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『ブラック企業で死にかけた経理係長、ギャル服店に拾われる』 ─拾ったのは、強気なギャル店長  作者: 月白ふゆ


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第7話 並んで立つ

開店前のEdge Girlsは、まだ眠っているみたいに静かだった。


照明が半分だけ点いて、マネキンの影が床に長く伸びる。スピーカーから流れる音楽も、営業中より少しだけ小さい。段ボールは減った。棚のラベルは揃った。バックヤードの空気が、先週よりも“整って”いる。


遼人は、その空気を吸い込むだけで、背中の力が抜けるのを感じた。


会社の空気は、吸うたびに肺が縮む感じがした。何かを吸い込んでいるのに、吐き出せない。吐き出せないから、どんどん詰まっていく。


ここは違う。吸って、吐ける。


まだ完全に安心はできない。スマホの通知は相変わらず怖い。けれど、怖いものがある状態で、呼吸ができる。それだけで、遼人にとっては十分だった。


「おはよー、遼人さん」


背後から陽那の声が飛んできた。いつも通り軽くて、いつも通り距離が近い。裏での作業中は特に、距離感がさらにバグる。


「おはようございます」


遼人が振り向くと、陽那はもうエプロンをつけて、髪もまとめていた。ゆるふわ巨乳のラインは隠しきれないのに、動きはやたら機敏で、仕事ができる人の匂いがする。店に残り続けた人の手つきだ。


陽那が棚のラベルを指で軽く撫でた。


「これさ、ほんと助かる。昨日、客に“あれどこ”って聞かれて、秒で出せた」


「よかったです」


遼人が答えると、陽那はにやっと笑った。


「よかったです、じゃない。遼人さん、もっとドヤっていい」


「ドヤるのは性に合わないです」


「係長ってそういうとこあるよね」


その呼び方が出るたびに、遼人の胸が少しだけ硬くなる。係長。過去の自分。会社の自分。あの場所に縛られていた自分。


けれど陽那は、今日に限ってその呼び方をすぐに引っ込めた。


「……あ、違う。もう係長じゃなくない?」


言い方は軽いのに、言葉が妙に真っ直ぐだった。


遼人は手を止めて、陽那を見た。


陽那は笑っている。笑っているのに、目がちゃんと遼人を見ている。軽い小悪魔の顔の奥に、現場で人を守る目がある。


「係長って呼ぶと、戻っちゃう顔する」


陽那は、さらっと言った。


遼人は言い返せなかった。図星だったからだ。


遼人は少しだけ息を吸って、吐いた。


「……戻りたくないです」


「うん」


陽那は頷いた。それだけ。余計な慰めも、説教もない。必要な言葉だけで終わるのが、陽那の優しさの形だった。


「じゃあさ」


陽那はいつもの調子に戻し、遼人の肩を軽く小突いた。


「遼人さんは、Edge Girlsの人。ね?」


遼人は、その言葉を胸の中で一度転がした。


Edge Girlsの人。


不思議な響きだった。嬉しいのに、怖い。ここに居場所ができたと思った瞬間、失うのが怖くなる。会社で身についた反射が、まだ生きている。


それでも、遼人は小さく頷いた。


「……できる範囲で」


陽那が笑う。


「その言い方、好き。無理しない宣言」


そこへ、バックヤードの扉が開いて、蘭奈が入ってきた。


足音が強い。入ってくるだけで空気が引き締まる。十九歳なのに、店長の重さを背負っている足音だ。


今日も黒だ。しかも攻めている。胸元のカットが深く、布が胸の形を拾う。鎖骨から谷間まで、視線が滑り落ちそうなラインを、彼女は何でもない顔で纏っている。


遼人は反射的に視線をラベルに落とした。見てはいけないわけじゃない。けれど見た瞬間に、心が仕事からずれるのが分かる。ずれるのが怖い。


蘭奈は遼人を見て、短く言った。


「早いな」


遼人は頷いた。


「開店前の方が、集中できます」


「倒れんなよ」


相変わらず命令みたいな言い方なのに、内容は祈りだ。遼人は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


陽那が間髪入れずに刺す。


「店長、今日も胸やばいね。攻めすぎ」


蘭奈の眉が吊り上がる。


「うるさい」


「うるさいって言うほど図星なんだ」


「図星じゃない」


「じゃあなんで今日それ?」


陽那がニヤニヤする。蘭奈が腕を組む。腕を組むと胸がさらに強調される。遼人は棚だけを見る。棚は安全地帯だ。


「……暑いから」


蘭奈が言った。


「冬だよ」


「暖房つけるから暑い」


苦しい言い訳だと誰でも分かる。陽那が楽しそうに笑った。笑いながら、わざと遼人の近くに寄る。肩が触れるギリギリの距離。


「遼人さん、店長のその言い訳どう思う?」


遼人は視線を上げずに答えた。


「……店長の自由です」


陽那が目を丸くした。


「うわ、逃げた」


「逃げじゃなくて、補佐です」


遼人が淡々と言うと、蘭奈が一瞬だけ目を丸くする。補佐という言葉に、何かが引っかかった顔。そのまま、すぐにいつもの強気へ戻る。


「補佐なら仕事しろ」


「はい」


遼人が即答すると、陽那が肩を揺らして笑った。


「二人、もう固定コンビじゃん」


固定。


その言葉が、遼人の胸に落ちた。


固定され始めている。自分がこの店に居るのが“当たり前”になり始めている。恐ろしくもあり、安心でもある。


開店して一時間、店内はじわじわと客が増えた。


新作のラックの前で、若い女の子が二人、鏡を覗き込みながら笑っている。陽那がすぐに近づき、言葉を短く投げる。「それ似合う」「サイズこっちもある」「試着いけるよ」。客の迷いが止まる。迷いが止まると、流れができる。


蘭奈は、迷いを作らない。売ると決めたら押す。押す時の圧がある。圧があるのに嫌じゃない。むしろ“この人が言うなら間違いない”と思わせる強さがある。


遼人は売り場の端で、値札の付け替えをしていた。地味な作業なのに、売り場の見栄えが変わる。価格帯が揃うと、客の滞在時間が伸びる。滞在時間が伸びれば、試着が増える。試着が増えれば購買が増える。数字の流れが、頭の中で自然に繋がっていく。


「すみません」


不意に声をかけられた。遼人が顔を上げると、レジ近くにいた女性が、少し困った顔で立っていた。


「このトップス、黒以外ありますか?」


遼人は一瞬迷った。現場の接客はまだ慣れない。けれど、迷って止まると流れが切れる。陽那の教え方を思い出す。短く、明確に、迷わせない。


「あります。少しお待ちください」


遼人はバックヤードへ入り、ラベル棚を見た。トップスのカテゴリ。色別ではなく種類別に揃えた棚。そこから該当品番の束をすぐに引き抜けた。グレーとアイボリー。


売り場へ戻り、女性に見せる。


「こちらです。試着されますか?」


女性は目を丸くした。


「あ、ありがとうございます。早いですね」


その言葉が、遼人の胸に刺さった。


早い。役に立った。役に立ったことが、今ここで目に見えた。


「試着室、空いてます」


遼人が短く案内すると、女性は「お願いします」と笑った。


陽那が遠くから見ていて、口元だけで「いいじゃん」と言った。目が笑っている。小悪魔の顔だ。


蘭奈は、レジ越しに一瞬だけ遼人を見た。見て、すぐに逸らす。逸らすのに、顎が少しだけ上がる。強がりの合図。遼人はその一瞬を見逃さないようにしながら、見逃したふりをした。


昼過ぎ、客足が一度落ち着いたタイミングで、蘭奈がバックヤードへ遼人を呼んだ。


「遼人」


名前で呼ばれるのが、少しずつ当たり前になっている。そのことに、遼人はまだ慣れない。慣れないのに、胸の奥が嬉しさで柔らかくなる。


「はい」


「これ」


蘭奈がスマホを突き出した。画面には、発注のメモが並んでいる。昨日までなら勢いで決めていた類のものだ。


「追加、どう思う」


遼人は画面を見た。追加候補は、売れ筋と季節物が混ざっている。売れ筋は補充すべきだが、季節物は今の在庫がまだ残っている。しかも、回転が遅いカテゴリだ。


遼人は言葉を選んだ。蘭奈の“攻める店”を殺さずに、止めるところは止める。


「売れ筋は追加でいいです。今週の回転が速い。欠品すると機会損失になります」


蘭奈が頷く。即断で採用。


「で、こっちは?」


季節物を指で示す。蘭奈の目が鋭い。判断の目だ。


「こっちは、在庫がまだあります。まず売り場の打ち出しを変えて動かしてからでも遅くないです。先に“見せ方”を攻めた方が、店長らしい」


蘭奈の口元が少しだけ動く。笑いではない。満足の緩み。


「……分かった」


即断。速い。修正も速い。


遼人はその速さに、少しずつ信頼を持ち始めていた。蘭奈は感情は不器用だが、店の判断では逃げない。逃げないから、補佐が効く。補佐が効くから、結果が出る。結果が出るから、店が前に進む。


そのサイクルが、固定され始めている。


バックヤードを出ようとした時、陽那が入ってきた。


「店長、今の見た。相談してたね?」


「仕事の相談だ」


蘭奈が即答する。速すぎる否定。陽那は楽しそうに笑う。


「仕事の相談って、距離近いとこでやる必要ある?」


「必要ある」


「へー。じゃあ私も必要」


陽那はわざと遼人の腕に触れた。軽く、甘く、確信犯の触れ方。遼人は振り払わない。振り払ったら負けだと分かってきた。負けというより、陽那の遊びに飲まれる。


蘭奈の視線が一瞬だけそこへ落ちる。落ちて、すぐに逸れる。逸れるのに、胸元の布を指で軽く引く。ほんのわずかな仕草。自分の“攻め”を意識した仕草。


遼人は、それを見てしまって、喉が少しだけ乾く。


蘭奈は距離を保つ。言葉も素っ気ない。触れもしない。けれど服は攻めたまま。攻めたままで、何でもない顔をしている。そのギャップが、遼人の中に妙な緊張を生む。近づけないのに、視界に入るだけで意識してしまう。


陽那が、わざと囁くように言った。


「店長、今日も胸、攻めすぎ。遼人さん、さっきから棚ばっか見てるよ」


「見てない」


遼人が即座に否定すると、陽那が目を丸くして笑う。


「見てないのに反応早い。かわいい」


蘭奈が眉を吊り上げる。


「ひな。からかうな」


「からかってないよ。事実確認」


陽那は楽しそうに肩を揺らし、遼人の耳元に小声で言った。


「店長さ、距離は保つのに、見せるのはやめない。そういう固定の仕方、ずるいよね」


遼人は返事をしなかった。返事をしたら、何かが確定してしまいそうだった。


夕方、店に少し年上の女性客が来た。


落ち着いた服装で、けれど目線は鋭い。自分の似合うものを知っている人の目だ。蘭奈がすぐに反応し、短く声をかける。


「いらっしゃいませ。探してる系ある?」


女性は笑った。


「この店、最近雰囲気変わった?」


蘭奈の眉がわずかに動く。変わった、と言われるのは、怖いはずだ。母の店を守りたい彼女にとって、“変化”は肯定でもあり、否定でもある。


「変わってない」


蘭奈が即答する。速い否定。防御。


女性は首を傾げた。


「いや、悪い意味じゃなくて。なんか、整ってる。前より選びやすい」


遼人の背中が少しだけ熱くなる。整ってる。それは、遼人が入れてきた“裏の足場”だ。


陽那が横から笑って言った。


「でしょ? 最近ね、店に“人”増えたの」


わざとらしい言い方。人、という言葉に含みを持たせる。


蘭奈が睨む。


「余計なこと言うな」


「余計じゃないよ。店は人でできてるし」


陽那はさらっと言って、遼人を顎で示した。


「この人、裏も表も見れるから。うち、強くなってる」


女性客が遼人を見て、にこっと笑った。


「へえ。じゃあ、あなたが噂の人?」


噂。遼人は目を丸くした。自分が噂になるようなことをした覚えがない。けれど、小さな店では変化はすぐに伝わる。


「噂って……」


遼人が困っていると、陽那が楽しそうに言った。


「最近、“男の人いるの珍しいね”って言われる。で、裏が整ってるって。ね、噂」


蘭奈が口を挟む。


「噂とか、いらない」


女性客は笑った。


「でも、いいじゃない。店は変化するものだし。整ってるって、安心する」


蘭奈は腕を組んだ。胸元が強調される。遼人は視線を逸らしそうになり、踏みとどまった。客の前だ。仕事の顔でいる。


遼人は短く言った。


「ありがとうございます。…整ってると言っていただけるなら、嬉しいです」


自分で言って、胸が少しだけ震えた。嬉しいという言葉を、仕事で口にできた。会社では“嬉しい”なんて言葉は不適切だった。感情は邪魔だった。ここでは違う。感情が、仕事を支える。


女性客は、満足そうに頷いた。


「じゃあ、今日は攻めたやつ見たいな。店長さん、選んで」


蘭奈の目が鋭くなる。攻め。そこは彼女の領域だ。迷いが消える。


「任せろ」


短く言い、蘭奈は売り場へ女性を連れていった。言葉が少ないのに、提案が的確だ。似合うものを当てる。体型のラインをどう見せるかを知っている。母の店を引き継いだ“記憶”が、今は“自分の技術”になりつつある。


遼人は、その背中を少し離れた場所から見た。


距離を保っているのは蘭奈だけじゃない。遼人もまた、どこかで距離を測っている。近づきすぎないように。依存しないように。過去の自分に戻らないように。


それでも、三人の関係は少しずつ固定されていく。


蘭奈が前に立ち、決める。


陽那が横で回し、場を和らげ、刺す。


遼人が裏を整え、必要な時は表にも出る。


その配置が、自然に回り始めている。


閉店後、レジ締めの時間になった。


遼人が作った締め表を、今日は新しいスタッフが記入していた。ぎこちないが、陽那が横で見ている。蘭奈は腕を組み、少し離れて眺める。距離を取るのに、視線は逃さない。責任感の視線だ。


記入が終わると、陽那がペンを置いた。


「はい、今日の締め、完璧」


「完璧はないです」


遼人が言うと、陽那が笑う。


「はいはい。係長ムーブ」


その言葉が出た瞬間、陽那は自分で口を押さえた。


「あ、ごめ。今のなし」


遼人は少しだけ驚いた。陽那が謝るのは珍しい。彼女は基本的に、刺して笑って、刺したまま走る人だ。


遼人は首を横に振った。


「大丈夫です。でも……確かに、もう係長じゃないかもしれません」


自分で言って、胸が少し軽くなった。


陽那の顔が、ふっと柔らかくなる。


「うん。それ。そういうのが欲しかった」


蘭奈は、会話に入らずに聞いている。聞いているのに、表情は動かない。動かないのに、胸元の攻めは変わらない。今日も強い。強いまま、淡々としている。


遼人は不意に思った。


蘭奈は、距離を保つことで関係を固定しようとしているのかもしれない。


近づくと壊れる。近づくと怖い。だから、線を引く。線を引いたまま、見せる。見せることで、存在を伝える。でも触れない。触れないことで、自分の心を守る。


その固定の仕方は、不器用で、強気で、そして少しだけ乙女だ。


締め作業が終わり、スタッフが帰った後、バックヤードに残ったのは三人だった。


陽那はわざとらしく大きく伸びをして、胸のラインを強調した。確信犯のストレッチだ。蘭奈が睨む。


「帰れ」


「はいはい、帰る。邪魔者でーす」


陽那は笑いながら荷物をまとめ、扉の前で振り返った。


「遼人さん」


呼び方が少しだけ真面目になる。


「今日、売り場で案内してたの、よかった。もう店の人だよ」


遼人は頷く。


「……怖かったですけど」


「怖いって言えるの、強い。店長も見習え」


陽那がニヤっとすると、蘭奈が即答する。


「見習わない」


「ほら、そういうとこ」


陽那は楽しそうに笑い、最後にわざとらしく言った。


「じゃ、二人とも。固定され始めてるから、変に壊さないようにね」


蘭奈が眉を吊り上げる。


「何言ってんの」


「言葉通り」


陽那はそれだけ言って出ていった。引き際が上手い。場を渡してから去る。確信犯のくせに、優しい。


扉が閉まると、バックヤードに静けさが落ちた。


遼人は締め表をファイルに戻し、クリップで留めた。紙が整うと、心も少し整う。最近、それが習慣になっている。


蘭奈は少し離れた場所で、腕を組んだまま立っていた。胸元の攻めはそのまま。視線は遼人に向いているのに、距離は詰めない。言葉も少ない。


「……遼人」


名前で呼ばれる。遼人は顔を上げた。


「はい」


蘭奈は一拍、間を置いた。決断が早い人の、珍しい間。


「今日の、あれ」


「どれですか」


「客に言われたやつ。整ってるって」


遼人は頷いた。


「言われました」


蘭奈は視線を逸らす。逸らし方が速い。照れの動きに近い。


「……悪くないな」


それだけ言って、また腕を組み直した。胸が強調される。遼人は視線を落としそうになり、落とさなかった。落とさないでいられるようになってきた自分に、少し驚いた。慣れではない。受け止め方を覚え始めている。


「ありがとうございます」


遼人が言うと、蘭奈は即座に返す。


「礼いらない。仕事だろ」


いつもの逃げ道。仕事。


遼人は小さく笑った。


「そうですね。仕事です」


蘭奈の目が一瞬だけ止まる。遼人が“仕事”と言ったことに、何かが引っかかった顔。自分だけが逃げ道を使うつもりだったのに、相手も使うと、少しだけ寂しい。そんな顔に見えた。


「……でも」


蘭奈が小さく言った。


遼人は待った。急かさない。補佐は、待つことでもある。


「……倒れるな」


またそれだ。祈り。


遼人は頷いた。


「倒れません。無理はしません」


蘭奈が鼻で笑う。


「無理しないとか、言えるようになったな」


「ここにいると、言えます」


遼人がそう言うと、蘭奈は一瞬だけ固まった。すぐに強気へ戻る。


「……なら、ここにいろ」


短い。命令みたいな言い方。でも、意味は違う。居場所を渡す言葉だ。


遼人の胸の奥が、じんと熱くなる。熱くなるのに、泣きそうにはならない。昔なら泣いていたかもしれない。今は、熱を受け止められる。呼吸しながら受け止められる。


「はい」


遼人が頷くと、蘭奈は「よし」と小さく言い、扉の方へ向かった。背中が強気で、距離は相変わらず保ったまま。胸元の攻めもそのまま。けれど歩幅が、ほんの少しだけ軽い。


遼人はその背中を見送りながら思った。


自分は“店の人”になり始めている。


陽那はそれを面白がって、確信犯で押してくる。


蘭奈は距離を保ちながら、逃げ道の「仕事」で線を引きつつ、服で存在を見せ続ける。


その配置が、固定され始めている。


固定されるのは、怖い。失うのが怖いから。


でも固定されるのは、安心でもある。居場所が形になるから。


遼人はファイルを棚に戻し、ラベルの揃った棚を一度だけ見渡した。整っている。整っていることが、こんなにも心に効く。


そして、整っていく店の中で、整わないまま残っているものが一つある。


蘭奈の距離。


近づけないのに、視界から消えない距離。


その距離が、これからどう動くのか。


遼人にはまだ分からない。


ただ、関係が固定され始めたという実感だけが、静かに胸の奥に残っていた。

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