恋を知らない男
ラスタ王立学園に入学――つまり、前世で私が愛読していた物語がスタートしてから一週間が経った。
入学初日に絶対的ヒロインであるステラに渾身の般若顔を見せ、そのまま逃亡されるという失態を犯しながらも、日々は何事もなく過ぎていく。
そう――ステラが未だに登校していなくても物語が進んでいるということだ。シナリオなんて関係ないというように。つまりこの世界に、シナリオの強制力はないってこと……?
この世界が原作通りに必ず進むようになっているならば、なにかしらの強制力がかかってステラが戻ってこなくてはおかしい。しかし、その気配をまったく感じない。
入学初日に考えていた、ステラはヒロインなのだから必ず戻ってくる&序盤はシナリオ通りに進めればいいという私の考えはあっけなく打ち砕かれた。もしかしたら結末だけ同じになるよう、終盤に一気に強制力が発動するのかもしれないが、それでもまだ何か月もある。
その結果、現在はまったくラブロマンスもトラブルも起きず、ただただ魔法について平和に学んでいるだけの有様だ。
今朝もステラの席は空席のままで、机も椅子も真っ新だ。この光景に見慣れてきてしまい、あんなに出ていたため息も喉の奥へと消えていく。
先生にそれとなくステラのことを聞いてみたが、未だ連絡がつかない状態だという。……連絡がつかないほど辺境の地まで逃亡したのだろうか。
そもそもステラは逃亡する前に、私を見て『やっぱり無理!』と言っていた。初対面の人相手に発する言葉としては、おかしな発言だ。
……もしかして、ステラも転生者だったり?
私にいじめられるのが嫌で逃亡したって考えると辻褄は合う。転生者なら前世の記憶を頼りに家でもうまく立ち振る舞い、逃亡先の当てがあってもおかしくない。
しかし、それはエリアス様との恋愛も全部投げ出したのと同じこと。
ステラも転生者ならこちらとしては話もつけやすいし、私の事情もすんなり理解してもらえそうってメリットがあるけど、ステラ自身がエリアス様との恋愛を望んでいないとしたら――。
「それじゃあ困る……!」
私は自分の席で爪をギリッと噛んで、焦りと苛立ちを露にした。
だって、ステラ不在でなにも起きずにこの学園生活が終わってしまえば……私は断罪されず、国外追放もされない。当然、未来の夫となるはずのイケメン令息とも出会えない!
その場合、私はこのままエリアス様と結婚?
この国は王位継承権は指名制だから、第二でもエリアス様が王位を継ぐ可能性だってある。そうなれば私は王太子妃……! 待ち受けているのは過酷な王妃教育に、政治の勉強や各国の王家の接待……!
考えるだけでゾッとする。
大体、あんなに私を嫌っている人と結婚なんてめちゃくちゃ嫌だ。仮面夫婦を死ぬまで演じ続けるなんて、それこそ私にとって最悪のバッドエンドだもの。
「シナリオ強制力がないのなら……私が無理矢理にでもどうにかしないと」
このままぼーっとステラの登場を待ち続けていたって時間の無駄だと、ようやく現実を受け止める。昼休みになったら、今後どうするかをじっくり考えることにしよう。
「アミーリア、おはよう」
ひとり脳内会議をしていたところで、エリアス様が教室へとやって来た。あまり学園では関わるな的なことを言っておいて、向こうから挨拶してくるとはめずらしい。
「おはようございます。エリアス様」
軽く挨拶を返せば終わりかと思いきや、エリアス様は未だに私の座席の横に立ち続けている。なにか用でもあるのかしら。だとしたら、さっさと話してほしい。生憎今は、エリアス様に好き好きアピールするうざい女を演じる気分ではない。
「アミーリア。入学してから、君はずいぶんおとなしくなった気がするんだが」
仮面のような笑顔を浮かべていると、そんな私を見てぽつりとエリアス様が呟く。その言葉を聞いて、私はあることに気づいた。
――そういえばこの一週間、エリアス様とまともに会話をしていない、と。
いつもは姿を見かけただけで鬱陶しいほど付きまとい、ぎゃあぎゃあ騒いで迷惑行為を連発していたというのに。
いけない。一週間ずっとステラのことばかり気にして、エリアス様にアタックすることをすっかり忘れてた。
だがそもそも私は、物語が始まってからはステラとエリアス様を邪魔する役割なのだから、ステラがいない今、目立った行動をとる理由もないことに気づく。これまでわざと嫌われるようなことをしたのは、ステラと出会ったときにエリアス様がなんの未練もなくさっさと私と婚約破棄できるようにしたかったから。
「もしかして、俺が言ったことを気にしているのか? その……いつもの感じで接するなと言ったことを」
黙りこくっている私に、エリアス様が気まずそうに言った。
正直まったく気にしていないし、前回言われたことを聞く気もなかったが、結果的にエリアス様におとなしく従ったようになってしまった。
「いえ――じゃなくて、はい。エリアス様のお望み通り、おとなしくしていただけです。それがなにか?」
ただエリアス様のことが頭から抜けていた、なんて言えるはずもなく、ここは適当に話を合わせることにする。
「……そうか。君は俺の言うことが聞けたんだな」
大真面目な顔と声色でそう言われ、おもわず吹き出しそうになった。。そんな珍獣を見るかのような眼差しを向けられても……。
たしかに私がエリアス様の言うことを素直に聞いたことなど、これまでに一度だってないけれど。
「それで、そのことで問題でも?」
「いや、問題はないんだが。さすがにまったく俺たちに会話がないのもおかしいだろう。婚約者同士というのは世間も周知している中であからさまに避け合ってるのもどうかと思ってね。前回あんなことを君に言っておいてなんだが、今日の昼食くらいは一緒にとらないか?」
「えっ……」
エリアス様が私を誘ってくるなんて何事かと思い驚いた。だが、基本的にエリアス様は優しい人だ。そうでなくては、ここまで私のわがままに付き合ってなどいない。たまに厳しいことを言うこともあるが、根本的には優しい。ステラだって、そんな人柄に惹かれたのだから。
きっと今も、世間の目を言い訳に使いつつも、自分のせいで私の様子がおかしくなったのを少しは気にしてくれたのだと思う。だけど――。
「ごめんなさい。今日は先約がありますの」
普段なら喜んで飛びついておいた誘いだったが、タイミングが悪い。
なぜなら、昼休みは今後どうするか作戦を練る時間にあてたいからだ。ステラが戻ってこなくとも私が物語通りの結末を迎えるには、どうすればいいのかを。
それに見せつけたい相手がいないのにエリアス様と一緒にいる意味もないのよね。好感度下げはじゅうぶんできているし。
「……!」
私の返事を聞いた途端、エリアス様の綺麗な瞳が大きく揺れた。
「先約? いったいどんな?」
「え、えーっと、詳しくは言えませんが、大事な用件で……」
「大事な用件……?」
なにをそこまで驚いているのだろう。私にだって、エリアス様との昼食より大事なことはある。ていうかエリアス様からしたら、嫌々誘ったのだから断られてラッキーって思うのが普通では?
「エリアス。ちょっといいか」
未だ目を見開き固まったままのエリアス様を不思議に思っていると、なにやら見知った顔の男がひょこりと現れる。いや、ひょこりなんて可愛い擬音で現すには、少々大きすぎるかもしれない。
「……チェスター」
エリアス様が振り向いて、その男の名を呼んだ。
チェスター・アシュバートン。
宰相の息子であり、剣の腕も立つ現騎士見習い兼エリアス様の護衛も務める。背は187もある長身で、目つきの悪いカタブツである。
〝とき★まじ〟ではステラ、エリアス様、お兄様の次に出番のあったキャラクター。みんなと同じくステラに恋をするも、エリアス様のことを想って身を引いた親友思いの男。
エリアス様とは幼馴染で、私とも昔からよく顔を合わせていた。そして当然――。
「さっさと行くぞ。もうここに用はないだろう」
私のことをよく思っていない。
「ごきげんようチェスター様。もう行ってしまうの?」
「……行くぞエリアス」
私の問いかけをガン無視して、チェスター様は半ば強引にエリアス様を連れて去って行く。
「どうしたんだチェスター。急用か?」
「違う。助けてやっただけだ。お前がまたあの女にしつこく絡まれているのだと察してな」
ゼンブ聞コエテマスワヨコノヤロウ。
ていうか、今日はエリアス様のほうから絡んできたんだから!
チェスター様がアミーリアを特に嫌いだというのはこの世界では常識で、〝とき★まじ〟の最初のほうでもそういった描写があった。
前世で漫画を読んでいる時は『へ~。アミーリアって本当に嫌われ者なのね』くらいにしか思っていなかったが、ここまでアミーリアとして生きてきたからわかる。
幼馴染の婚約者がこんなに無礼で自己中でどうしようもない女だったら、チェスター様も嫌に決まっている。
チェスター様は私と同じくらい、エリアス様と共に時間を過ごしてきた。だから自然と三人でお茶を囲むこともあった。そのたび、チェスター様は私に苛立ちカップを持つ手を震えさせていたのを思い出す。私はそれを見て、断罪を迎える前に彼に斬られるのではないかと内心怯えていた。
……チェスター様もステラに恋をするうちのひとりだけど、ステラがいなければ恋を知らないままただエリアス様のそばで学園生活を終えるだけでしょうね。彼は私の断罪に直接関わることはないし、お兄様のようにほかの恋愛ができるよう協力してあげてもよかったけど――今のところは放置でいいや。本人が望んでなさそうだもの。
すると、視線を感じたのか不意にチェスター様がこちらを振り返った。視線が交わった途端に目つきは鋭くなり、思いっきり睨まれたあとすぐに前を向き直される。
何度睨まれても相変わらず慣れない。チェスター様の睨みは、私の般若笑顔といい勝負なのではなかろうか。
彼が恋をしたらいったいどんな表情でステラと接するのか見てみたかったなと、私はひそかに思った。




