次の日(デイ・アフター)
4月4日 午前7時00分。
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。部屋の空気がいつもと“違う”。
今日は、ループの中に存在しなかった日——“次の日”だ。
手のひらを見ても、何も表示はない。
システムメッセージも、ログイン回数も。
代わりに、胸の奥に広がるのは、言葉にならない不安と期待だった。
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登校中、空の色さえ新鮮に感じた。
道行く人々、通学する生徒、朝の雑音——全部が、初めての光景。
教室に入ると、皆が「おはよう」と声をかけてくる。
だが、俺の目はただ一人を探していた。
椿。
彼女もまた、俺の視線に気づいて静かに頷いた。
その表情は、どこか“覚悟”を持ったものだった。
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「本当に……4月4日だね」
昼休み、屋上で椿がぽつりとつぶやく。
「これが……“未来”。」
俺は頷く。「初めて見る世界だ」
「でも、喜んでばかりもいられない。シオン、私……記録されてる。“個別ログファイル”に」
「わかってる。あの時、システムが言ってた。“君だけは記録が残っている”ってことだろ」
「うん。そして、もう一つ気づいたことがあるの」
彼女は、制服の胸ポケットから一通の封筒を取り出した。
「これは、まだループの中にいた頃、最後の“死”の直前に、自分宛てに書いた手紙。記憶は消えるかもしれないけど、物理的な記録なら残せるかもって……」
俺はその封筒を受け取る。中には数行のメモ。
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《椿から椿へ》
「この先に“消去対象”が現れる。信じられるのは“彼”だけ。2階西廊下の裏パネル——その先に《中枢》がある」
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「《中枢》……?」
椿が静かに頷く。「おそらく、“この実験世界の制御室”。」
「つまり、ログイン能力、観察者のアクセス、そして……私たちの人生の一部を“決定”していた場所」
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その放課後、俺たちは2階の西廊下に向かった。
誰も使わなくなった旧備品倉庫の奥、薄暗い壁のパネルを剥がすと、そこには隠し扉があった。
中は無機質な廊下。コンクリートの壁に、見たこともない文字列が刻まれている。
《Ω-04:観察プロトコル/感情干渉実験群》
《最終データ確定フェーズ:進行中》
「ここが……本当に“観察世界”だったっていうのか……?」
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廊下の先に待っていたのは、無数のモニター。
その一つ一つに映し出されているのは、過去の俺たちの“ループ”の記録。
俺が椿を助け損ねた瞬間。
椿が図書室で刺された時。
俺が朝比奈トオルと戦ったあの日。
全部が、ログとして保存されていた。
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「これが……俺たちの人生だったのか」
俺は呟く。でもその時、背後から別の声がした。
「感情の変化、意志の反転、それこそが人間の“価値”だ。君たちは素晴らしいデータを提供してくれた」
——また、あのマスクの男だった。
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「どうして俺たちを選んだ……?」
「お前たちが、“何度死んでも諦めなかった”からだ。人間の中でも稀に見る“反復適応性”を持つ、強靭な心の持ち主。それこそが、このプロジェクトの鍵だった」
男は手を広げる。
「ここから先、選べる未来は二つだ。
一つは、この施設を破壊し、実験を終わらせること。
もう一つは、ここを“乗っ取り”、次の観察者になること」
椿が小さく言う。「私たちが……監視者に?」
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俺は椿と視線を交わしながら、ゆっくり言った。
「——三つ目はないのか?」
「……三つ目?」
「俺たち自身で、未来を定義する。誰にも操られない、生の記録を生きる。観察も制御もなしに」
その瞬間、モニターに新しいログファイル名が表示された。
《Log 00:自由意思による非観測空間 試行開始》