神様がくれたチャンス
「怖すぎっ! やっぱり私には無理っ!」
この物語のヒロインであるステラ・ティアニーは、私の姿を見るなりそう叫んだ。
そしてそのままくるりと背を向けて、物語の舞台となるラスタ王立学園とは逆の方向へ走り去って行く。
「……へ?」
なにが起こったかわからず、私は固まった。
――ちょっと待って。そっちにはなにもないわよ。あなたが入学しないと、この物語は始まらないのだけど。
「ま、待ちなさいヒロイン!」
見えなくなる背中に向かって必死に叫ぶ私、アミーリア・グランドは、魔法と剣術に優れたラスタ王国の公爵令嬢である。――前世の記憶を持っていること以外は、至って普通の。
***
ここが前世、日本で読んだ異世界ラブファンタジー漫画の世界だと気づいたのは、私が五歳の時。
屋敷の厨房から漂うあまりに美味しそうなにおいにつられ、つまみ食いを目的に二階から一階へ猛ダッシュしていた時、階段の途中で足を踏み外しそのまま落下した。
目に映るものすべてがスローモーションに見えて、このまま死ぬのではないかと思ったその時、とある光景がフラッシュバックしたのだ。
騒がしく人の多い駅。電車の発射音。『待ってぇぇぇ』と騒がしく叫ぶどこか懐かしい女の声。そして足を躓かせ、硬いコンクリートが目の前に迫る――そんな光景だった。
ドンッ!
しかし、鈍い音を立て私が頭をぶつけた先はコンクリートではなく、やたらと派手な赤色をした絨毯が敷かれた床だった。
『お嬢様!』
すぐにメイドが駆けつけてくれて、医者を呼び診察を受けた。奇跡的に軽い打撲で済み、どうやら私は死なずに済んだらしい。
だけど、さっき頭の中に浮かんだものがなんだったのか……。
『大丈夫アミー? 階段から落ちたんだって!?』
『え、ええ。でもこの通り、へいきですわ。しんぱいしてくださってありがとう。ゼインお兄様――はっ!?』
そしてこのグランド家次期当主であるひとつ年上のゼインお兄様を見た瞬間、私はすべてを思い出した。
さっき見た光景……あれは私の前世の最後の記憶……!
私、階段から落ちて死んだんだ……!
そして今目の前にいるのは――愛読していた大人気恋愛ファンタジー逆ハーレム漫画〝ときめき★まじっく(通称:とき★まじ)〟の登場人物ゼイン・グランド! ってことは、その妹である私は……。
『悪役のアミーリア!?』
『? 急にどうしたんだアミー! アミー!?』
あまりの衝撃に、その時はそのまま気を失った。
夜中目を覚まし、改めてこんがらがった脳内を整理する。そして私は自分が転生者だと気づいた。そして転生先が、とき★まじの世界で間違いないことにも。
〝ときめき★まじっく〟は、タイトルこそださいが恋愛ファンタジーというジャンルを世に知らしめた大ヒット漫画だ。
孤児院で暮らしていたヒロインが魔力を開花させたことでその価値を見出され、とある子爵家に引き取られる。しかし、元々庶民であるヒロインが気に食わない兄弟たちにいじめられる日々。両親は見て見ぬふりをし、彼女に居場所はなかった。
ヒロインはそんな不遇な環境を変えるため、屋敷から出て学園へ通うことを決意する。そこで自分の武器となる魔力を極めながらいろんな人と出会い、偉大な魔法使いへと成長していく――というような物語だ。
そして私、アミーリアというキャラクターは作中でヒロインをいじめまくり、自己中で我儘でどうしようもない女。いわゆる誰からも好かれない悪役令嬢のポジション。メインヒーローであり我がラスタ王国第二王子、エリアス・ローウェルの婚約者でもある。
物語上でアミーリアは愛するエリアスに婚約破棄されたことで闇落ちし、ヒロインを殺そうとした挙句失敗に終わり、貴族という身分を剥奪され、国外追放に処される運命を辿るのだ。
その時読者の誰もが思ったことだろう。『ざまぁ! だけどぬるすぎる!ヒロインとエリアスを散々苦しめたんだから死刑にするべき!』――と。実際、私もそう思ったひとりだった。でも今回ばかりは、本当に死刑ENDでなくてよかったと胸を撫でおろした。
とは言っても、どちらにしろアミーリアが迎える結末というのは過酷なものである。そんな運命、誰も好き好んで迎えたくなどない。そうなる前に手を打ちたいと思うのが普通だ。……でも、私は違った。
『アミーに転生させてくれるなんて……これはチャンスよ! 神様ありがとう!』
私はアミーリアに転生したことを万歳三唱するレベルで喜んだ。なぜなら〝とき★まじ〟の話には続きがあるからだ。
ヒロインは無事エリアスと結ばれ幸せを手に入れる。ヒロインをめぐる恋のライバルだったほかの男キャラクターたちも皆ふたりを心から祝福し、物語はたしかに一度そこで終わった。
だがあまりに人気だったので、続編が書かれることとなった。いわゆる〝とき★まじシーズン2〟だ。
結ばれたふたりのその後の話がメインと聞き、待ちに待って発売された続編の冒頭で、追放された悪役令嬢アミーリアのその後が少しだけ描かれていた。
彼女がどんな痛い目にあっているのだろうと思っていると、なんとアミーリアは追放後に隣国アスラフでイケメン令息とちゃっかり結ばれて、婚約どころか正式に結婚までしていた。
なんでもイケメン令息がぼろぼろになったアミーリアを哀れに思い屋敷へ招き、そこで仲を深めたという。
そしてその相手の男を見て、前世の私は大きな衝撃を受けることとなった。
『な、なにこの性癖ど真ん中のイケメンは……』
その日から、僅か数コマだけ描かれていた彼の姿を忘れたことはない。まるで一目惚れに近い感覚だった。
ミステリアスな雰囲気。ファンタジー界では珍しい黒髪ですっきりした顔立ちのキャラ。若干眠たそうな目からは色気を感じ……とにかく、アミーリアの結婚相手は私の好みの塊だった。名前もわからないモブであるというのに。
『ああ、アミーリアが羨ましい。あんなに好き放題しておいてこんなイケメンと結ばれて貴族に返り咲くなんて。これじゃあなんの罰にもなってないじゃない! いいやそれよりもやっぱり羨ましい!』
当時の私はアミーリアへの醜い嫉妬でいっぱいになり、その日は続きを読む気になれなかった。
前作であんなに嫌われキャラにして、ラストにやっと制裁を受けたかと思ったら今作で救済するなんて。作者はどれだけ優しいの? それとも、アミーリアがお気に入りなの? いろんな考えがぐるぐると頭の中を駆け巡る。
あのイケメンは、作中でまた出番があるだろうか。あったとしても、アミーリアといちゃいちゃしているだけだったりして……。そうだとしても、あのイケメンの新規絵が見たい。
複雑な感情を抱いたまま眠りにつくも、その夢は叶わなかった。
なぜなら私は続編が発売された次の日に、駅の階段から落ちて死んだからである。そしてどういうわけかアミーリアに転生し、忘れていたはずの前世の記憶まで取り戻してしまった。
こうしてアミーリアに生まれ変わったと知った時、私は決めた。
必ずやシナリオ通り、あのイケメン令息と結婚するのだと。そのために婚約者で王子でもあるエリアス様を筆頭に周囲から嫌われまくって、最後に盛大に破滅を迎える。それが私の幸せに続く道になるのなら、悪役令嬢という責務を完璧に全うしてみせる。
――と、思ったものの、さすがに闇落ちして殺人未遂はしたくない。ついでに言えば、嫌われるのはまだしも積極的にヒロインをいじめるのもできることなら避けたい。「パン買ってきなさいよ!」くらいなら言える気もするが、原作のように階段から突き落としたり三階から頭上めがけて花瓶を落としたり教科書をズタズタに切り刻んだりその他etc.演技でもできない。
『でも、ただ婚約破棄して隣国へ行ったところで、彼と結ばれるとは限らないわよね。だってあのイケメンは、〝国外追放されてぼろぼろのアミーリア〟だったから屋敷へ招いたんだもの』
追放でなく、隣国へ飛び出すだけなら簡単だ。でもそうじゃない。
強気で自信家に見えるアミーリアが地獄を味わい、悲壮感を漂わせ、断罪された背景があったからこそ、令息は彼女に手を差し伸べたのだろう。
だとすればやはり、最終目標は国外追放。最低でも婚約破棄といったところか。
できれば闇落ちせず、ヒロインもいじめずに婚約を破棄されて、破滅ルートを迎えるにはどうすれば――。
『そうだ! ヒロインに協力してもらえばいいんだわ!』
思いついた答えはこれだった。
どうせ原作通りにいけばエリアス様とヒロインは恋に落ちる。私は陰でヒロインの恋を支えさせてもらうが、表ではヒロインに「アミーリア様にいじめられた」と言ってもらえばいい。優しい彼女は嫌がると思うが、私がそれを望んでいると強く説得すれば、優しいからこそ聞いてくれるはず。
そうすればシナリオ通り、エリアス様は愛する人をいじめた私に罰を下してくれるはずだ。殺人未遂まではさすがにできないため、もし下された罰が軽かった場合は自ら「反省を示すためにひとり国外へ渡る」とでも言えばいい。
我ながらいい案だ。そうと決まれば、ヒロインと出会う物語開始の入学式までの間は、やれることをやっておこうと心に決めた。
新連載お読みいただきありがとうございます!
最初から溺愛!ではありませんが、どうぞこの先もお付き合いいただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。