悪役令嬢、化け猫に転生する
処刑台に上るとき、心は酷く凪いでいた。
冤罪で処刑されるのだと知ったとき、心が死んだのかもしれない。
ロザリーは人々に石をぶつけられ、死を望まれながら静かに断頭台に首を置いて。
最後に言葉を遺すことさえ許されないまま、ギロチンの刃で死んだのだ。
『わたし、死んだはずでは……?』
にゃあ、と口からこぼれた弱弱しい鳴き声にぎょっとする。
開かない瞼を強引に開けようとして失敗して、ころんと身体が横に転がった。
もがくようにじたばたと手足を動かしていると、ざらりとした舌が体を舐めた。
ぞわりとおぞけだった身体で硬直していると、柔らかな声が降ってくる。
「この子はやんちゃだね!」
幼い子供の声だ。目がよく見ないので外見はわからないが、子供特有の高い声質である。
そのままひょいと持ち上げられて、口元に何かが当たる。
反射的にかぶりつくと、生暖かいミルクで口内が満たされて驚いてしまう。
しかし、欲求に素直な身体は空腹を訴えて、ごくごくとミルクを飲んだ。
お腹が満たされると急激な眠気に襲われる。
そのまま眠りに落ちた彼女は、自分がどういう状況に置かれているのか、全く理解していなかった。
どうやらロザリーは転生したらしい。それも、人間ではなく猫になっていた。
彼女には新しく『レイラ』という名前が付けられた。フルーリー公爵家の嫡男クロヴィスの愛猫だ。
フルーリー公爵家は代々猫好きの一家として有名らしい。そういえば、ロザリーであったころにも噂には聞いたことがある。
(ヴァーノン様は女好きの人でなしだったのに、当時は気づいていなかったから恋は盲目よね)
侯爵令息であり、ロザリーの婚約者だったヴァーノンだが、どうやら彼は死んだらしい。
死因は惚れた腫れたの末に浮気相手の女に刺されて死んだというから、救いようがなかった。
なぜ猫のレイラとなったロザリーがそれを知っているのかというと、フルーリー夫人が噂話としてお茶会で話しているのを聞いたからだ。
猫なのでしれっとお茶会に同席して噂話を聞いていても問題ない。その時にもらった猫用のケーキは美味しかった。
レイラを生んだ母猫はフルーリー夫人の飼い猫で、番になる父猫が侯爵の飼い猫。その子供であるレイラたち五姉弟は全員息子であるクロヴィスの飼い猫だった。
悪女と罵倒され、処刑台に送られたときには心底恨んだものだが、のんびりとクロヴィスの傍で過ごしている間に心はずいぶんと穏やかになった。
クロヴィスが手塩にかけて育ててくれているのがわかるし、彼は根っからの猫好きで溢れんばかりの愛情を注いでくれるから、心が満たされていくのだ。
『でも、クロヴィス様もいい年なのに伴侶がいないのだけが心配ね』
みゃあみゃあと鳴きながらクロヴィスの膝の上で寛ぐ。レイラもずいぶんと年を取った。
今年レイラは二十歳になろうとしている。母猫も父猫も姉弟猫たちも、ずいぶん前に死んでしまった。猫としては信じられないほど長生きだ。
猫としては長命な年月を生きるレイラの傍には常にクロヴィスがいる。
彼は今年二十五歳になるが、伴侶どころか婚約者もいない。
それはひとえに、彼が猫が大好きすぎて、猫以外に興味がない――人間の女性に欠片も興味を示さないのが原因だった。
文字通り猫かわいがりされながらのんびりとした日々を過ごす中、ある日レイラは自分のしっぽが二本に分かれていることに気づく。
『? 尻尾、最初から二本もあったかしら?』
レイラは二本ある尻尾をゆらゆらと揺らしながら、くわぁと欠伸をした。
いま彼女が寛いでいるのは主人であるクロヴィスのベッドの上。
洗い立てのシーツをぐしゃぐしゃにかき混ぜて、我が物顔で鎮座している。
眠気が襲ってくる。年を重ねてから、眠くて仕方ない。
最近は一日を通して寝る時間が増えている。そんなレイラをクロヴィスが酷く心配していることも知っていた。
うとうととまどろみながら、重ねた前足に顎を乗せる。そのまま彼女は夢の世界に旅立った。
「誰だ君は!!」
「……?」
絶叫が響いて強制的に眠りから覚醒させられる。
とろんとまどろみの残滓を残したまま目を開けたレイラは、こちらを指さして震えているクロヴィスをみて、いつも通りお帰りの挨拶を口にする。
「おかえりなさい、ご主人様」
「な、な! 君は……?! ……? あれ? もしかして、レイラか……?!」
「そうですよぉ」
間延びした声でのんびりと答え、前足で顔をかこうとしたレイラはそこでふと違和感に気づく。
前足が毛に包まれていない。つやつやとしていて、まるで人間の手のようだ。
「?」
首を傾げて視線を滑らせる。白いシーツの上に横たわる年頃の少女の身体。
衣類をなにも身に着けていない女の子の身体を順番に視界に収めて、再びことんと首を傾げた。
「あらまぁ」
普通なら恥ずかしがる局面だろうが、二十年に及ぶ猫としての生活で衣類を身に着けないことにすっかり慣れてしまった。
そのまま再びころんと横になって眠ろうとしたレイラに、慌てた様子で駆け付けたクロヴィスが上着をかける。
「レイラ! 風邪を引く!!」
「ありがとうございますぅ。ご主人様ぁ」
「んんっ」
変な咳払いをしたクロヴィスに穏やかに笑って、レイラは本能のままに眠りについた。
次に目を覚ました時、レイラは猫の姿だった。
夢でも見たのだろうかと思ったが、こちらをじっと伺っているクロヴィスの表情に浮かぶ困惑が、先ほどのやり取りが夢ではないのだと語っている。
「レイラ、私が少し席を外してる間に猫に戻っていたが、君は一体……?」
『どういうことでしょうねぇ』
にゃあ、と答えるとクロヴィスは眉間に皺を寄せてしまう。
抱き上げられて膝の上に乗せられ、いつものように背中を撫でられる。
「まぁ、昔からレイラはちょっと変わっていたからな……。人間の言葉を理解しているのは知っていたし……いまさらに人間になれるとしても不思議ではないか……」
『ご主人様は懐が広いですねぇ』
にゃあにゃあと返事をすると、クロヴィスがへにゃりと眉を寄せる。
ぐいっと体を伸ばして顎を舐めると、嬉しそうな声を上げた。
(まあ、人間になれるとしても、私がご主人様の猫であることに変わりはないものねぇ)
そんな風に思考して、レイラは二つに分かれた尻尾をくるりとクロヴィスの腕に巻き付けるのだった。
「レイラ……聞いてくれ……母上が身を固めろと……!」
フルーリー夫人に呼び出されたと思ったら、死にそうな顔で戻ってきたクロヴィスが彼女の特等席のベッドにわっと顔を突っ伏した。
『まあ、でもクロヴィス様もよいご年齢ですから』
むしろ公爵令息として二十五歳で伴侶がいないのは遅すぎるほどだ。
にゃあにゃあとレイラが慰めていると、しくしくと涙を流しながらクロヴィスがぐちぐちと文句を口にする。
「私には猫が――レイラがいればいいんだ……人間の女性など面倒なだけだ……今度の夜会で伴侶を決めると……母上が張り切っているんだ……」
『あらあら』
クロヴィスの愚痴は止まるところを知らない。
ぐるりと彼の顔の周りを歩いて顔を舐めてみても、普段ならすぐに回復するのに沈んだままだ。
少し考えて、ひらりとレイラはベッドから降りる。
「レイラ?」
「でしたら、私が婚約者のふりをいたしましょうかぁ?」
「?!」
二度目の人間への変身。一度目は意識しせず変わってしまったが、今度は前世で人間だったころの姿を思い描く。
肩にかかる髪の色は毛皮と同じ色に変化していたので、瞳の色も違うかもしれない。
だが、おおよその姿かたちは前世と同じだと思う。
「なっ、なっ……!」
「どうでしょうかぁ? 可愛いと思うんですけどぉ」
ロザリーであったころはこんな間抜けな喋り方はしていなかったが、長い猫としてのマイペースな生活ですっかり口調が間延びしてしまった。
くるりとその場で回ったレイラだが、慣れない二本足にもつれて転びかけると先ほどまでベッドに突っ伏していたとは思えない俊敏さでクロヴィスが助けてくれた。
「レイラ! 大丈夫か?!」
「はい、大丈夫ですぅ」
ごろごろと猫の時の仕草で頭をこすりつけると、クロヴィスは目を見開いて硬直してしまう。
あらあら、と見守るレイラのまえで、暫く彼はそのまま固まっていた。
結局、他に妙案が思いつかなったと項垂れたクロヴィスに頼まれて、レイラは彼の婚約者として振る舞うことになった。
夫人と公爵の目を盗んでレイラのためにあつらえたドレスやアクセサリーを身に着け、久々の二足歩行で転ばないように訓練をし、夜会に臨んだ。
二人が夜会の会場に足を踏み入れると、周囲がざわめく。
耳朶に届く囁き声は、主にレイラに関することだ。
「あの方、もしかしてロザリー様では……!」
「まさか! あれから何年たったと思って……っ」
「しかし、髪と瞳の色が違うだけでそっくりではないか!」
主に『ロザリー・イングリス』を知る年配の人々が腰を抜かさんばかりに驚愕している。
素知らぬ顔でクロヴィスにエスコートされながら、レイラは別の意味で驚きを露わにしているフルーリー夫人の前に歩み出た。
クロヴィスの部屋で特訓して思い出した前世仕込みのカーテシーを披露する。
静かに軽く頭を下げたレイラにフルーリー夫人は「まさか」と言葉を漏らした。
「貴女……レイラ……なの……?」
特別な力でも持ってるのか、クロヴィス同様に猫と人間の姿をイコールで結び付けたフルーリー夫人の言葉にレイラは穏やかに微笑む。
「はい、クロヴィス様の(飼い猫の)レイラです」
口に出すと場に混乱をもたらすだろう部分は綺麗に端折って答えたレイラに、フルーリー夫人が頭を抱えた。そのままそっぽを向いているクロヴィスを睨む。
「貴方って子は! とうとうレイラにまで手を出して!!」
フルーリー夫人の激昂を聞いていた周囲は「レイラ? ロザリー嬢ではないのか」「別人なのね」「ああ、心臓に悪い。本当にそっくりですこと……」と勝手に納得して安心している。
「(飼い猫の)レイラを溺愛していることは知っていましたが! 節度を持ちなさい!!」
自身も猫を偏愛していることを完全に棚上げしたフルーリー夫人の言葉に、そっとレイラは手を上げた。
「お母様、私、嫌ではないんです。同意のうえです」
さすがに夜会の会場で間延びした喋り方をすると周囲に眉を顰められるので、どうにか矯正した言葉で話す。
レイラの言葉にフルーリー夫人が額に手を当てる。
「どうして貴女がここにるのか……あとで詳しく聞きますからね」
「はい。その件なのですが、クロヴィス様は猫にしか興味のない方です」
「……そうね」
遠い目をして頷いたフルーリー夫人が、常々クロヴィスのいないところで「育て方を間違えたかしら」と嘆いていることを猫なので自由気ままに屋敷で過ごしていたレイラは知っている。
「なので、私が責任を取ります! 伴侶になります!」
「……それしか……なさそうですね……」
フルーリー夫人の諦めの言葉に、クロヴィスがガッツポーズをしている。
彼としては、愛する猫が妻になるのは願ってもない展開であるだろう。
「母上! 言質を取りましたからね!」
「貴方こそ、責任を取るのですよ。レイラは――特殊な子ですから」
「はい!」
飼い猫、の部分を濁したフルーリー夫人の言葉にクロヴィスが大きく頷く。
にこにこと笑いながらレイラは微笑ましい親子のやり取りを見守っていた。
「そういえば、レイラ」
「なんですかぁ、ご主人様ぁ」
控室に戻って気が抜けて元に戻ったレイラの喋り方に、クロヴィスが軽やかに笑う。
「実は君が死ぬのが怖くて、餌に人間になる薬を混ぜてたっていったら怒るかな?」
悪戯っ子の表情で告げられて、レイラは小さく噴き出した。気づかないほうが可笑しい。
だって、ある日を境に餌の味が明らかに変わっていた。
「気づいて食べてた、っていったらどうしますぅ?」
「おや、さすが私のレイラだ」
満足気に笑うクロヴィスに抱き上げられて、レイラはにゃあと思わずいつもの調子で喉を鳴らしたのだった。
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