六滴
六、 稼働
十二月二十二日。冬至といえば冬至。
夜へと続く冷たい時雨の街中を、二人で傘を差して歩き続ける。歩いている場所は、イオスのマンションのある錫尼市。俺の住む雨射川市からは遠い。
俺の隣にはミリタリーコートを着たイオス。半透明のビニール傘をさし、前を向いたまま表情もなく歩き続けている。白い吐息は細く、濡れた舗装を踏むブーツの音と同じく規則的に口元からこぼれていた。
「……」
彼女の横を、黒い傘をさして俺は歩いている。時々隣のイオスを気にしつつ、宙に浮かぶタマが雨に濡れていないか、確かめる。“影”だけあって、やっぱり雨滴はタマを濡らしていない。
「そう言えば、見えるんですね」
「何が?」
「あの、これです」
さっき眠る前に見た時より明らかに大きくなって果物のメロンくらいになっているタマの方へ俺は視線を向ける。
「こういう光学形態は普通の人間には見えないでしょうね。でもシルフの眼なら普通に見えるわ」
「そうですか」
「そうよ」
それきり、しばらく会話はない。水溜りを踏まないように気を付けながら、俺は時雨で潤む世界をイオスと歩き続けた。
「ストップ」
永遠に続くかに思えた歩行が突如終わりを迎える。傘を叩くノイズのような雨音が改めて意識にのぼる。
帰宅ラッシュがありそうな時間帯なのに、街の中の人数はまばらだった。メインストリートだから車両は多いけれど、歩行者は少ない。いてもみなマスクをしている。していないのはマスクの代わりにネッグウォーマーで口元を隠している人か、俺たちくらいだった。
誰もが、“インフルエンザ”を警戒している。精霊とかいう不可思議な連中がばらまく不可思議な菌とも知らずに。どうせ春になれば自然に収束するとおぼろげに期待しているんだろう。
「今、近くに魔隷がいるんだけれど、分かる?」
こっちを向いたイオスが小さく言った。
「えっと……」
部屋を出る前にイオスの言った話を思い出す。
肉をむさぼる、いわゆるゾンビ――。
ゲームや漫画に出てくるような、体液をまき散らして唸り声を上げ足を引きずっているような人も動物も、周囲には見当たらない。
「ちょっと、わかんないです」
寂しい雰囲気を漂わせている人しか目に入らない。……それは俺か。
「別にいいわ。普通はわかるはずなんてない。でも徐々にわかるようになるかも」
「え?」
「“精霊の加護”がソーマにはあるんでしょ」
タマのことを言っているのか?
よく分からない。タマがいれば魔隷が分かるようになる?けれど今のところ、タマの反応はない。寒いからか?雨が嫌いか?まあ、いいか。
「フゥゥウウ……」
意味ありげなことを言ってきた当のイオスはここで、長く細い息を吐く。少しだけ、なぜか彼女の金髪がゆらめく。下から吹き上げる風なんて今は吹いていない。けれど髪全体がわずかに持ち上がる。
ビクッ!
「あ」
マスクを着けて歩いていた何人かがビクリとして、瞬間立ち止まる。一、二……五人も。
「私は気配でわかるから普段こんなことしないけれど、こうするとよくわかるでしょ」
「何を、したんですか」
「フェロモンショック」
「?」
「奴らにとっての天敵のにおいを出しただけよ。こんなことをすれば魔隷は逃げ散るからいつもはやらないけれど、ソーマのためにあえてやって見せたの。何事も勉強」
イオスの言った通りマスクの歩行者のうち、五人がさっきまでの歩行者をやめて、“走行者”に変わる。傘を捨て、水溜りの水を跳ねあげて、どこかを目指し走っていく。
「あれ、全部その……魔隷だっていうんですか?」
なりふり構わず走る魔隷に驚きながら、イオスに聞く。
「そう。症状が軽いうちは周囲の人間と見分けがつかない。でも既に菌に侵されて体臭が生者とは変化し始めている。訓練されたシルフはみなそれを嗅ぎとれる」
傘を差したままのイオスの足が動き出す。少し速い。慌ててそれに合わせる。
「末期になれば人通りの多いところにはまず姿を見せない。身体能力は菌のせいで細胞の限界まで引き上げられるから、寿命は短くても、狩猟性の動物のように音も立てず、暗闇を這いずり回るようになる」
「寿命が短いって、すぐに死ぬんですか」
「そうね。でも勘違いしないで。部屋を出る前に少しだけ話したけど、死んでも終わらないのが魔隷。しかるべき処置をしていない魔隷の残骸は大量の菌の苗床になる。それに触れたり、捕食したり、近くに寄った者はたちまち菌の餌食になる。感染力は極めて強いの」
「死ぬのを待っているんじゃだめで、確実に殺さなきゃならない。そういうことですか」
「そういうこと」
蒸気機関車のように白い息をまき散らしながら、俺はイオスの後を追う。
これから何が起きるか。
それはもう既に分かりきっている。そして俺は今から、“それ”に加担することになるんだ。
チャカッ。チッ。
「菌まで殺す」
「ん?」
「殺すと言うよりも」
「……」
「壊す」
「完璧よ」
フフッとイオスは笑い、傘を閉じる。雑居ビルのすき間に吸い込まれるようにして消える。俺も傘を閉じて、イオスの後を追った。
「地下、ですか」
路地裏を突き進むうち、イオスが立ち止まる。彼女の向く方を見ると、建物の地下へと続く急な階段があった。
「魔隷のニオイが微かだけどある。間違いなくこの下にいるわ。この袋小路の中に」
「わざわざそんな所にどうして?」
「まだ人間だからよ」
「?」
「いざとなったらパニックになってどうしていいかわからないってこと、ない?とりあえず隠れた。後先も考えずに。末期の魔隷だったらこんなところに潜るような愚かな選択はしない。逃げ道を用意できれば別だけど」
「……」
「行きましょう。壊すために」
コンバットナイフを取り出し、刃の先端で両側の壁に何か文字みたいなのを掘った後、イオスは階段を静かに降り始める。俺もそれに続いた。
タンタンタンタンタン。
階段を降り切る。一つの扉があって、扉にはこの街が応援するサッカーチームのステッカーが乱雑に張られている。扉の前には飲食店用の黒板が立っていて、白と黄と赤と青のチョークでお勧めの酒と値段が書き分けられている。ただ、床に近い、下の方のチョークの文字がひどくこすれていた。水滴付きで。
「ひとつ言っておくことがあるわ」
扉を開ける前にイオスが言う。
「何ですか?」
「……いいえ。何でもない。話しても意味のないことかもしれないし、意味のあることかもしれない。だからやっぱりいいわ」
「?」
「精霊の加護のあるソーマだから話す必要のないことかもしれないし、私と行動するソーマだから話す必要のあることかもしれない。そういう意味」
「どういうこと、ですか?」
「……食われないようにしなさいってこと。魔隷の胃袋から助けてあげられるほど、私は器用じゃないから」
イオスは手にしていたコンバットナイフを僕に渡す。
「落ち着いてるのね。最初から」
「いえ。すごく、怖いです」
ナイフの刃面に移る自分の目を見ながら、俺は言葉を返した。何となく目が、充血している。あれ、俺って一重だったか?まあ、どっちでもいい。
「ふふ。そうは見えないけど」
一方のイオスは素手のまま、扉を押した。
カランカランッ!
「……」
たぶんここは、スポーツバーだった。
クチャ。クチャ。
ゾンビたちが来る前まではスポーツバーだったと思う。けれどもう、それはバーとかそういう、人の安らぎがある場所とは言えなかった。
「はあ、はあ、はあ……」
呼吸が、うまくできない。
「話が長くなって、“食事”を始めちゃったみたいね」
メインストリートで見た時のように、人込みに紛れ込んでいるのをてっきり想像していた。
クチャクチャクチャ……
隠れているのを見つけ出し、追い詰めて背後から躊躇せず刺し殺せばいいと思っていた。
ムシャリッ! ブチチチィッ! クチャクチャ……
それくらいならたぶん耐えられる。そう考えていた。
「恐怖に支配されると、本能が全面的に押し出される。本能は戦えと言う。そして戦うには力が必要になる。だから急いで、力をつける。それはつまり、目の前の肉を、血を一刻も早く胃の府に収め吸収すること」
「うぷ」
汗で背中がじっとりする。込み上げてきたものをこらえようとしたけれど、目と耳と鼻から飛び込んでくるおぞましい映像と音と臭いが全身を圧倒し、堰が切れる。
「うっうえええぇぇっ!」
溺死しそうになって吐く。瓦礫と血が散乱する床に思いっきりぶちまけてしまった。
クチャクチャクチャクチャッ!!
「食べている最中は、食べることに完全に意識を奪われる。一番効率よく魔隷を借りたければ捕食の時を狙うこと。こればかりはどの魔隷も変わらない。けれどそれはつまり、新たな犠牲者を生むことを意味する。褒められたやり方じゃないわ」
扉を開ける前と変わらない様子で、イオスが瓦礫の中に目を向けたまま言葉を継ぐ。
瓦礫の中――。
赤、すぎる。
バキバキキッ!
さっき慌てて逃げていたビジネスコートを着たサラリーマンが血まみれになって、骨を噛み砕いている。
ジュルジュルル……
中にある骨髄を吸い上げながら、嬉しそうに笑みを浮かべている。
クチャクチャクチャクチャ……
制服を着た女子高生が、四つん這いになって、倒れた人間の引き裂かれた内臓に噛みついている。破れたブレザーも乱れたブラウスも、めくれたスカートも覗けたショーツも、太腿も靴下も靴も、何もかも誰かの血や体液にまみれていた。
「二人。残り三人は別ね」
胸骨を砕いてあばき出した心臓に噛みついた途端、中に残っていた血液が一気に噴き出し、女子高生の上半身をさらに赤く染める。
「あの制服、誰かを思い出すわ」
……。
「ねぇ?」
ブチッ。
イオスのその一言で、吐き気が止まる。歯の震えが止まる。何かが弾けて、それをきっかけにドス黒いものが全身の血管を流れ始める。
水希――!!
「ああいうのを放っておくと、新たな“ヤナギミズキ”を生むことになる。もちろん彼女の場合は特殊だったけど、犠牲者であることに変わりはない。だから」
「壊す」
「そう」
カタカタカタ……
傍らに浮かぶタマが震え出す。怖いのか?
「ぺっ!」
胃液の味がした唾を吐く。
悪いけどタマ、震えている場合じゃない。
「首を刎ねたり粉砕すれば当然動かなくなるけど、それまでが少々大変。で、一応弱点はあって、眼球。眼球を潰されたり奪われたりすると、即死するのが魔隷」
どこが弱点だって構わない。殺す。壊す。
パパパンッッ!!
「!」
いつの間にか手にしていたイオスの銃が火を噴く。連射によって女子高生がひっくり返る。けれどすぐに起き上がる。こっちを向く。……目が、ない。
「魔隷は弱点である眼球の位置を自在に変えられる。当然戦闘となれば弱点は隠す」
「すぅ~、は~……」
おかげで、もう相手が人間だとは思わなくて済みそうだった。
「目を体内に隠し視覚を無くしても魔隷にはさらに鋭い嗅覚と熱知覚がある。赤外線を発しているソーマの居場所は“見えている”も同然。知っておくといい情報よ」
どっちでもいい。壊す。
「ガアアアアアアッ!!!」
女子高生が瓦礫と死骸を蹴散らしてこっちに走ってくる。
「小手試し。彼女は任せるから。私はあっちの男を殺る」
言って、イオスが予備動作なしに急加速する。血まみれの女子高生の懐にとびこむと回し蹴りを見舞い、壁際にぶっ飛ばした。
ドォンッ!
「グエァ!」
「集中しなさい。壁の裏が見えるくらいまで」
言ってイオスはサラリーマンの方へ移動する。
「はい」
カタカタカタカタ……
「すう、ふぅ」
右手にナイフを逆手で握る。
「ゲッ、エェ、アガッ……ガハアアッ!!」
意味を成す単語すら呟けない相手を睨みつける。
壊す。
徹底的に、完全に、壊す。
お前たちは、俺が、許さない。
カタカタカタカタ……
女子高生の格好をしたゾンビが起きあがり、改めてこっちに向かってくる。
「……」
重心を落とす。眼を瞑る。集中する。全身を塗りつぶす。これは何色だろう。分からない。イメージが湧かない。ただの真っ暗。それなら文字通り……黒、か。血管の中の黒が漏れ出して染め尽くしたか。
「アアアアアアアアアアアアッ!!」
叫びが極限まで大きくなる。眼を開く。
ザッ!
「!」
食らいつこうと両手をのばしたまま突進してきた女子高生をギリギリの距離で横に飛び退いて躱す。両手で扉に激突し、体を反転させもう一度加速しようとした魔隷の顎を右手で思い切りぶん殴る。
「っ!」
ナイフを握っているせいで握りが甘い。ナイフを一端捨てる。フラフラしながら口を開いて噛みつこうとする血まみれの後頭部を両手でロックする。
「食ってみろよ」
ゴシャッ!
こっちの前頭部をその顔面にぶちこむ。魔隷の鼻が陥没し、前歯が粉々に折れる。
「せあっ!」
襟をつかみ、背負い投げる。
ドガラガシャンッ!!
「エアアアアッアア!!」
顔面だけじゃなくて首の向きまで歪んだ女子高生はすぐさま起き直る。ニタニタ笑っている。
「ふう……」
顔についた血をぬぐう。額に刺さっていた相手の歯を抜く。
カタカタカタ……
たまたまその時、宙に浮く泥団子に目がいく。
……。
……。
「球面四節機構稼働」
何か、出せ。この室内で振り回せるくらいの、何か、獲物を。
ガチャガチャガチャ!
「!」
足元で聞き慣れた音が上がる。見れば落としたナイフが二回りくらい大きくなっている。まるでナタだった。
ドムンッ!
「うっ」
油断した。女子高生のタックルを食らう。足が浮き、扉と魔隷に挟まれる。
ガブシュッ!
「ぐああっ!」
わき腹に噛みつかれる。砕けた歯の先端で肉がブチブチと引きちぎれる音が聞こえる。
「くそっ!」
押さえつける魔隷の力は半端じゃなかった。こっちが本気で暴れてもビクともしない。そして肉が、千切られる!
ミシミシミシ……バガッ!!
扉が壊れて魔隷と共に店の外にひっくり返る。助かった!
「はあ、はあ、はあ」
急いで魔隷の上に馬乗りになる。無我夢中で殴りつける。けれど途中で吹っ飛ばされる。転げまわりながら店の中に再び俺は戻る。
「ウゥゥゥゥゥ……」
頭の中身を耳から零しながら、ゆっくりと女子高生姿の魔隷が戻ってくる。もう、逃げる選択を捨てたらしかった。
「……」
タマに用意させた大ナタを見る。分厚く幅の広い刃物は店内のオレンジの照明を受けてギラギラと重く不気味に光っている。
倒れている俺からの距離にして、二メートル。そして魔隷の足元に今、ある。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
立ち上がる。重い椅子を持ち上げて、ぶん投げる構えを取る。あのナタで首を刎ねる。何とかしてこの手に入れる。
「ガアアアアッ!!」
急加速をする魔隷。その相手目がけて、本気で椅子をぶん投げる。
ドギャンッ
椅子がぶつかりよろめいた魔隷に、さっき魔隷がやってきたように体当たりをこっちからかます。
「うおおおおおおおおっ!!」
どうにか一気に相手の体を持ち上げて、ナタの傍の地面に叩きつける。急いでナタを拾い上げる。けれど拾った時にはまた蹴り飛ばされてあっという間に馬乗りを許してしまう。
「ァァァァァァァ……」
仰向けに倒れる俺の腹の上で頭を垂れ、俺の顔の肉を食おうとした瞬間。最悪にして、最高の“機”が目の前にあった。
死ね――。
シュパンッ!!
「さすが」
ふと人語が耳に届く。イオスの声だった。
「見込んだ通り。精霊の加護は馬鹿にならないわね」
首の切断面から噴き上がる赤い血の雨の中で、俺はその言葉を聞いた。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
転がる首を見る。魔隷という、ゾンビ一体がこれほど強い。
「俺はその、弱いです」
「そんなことないわ。ただ単に慣れていないだけ。それに、そんなことはたいした問題じゃない」
「え?」
「それだけたくさん魔隷の体液を浴びているにもかかわらず、何の兆しも感じられない」
「……」
「ソーマの体からは、魔隷になる徴候が微塵も出ていない。おそらくそれは、そのドワーフの仕業。そしてその耐性の方が重要。少しでも傷を負ったら使い物にならない戦士なんて、意味がないわ」
言いながら、イオスは何か小瓶のようなものを懐から取り出した。開けると黒い綿のようなものがフワフワといくつも飛び出し、床に落ちて行く。
「ケヌサピエ。……どの世界にも変わり者がいて、嫌われ者の魔隷をつくる菌を好んで食べる蟲がいる。このケヌサピエがそう」
「はあ、はあ、はあ」
「ケヌサピエの体内では菌は活性を保つことができない。適切な処置というのはこの蟲を使うことを指すの」
綿のような黒いフワフワは瓶からどんどん飛び出していき、血まみれの床や死骸の上に着地する。すると血や死骸が赤く光り、黒いフワフワの中に吸い込まれていく。
「はあ、はあ、はあ」
俺の体の上にあった血の一部も、黒いフワフワが来た後、赤い光を上げて消滅した。綿のような黒い何かはその後、フワリとまた宙に舞い始め、全部イオスの握る小瓶の中に戻って行った。ものの数十秒の出来事だった。
「ナイフだけじゃなくて、そのうちこれも渡すわ。一人で処理できるようになって」
フッと微笑み、イオスはケヌサピエとかいう黒いフワフワの戻った瓶の蓋をする。一人で処理っていうのはつまり、一人で首を刎ねて、一人でケヌサピエを出すってことか。
「行きましょう。まだまだ、沢山いるわ」
「……はい」
ナタを拾い上げる。
「そのままで外を歩くつもり?」
ナタを握りしめたまま店を出て行こうとした俺をイオスが止める。
「ああ、そっか」
頭の中がゴチャゴチャで、何が何だか考えられていない。とりあえず、ナタを隠さないと。
店にいた客が所持していたらしい大きめのバックパックを見つけ出し、結局それにナタを入れた。タマもそこに収まった。
「大丈夫?」
イオスがそう言いながら、カウンターの中からとってきたおしぼりとグラスの水を俺に渡す。
「え?ああ、はい」
「泣いているの?」
「え?」
言われて、目から涙が流れていることに気付いた。でもなんで涙が流れているのか分からない。どうしたんだ、俺?
「混乱しているのね。……でもさっきも言ったように慣れるわ。すぐに」
「……」
その後はたいしたことも語らず、水だけ飲んで、俺とイオスは残りの三人を含めた魔隷達を探しに地上に戻った。
三人の魔隷はすぐに見つかった。どれもこれもイオスによって追い詰められ、イオスによって一瞬で蹴りがついた。「協力して」と頼まれた俺はその間、二十四時間営業のドラッグストアーで包帯と軟膏と消毒液を買って自分の傷を手当てしただけだった。
「今日は、いいわ」
「一緒に戦う」と言ってもそうやってイオスには断られた。気を使われると、なんだか自分が情けなくなる。
五人。
合計してそれだけの魔隷を倒した後、しばらく俺たちは夜の闇を歩き続けた。扉を閉ざされた冷凍庫のような寒さの中、雨は未だ止まない。
カタカタカタ。
整然とした表通りを歩き続けてもうじき夜明けという頃、ふとタマが揺れ始める。突然のことで俺は思わず立ち止まった。
「どうしたの?」
表通りの進行方向左側を大きく占有する廃墟の社宅群を見ながら歩いていたイオスが気づいて尋ねてくる。
「いや、ほら、タマが」
見慣れているはずなのに今まで意識したことがなかったせいで不気味に感じられる廃墟から一瞬我に返った俺はイオスの目を見ながら答えた。
「……」
「どうしたタマ」と言おうとした瞬間だった。イオスがタマから視線を外し、キッと闇を睨む。社宅の反対側の上空……星?月?何を見て……
ゴッ!!!
イオスの目が向けられた方角から突如、チカと閃光が上がり、巨大な火球が飛んでくる。
「うわ!?」
火球が自分に直撃すると思った瞬間、体が横に飛ぶ。転がり終わって、イオスが助けてくれたのだと遅ればせながら理解する。
ドボジャンッ!
火球が地面に着弾する。すると火球は粘り気の強いマグマのように弾け、飛び散る。
ジャジャジャジャジャジャッ!!
飛び散ったマグマのような赤い光はそのまま手足を生やし、人の子のような姿になってこっちに走りだす。
やばい!尋常じゃないくらい速い!
パパパパパパパパンッ!!
鼓膜をつんざくような銃声が連続して隣で発生する。マシンガンを握るイオスを見、もう一度、走る赤熱した“子どもたち”を見る。
パパパパパパパパンッ!!
マシンガンの音は続くも、子どもたちの脚は止まらない。踏まれた地面から次々に火が上がる。
「ちっ、効かないか」
マシンガンのかわりに舌打ちが聞こえる。マシンガンがイオスの手から離れて落ちる。
「どうやら出るモノが出たらしいわね」
イオスは言うと、コートの懐に手を入れ、中から短剣を取りだす。球状になった鍔の先の二十センチ程の剣身は錆びついていた。何、考えてんだ。そんなので食い止めるつもりかよ。
「嗅壜よ、安らぎの死香を放て。何人にも爪ほどの望みも与うるなかれ。硝樹より切り出されし汝の曲線は神をも削ぎ落とす」
その一言と共に、剣身は蒼い光を素早く帯びる。光はやがて力強い明滅を始める。
シュンッ!!
イオスが消える。消えた途端“赤い子ども”の一人がドンと音を立てて止まる。直後、車にはねられた小動物のように体がブワリと浮かび、ミキサーにかけられた野菜のように木端微塵になる。
「!」
“赤い子ども”たちが動揺している。それぞれ一斉に軌道を変え始める。単純だった曲線運動と直線運動はなくなり、あちこちに絡み合った糸のようなグチャグチャの紅い軌跡が生じる。……!?
「うおっ!」
“赤い子ども”の一人が明らかにこっちめがけて走ってきていた。無意識のうちに動いた右腕はバックパックの中にあるナタを取りだしていた。
「はあ、はあ、はあ、はあ……っ!」
ガシュウウンッ!!
“赤い子ども”はフェイクも何もなしにそのまま俺に突っ込んできた。手にしたナタはとびかかってきた子どもにどうにかぶつかり、子どもが上下半分に割れて、吹き飛ぶ。
ドザザッ!シュウウウゥゥゥ……
吹き飛んだ子どもはまもなく動かなくなり、赤熱が消えると、ただの石ころのような黒くて硬そうな物体になった。
「ふう、ふう、ふう」
残心!残心の残心!
つまりほかの“赤い子ども”の姿を速攻で探す。はねられて木端微塵にされる多くの子どもの中、こっちに向かっている子どもはまだあと二人いた。そいつらに照準を合わせる。その時ナタの一部が溶けて無くなっていることにハッと気付く。高熱で溶け落ちたのか?
「さっき薙ぎ払った時……」
“赤い子ども”の赤さは予想通り熱さを意味していた。
ゴクッ。
奴らの“赤肉”にこっちの肉が触れれば、絶対ただじゃ済まない。
「……」
ダッ!
無人の廃墟社宅の方へ俺は急いで駆け出す。社宅は幾棟もあって、それらはすべて表通りに平行して立ち並んでいる。枯れた雑草を踏み散らしながら全力で疾走し、一番表通りに近い棟の裏手に回りこむ。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
回り込んですぐの場所にある、背丈の高い雑草の中に身を沈める。座らない。だけど直立しない。社宅の壁を背に、いつでも走り、いつでも斬れる構えを脚と腰と腕でとる。
「ふう……」
ナタを握り直す。集中する。
ボアアアアアッ!!
俺の走ったコースを概ねたどりながら高速で疾走してきた“赤い子ども”は建物の裏手に回った後予測通り、隠れた俺を見つけようとして速度を一気に落とす。
ブオンッ!! ゴシャアッ!!
枯れた背の高い雑草から躍り出て、加速し、狙いを定めて素早く引き斬る。腕と首が跳ね飛び、それらが枯草を発火させる。周囲がたちまちオレンジ色に包まれ、視界が効くようになる。暗闇を探して移動しようとポイントを探し始めたその瞬間、別の“子ども”がすぐい現れる。
「くそ」
ナタを見る。刃がもっとひどくなっている。
「頼む。持ちこたえてくれ」
さらに傷んだナタに祈りを込め、もう一人の“子ども”の突撃に備える。俺の少し後ろには壁。周囲は枯草に引火した炎の壁。どうする?火の海を逃げるか?この場でカウンターをぶちかますか……。
「……」
全身を研ぎ澄ませろ。五感全てで情報を集めろ。集めたらどうするかを命がけで選び出せ!
ボアアアアアアアアアッ!
迫りくる“赤い子ども”と正面衝突する直前、体全体のバネを使い、右横に飛び退く。
ボシャンッ! ゾゾッ!!
転げながら“子ども”の姿を常に視野に収める。壁に衝突してスライムのように形をわずかの間失った“子ども”は瞬く間に形状を取り戻す。こっちが急いで立ち上がる頃には、再び俺に向かって動き出す姿勢を見せた。
ガシュンッ。
首まで刎ねたかった。けれど届かなかった。咄嗟に首を守ろうとした“赤い子ども”の左手を切り飛ばした直後、刃が折れた。首にはいたらなかった。
「くそっ!」
柄を捨て、火傷を覚悟で火の海を俺は走った。
「はあ、はあ、はあ……げほげほっ、はあ、あくぅ!はあ、はあ、はあ……」
肺と足が同じくらい激痛を訴える。呼吸の出来ない苦しみ。靴や衣類ごと皮膚を焼かれる苦しみ。
「げほっ、げほっ、はあ、ふっぐ……はあ、ああ」
時々後ろを振り返る。
ボアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
気持ちの問題かどうか、それとも紛れもない現実か。火の海を駆ける“赤い子ども”は生き生きと、そして大きくなっているように見える。まるで水分を吸収したワカメのように。
ボフウウンッ!!!
「うあああああっ!!」
背中に巨大な熱風がぶつかる。その威力に体はエビぞりになって吹き飛び、近くに設置されていた何かの構造物に腹から激突する。打ち所が悪くて突如脱臼した肩の痛みが、肺と足の痛みに重なる。
ボアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
「ふ、うぅ……く……」
理由がなければこのまま死にたいと思うくらいの痛みと苦しさ。
ボアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
「はあぁ、は、はあ、はぁ……」
でも、理由がある。
俺には、生きる理由がある。生き延びなければならない理由がある。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
不思議と呼吸が楽になって、かろうじて周囲の様子を気に掛ける余裕が生まれる。膨張し、さっき切断したはずの腕が再生している“赤い子ども”がものすごい勢いで迫ってきているのは変わらない。炎の海は一向に鎮火しない。なのに、俺の周りはわずかだけど、ひんやりしている。
ポタリ。
「?」
自分の首筋に何かを感じて、後ろを見る。
ポタポタッ、ポタタ……
ぶつかってひしゃげた構造物から、透明の液体が滴り続けている。
「貯水タンク……」
水を溜めこんでいるらしい容器にどうやら自分はぶつかったらしかった。
「……」
呼吸が楽になり、ひんやり感じた理由を知る。火を餌に大きくなっているらしい“子ども”が、これだけの冷や水を浴びたらどうなるか。
ボアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!
ラグビー選手並みの炎の巨体が迫る。浴びせるしかない。
「来いっ!!!」
水の可能性に賭ける!
ドカアンッ!!
貯水タンクを背にしていた俺はフェイクをギリギリまでいれて、“火の子ども”の体当たりを躱す。紙一重で躱すしかなかった代償に火の粉を存分に浴び、俺の服には無数の穴が開き、皮膚には火傷が生じる。
ブシュウアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
“子ども”のタックルのせいで穴の開いた貯水タンクから大量の水がこぼれ出す。
「!!!!!!!」
それを浴びた“子ども”の体表から激しい水蒸気と湯気が上がる。周囲を埋め尽くす白煙のせいで“子ども”はまもなく、消し炭のような色になってよろよろとタンクの中から出てきた。わずかに火がパチパチと燃えている。
「……」
タックルによって折られた鉄筋の手すりを持って立ち上がる。
脱臼していない方の手に持ち替え、こっちに鈍い音を立ててヨロヨロと歩いてくる“黒くなった子ども”を、俺は思い切りぶん殴る。
ボヴァンッ!!
頭が吹き飛び、体は砂のようにその場に崩れた。
ビチャンッ。
俺はドカッと濡れた地面に尻餅をつく。もう“赤い子ども”はどこにもいなかった。そのかわり、イオスが誰かと戦っていた。それは子どもではなく、大人だった。
ガキンッ!
たぶん、大人。
ガシャンッ!!
社宅の垂直な壁の上をイオスとソレは平気で駆けまわり、棟と棟の間を消えるような速度で飛びまわり、ぶつかる度に烈しい火花を散らしていた。
ソレ――。
頭部を含めた全身が銀色で覆われている。銀色は動くたびに波打ち、電灯の光を乱反射させて鈍く光っている。銀色の体表の、大人。その右手には全長一メートルくらいの、炎に覆われたハンマーが握られている。
ボワアアンッ!!
イオスが何かアクションを起こすたびに棟と棟の間の地面に風がほとばしる。下火になっていたとはいえ火の海だった地面が徐々に輝く橙の光を沈めてゆく。ただ“銀色”がハンマーで何かを殴るとそこがまたオレンジの炎に覆われた。穴の開いた壁や折られた電柱から次々と火が上がり、いつの間にかこっちの地上よりも上の方が明るくなっている。
ザクシュンッ!!
「!」
宙でもみ合っていたイオスの蒼い短剣が相手の右腕を肘から斬り飛ばす。けれど同時に“銀色”の持つ右手の炎のハンマーがイオスの側頭部に直撃した。嫌な音が一撃響いた後、頭に火を灯したイオスだけが落下し、動かなくなる。
ドザッ!
「イオス!!」
歯を食いしばり傷と脱臼の痛みに耐えながらイオスの元に駆ける。急いで上着を脱ぎ、頭の火を振り払う。振り払い終えて、わずかだけど驚く。血は流れている。だけど皮膚の火傷も焦げた髪の痕も全くない。どうして?
「しっかりしてください!大丈夫ですか!!」
イオスの体に触れようとしたとき、手を押し返すような風の膜のようなものがイオスの全身を覆っていることに気付いた。
「平気、よ」
側頭部から流れる血を手でおさえながらイオスは上体を起こす。
ズジャンッ!! ジャッ。ジャッ。ジャッ。ジャッ。
棟の一角の壁に足だけくっつけていた“銀色”が大きな音を立てて地面に着地し、何事もなかったかのように歩いて近づいてくる。
「!」
近づいてくるにつれて、銀色の正体が分かる。……ふざけてる。
「鎖の、かたびら……」
中世ヨーロッパの騎士のような古風な出で立ち。まるでコスプレ。だけど、腕はたった今一本にされたはずなのに、平然としている。……狂ってる。
「離れていなさい」
イオスが介抱しようとした俺を優しく拒み、立ち上がる。
「このくらいの相手なら心配いらない……変わってはいるけど、所詮ただのドワーフよ」
イオスが肩で息をしながら言う。
「ただの、ドワーフ」
ドワーフ?じゃあ、タマと一緒?
「やっとだ」
チェインメイルは俺たちから約五メートルの距離をとって立ち止まり、
「やっとこの時が来た」
言葉を放った。たぶん、男の声だった。
ブシュウウッ!!
黒い重油のような液体がイオスによって落とされた腕の切断面から飛び出す。
ギュシュルギュシュルッ!!
電源コードのような太いゴム紐状の黒い何かが無数に現れる。それらは意思を持っているかのように滞りなく絡まって、人の腕のような形をとる。
ボワッ!
絡まったコードの束の一カ所にチカッと火花が上がり、引火したのか、すぐさま切断された腕から先全体が炎に包まれる。チェインメイルの残りの部分がオレンジと闇色を不気味に反射する。
「ベンジアス……生きてたのね」
確認を求めるようなイオスの声は疲れていた。
「あなたの仕業?」
「何を言ってやがる。全ての元凶はテメェだ」
「はあ」
呆れたような溜息が傍で漏れる。それを見てか、チェインメイルが炎の上がる腕を振り上げ、イオスを指さす。
「お前のせいで何もかも変わった!誰かが奪われ、誰かを奪い、何かを殺し、何かが殺されたのは俺の始めたことじゃない」
「ふぅ。……いい?質問にだけ答えなさい。今回の次元封鎖はあなたがしたの?」
「次元封鎖?さあな」
炎の腕が元の位置に戻る。
「議会に盾突くラヴラとの関係は?」
「そんな奴は知らねぇ、興味もねぇ」
「次元封鎖を行った目的は?」
「へへへ、何の事だかさっぱり分からねぇ。どうでもいい話だ」
「とぼけているの?それともそれが真実なの?」
「真実はいつだって一つだ」
炎の腕がまた持ち上がる。闇を指した腕の先から唸りを上げて何かが向かってくる。ガシッと音を立てて握られたのは、ハンマーだった。
「それもそうね」
「俺の真実は“お前をブチ殺す”。それだけだ。それ以外はどうだっていい。俺が知らない間に誰かが何かをやったかも知れねぇし、誰も何もやっていないかも知れねぇな。へっへっへっへ」
ハンマーに引火する。たぶん、さっきハンマーだ。
「質問にまともに答える気はない?」
「答えたさ。俺はお前を殺すためなら何でもする。何でもな。そう宣告した」
「どうしようもない狂犬ね」
「違う。それはお前だ。お前は手段のために目的を選ばない。俺は目的のために手段を選ばない。殺したくて殺し屋になるお前と一緒にするな。俺は確かにゲスだがお前は正真正銘のカスだ。見くびるな」
「……」
俺はチェインメイルの仕草を見ながら、“今回の一件”を頭の中で必死に整理した。
ダメだった。火傷やら切り傷が思考を邪魔する。論理的に物事を考えるのはとても難しかった。でも……
「逃がさねぇぜ。周囲にドグマティアラを組んだ。もうここから生きて帰さねぇ」
「ドグマ……あの反射炎陣?」
「取るに足らない、とでも言いたそうだな。そうだ。つまらない、取るに足らない、そして絶対に獲物を逃がさない単純な“檻”だ。古き良き昔を思い出したか?クソ野郎」
「そう……ね」
訳が、分からない。俺のボロクソの肉体ではもう、理解できない。
カッチャ。
「あいつのせいで水希が……」
肉体はともかく、俺の感情は、傷ついていなかった。
カチャカチャカチャカチャ……
いや、傷だらけボロクソのまま、心は何一つ変わっていない。
「鋳鉄製溝車……ゴム車輪……座金……八個のボールをバネで押さえる……」
水希。
体中燃え上がるあんな変な奴だ。たぶんお前をひどい目に遭わせたのはアイツだ。
「二重ラック……扇形小歯車……咬み合い確認……」
お前を化け物にしたヤツを、俺は許さない。死んでも。死んだとしても。
カチャンッ。カチャカチャカチャ……
「楔設置……ナットを締める……摩擦の増加……原動軸位置移動……」
チェインメイルの中身は肉じゃなくて、コードか?
「対数曲線てこ応用……目的は、絶炎仕様の黒紐線切断」
相手がコードの束なら、全部引きちぎってやる。
カッチャン。
「以上……………………動力伝導」
脱臼してる。肩を元に戻さないと。
ゴキッ。クイッ。
「事実関係が明らかになるまで、拷問にかけるわ」
そこらにある泥水でもヘドロでも何でもいいから、傷口を塞がないと。
「ああ。好きにしろよ。俺もお前が泣き叫ぼうと、奪い尽くす。相応の報いを受けろ」
関節も泥で守らないと。
「少しは“与えた”と思ったけれど。それと私を恨むのはたぶん筋違い」
心拍停止。
「ほざけっ!!テメェのせいだ。テメェのせいで家族が、人生が、履歴が、全てが狂ったんだ。テメェだけは絶対に許さねぇ。奪い尽くす。」
血液循環停止。
「そう。もういいわ、好きにしなさい。それにしても本当に私を殺すためにわざわざこんな大それたことを?」
脳波停止。
「たった“それ”だけのために、俺の“何もかも”を。俺にとって生きるというのはもう、そういうことでしかねぇ」
ヌペリム循環開始。スピンによる擬似電圧、他素粒子への干渉による擬似血圧、擬似酸素分圧確認。
「私を殺して、それから?」
ヌペリムによる場の構築、完了。
「何もねぇ。殺して、殺して、殺して、殺し尽くす!それだけだと言っただろう。後はどうなろうと知らねぇ。どこかの誰かが泣き叫ぼうと、新たな復讐心が芽生えようと、知らねぇ。どうだっていい」
再び地上から姿を消す二人。忽ち上空で暴発する焔と風の怨舞。
「……」
イオス。
殺すならさっさと殺せ。
イオス。
殺せないならさっさと代われ。
代わる?
そうだ。俺と代われ。
俺がヤル。
どうやって?
どうやって、か。そうだった。それは、考えていなかった。
「……」
もう一度上空を見上げる。ハンマーを振り回すチェインメイルの体を徐々に炎が包んでいく。その炎を巻き上げたり、自分の体を火炎から守ったりするかのように、イオスの周囲を風が躍る。
「火ト言エバ、火ト言エバ、火ト言エバ……」
頭を殴り飛ばしたさっきの“消し炭”を思い出す。
「水カ……」
探すか。水を。
ガキンッ!
「けははははっ!!どうしたぁ!?ずいぶん大人しいじゃねぇか!“焼き”が回ったか~ぁあっ!?」
ドカンッ!!
「届かねぇぜ!お前の風はちっとも届かねぇ!ははっ!涼しいなぁ、こりゃあ」
ビュオオンッ!!
「……」
耳を泥土に当てる。地下七十三メートルから微かに届く、確かな水脈の音。
「対数ラセン羽根回転開始。……水量計異常無シ…………」
ゴキャンッ!
「昔みたいに全てを焼いて見ろよ!俺を焼けっ!それとも何か、俺様にそんなに焼き殺されたいのかよ!あっ!?どうなんだこのカスシルフ!」
ガキンッ!
「逃げてみろよ~焼いてやるぜぇ~。斬ってみろよ~焼いてやるぜぇ~。お前を焼いて、殺して、食ってやる!クソシルフっ!!」
キキンッ!!! ボワアアアンッ!!
死んではいるが配水管が地下にまだたくさんある。水も既に見つけた。人口密集地域は“食材”が多くて助かる。
「ククク……」
ゴスンッ!! ドンッ!! ゴゴンッ! ボワッ! ヒュオボッ!!
これを、これで、鎮火してやろう。
「バネ圧縮完了。円筒内壁回転子ノ遠心力調整完了」
早く。モタモタするな。管を直し、“シャワー”だ。
「ケーシング内回転子歯数比率変換終了。吸込ミ口、吐出シ口展開」
シュパンッ!! ギャンッ!
「弱ぇ、弱ぇ、こんな奴のために俺様の一生は台無しになったのかよ!あ~ふざけんじゃねぇよ!さっさと死にやがれ」
ふざけんじゃねぇよ?それは俺のセリフだ。
ギャギャンッ!!
ゆっくりと上を見上げる。
「ダイタイニシテ、人ノ頭ノ上デサッキカラ……」
絶え間なく明滅する二つの光。どっちがイオスでどっちがチェインメイルだか、正直区別するのが難しい。
まあ、いいか。どっちでも。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「耳障リカツ目障リダ。オ前ラ堕チロ」
高圧崩水開始。水浸しになれ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………シャアアアアッ!!
「「!?」」
廃墟棟の窓という窓を突き破って、一気に水が勢いよく噴出し始める。棟の壁や窓に着地しようとしていたチェインメイルの身体の焔が煙と共に消える。
ドバンッ!ブシュウウウウウウウウウウウウッ!!
「毎分五十ミリノ局地的ナ地獄雨。陸デ溺レタコトハアルカ?」
建物の天井を突き破って水が上空百メートルへ噴き上がり、雨滴となって落下する。
「なんだよコレっ!」
ザクシュンッ!!
「ちっ!……くおのおおおおおっ!」
“火の装甲”を失ったチェインメイルの身体をイオスの魔に輝く短剣が容赦なく抉る。顔面を覆う部分も剥ぎ取られ、いよいよ素顔が露出する。
ザ―――ッ!!
強雨にぬれるその頭は、上半分は人間を連想させた。けれど下半分は違った。動物的ですらなかった。頭を剃った三十代前半の男の下顎を全部取り除いて、黒い電源コードの束に無理やり乗せてくっつけたような奇怪な容貌だった。怨みを放つ言葉とは裏腹に上半分の顔に表情は全くなく、逆に下唇も下の歯もベロも顎もない、髭よりも遥かに太くて無骨なコードに覆われた下半分の方が気味悪く動いて強い意思を表している。
「似テイル?似テイナイ?ヨク似テイルサ。全員タダノ泥ネズミ。愛ヲ失ッタ者ノ姿ダ」
ずぶ濡れでなおも斬り合う二人。俺は視界を可視光線感知から赤外線感知に切り替える。同時に上空の風を読み、廃墟棟の噴水の向きを変え、地面を叩く雨水の水滴で白煙をつくる。奴らの視界を奪う。どっちが勝つか。まあ、風の読める奴かな。ククク……
「大地に別れを!」
シュパンッ!
濡れる短剣が横に大きく動くと同時に、チェインメイルはハンマーを手放し、両手で顔面の、目の部分を覆う。切られて視界を奪われたらしい。
ザシャアアッ!!
こっちが用意した“大雨”で思い切りぬかるんだ棟と棟の間の地面にイオスは足から着地し、チェインメイルは頭から叩きつけられる。
「くそぉ、くそったれが~っ!!」
体をすぐに起こしたものの膝はついたまま、チェインメイルは右腕をブンブン振り回し始める。“右腕”は腕であることをやめ、長く伸び、黒く塗ったタコの足のように動き始める。
ビョビョビョビョビョンッ!!
ぶつかった廃墟の壁は轟音と共に崩れ落ちる。ただのタコ足じゃないらしい。
「……」
当のイオスはずぶ濡れになりながらそれを事もなくかわし続ける。
ふと、このままだとあの男の止めをイオスが刺すかもしれないと思った。
「させない」
足を、俺は足を動かす。
ザ―――……。
シャワーを止める。雨を止める。
「殺すっ!殺してやる!!」
俺の足が動きだした直後、誰かがそう言った。俺か、チェインメイルか。どっちでもいい。とにかく俺はお前を殺してやる。
パァーンッ!!
「!」
雨が止み再びチェインメイルの身体に火が灯り始めた時だった。一発の銃声があがり、チェインメイルの腕先の触手が止まり、チェインメイルが止まった。
「貴様……よりによって、この俺に……」
「魂傷を増幅できる茨神ヌアメシュリの髄を込めた心死弾。あなたに作らせた最後の一発。短い夢のあと、長い眠りが始まる。そうよね?」
イオスの握る銃口から一筋の白い煙があがり、まもなくチェインメイルが倒れる。
「ちく、しょぉ………」
走って現場に駆けつけた時、その額の真ん中に大きな穴を見た。トドメは、イオスが刺した。
ボチャンッ!
チェインメイルが、崩れ落ちる。
「……」
「終わったわ」
「……ハイ」
「仇は討ったわ。これで恋人も報われる」
「……はイ」
「このドワーフは私の古い知り合い。名は……ベンジアス。確か本当の名だったと思う。……大丈夫?」
「……ハい」
「大丈夫じゃなさそうね。とりあえずここを去りましょう」
「……」
ドボシャッ!
「ねえ、ちょっと?ソーマ!」
体が、ものすごく重い。まるで泥をかぶったかのように重い。そりゃそうか、これだけの雨に打たれれば……
疲れた。憑かれた……。
……。
あれ?
ちょっと待った。あれ?
つい今、俺は何をしようとしていたんだっけ?
魔隷を五人倒して、歩き続けて、火の球に出くわして、それで火のついた子どもを何とか倒して……それから、それからどうして、どうしようとして、どうかして……どうなった?ん?イオス?何でこんなにビショ濡れなんだ?あれ?どうしてだっけ?なんか、したんだっけ?
……思い出せない。それより、重い。瞼が重い。頭が重い。何もかも重い。
「少し、眠らせて、ください」
「……分かったわ」
眠れば何か、思い出すかもしれない。こんなところで眠ったら、たぶん風邪をひくかもしれないけれど、しょうがない。眠くて、眠くて、仕方ないから。
「遅れたけれど、礼を言わせて。ソーマ、ありがとう。あなたのお陰で助かったわ」
礼?隷?
助ける?
俺は、助けられた覚えしかない。イオス、一度は殺した相手に、何を言って……。
「貴様ノ道具……思エバ同類カ……ナラバ先ニ……オ前ヲ殺シテヤルベキダッタ……スマネェ……」
誰?何?お前って、俺のこと?ん?こいつ、よく見たらロケットなんてぶら下げていたんだ。中に写真でも入って、いるのか?……こんな悪い奴、でも……大切な人……が……
パパパパパンッ!
「意志をもった道具に未来はない。あなたも、そして私にも」
誰に、何を、言ってる……イオス………
「眠りなさい。これで終わり。目覚めるまでに、何とかして忘れさせてあげる。私を。私に関わる全てを」
イオス……。
「…………た……くす……ぞ」
だからこいつも、何を……言っ………