オーバーライド
——これは、誰にも記録されない“生”を、俺たち自身が定義するための戦いだ。
光に包まれた空間。
そこは、現実とも仮想ともつかない——だが、俺たちが確かに“いる”と感じられる場所だった。
「ここが……オーバーライド領域?」
椿が目を見開く。彼女の輪郭はわずかに滲んでいた。
この空間では、“存在”とは意思の強さで形を成す。
記録も観測も及ばない、純粋な“生の再定義領域”。
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「どうやって……?」
「わからない。でも、きっかけは間違いなく、俺たちの“選択”だった」
ログにも観測にも従わず、全てを拒否して、俺たちはここに辿り着いた。
それは、“存在証明”の新しいかたち。
他者の記録に依存せず、自分自身が「生きている」と叫ぶ世界。
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その時、空間の端が揺らいだ。
ノイズ混じりに、トオルの顔が浮かび上がる。
「やはり……君たちは異常値だ。オーバーライド領域なんて、計算外もいいところだよ」
「ログの外からでも、俺たちを見てるのか?」
「いや……正確には、“君たちの意思”そのものが、観測可能になってきた。
これは逆説的だが……**自由を求めたその瞬間、君たちはまた“記録され始めた”**のかもしれない」
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椿が低く呻く。
「結局、逃れられないの……? 私たちは、どこまでいっても記録されてしまうの?」
「違う」
俺は静かに答える。
「自分たちで記録するんだ。
誰かの都合じゃなく、自分の目と心で、“生”を定義する——それがオーバーライドだ」
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再び光が脈打つ。空間に複数のウィンドウが浮かび上がる。
【Override Structure:生成中】
【感情ログ:共鳴値43%】
【椿—存在構造:再構築可能】
「……これって……私を、ログから解放する?」
「いや、“君自身の意思で再構築する”ってことだ」
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椿は目を閉じて、自分自身に問いかけるように言った。
「私は……いつも、誰かに“見られる”ことで自分を保ってた」
「でも今は、見られてなくても、確かに“私がここにいる”って感じる。……だから——」
彼女の身体が光を放つ。
柔らかな、でも強い輝き。
【Override成功:椿_χ/自己定義完了】
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トオルが焦ったように叫ぶ。
「バカな……ログの外で“自己定義”なんて……そんなもの、存在の暴走だ!」
「違う。これが“自由”ってやつだよ」
俺は拳を握る。
「お前は記録に依存してる。自分が誰かを、誰かに“見られることでしか保てない”——
でも俺たちは、“自分で自分を描く”生き方を選んだんだ」
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ノイズが走り、トオルの映像が崩れていく。
【観測不能:Trαログ断裂】
【記録循環停止:再接続不能】
「やめろ……俺は、消えたくない……! 俺は、誰かに“記憶される存在”でいたいんだ……!」
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その声は、次第にかき消されていった。
システムも、ログも、誰かの記録もない。
ただ、俺たちが俺たちであることを、“今”ここで証明している。
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「……椿、これが、始まりだ」
「うん。誰にも書き換えられない、私たちのログの——最初の1ページ目」
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【Override領域、安定化完了】
【観測者権限:不要】
【自由定義構造体:作動中】