農道と空冷911~ポルシェ993カレラ~
「ガキーン!」
あ、本当にドアを締めると金属音が鳴るんだ。そう思った。
車の雑誌や漫画に出てくるポルシェ911の特徴として、よく言われていた。音を消すゴム類の必要はないと割り切っていたかららしい。多分、現代のポルシェ911は普通に「バムッ」というような普通のドアの音になっているに違いない。
兄貴が知り合いの中古屋さんに入った空冷最後の911、モデル993カレラを手に入れたのは、水冷化された996が出てしばらくたった頃だった。その頃は、空冷の964は400万前後で良いものが買えたし、930の最終年モデルでも350万円くらいで手に入り、911専門誌には、地方の学校の先生が、週末趣味で乗る車として古い空冷の930との付き合い方なんて記事があった。僕も、ちょっと落ち着いたら89年式の930クラブスポーツでも手に入れたいなと思っていたが、気が付いてみれば350万だった程度の良い930カレラは、今では1000万プラスされて1350万なんて値段で取引されている。夢は直ぐに叶えなければ、本当に夢になってしまうということなのかもしれない。
兄貴と一緒に、実家の近くの農道を走る。
「後ろが重いから、そう簡単にリアが破綻しないんだよ。」
などと言って、アクセルを踏み込む。
当時、僕は日本車のスポーツ車に乗っていたから、加速力にはそれほど驚かなかった。内装も質実剛健そのままで、高級車という感じは一つも感じさせられなかった。現代の豪華な911と比べれば、質素で、本当に小さなボディで、バサバサバサバサと空冷のガサツな音がする無骨な車だった。
確かに最近の911も格好は良い。値段もかなり高くなってしまったけど、本当に内装も外装も、そして性能も高級スポーツカーという感じがする。でも、古い世代の人間なのか、あの空冷時代の本当に小さなポルシェにどうしても惹きつけられてしまう。
何か硬い殻の中に座って、バサバサと騒がしいエンジン音のする993は、その頃の日本のスポーツカーの刺激とも違う、不思議な感覚のするスポーツカーで、自分が思い描いていた911像よりも荒々しく、そして、どこか地味な車に感じた。
それから、兄は地元に引っ越すことになり、911の面倒を見てくれる車屋さんも無かったので、直ぐに違う車に乗り換えてしまった。今頃、「あの993持っていたら良かったなぁ」なんてことをぼやくこともあるけど、それ以来、ポルシェを所有することはなかった。
「世界の車メーカーが自社の車を評価してもらう会社」「出せる性能を周りのメーカーに合わせて小出しにする会社」「レースカーも市販車も同じパーツを使っている会社」などという話を聞くのがポルシェという会社の特殊性なのだと思う。製品が完全にオーバークオリティと言われたポルシェも、最近はちゃんと製品寿命を考えた車づくりをしているという話も聞く。だからこそ、倒産寸前だった会社を再建することが出来たのだろう。
でも、あの金属音のするドアを持つ、何をやっても壊れず、直せばどのようにでもなる車だったポルシェは、小綺麗なショールームに鎮座する贅沢な高級スポーツカーになって都会のなかにしか映えないようなスタイリッシュな形になってしまった。僕には言葉には表せない魅力が感じられなくなってしまったような気がする。
地味なソリッドカラー。羽のないつるんとしたリア。せり出し、丸いメーターが並ぶ黒いダッシュボード。空冷独特のバサバサしたエンジン音。農道を走り抜ける姿がさまになる。そんな空冷の911が自分のガレージにある妄想を描くだけで、もう何もいらないと思ってしまう。
多分、僕の夢は、本当に夢のままになってしまったに違いない。