なんて夢物語(side エリアス)
入学式から一週間、予想外のことが起きた。
〝あの〟アミーリアがこの一週間、一度も俺に話しかけてこない。
嫌でも顔を合わす同じ空間で過ごしているにも関わらず、まるで俺がいないかのように振る舞っている。というか、クラスメイトと関わっているのをほぼ見たことがない。
たまに金髪の令嬢――あれは、エイマーズ家の令嬢だろうか。彼女がアミーリアに話しかけているのを見かけるがそれだけだ。
恐ろしいほどおとなしいアミーリアに、俺は不気味さを感じていた。なにを考えているのかさっぱりわからないからだ。
そもそも学園で不必要に関わるなと言ったのは俺で、彼女はそれを従順に守っているだけかもしれない。……でも、アミーリアはそんなに聞き分けのいい女だったろうか。
たった一週間しか経っていないというのに、学園では既に、俺とアミーリアの不仲説が浮上していた。
――変な話題で注目を集めるのだけは勘弁してくれ。
「アミーリア、おはよう」
そう思った俺は、またしても自らアミーリアに話しかける羽目になった。それもこれも、アミーリアが柄にもなく、俺の言いつけを守るからだ。この時、俺は初めてアミーリアが言いつけを守ればそれはそれで面倒だと気づく。というか、どうあがいても面倒な婚約者に変わりない。
「おはようございます。エリアス様」
久しぶりに話しかけられて喜ぶかと思いきや、アミーリアは挨拶を返すのみだった。それどころか、何か用? とでも言わんばかりの圧すら感じる。
彼女と一緒にいる時は、俺が話題を振らずともいつも勝手にアミーリアが率先して喋っていたのに。……やはり、入学式の日になにかあったのか。彼女をここまで変えてしまうなにかが。
「アミーリア。入学してから、君はずいぶんおとなしくなった気がするんだが」
そう言うと、アミーリアは口をつぐんだ。
「もしかして、俺が言ったことを気にしているのか? その……いつもの感じで接するなと言ったことを」
だとしたら、君にはゼロか百しかないのかと問いたい。ちょうどいい塩梅がわからないのか。
「いえ――じゃなくて、はい。エリアス様のお望み通り、おとなしくしていただけです。それがなにか?」
「……そうか。君は俺の言うことが聞けたんだな」
これまた新たな発見だ。様子のおかしさを不気味に思っていたが、聞き分けがよくなったということは、いい方向へ変わっていると素直に捉えていいのかもしれない。
どちらにせよ、ここらで婚約者らしいことをひとつしておこう。アミーリアがこのまま変わってくれるなら俺としても有難いし、言うことを聞けた件はちゃんと褒めてあげるだ。
……それにもし、様子がおかしいことにほかに原因があるのなら。俺は婚約者としてその原因を知っておくべきではないか。
「前回あんなことを君に言っておいてなんだが、今日の昼食くらいは一緒にとらないか?」
「えっ……」
驚くのも無理はない。
自分で言うのもなんだが、アミーリアに寄り添う姿勢を見せたのは実に五年……いや、それ以上かもしれない。
「ごめんなさい。今日は先約がありますの」
「……!」
どんなテンションで食いついてくるのかと思っていた俺にアミーリアが告げた言葉は、予想外のものだった。断られるなんて思っていなかった俺は、おもわず動揺してしまった。そしてその動揺が、僅かに表情に出てしまったような気がする。
「先約? いったいどんな?」
「え、えーっと、詳しくは言えませんが、大事な用件で……」
「大事な用件……?」
昼休みに、アミーリアが婚約者の俺と過ごすより大事な用件ってなんなんだ。教えてくれ。授業で出される数々の難問の答えよりも、俺は今、それが知りたい。
「エリアス。ちょっといいか」
「……チェスター」
あまりの難題に呆然としていると、後ろからチェスターに声をかけられる。そして俺はチェスターに連れられて、アミーリアの前を去ることになった。
「どうしたんだチェスター。急用か?」
呼び出し方が唐突なだけでなく強引に思えたため、チェスターにそう尋ねる。
「違う。助けてやっただけだ。お前がまたあの女にしつこく絡まれているのだと察してな」
どうやらチェスターは特に用はなかったが、助けるつもりで声をかけてくれたらしい。彼は幼馴染ということもあり仲が良く、俺がどれだけアミーリアを苦手に思っているかもよく知っている。そしてチェスターは、俺以上にアミーリアをよく思っていないことも。
「……なあチェスター」
「なんだ?」
「俺、アミーリアにしつこく絡まれているように見えた?」
「なんだ。その質問は」
変な質問をしているのはわかっている。だが、本当にチェスターの目には、さっきの俺たちのやり取りが普段と変わらずに映ったのだろうか。
「……そうだな。いつもより、あの女はおとなしかった。それだけだ」
「やっぱりそう思うか? 実は、アミーリアを昼食に誘ったら断られたんだ」
「……っ!?」
いつも感情をあまり表に出さないチェスターの表情筋が、めずらしく仕事をしている。
「びっくりだろう。先約があると言っていたが、友人もいない彼女にいったいなにが……ああ、勉強もできないし入学早々補習だろうか」
「待てエリアス。俺が驚いているのはそっちではない。……お前、よくあの女を誘う気になったな。青天の霹靂か?」
「さすがにずっと距離を置いているのもおかしいだろう。変な噂を立てられたくないんだよ、俺は」
俺たちが不仲という噂を聞きつけ、俺にアピールしてくる令嬢が増えているのは事実だった。クラスメイトはさすがにアミーリアの目があるせいか行動には移してこないが、常に熱い視線は感じる。上級生に関しては遠慮なく話しかけてきて、正直対応するのも面倒だった。
「いいじゃないか。どの令嬢も、あの女よりずっとマシだ。いっそのこと、この学園で新たな婚約者を探したらどうだ。そうすれば、あの我儘性悪女から私もお前も解放される」
「……新しい婚約者、か」
考えたことは何度もあった。学園に入る時も、まさにチェスターが言っていたのと同じことを思った。しかし幼いころからいろんな汚いものを見た俺は、政略結婚なんて誰としても同じだと、この段階で気づいていた。
上流階級の者はみんな欲深い。欲深いから、上り詰めている。そして令嬢たちは俺の見た目と、最高位の権力しか見ていない。
「もし俺に本当に好きな人ができたら、その子を婚約者にしよう」
「……できるのか? お前に」
「君に言われたくない。できるかもしれないだろう」
お互いにそんなのは夢物語だとわかりながら、俺はチェスターに笑ってみせた。