辺境ポーション屋の俺が助けたのは、記憶をなくした王女様でした。王都に帰ったはずなのに、なぜか嫁入り前提で再就職してきた件
夕方の鐘が鳴り終わるころ、ようやく今日の客足が途切れた。
「ふう……今日もよく売れたな」
俺はカウンターに並んだ空き瓶をまとめながら、小さく伸びをした。
ここは辺境の町ノルテにある、小さなポーション屋だ。名前はそのまんま「シン薬店」。俺の名前がシンだから、まあ分かりやすくていいだろう。
元々はこの世界じゃなくて、過労死寸前の社畜をやってた俺だけど、目が覚めたら赤ん坊になってて、そのまま薬師の家に転生した……なんて話は、もう今さらどうでもいい。
大事なのは、今の俺がそこそこ腕の立つ薬師で、そこそこ平和に暮らしているってことだ。
「閉店の札、出すか」
そう思って入り口に向かった、その時だった。
カラン、と扉の鈴が鳴る。
「ごめんなさい、本日分はもう──」
そう言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
扉の向こうに立っていたのは、ボロボロのマントを羽織った、細い女の子だったからだ。
薄い金色の髪は雨で濡れて頬に張り付き、瞳は透き通った蒼色。けれど、その瞳はどこか焦点が合っていない。
「……あの、ここは……」
かすれた声で彼女がつぶやく。
「ここはポーション屋。うちだよ。大丈夫か? 顔、真っ青だけど」
「私……倒れてたみたいで……気づいたら、この町の路地に座っていて……」
彼女はそう言いながら、胸の前でぎゅっと手を握りしめる。
「自分の名前と……セリナって呼ばれていた気がすることしか、覚えていないんです」
「記憶喪失ってやつか」
俺は思わず、前世の知識を口にしてしまう。
「頭、打ったとか? ケガは?」
「痛みは、特に……でも、どこから来たのかも、誰なのかも、思い出せなくて」
不安そうに俺を見上げる、その目に、少しだけ怯えが混じっていた。
放っておけるわけがない。
「とりあえず、中入れ。寒いだろ。お茶くらいは出す」
「……ご迷惑では?」
「もう閉店だし。困ってる人を追い出すほど、俺も冷たくないつもりだけど」
俺が笑ってみせると、彼女はほっとしたように、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます……」
◇ ◇ ◇
「はい、これ。体、温めるハーブティー。ついでに体力回復のポーションを、ちょっと薄めたやつ」
カウンターの奥、作業台の端に彼女を座らせて、湯気の立つカップを差し出す。
「ポーション……本物、なんですね」
「そりゃポーション屋だからな。飲める?」
セリナは少しだけ戸惑った顔をしたが、両手で大事そうにカップを受け取ると、ちびり、とひと口飲んだ。
「……甘い。なんだか、体の中がぽかぽかしてきます」
「眠気が来たら素直に寝ろよ。限界に近い体が、一気に緩むからな」
俺がそう言うと、セリナは申し訳なさそうに眉を下げた。
「あの、私、お金を持っていなくて……」
「取るかよ。客っていうより、今は保護対象だ」
「保護対象……?」
「そう。記憶ないんだろ? 宿もないんだよな」
彼女はこくりとうなずく。
「だったら、うちにしばらく居ればいい。幸い、店は広いし、奥に空き部屋もある」
「でも……そんな、初対面なのに……」
「他に当てがあるなら止めはしないけど、ないだろ」
図星だったのか、彼女は言葉を詰まらせる。
「それに、俺も店を手伝ってくれる人が欲しかったんだ。最近、ちょっと忙しくてさ。簡単な掃除とか、接客を手伝ってもらえるなら、お互い様ってことで」
「……それで、いいんですか?」
「いい。決まり」
俺が一方的に話を進めると、セリナはぽかんとしたあと、ふわりと笑った。
「シンさん、優しいんですね」
「いや、普通だって。さ、まずは飯だ。腹、減ってるだろ?」
「……はい」
返事の声は小さかったけれど、その表情にはさっきまでなかった明るさが、少しだけ宿っていた。
◇ ◇ ◇
こうして、記憶をなくした少女セリナは、うちで暮らすことになった。
「シンさん、この棚の傷薬は値段札が違ってます」
「ああ、それは値段が上がったからな。札だけ取り替えるつもりで放置してた」
「ええ……ちゃんとやっておいてください」
「すみません」
数日も経つ頃には、すっかりこんな会話が当たり前になっていた。
セリナは覚えがいい。商品の位置も、効能も、一度教えればすぐに頭に入るし、笑顔での接客も上手だ。
何より、まじめだ。
「シンさん、この病み上がり用のポーション、ラベルが少し曲がっています」
「そこまで見てるのか」
「曲がっていると、効き目も曲がりそうで、なんだか気持ち悪くて……」
「効き目は曲がらないけどな」
そう言いつつ、俺もラベルを貼り直したりする。
彼女と一緒にいると、自然と仕事が丁寧になっていく自分がいて、少しだけおかしくなる。
そして、もうひとつ。
セリナには、もうひとつおかしな点があった。
「セリナ、そのポーションの瓶、割れてたやつだよな?」
「はい。底にひびが入っていたので、直しました」
「直したって……」
よく見れば、あれだけぱっくり割れていたガラス瓶は、ひと筋の傷もなく、まるで新品のようだ。
「どうやって直した?」
「えっと……直れって思って、手を当てたら……いつの間にか」
彼女は自分でも不思議そうに、両手を見つめる。
「私、こういうことが前からできた気がするんです。でも、いつからできるのかとか、全然思い出せなくて……」
「回復魔法の才能、か」
ただの回復じゃない。物体まで直せるとか、かなり特殊だ。
「普通じゃない、ですよね」
セリナが不安そうに尋ねる。
「普通では、ないな」
「……やっぱり、気味が悪いですか?」
「いや、むしろ助かる。割れた瓶、全部お願いしていい?」
「え、そっちですか?」
「ここの経営、けっこうギリギリなんだよ。瓶って地味に高いんだ」
俺が真面目な顔で言うと、セリナは一瞬唖然として、それから吹き出した。
「ふふっ……シンさんって、本当に変わってます」
「どっちがだよ」
笑い合う、そんな時間が当たり前になっていく。
気づけば、セリナが来てから、町の評判もよくなっていた。
店は明るくなり、彼女目当ての客も増えた。回復魔法で軽い傷をその場で治してしまうこともあるから、ポーションとセットで買っていく人も多い。
店が賑やかになるにつれて、俺の中でひとつの気持ちが、静かに大きくなっていった。
このままずっと、こうしていたいな、って。
◇ ◇ ◇
そんなある日のこと。
町の入り口に、重そうな鎧の音が響いた。
外を歩いている客が、ざわざわと落ち着かない声をあげる。
「シンさん、なんだか町が騒がしいです」
セリナがカウンター越しに心配そうに外を見る。
「魔物の群れでも来たか?」
「それなら、もっと悲鳴みたいな声が……あ、鎧を着た人たちが、こっちへ」
カラン、と扉が勢いよく開いた。
「失礼する!」
入ってきたのは、王都でしか見ないような、立派な紋章付きの鎧を着た騎士たちだった。
店内の空気が、ぴんと張り詰める。
「ここが、辺境のポーション屋か」
「そうですけど……何かご用件で?」
俺ができるだけ普通の声で答えると、騎士のひとりが一歩前に出た。
「我らは王都直属、近衛騎士団だ。こちらに、記憶を失った少女がいると聞いた」
隣で、セリナの肩がびくりと震えた。
やっぱり、何か訳ありだったか。だいたいこういうのは、ろくでもない展開を呼ぶんだよな、と前世のなろう小説を思い出してしまう俺。
「……その話を誰から?」
「この町の宿屋の主人からだ。数日前から見かけない少女が、ポーション屋で働いていると。年頃も背格好も、よく似ていると聞いた」
俺は一瞬だけ、セリナを見る。
彼女は不安そうな目で俺を見返し、その手は震えていた。
「その少女に、会わせてほしい」
騎士の視線が、自然とセリナに向く。
「セリナ?」
俺が名前を呼ぶと、彼女は小さく息を飲み、それでも前に出た。
「……私です」
震える声。でも、その目は逃げていなかった。
騎士が、信じられないものを見るような顔をする。
「……やはり。間違いない。その髪、その瞳……」
そして、彼は片膝をついた。
「お迎えに上がりました、セリナ王女殿下」
店内に、重たい沈黙が落ちた。
王女。
頭の中で、言葉の意味が遅れてやって来る。
「り、王女?」
俺の間抜けな声に、セリナは自分の胸に手を当てて、確かめるようにつぶやいた。
「……私が、王女様……?」
「殿下は数週間前、王都からの馬車の中で襲撃に遭われ、行方不明になっておられました。記憶を失っている可能性も考え、国中に捜索願いを出していたのです」
騎士の声は固く、必死だった。
「そんな大事な人を守れなかった責任を……我らはずっと──」
言葉を途中で飲み込み、騎士は深く頭を垂れる。
セリナはただ、呆然と立ち尽くしていた。
そして、ふらりと作業台の端に視線を向ける。
そこには、彼女が昨日まで貼り直していた、きれいに並んだラベル付きのポーションがある。
俺と、彼女とで作った、いつもの光景だ。
「私……ここで、シンさんと一緒に、ポーションを並べて、笑って……でも、本当は、王女様で……」
ぽろりと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
胸がきゅっと締め付けられる。
「セリナ」
気づけば、俺は彼女の前に出ていた。
「王女でもなんでも、セリナはセリナだろ」
「でも、私、嘘をついて……」
「お前は、覚えてなかっただけだ。嘘はついてない」
俺は、いつものように軽く言う。
「それに、王女だろうが何だろうが、うちの従業員を泣かせるやつがいたら、文句くらい言う権利はあると思ってる」
騎士たちが、わずかに目を丸くする。
「シンさん……」
「行くかどうかは、お前が決めろ」
静かに、そう言った。
「記憶を取り戻したいなら、王都に行くのが一番だと思う。家族もいる。元の生活があるかもしれない」
言いながら、自分の言葉が胸に刺さるのを感じる。
「でも、この店でのことも、全部忘れろなんて、俺は言わない。どっちを選んでもいい。王女として生きるか、ポーション屋の助手として生きるか、それとも、両方をなんとかする道を探すか」
「そんな、欲張りなこと……」
「していいんだよ」
前世で、それができなくて、全部諦めて死んだやつがここにいる。
「俺は、お前が笑っていられる方を選んでほしい。それだけだ」
セリナは、しばらく黙って俺を見つめていた。
そして、涙をぬぐい、騎士たちの方へ向き直る。
「……王都に、戻ります」
その声は、さっきよりもずっと強かった。
胸の奥がきしむけど、俺は笑う。
「そっか」
「でも」
セリナは、くるりとこちらを振り返った。
「戻ったあと、もう一度ここに来たいって言ったら、迷惑ですか?」
泣き笑いみたいな顔で、そんなことを言う。
「その時、シンさんが私を、ここで働かせてくれるって言うなら……」
心臓が、どくん、と大きな音を立てた。
「その時は──」
俺は、腹をくくる。
「王女様だろうとなんだろうと、普通に面接する」
「えっ」
「遅刻が多かったり、仕事サボるやつは不採用だ」
「き、厳しいです!」
店内に、くすりと笑いが漏れた。
騎士たちの緊張も、少しだけゆるむ。
「でも、頑張ります。ちゃんと働きます」
「なら、合格にしてやってもいい」
「今、面接しました!?」
「仮合格だ。続きはまた今度な」
俺がそう言うと、セリナはぎゅっとスカートの裾を握って、深くお辞儀をした。
「シンさん。本当に、お世話になりました」
「こちらこそ。店、めちゃくちゃ助かった」
これ以上喋ると声が震れそうで、冗談めかして笑うことしかできない。
「行ってこい。自分のこと、ちゃんと取り戻してこい」
「はい」
セリナは、晴れた顔で答えた。
◇ ◇ ◇
セリナが王都へ戻ってから、町は少しだけ静かになった気がした。
「セリナちゃん、もう戻ってこないのかねえ」
「さあな。王女様だしな」
「王女様だったのかい!? なんでそんな大事なことを先に言わないのさ!」
「本人も知らなかったんだって」
常連の客たちと、そんな会話を交わしながら、俺はいつも通りに店を開ける。
ラベルはちょっと曲がったまま。直そうかと思って手を伸ばして、結局そのままにする。
ふと、作業台の端を見る。
そこには、セリナが最後に直したガラスの瓶が、ひとつだけ残っていた。
中身は入っていない。きれいな空っぽだ。
「……戻ってくるといいけどな」
誰にともなくつぶやいて、俺は今日もポーションを作る。
前と同じようで、少しだけ違う日々。
そんな日々が、数週間続いたある日のことだった。
◇ ◇ ◇
いつものように開店準備をしていたら、扉の鈴が鳴った。
「すみません、開いてますか?」
聞き慣れた声に、心臓が跳ねる。
振り向くと、そこには見慣れない、けれどよく似合っているドレス姿のセリナが立っていた。
髪はきれいにまとめられ、小さなティアラが輝いている。それでも、その笑顔は前と同じだ。
「……面接ですか?」
彼女が、いたずらっぽく首を傾げる。
「まさか王女様自ら、うちみたいな小さな店に面接に来るとは思わなかったな」
俺も、できるだけ平静を装う。
「王都で、いろいろ話し合いました。私の記憶も、少しずつ戻りました」
「そうか」
「お父様……国王陛下は、最初とても反対でした。でも、私がここでのことを話したら、最後にはこう言ってくれたんです」
セリナは少しだけ声を真似て、楽しそうに続ける。
「本気なら、国を出てもいい。ただし、逃げた先でも恥ずかしくない生き方をしろって」
「王様、意外と器が大きいな」
「私、ここで恥ずかしくない生き方、できてますか?」
「少なくとも、うちの店にとっては、もったいないくらいの従業員だ」
ぽろっと、本音が出る。
セリナは、ふわりと笑った。
「じゃあ、これからも、ここで働かせてください」
「いいけど……王女の仕事は?」
「月に何回か、王都に顔を出せばいいことになりました。辺境のポーション事情や、人々の暮らしを見てこいって」
「現場研修かよ」
「はい。王女の現場研修です」
そんな役職、前世でも聞いたことない。
でも、悪くない。
「じゃあ、改めて聞くぞ」
俺は、カウンター越しに手を差し出す。
「シン薬店は、セリナ。お前を従業員として──」
言いかけて、やめた。
ここまで言ったなら、ついでに言ってしまえ。
「いずれ、店主の嫁としても迎えることを前提に、雇いたい」
自分でもびっくりするくらい、声は静かだった。
セリナの目が、大きく見開かれる。
「……それ、面接の質問じゃありませんよね?」
「質問じゃない。希望条件だ」
ここで引いたら、一生後悔する。
「嫌なら、今のうちに断ってくれ。そうしたら、ただの店主と従業員に戻る」
心臓がうるさくて、呼吸の仕方を忘れそうになる。
数秒の沈黙。
でも、その数秒が、とてつもなく長く感じた。
やがて、セリナは小さく息を吐いて、俺の手をそっと握った。
「……じゃあ、その条件で、契約します」
「いいのか?」
「はい。私、ここでなら、恥ずかしくない生き方ができそうですから」
顔を真っ赤にしながら、それでもはっきりと。
俺は、その手をぎゅっと握り返した。
「よろしくな、セリナ」
「こちらこそ、よろしくお願いします。シンさん」
カラン、と扉の鈴がまた鳴る。
新しい客が来たのだろう。
けれど、今はまだそっちを見ない。
俺は目の前の少女を見つめて、少しだけ照れた笑いを浮かべた。
こうして。
元社畜転生薬師の俺と、記憶をなくした元王女様の共同経営生活が、今度こそ本当にはじまったのだった。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
ポーション屋の店主シンと、記憶をなくした王女セリナの物語、少しでも胸がきゅっとしたり、ほっとしたりしてもらえていたらうれしいです。
この短編は
もし自分が転生した先で、守りたいと思える誰かと小さな店をやっていたら、という妄想から生まれました。
王女としてのセリナと、ただの女の子としてのセリナ。
店主としてのシンと、ひとりの男としてのシン。
その間で揺れながら、でも最後は自分の幸せを自分で選べる二人を書きたかった作品です。
面白かった、続きが読みたい、この二人のその後をもっと見てみたい、と思っていただけましたら
・作品への評価
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・ひとこと感想
どれかひとつでももらえると、ものすごく励みになります。
数字やブクマが増えると、今後の創作のやる気メーターが一気に振り切れるタイプです。
反応を見ながら、番外編や、二人の新婚共同経営編なども考えていけたらと思っています。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
また別のお話でも、シンやセリナのような二人に、どこかで会ってもらえたらうれしいです。




