トランプの命題
命題:「スペードのAがこの世に存在するなら、スペードのAには裏と表がある」
が真であるとする。
このとき、元の命題とその対偶の真偽は等しいので、
対偶:「スペードのAに裏と表がないなら、スペードのAはこの世に存在しない」
といえる。
一方で、ある真な命題に対する(数学的な意味での)裏、あるいは逆は、別個に証明を必要とするものである。
裏:「スペードのAがこの世に存在しないなら、スペードのAには裏と表がない」
逆(裏の対偶):「スペードのAに裏と表があるなら、スペードのAはこの世に存在する」
これらのとき、「スペードのAに裏と表があり、しかしこの世には存在しない」という要素を見つけることが出来れば、裏と逆に対する反証となる。
これについては、既に亡くなった方々があの世でポーカーで遊んでいる光景を認めれば、簡潔な反証となるであろう。
スペードのAには裏と表があった。しかしそれはあの世でイエスとユダが仲良くポーカーをしているトランプだった、という訳だ。
× × ×
考察:「スペードのA」は、ありとあらゆるものに対する、入れ替えについて対称だろうか。例えばスペードのAを「ハートのK」に置き換えても上記の命題は成り立つだろう。しかし「ハートのK」→「本」から始まり、「本」→「図書館」→「建物」→「空間」などと、どんどん抽象的な対象を取り入れていけば、裏表という概念を適用するのが難しくなってくる。
忘れてはならない。「金」もそうだ。
連日連日の報道で裏金としか耳にせず、表金という言葉を一向に聞くことの出来ない昨今の政治状況を鑑みると、どうやら金には……少なくとも日本円には、裏しか存在しないらしい。
なんということだ。
命題:「金がこの世に存在するなら、金には裏と表がある」
は偽ではないか!
スペードのAと日本円とは入れ替えについて対称ではないのである。