳を開くことにした。


 帰宅したのは夜の九時を少し回った頃だった。田中守はスーツのジャケットをハンガーにかけ、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、テレビの前に座った。いつもの順番だ。


 その夜は三本見た。一本目は古典的な無双系だった。主人公は転生初日から最強で、ヒロインたちは全員無条件の好意を持っており、敵は倒されるためだけに存在している。批評家は「テンプレだ」「古い」と言う。しかし田中には「様式美」に見える。落語の古典みたいなものだ。型があるから、気持ちいい。二本目は最近増えてきた「テンプレ解体系」だった。主人公が転生したのは魔王側の世界で、勇者と呼ばれる存在が実は侵略者だという設定だ。お約束を熟知しているからこそ、その裏返しが面白い。このジャンルを楽しむには、テンプレをちゃんと知っている必要がある。田中は知っている。だから楽しめる。三本目はほぼギャグだった。主人公が転生特典を「風邪薬一箱」にしてしまい、異世界でドラッグストアを開業する話だ。現代知識チートの進化形として田中は高く評価している。笑いながら、少しだけ羨ましかった。あの主人公も、最初は何者でもなかった。でも風邪薬一箱から、物語が始まった。


 三本見終わって、テレビを消した。部屋が静かになる。どのアニメも、それぞれに面白かった。無双系も解体系もギャグ系も、スタイルが何であれ、共通していることがひとつある。異世界では、必ず誰かが主人公を必要とする。召喚するのも、勇者と認めるのも、パーティーを組むのも、愛するのも——物語は必ず、誰かが誰かを「必要とする」ところから始まる。それが無双でも追放でも悪役令嬢でも、誰かが主人公に向かって「あなたが必要だ」と言う。


 此の世界で、誰かに「あなたが必要だ」と言われたことがあっただろうか。田中は考えた。……ない。少なくとも直近の記憶にはない。社内評価はEだ。上司に「田中くんはEで」と天気予報みたいに告げられた日のことは、よく覚えている。だから俺はアニメを見る。正確には、こうだ——必要とされる人間たちの物語を、目で追うために。あの光の中には「あなたが必要だ」と言われた人間たちがいる。俺にはない何かを、彼らは最初から持っている。それを見ていると、なぜか少しだけ、息ができる。


 田中は布団に入ったが、眠れなかった。天井を見上げながら、二十七年間ただ存在してきただけの自分のことを考えた。彼女は三年いない。貯金は生活費の三ヶ月分。特技はアニメの知識だが、それで飯は食えない。なぜ転生できないんだろう、という問いが浮かぶ。馬鹿みたいだとわかっている。でも夜中に一人でいると、馬鹿みたいな問いほど、ずっと頭の中に居座る。神様は現れなかった。トラックも来なかった。俺はただ、二十七歳になった。


 長い沈黙のあと、田中はゆっくりと起き上がった。枕元のスタンドをつけ、サイドテーブルの引き出しから手帳とボールペンを取り出す。ページを開いた。白紙だった。少しの間、ペンを持ったまま止まっていた。それから、書き始めた。


 翌朝、田中は六時四十分に目を覚ました。いつもより三十分早い。なぜかはわからない。ただ——昨夜書いたものを、確認したかった。手帳を開くと、そこには几帳面な字でこう書いてあった。「転生できないなら、此の世界を異世界にする。本日より、此の世界に降り立ったものとして行動する。まず現状把握のため、ステータスを算出する」。その先が長かった。


◆HP算出根拠:睡眠時間6時間(目標8時間からマイナス補正)/朝食の有無(本日未定、マイナス5)/天候(晴れ予報、プラス3)/直近の精神的消耗(昨日の黒沢との交戦によるデバフ、マイナス7)→総合算出——HP:68

◆MP算出根拠:起床後のコーヒー予定(プラス10)/本日クエスト難易度(C想定、通常消耗)/直近三日間の睡眠負債(マイナス15)/朝の目覚めの質(普通、プラスマイナスゼロ)→総合算出——MP:55

◆スキル一覧:

 【異世界テンプレ全網羅】Lv.MAX(根拠:視聴本数年間500話以上を直近五年継続。無双系・追放系・ざまぁ系・悪役令嬢系・ループ系・メタ解体系・ドラッグストア開業系まで全網羅済み)

 【フラグ察知】Lv.8(根拠:過去三年間、職場の地雷案件を83%の確率で事前察知してきた実績による。83%はエクセルで集計した)

 【鑑定】Lv.2(根拠:人物観察の精度はまだ低い。育成中)

 【諦めない】Lv.1(根拠:根拠はない。ただしLv.0はさすがにない気がしたので暫定1とする)

◆本日のクエスト:月次報告書の提出。難易度C(複雑性は低いが幹部Aとの遭遇リスクあり)。報酬:上司の微妙な笑顔(推定)。

◆此の世界は、異世界だ。——俺がそう決めた


 書き終えて、田中は一度だけ読み返した。われながら、おかしい。二十七歳の社会人が朝一番にやることではない。でも、続きを書いた。手帳を閉じてシャワーを浴び、スーツを着た。鏡の前で一度だけ自分の顔を見る。特に変わりはない。昨日と同じ田中守がいた。でも——此の世界に降り立ったのは、今朝だ。これが、最初の朝だ。


 最寄り駅の改札の前で、田中は立ち止まった。ICカードをポケットから出しながら、ふと思った。異世界転生者は、召喚の瞬間、必ず何かを宣言する。どんな作品であれ、最初の一声がある。それが、作法だ。このまま無言で改札を通るのは、違う気がした。田中は周囲を見た。朝の通勤ラッシュだ。三十人はいる。……でも、此の世界に降り立ったばかりの転生者が、周囲の目を気にして最初の宣言を省略するだろうか。しない。絶対にしない。異世界ではそういうことになっている。


 田中は前を向いた。


「ステータスオープン!」


 声に出した。普通の音量で。四人が振り向いた。うち一人は二度見した。田中は振り向かれた全員の顔を確認した上で、そのまま改札を通った。心臓が少し速かったが、やめる理由がない。此の世界のルールより、自分が決めたルールが今朝から優先される。電車の中で手帳を開き、書き込んだ。


◆本日・異世界一日目。召喚宣言:完了。周囲反応:4名振り向き・うち1名が二度見。——想定の範囲内とする


 想定はまったくしていなかったが、そう書いた方が転生者らしい気がした。


 株式会社ホドホド物産、本社ビル第三営業部。田中が自席についたのは始業の五分前だった。


(ギルド本部——到着)


 意識して、初めて来た場所を見るように周囲を見渡した。天井の高いフロアに、デスクが整然と並んでいる。蛍光灯の光は白く均一で、BGMはキーボードの打鍵音と電話の保留音。窓の外には隣のビルが見える。


(収容人数、推定二十四名。全員が何らかのロールを持つはずだ。パーティー構成の把握が急務)


 田中はそっと手帳を開き、小声で言った。


「鑑定——」


 隣の山本さんが顔を上げたので「なんでもないです」と答えた。


(難易度が高い。このフロアでの鑑定は慎重に行う必要がある)


 次の瞬間、声が飛んできた。


「田中くん」


 黒沢雄一が立っていた。


(幹部A——黒沢雄一、Lv.推定34。本日の機嫌:通常。スーツ:完璧。目の奥:例の光)


 田中はこの瞬間、黒沢が異世界アニメのどのタイプかを即座に分類した。「追放系」の敵役だ。主人公を「戦力外」と判定し、パーティーから切り捨てる側の人間。悪意はなく、自分が正しいと確信しているだけだ。だからこそ、手に負えない。このタイプが出てきたとき、主人公は必ず後で見返す。追放系のセオリーだ。つまり俺は今——伏線の中にいる。


「昨日の資料、直した?」

「直しました。今日中に送ります」

「今日中じゃなくて、午前中にもらえると助かるんだよね」


 黒沢は「助かる」と言ったが、助けを求めているわけではない。命令だ。しかも「午前中に」という条件が昨日には存在しなかった点について、黒沢は特に言及しない。それが正しいことだと思っているからだ。田中は「わかりました」と答えた。黒沢が自席に戻った瞬間、田中は手帳に素早く書き込んだ。


◆幹部Aとの交戦①:所要時間45秒。追加条件の後出し攻撃×1。受け流しスキル発動。——消耗MP:4


 たった四十五秒で、朝からMPが四削られた。これが黒沢との交戦の特徴だ。一撃は軽い。でも確実に蓄積する。RPGで言えば毒状態に近い。即死はしない。じわじわと、行動不能に近づいていく。田中は胸の少し下あたりに重みのようなものを感じた。数値にすると4だが、体感ではもう少し重い。


(屋上でコーヒーを飲む。推定MP+3。報告書を午前中に仕上げてプレッシャーを消す。これが本日の最善手だ)


 田中はパソコンに向かった。此の世界に降り立って、まだ三時間も経っていない。想像より、消耗が早かった。


 定時を少し過ぎた頃、田中は月次報告書を仕上げた。提出ボタンを押して椅子の背もたれに体を預け、手帳を開いた。


◆本日の戦果:月次報告書、完了(午前中)。幹部Aとの交戦:一回。消耗MP:4。追加交戦:なし。屋上コーヒーによる回復:プラス3。本日の総消耗MP:11。残MP:44。——生存


 書き終えて、ペンのキャップを閉めた。立ち上がりながら、フロアを一度だけ見渡した。二十四名のメンバーが、それぞれの戦いを続けていた。誰も田中を見ていない。誰も田中を必要としていない。それは昨日と、何も変わらなかった。でも今朝から、此の世界に降り立ったばかりだ。まだ、一日目だ。


 夜の通勤路。田中は横断歩道の前に立った。信号が赤だった。隣に、疲れた顔のサラリーマンが並んだ。


(……もしかして、仲間か。あるいは、このフロアの住人か)


 聞けなかった。まだそこまでのスキルはない。信号が青になり、二人は同時に歩き始めた。カバンの中で、手帳が重かった。でも——昨日よりすこしだけ、重さの種類が違う気がした。昨日は何もなかった。今日は、手帳がある。此の世界は、異世界だ。——まだ、一日目だ。


〔第一話・了〕

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