おじいちゃんの工房道具を持って異世界転移したら、伝説の職人になった件
桐谷樹は祖父の古い工房で、段ボール箱に囲まれて座り込んでいた。
半年前、唯一の肉親だった祖父が亡くなった。
それから三ヶ月後、勤めていた会社が倒産。
二十八歳の樹は、職も家族も失った。
「おじいちゃん、俺これからどうしよう……」
誰もいない工房に、声が虚しく響く。
手元にあるのは、祖父の形見である工具セットと、手書きの文字がびっしり詰まった設計ノート。
ページをめくると、几帳面な字で書かれた家具の設計図と、細かなメモ。
『角を丸くすると、手触りが優しくなる』
『座る人の体に合わせて、角度を調整すること』
『完璧じゃなくていい。心を込めることが大切だ』
祖父の口癖が、メモの端に記されていた。
町の小さな家具職人だった祖父は、丁寧な仕事で評判だった。
樹も子供の頃、よくこの工房で遊んだ。
木を削る音、木屑の匂い、祖父の優しい笑顔…。
すべてが、今は思い出の中にしかない。
樹は工具セットを抱きしめ、涙をこぼした。
「おじいちゃん……会いたいよ」
その時だった。
工房の奥にある古い扉が、淡く光り始めた。
今まで開いたことのない、物置への扉。
吸い込まれるように、樹は立ち上がり、扉に手をかけた。
ギィ、と音を立てて扉が開く。
次の瞬間、眩い光が樹を包み込んだ。
目を覚ますと、樹は森の中に立っていた。
「え……?」
周囲を見回す。見たこともない大きな木々。聞こえるのは鳥の鳴き声と風の音。
しかし樹の手には、しっかりと工具セットと設計ノートが握られていた。
「夢……じゃない、よな」
頬をつねってみる。痛い。現実だ。
どうやって帰ればいいのかわからないまま、樹は森を歩き始めた。
しばらくすると、木造の建物が見えてきた。中世ヨーロッパのような、素朴な村。
「あ、あの!」
小さな声が聞こえた。
振り向くと、薄汚れた服を着た少女が、壊れた椅子を抱えて困っていた。
茶色の髪、大きな瞳。十歳くらいだろうか。
園子が抱える椅子の脚は、完全に折れていた。
「大丈夫?」
樹は思わず声をかけた。
少女は驚いたように顔を上げ、それから泣きそうな顔で言った。
「この椅子、村長さんからもらった大事なものなのに……壊れちゃって。直せる人を探してたんだけど、みんな忙しいって……」
「見せてくれる?」
樹は椅子を受け取り、観察した。
作りは粗雑で、ただ板を組み合わせただけ。釘の打ち方も雑だ。
でも、少女にとっては大切なものなのだろう。
「直せるよ」
「本当!?」
少女の顔が輝いた。
樹は工具セットを開き、折れた脚を丁寧に外した。
幸い、予備の木材が近くに転がっていた。
祖父に教わったように、木材を測り、切り、削る。
手が自然に動く。祖父と過ごした日々が、体に染み付いていた。
「使う人のことを考えて作れ」
祖父の声が、心に響く。
樹は脚を丁寧に取り付け、さらに座面の角を丸く削った。
手触りを優しくするために。座り心地を良くするために、座面の角度も微調整する。
「できた!」
完成した椅子を少女に差し出した。
少女は恐る恐る座り、それから目を丸くした。
「すごい!全然違う!こんなに座りやすくなってる!」
嬉しそうに椅子の上で体を揺らす少女を見て、樹の胸が温かくなった。
「本当にありがとうございます!あの、お兄さんのお名前は?」
「桐谷樹。樹でいいよ」
「私はミラ!樹お兄ちゃん!」
その時、がっしりした体格の男が近づいてきた。
ひげ面で、作業着には木屑がついている。
「おい、お前、今の技術……どこで習った?」
男の声は驚きに満ちていた。
「俺はこの村の大工、バルドだ。今お前がやった仕事、見せてもらったぞ。すごい腕だな」
「いえ、祖父に教わっただけで……」
「謙遜するな。この村で、あんな丁寧な仕事ができる奴はいない」
バルドは真剣な顔で続けた。
「なあ、うちの工房を使わないか?俺も手伝う。お前の技術を、この村の人々に広めてやってくれ」
バルドの工房は村の中心にあった。中には粗雑な作りの家具が並んでいる。
「恥ずかしい話だが、俺たちは速く作ることばかり考えてた。丁寧に作るという発想がなかったんだ」
バルドは苦笑した。
「この村の人たちは、家具なんてただ使えればいいと思ってる。
でも、お前が直した椅子を見て、俺は気づいたんだ。
本当の職人の仕事ってのは、こういうことなんだって」
樹は設計ノートを開いた。祖父の設計図が、丁寧に描かれている。
「これ、俺の祖父のノートなんです。椅子、テーブル、棚……いろんな家具の作り方が書いてある」
「すげえ……こんな細かく書いてあるのか」
バルドは感嘆の声を上げた。
その日から、樹とバルドは共同で家具作りを始めた。
最初の依頼は、宿屋の女主人・エルザからだった。
「テーブルがガタガタで、お客さんに申し訳なくて……」
金髪の美しい女性だった。優しい雰囲気で、樹を心配そうに見つめる。
「任せてください」
樹は設計ノートを見ながら、テーブルを作り始めた。
木材を慎重に選び、丁寧に削る。脚の長さを正確に揃え、接合部分を滑らかに仕上げる。
バルドは樹の仕事を黙って見ていた。
「なあ、樹」
「はい?」
「お前の仕事を見てると、木と会話してるみたいだ。一つ一つの工程に、意味がある」
「祖父が言ってました。木は生きていたものだから、敬意を持って扱えって」
樹はそう話しながら木を撫でた。
「使う人が笑顔になってくれるなら、時間がかかってもいい。丁寧に、心を込めて作る。それが祖父の教えです」
完成したテーブルは、美しく安定していた。エルザは目を輝かせた。
「素敵……こんなテーブル、見たことない」
その後、村人たちから次々と依頼が来た。
椅子、棚、ベッド。
樹は一つ一つ丁寧に作り、バルドも樹の技術を学んでいった。
「角を丸くすると、手触りが優しくなるのか」
「そうです。小さな子供がいる家では、特に大事なことです」
ミラは毎日工房に来て、掃除を手伝った。
「樹お兄ちゃん、すごいね!みんな笑顔になってる!」
「ありがとう、ミラ。お前が椅子で困ってたおかげで、俺は自分のできることに気づけたんだ」
樹はミラの頭を撫でた。孤独だった日々が、少しずつ遠ざかっていく。
ある日、一人の青年が工房を訪ねてきた。
痩せ型で、真面目そうな顔つき。
「あの……俺を弟子にしてもらえませんか」
青年の名はレオン。十八歳で、孤児だという。
「俺、ずっと居場所がなくて……でも、樹さんの作る家具を見て、俺もこんな風に誰かを笑顔にしたいって思ったんです」
樹はレオンの真剣な目を見て、頷いた。
「いいよ。一緒に学ぼう」
「師匠!」
レオンの目に涙が浮かんだ。
それから数日後、もう一人の弟子が来た。
トーマス、二十五歳の元兵士。筋肉質な体だが全身に傷跡があり、寡黙な印象だった。
「戦争で、家族を全員失った」
トーマスは静かに言った。
「剣を振るうのにも、生きる意味がわからなくなった。でも、あんたの工房を見て……何か、心が動いたんだ」
樹はトーマスの目を見た。そこには、自分と同じ喪失の痛みがあった。
「俺も家族を失った。寂しいよな」
「……はい」
「でも、ここなら新しい居場所が見つかるかもしれない」
こうして、工房には家族のような仲間が集まった。
レオンは不器用で、最初は失敗ばかりだった。
「くそ、また割れた……」
「大丈夫だよ、レオン。俺も最初はそうだった」
樹は優しく声をかけた。
「完璧じゃなくていい。使う人のことを考えて、心を込めて作れば、必ず伝わる」
レオンは何度も挑戦し、ついに椅子を完成させた。
「できた……できたんだ!」
レオンは泣きながら椅子を抱きしめた。
「初めて、何かを成し遂げた。初めて、自分に価値があるって思えた」
「よく頑張ったな」
樹はレオンの肩を叩いた。
トーマスは無口だったが、細かい彫刻が得意だった。
「昔、母親が木彫りの人形を作ってくれてた。それを思い出しながら彫ってる」
トーマスの手から生まれる彫刻は、繊細で美しかった。
「素晴らしいよ、トーマス。お母さんも喜んでると思う」
「……ありがとうございます」
トーマスは初めて、小さく笑った。
夜、みんなで食卓を囲む。
バルド、ミラ、レオン、トーマス、そして時々エルザも加わる。
「いただきます!」
ミラの元気な声。
「樹の料理、うまいな」
バルドが笑う。
「師匠、明日はあの棚を仕上げます」
レオンが真剣な顔で言う。
「俺は彫刻の続きを」
トーマスが静かに頷く。
賑やかな食卓。笑い声。温かい空気。
樹は思った。一人じゃなくなった。ここに、新しい家族ができた。
工房が軌道に乗ったある日、樹は設計ノートの最後のページに気づいた。
それは今まで開いたことのないページだった。
そこには、祖父の手紙が貼られていた。
『いつきへ
このページを開く時、お前はきっと職人として歩き始めているだろう。
俺がお前に伝えたかったこと。それは技術だけじゃない。
誰かのために何かを作る時、それが俺の生きた証だ。
俺の技術は、お前を通じて生き続ける。
お前が誰かを笑顔にする度、俺も笑顔だ。
完璧じゃなくていい。心を込めることが大切だ。
お前が幸せなら、それが何よりの親孝行だ。
いつでも、お前を見ているよ。
祖父より』
樹の目から、涙が溢れた。
「おじいちゃん……」
声が震える。胸が熱くなる。
「ありがとう。ありがとう」
バルド、ミラ、レオン、トーマスが心配そうに集まってきた。
「樹、どうした?」
「大丈夫です。嬉しい涙だから」
樹は笑顔で涙を拭った。
「みんな、聞いてくれ。俺、新しい看板を作りたいんだ」
数日後、工房の前に新しい看板が掲げられた。
『桐谷工房
創始者:桐谷宗一郎
継承者:桐谷樹』
祖父の名前と自分の名前が、並んで刻まれている。
村人たちが集まり、祝福の言葉をかけてくれた。
「素敵な看板だ!」
「これからも、よろしく頼むよ!」
エルザが優しく微笑む。
「樹さん、幸せそうね」
「はい。やっと見つけたんです。自分の居場所を」
夕日が工房を照らす。
その日の夜、みんなで食卓を囲んだ。
「いただきます」
バルドの豪快な声。
「樹お兄ちゃん、今日のスープおいしい!」
ミラの笑顔。
「師匠、明日は新しい技術を教えてください」
レオンの真剣な顔。
「俺も、もっと上手くなりたい」
トーマスの穏やかな表情。
樹は空を見上げた。星が綺麗だ。
「おじいちゃん、見てる?」
心の中で語りかける。
「俺、ちゃんとやってるよ。一人じゃなくなった。新しい家族ができた」
「これからも、おじいちゃんの技術で、たくさんの人を笑顔にするから」
「だから、安心して見守っててね」
窓の外で、看板が月明かりに照らされて輝いていた。
『桐谷工房』
祖父の想いを継いで。
大切な仲間たちと共に。
樹の新しい人生が、今ここから始まる。
「さあ、明日も頑張ろう。みんな」
「おう!」
笑い声が、温かく工房を満たした。
異世界で見つけた居場所。
血縁を超えた家族の絆。
祖父の技術は、こうして生き続ける。
誰かを笑顔にするために。
心を込めて、丁寧に。
それが、桐谷工房の誇りだった。
【完】




