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Wind Breaker  作者: 雨野 鉱
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夢雫7


白夢四、かわらけのうた


 その僧院には、僧侶以外にもたくさんの獄囚が暮らしていました。

 僧院はドワーフたちの住む世界と、シルフたちの住む世界のはざまにありました。

 ――はざま。

 これはとても重要なことです。おそらく地下資源もいくらかあったでしょうけれど、住む世界の境目にあったことが幸いして、ここは彼らの記憶する限り、二つの世界の緩衝地帯となってきました。

 もっとも、僧ztyyあるというだけで世界の緩衝地帯になることは不可能です。不可能でないとすれば僧院の指導者がよほど賢いか力をもっているかということになりますが、生憎とそういうこともありませんでした。

 中立状態という不可能を可能にしているのは、この僧院が置かれた環境でした。この僧院のまわりには広大な砂漠が広がっていました。

砂漠には、木々がまったくないわけではありませんでしたが、ドワーフたちの拠り所である深い森やシルフ達の自慢する大草原などに比べれば取るに足りないほどわずかなものでした。けれど砂漠は偉大です。運命の女神同様、シルフだろうとドワーフだろうと、生きるもの一切を容赦しません。昼夜の寒暖差はすさまじく、地表面に水はほとんど見当たりません。この僧院を除いて、砂漠の中には命を安らえるところなどどこにもありません。そういうわけで、この地一帯はドワーフもシルフも住んでいませんでした。ですから、そのまま緩衝地帯となれたのです。

 さて、僧院の中はどうでしょう?

 先にも言ったように、僧院には獄囚と、それに僧侶が暮らしていました。種族は、バラバラでした。シルフもいればドワーフもいました。皮肉なことにここは、種族という一点でみれば、この世界で稀に見る一種のコスモポリタンでした。種による差別はありませんでした。獄囚たちの間には、あるいは心の中にそういう気持ちが多少あったかもしれませんが、あまり意味のないことでした。理由は難しいことではありません。ここは僧侶が獄囚を支配するだけの世界だからです。差別の対象は種族ではなく、僧侶か獄囚か、だけでした。ドワーフもシルフも同様に僧侶に支配されました。差別のない世界なんて存在しません。その理はあなたたちと一緒です。

 僧侶たちの仕事は獄囚への給仕と監視であり、獄囚たちの仕事は、死ぬまで砂漠に木を植えることでした。どちらの仕事も楽ではありませんが、かといって過酷というほどでもありませんでした。自由な時間がないだけで、生きることはできるのですから、どの時代の、どの場所よりも恵まれています。世界は常に憎しみと疑いと不安で満ち溢れ、殺し殺されることに忙しいのです。それに比べれば、ここはどこよりも安全で、どこよりも安直に、単純に、能天気に暮らせました。ある者は祈り、食事の支度をし、食べ、砂漠に群れを移動させ、連れ帰り、食事の支度をし、食べ、祈る。またある者は祈り、食べて、砂漠に連れ出され、木を植え、祈り、食べて、寝る。これを生涯繰り返すだけで済むのですから。外のシルフやドワーフたちの中には、この僧院こそ「楽園だ」という者さえいました。

 楽園を支えた根源の力とは、水でした。

 僧院の中には、止むことのない湧水がありました。そうです。この僧院は砂漠の中のオアシスでもあったのです。シルフとドワーフの国々を行き来する行商者たちはここで水と引き換えに食糧やら物資の一部やらを置いていきます。これが僧院の台所を支えていたというわけです。また水は、木を植える際の命の供給源でした。獄囚たちは朝起きて昼まで木を植え、午後は木々に水を撒きます。そうして夜を迎え、祈りをささげて眠るのです。

 こうした営みが功を奏し、僧院の周囲には緑が広がっていました。けれど砂漠はもっとずっと広大で、獄囚たちの仕事も僧侶たちの仕事もまだまだ数十世代先まで終わりそうにありませんでした。

 僧侶たちの仕事にも祈りというものがありました。これは、たぶんとって付けたものでした。食事の給仕と監視だけでは物足りないから、自分たちの肩書きを増やすという目的もあって、おそらく始まったものです。けれどそうやって冗談でもお祈りを捧げているうちに、いつの間にか自分たちで心の底から信じるようになってしまった。それがこの僧侶たちの祈りの正体でした。滑稽な話ですが、祈りそのものは純粋です。彼らの信仰の対象は、滔々とわき上がる水でした。水が枯れない限り、彼らの信仰が枯れることもおそらくないでしょう。

 今ここにまた、新しい獄囚が送られてきました。ですがその獄囚は、他の獄囚とは様子が違っていました。連れてこられた獄囚の様子が違っていたというよりも、獄囚を連れてくる者たちの様子が違っていました。

 かつてないほど厳重な護送に、僧院の責任者である僧主ポアソも緊張しているようでした。事前に連絡は受けていましたが、まさかこれほど大仰な護送だとはちょっと想定していなかったのでしょう。

 護送車からおろされた、これから獄囚になる予定の者の名前は、フレロンと言いました。彼は今まで、シルフのある都市国家の中枢近くにいましたが、留め置く必要なくなったので、この僧院に送られてきたのです。

 「中枢にいた」と言っても、働いていたわけではありません。捕まっていただけで、本来は用済みなので殺されるはずでした。しかし罪はありません。あるとすればその存在そのものでしょうか。

罪はないけれど存在自体が危険ということで抹殺されるはずでした。けれど「それはあまりにもかわいそうだ」ということで、シルフの評議会はフレロンをこのはざまの僧院に送りだしたのです。国には置いておけない。かといってドワーフの手に渡れば色々と困る。それがフレロンという存在でした。

 それもそのはずです。彼はもともと、ドワーフの小王国の王子でした。その王国は砂漠の西の果てから始まる森の国であり、フレロンを僧院に送ったシルフの都市国家は砂漠の東の果てから始まる草の国でした。ドワーフの王国はジラルエといい、シルフの都市国家はディルグニルとかいいました。

 フレロンは、生まれは王国ジラルエです。しかしジラルエから拉致され、シルフの国家ディルグニルへ無理やり連れてこられました。

 王子を拉致され、人質とされたジラルエの民は、ディルグニルの言いなりになるほかありませんでした。無理難題を次々と突きつけられ、ジラルエの民はディルグニルを今まで以上に烈しく憎みました。けれどジラルエの王、つまりフレロンの父は容易に戦争を仕掛けようとはしません。理由はもちろんフレロンが人質に取られていることもありましたが、それ以前に、国家ディルグニルとの戦力差が五分五分だったからです。戦争は賭博とは違います。必ず勝てる戦い以外はすべて無駄です。無駄な戦争ほど国力を疲弊させるものはありません。エイナモイネンという究極兵器の暴走によって疲弊した国土を先代の父とともに二代で立て直してきた王はそれをよくよくわきまえていました。

 けれどこの現国王も、ジラルエの民のイデオロギーには敵いませんでした。民の怒りは沸点を超えていました。結局、いつまでも煮え切らない態度を示す王に見切りをつけ、王国内部で兵士たちがクーデターを起こし、王を殺してしまいました。王を殺した兵士たちはそのままディルグニルに攻め込むことにしました。

 ディルグニルですが、王の息子を人質にとっていたものの、王が殺され、しかもドワーフ達は一致団結して自分たちの国に攻め込もうとしてくるものですから、結局王子フレロンは不要になりました。王子は一旦、獄につながれます。その間に起こったことは、ただの必然です。生きる者たちの抗い切れない性質が生んだ当然の結末でした。

 シルフの国をやっつけようと立ち上がったドワーフの国でしたが、すでに国の体をなしていません。フレロンの父王には血筋という、指導者が指導者である理由をもっていましたが、兵士たちから成りあがっただけの指導者はそうしたものをもっていません。

「では、俺もなれるのではないか」

 そう考える兵士たちが次々と現れました。シルフ相手の戦況が芳しくないと、ドワーフの民や兵士たちはすぐさま指導者の無能を罵り、指導者を殺し、新しい指導者を次々に、あるいは別々に担ぐようになってしまったのです。こんな有様で、統一された一国の軍相手に勝てるはずがありません。

まもなくドワーフの王国ジラルエはシルフの都市国家ディルグニルに併合されました。ジラルエの民は自分たちの首を自分たちで締めたことに気づき激しく後悔しましたが、もう手遅れでした。砂漠の西の果てから始まる森の国は。シルフの統治下に置かれることになりました。

 ところで、王子フレロンです。彼はやはりディルグニルにある牢獄につながれていました。生き物の性分が生んだジラルエの併合悲劇でしたが、元をたどれば確かに彼がこのディルグニルに連れてこられたことが元凶でした。けれど当たり前ですが、本人が望んでここにきたわけではありません。ですからフレロンに罪はありません。

では誰が彼をディルグニルへ連れてきたのでしょう?

 それは、“死神”でした。ドワーフもシルフも、互いの民を罵り合います。悪口を言うのは常なのですが、この“死神”はある種族が、同じ種族の一個体に対してつけたあだ名でした。つまりシルフの民が、あるシルフに向かってつけた陰口でした。“死神”は元々シルフの王族でしたが、わけあってドワーフにつかまり、辛くも生き延びて、その時はシルフの特殊部隊アクリタークで働いていました。ただしその能力があまりに飛躍しすぎ、また馴れ合いを嫌うため、同僚からも、同種族からも好かれてはいませんでした。名は……あなたが知るように、イオスと伝えておきましょう。

 王子フレロンを都市国家ディルグニルに拉致したのはイオスでした。ディルグニルの評議会がイオスの所属する組織アクリタークに依頼し、アクリタークがイオスを派遣しました。任務は首尾よく成功しました。ドワーフの王子は捕らえられ、ドワーフとの戦争の契機が作られ、シルフにとって有利な戦争が始まり、そのままシルフが勝ちました。

 ですが、イオスにとってはちっとも面白くないことでした。それもそのはずです。この一連の戦争計画には――戦争計画に比べればたいしたことではありませんが――ちょっとした裏がありました。それはイオスを始末する計画でした。“死神”は、組織を重んじるシルフ達にとって目障りでした。能力は飛び抜けているが、協調性がない。これは端的に言えば、いつ敵側に寝返るか分からないということです。シルフ達は何よりもこのことを恐れました。そこで今回の戦争計画にイオスを巻き込むことにしたのです。

 シルフの国家ディルグニルには、とある聖遺物がありました。名を、バルショエメグリと言って、これには称号のようなものもくっついていました。通称、水晶牢バルショエメグリ。要するにこれは、“牢屋”でした。閉じ込めることに特化した聖遺物です。では何を閉じ込めるのかと言えば、それは力でした。精霊たちの力、あなたにわかるように言えば魔力を封じ込める聖遺物が、このバルショエメグリです。これが、都市国家ディルグニルには厳重に保管されていました。

 国家ディルグニルの評議会は戦争を有利に進めるために、この聖遺物を利用したのです。こういうと分かりづらいかもしれません。ディルグニルは砂漠を挟んだ隣のドワーフの小国が欲しい。そのためには王子を人質にとりたい。王子を人質にとれるだけの力をもったシルフはアクリタークの中でも限られてくる。アクリタークはディルグニルだけのものではありません。都市国家が皆で共有する組織です。ディルグニルだけに力を割くわけにはいきません。そこでディルグニルはアクリタークの問題児である“死神”に目をつけました。

任務が完了したあかつきに聖遺物である水晶牢バルショエメグリを使い、死神イオスの魔力を封じ、死神を無能にする。ディルグニルにとってもアクリタークにとっても都合がよいではないか――。

この条件をアクリタークに提示したところ、アクリタークが条件を呑んだ。……こういう経緯が戦争の裏には隠されていました。シルフ達にとって――無論イオス以外ですが――共存共栄の論理でした。

様々な思惑と陰謀の上に浮かんだ小舟のような死神は、結局その海に沈んでしまいました。イオスはドワーフの王子フレロンを拉致しディルグニルに連れ帰った後、水晶牢バルショエメグリを体内に埋め込まれ、力を奪われてしまいました。普段のイオスであればこのような失態は演じないはずでしたが、ジラルエの王族親衛隊に追われながら広大な砂漠を人質連れで横断した直後では、仕方のないことでした。魔力を悉く封じられ、イオスもまた、ディルグニルの牢獄に捕らわれていました。

その後、イオスは例の、砂漠の修道院に送られました。都市国家は変なところで寛容でした。

アクリタークで活躍した今までの功績を考えると死罪は忍びない。けれど無罪釈放では何が起こるか分からない。それならいっそ殺したことにして、誰も近寄らない砂漠へ流せ――。

寛容といいましたが、要は、シルフの政府と軍の関係者の誰もがイオスを忘れたがっていました。忘れるには砂にうずめるのが一番というわけです。ジラルエとディルグニルの戦が終わり、王子フレロンが僧院に送り込まれて二年後、イオスもまた僧院に送り込まれました。

イオスは僧院でフレロンと思わぬ形で再会することになりました。けれどイオスにとって、フレロンの存在など僧院の片隅に生えている雑草くらいのものでした。強いて気にかけたことと言えば、フレロンに自分は心底恨まれているだろうということくらいでした。でもそれも、力を奪われ自由を奪われたイオスにとって、どうでもいいことでした。この砂漠こそ自分の死に場所なのだと既に観念していましたから。

フレロンに対するイオスの予想は、当たっていました。フレロンはイオスを激しく恨んでいました。けれど不思議なことはあるものです。一方が他方に向かって激しく怒りを募らせている時、もう片方が全くの無気力であると、怒っている側はある瞬間突然、感情をひっくり返してしまうことがあります。フレロンの場合がそうでした。

僧院に送り込まれた当時、イオスにとっては全てがどうでもいいことでした。聖遺物の前に自らの力は完全に封じられ、脱出する目的も、生きる目的も特別に持ち合わせていつわけではない。では何を生きがいにすればいいのか?自問自答を続けても答えを得られない死神にとって、生きていることはさして意味のないことでした。ですからフレロンに恨まれ、殴られたところで、別に何とも感じませんでした。彼女は現に、殴られている間、一切抵抗しませんでした。

「どうして、抵抗しないんだ?」

「抵抗して何になるの?」

「なに?」

「私の眼中にはあなたなんていない。あなたの拳も、シルフも、ドワーフも、心理も、世界も、何もかも」

 組み伏せるドワーフの王子に対し、組み伏せられたシルフの殺し屋はただ、そう告白しました。やがて王子だったフレロンは周りの囚人からイオスの事情を知ります。砂漠を渡る商人たちは物資以外に様々な情報ももたらすものです。死神もまた今回の戦争の犠牲者だったことを知ったフレロンは、イオスを憎むのを止めてしまいました。

 それどころか、イオスを慕うようになりました。

「どうか、俺の傍にいてくれ」

「なぜ?私がいて、あなたはどうなるというの?」

「どうにでもなる。闇ばかり見ていた俺にとってお前は、そういう光なんだ」

 イオスにとって、初めてのことでした。誰かに“武器”や“恐怖”としてではなく、“心のよりどころ”として必要とされたのは。

「私が……光?」

 砂漠の果て、全てを失って手に入れたのは、“愛に応えたい”という強い思いでした。

 こうしてイオスもまた、少しずつですがフレロンを想うようになりました。

 生き方が違うので、心の中で葛藤する箇所はそれぞれ異なりましたが、とにかく生きる目的を二人は手に入れました。二人は、互いのために生きたいと思うようになりました。

 その思いはやがて、僧院の外へ出るという目的を内包するようになりました。要するに脱獄です。ドワーフであるフレロンはそもそも、そして今のイオスは魔力を持ち合わせていませんでしたが、アクリタークとして様々な任務をこなしてきたイオスは商人や僧侶を巧みに使い、何とか二人で僧院を脱出することに成功しました。

 二人の向かった先は、かつてドワーフの国ジラルエとしてあった、砂漠の西の果てから始まる植民地でした。今はディルグニルの総督府がおかれています。

 ドワーフの民は最初、二人の存在を疑いました。そもそも砂漠から脱獄した者というのが、古今東西まれです。しかもその脱獄したというのが、王族の末裔フレロンだというのです。けれどジラルエの古老たちの中にフレロンの特徴をつぶさに覚えている者がまだ健在で、彼らによって、フレロンが紛れもない本物だということが分かりました。

 さあ、にわかに大騒ぎです。とはいっても、全ては水面下での話です。古老たちの話を聞いたドワーフの民たちは自分らを支配するシルフ達に気づかれぬよう、フレロンが存命であるという情報を流しました。その知らせは、彼らの中に強い電流を流しました。

 また、自分たちの国を再建できる――!

 誰も公では口にしませんでしたが、ドワーフの誰もが思っている悲願でした。彼らは皆、戦には血統が重要であることをその過酷な体験から重々承知していました。今度こそ、正統な者を指導者に担ぎ、王国を復活させると、誰もが考えたのです。

 イオスは、王子フレロンの傍に常にいました。けれど戦力としては、経験を積んだベテランの兵士ほどでしかありませんでした。膨大な量の魔力は水晶牢バルショエメグリを強制移植されたせいで使えません。

 ですが、希望はありました。

 シルフたちが聖遺物をもっているように、ドワーフもまた、聖遺物をもっています。ジラルエとディルグニルはよほど昔から仲が悪かったのでしょう。たがいに持ち合わせる切り札の聖遺物は、皮肉にも互いのもつ聖遺物の力を牽制しあうものでした。

 ドワーフたちの小国ジラルエが守り続けた聖遺物。それは魔法剣でした。

 ――魔法剣コスマリガ。

 これこそ、水晶牢バルショエメグリの呪縛を打ち破る秘宝でした。総督府はドワーフの国ジラルエを植民地化した後、この魔法剣の捜索を行ってきました。けれど戦後統治と資源採掘が優先され、捜索はあくまでおまけでした。ところが僧院からフレロンとイオスの二人が脱獄したという知らせを受けて、ようやく魔法剣コスマリガの捜索に本腰を入れました。同時に統治下にある元ジラルエの領土内は日夜厳戒態勢となりました。

 フレロンの望みは、民の望みでした。即ちジラルエの再興です。イオスの望みは、フレロンの望みを叶えることでした。けれど今の自分ではたかが一兵力にしかなりません。イオスは常に、一騎当千の力をもって敵をねじ伏せてきました。そして今、その力が明らかに必要とされています。植民地国がもつ戦力など、たかが知れています。自分たちを支配する側を打ち倒すには、支配する側を圧倒的に上回る戦力が必要になります。本来の自分であればそれができる。イオスはそう、強く思っていました。

 ですから、イオスは魔法剣コスマリガを手に入れることを強く欲しました。けれどコスマリガを手に入れることはなかなかできません。魔法剣は元ジラルエであった土地のどこかに隠されてはいましたが、それがどこなのかは、誰にも分かりませんでした。ひょっとしたら知っている者もいたかも知れません。しかしその者は戦いで死に、あるいは占領軍であるディルグニルの兵士たちの尋問と拷問で死んでしまっていました。

「何?見つかった!?」

 その魔法剣が見つかったという知らせが、フレロンの所に届きました。見つけたのは、ディルグニルの占領軍でした。

 フレロンは情報を伝えてくれた仲間たちに詳しいことを聞きました。それによると、正確には見つけたのは魔法剣ではなく、魔法剣が奉納されている迷宮とのことでした。魔法剣コスマリガに関する文献は残っていて、それには迷宮に剣は眠るとあります。このことはドワーフの古老たちも、コスマリガを探索しているディルグニル軍の将軍たちもかねてから知っていました。ただしどこにあるかは分かっていませんでした。そしてその迷宮が今見つかったのです。ということは、剣が見つかるのは時間の問題です。

 敵の手に、わが国の魂がまたも渡ってしまうのか――。

 ジラルエの遺民の誰もが絶望しました。魔法剣コスマリガは、今は亡きジラルエの国宝です。それが奪われることは、ジラルエの公用語を使うことを禁止されるのと同じくらい辛い出来事です。言葉という思想だけでなく国宝である聖遺物まで奪われる、その上王子まで奪われればジラルエの遺民は二度と立ち直れなくなってしまうでしょう。

 しかし、運命の女神は皮肉をまだまだ用意しておられました。

 迷宮に入って生きて出てきた兵士は一人もいませんでした。迷宮には呪い、つまり魔力による干渉作用がしかけてあり、それは生きる者の意識に作用しました。

私達は普段何かを「したい」と思って何かを実際に「する」のです。しかし、この迷宮の呪いは「したい」と「する」を逆にしてしまいます。気づけば行動が先にきて意識があとに回ります。簡単に言えば、迷宮に入った者は、迷宮に意識を奪われ、迷宮に操られます。迷宮は生きていました。生きるために血を欲していました。ですから侵入者は獣だろうとシルフだろうとドワーフだろうと関係なく、自殺を強要され、実際に自殺し、その血肉を迷宮に吸われてしまう運命をたどるのでした。

 ――意識ある者に迷宮は抜けられず。

 太古の昔、飛び抜けて賢かったドワーフ達が人形を作り、その人形に造らせたのがこの迷宮だったのでしょう。剣は人形以外には持ち出せないはずでした。

「はあ、はあ、はあ、はあ……」

 たった一人の例外を除いて。

「はあ、はあ、はあ、はあ……」

 水晶牢バルショエメグリによって魔力を封じられているイオスには、この迷宮の罠は効きませんでした。水晶牢はイオスの魔力が外に漏れだすのを拒むのと同時に、迷宮の醸す魔力がイオスの体内に侵入するのも拒みました。まさに皮肉でした。イオスの悲劇の根源が、イオスの希望の光となったのです。

「あった……見つけた……あった、あった!」

 イオスは生きる迷宮の奥底でとうとう、魔法剣コスマリガを見つけました。それは短剣のような形をした、みすぼらしい姿の刃物でした。しかし見かけは当てになりません。これは魔力を封じている水晶牢すら破ることのできる恐ろしい力を秘めた魔法剣です。迷宮を抜け出たイオスは、王子フレロンとドワーフの古老たちの力を借りて、ついに封じられてしまっていた自らの力を取り戻しました。

 ただし……。

 ただし、魔法剣は代償を求めました。心の迷宮に守られていた魔法剣は、呪いの解放の代償に、心から滴る血を欲しました。呪いを解除する力を発揮したければ、愛する者の血肉を欲するのです。

「あの者の呪いを断ち斬りたければ、最低でもあなた様の御腕を。それでやっとかと……」

 古老たちは苦渋の表情で王子を見つめて言いました。

「お考えを改めなさる気はございませぬか?」

無論その前にイオスを捨てるよう王子に進言しましたが、王子は当然の如くその意見をはねつけました。

「ごめんなさい。私のために……」

「何言ってるんだ。お前の為なら俺は両手足捧げたって構わないさ」

王子フレロンはイオスの呪いを解くために、古老たちの言う通りに自らの腕一本を切り落としました。左腕はたちまち魔法剣に吸い取られ、魔法剣はその代価としてイオスの中の水晶牢を破壊しました。

「イオス、どうだ?」

「……力が、風が、あふれてくる」

 死神が、かえってきました。しかも今度は、愛という牙を生やした死神でした。都市国家ディルグニルにしてみれば、たちの悪い相手としかいいようがありませんでした。

「風は復讐の硝煙を巻きながら鋭く鳴く。私を消し去ろうとして土の民と心を巻き込んだ報い……高くつくわよ!」

 死神は、苛烈でした。イオスにとってもはや不要の魔法剣コスマリガを携えた王子フレロンがジラルエの遺民たちと武装蜂起し、総督府を何とか占拠し、砂漠を東へ横断したころには、ディルグニルの都市は壊滅していました。兵士はまだ数多く残っていましたが、兵器という兵器は悉くイオスによって破壊されていました。

 イオスは王子のために見せ場をきちんと用意しておいたのです。兵器は戦場という舞台から退場し、残されたのはドワーフの兵隊とシルフの兵隊という生きた役者ばかりでした。あとは全て血みどろです。殴り合い、蹴り合い、斬り合い、刺し合い、轢き合う血みどろの泥臭い劇です。しかしこの血みどろをくぐりぬけなければ民が王を慕ってついてこないというのは、イオスは修羅場の数々をくぐり抜けて来たので知っていました。王は血みどろになってこそ本物の王になれます。ですからその見せ場をイオスはきちんと用意しておいたのです。

 片腕を失ってはいましたが、王子フレロンには魔法剣コスマリガがありました。そして彼を慕う多くのジラルエの遺民がいました。フレロンにはドワーフの王家の血と王家の秘宝コスマリガと、民に命を捧げる覚悟があります。遺民は彼を信頼し、彼に全てを託す覚悟でした。

 ジラルエの民は、フレロンを中心とする一つの巨大な猛獣となってディルグニルに食いかかっていきました。

 とうとう、シルフの都市国家ディルグニルの首都をフレロン達は制圧しました。評議会の議員たちを全員処刑し、ディルグニルは完全に滅びました。他のシルフの都市から援軍は来ませんでした。誰も彼も、イオスを恐れていたのです。死神と戦ってまでディルグニルを救う利点など、他のシルフの都市国家にはほとんどありませんでしたので、見殺しは当然のことでした。

 ついに、ジラルエの遺民にとって悲願の時が訪れました。ジラルエは再興されたのです。ジラルエの元々の領土にくわえて、いま新たに、ディルグニルの土地も手に入れました。ドワーフの民は沸き立ちました。けれど王子は賢明でした。いえ、もはや王子ではありませんね。彼は王になりました。王フレロンは冷静でした。このままディルグニルを占領し、植民地化すればかつて自分たちが味わったような屈辱をシルフの民に与えることはできます。言葉を奪い、資源を奪い、宝を奪うことは、やろうと思えばできます。ですがそれは必ずしっぺ返しがくる。辛酸をなめた王はそう悟っていました。ですから、フレロンはディルグニルの民を奴隷のように扱うことをしませんでした。ディルグニルの地ではディルグニルの都市としての行政機能があります。その機能をそのまま残し、シルフとドワーフの両方の種族が共存共栄できる国家をつくることを目指しました。

 手始めに、王フレロンはシルフの娘と結婚しました。しかしその娘は残念ながら、イオスではありませんでした。王には多くの優秀な部下がいました。その部下たちがイオスとフレロンが結ばれるのを留めたのです。理由はつまるところ、政治でした。

ディルグニルはシルフたちの都市国家とはいえ、実のところ裏では有力者たちの思惑によって政治が動かされてきました。その有力者たちを束ねているシルフの大物と仲良くしようというのが、このたびの婚礼の目的でした。王フレロンの部下たちは、シルフの大物の娘カナウを花嫁として、イオスのかわりに推しました。イオスには魔力はありましたが、政治力はありません。シルフの大物の娘には魔力はありませんが、政治力があります。婚礼は、ただその一点で定まったのです。

 賢い王は、孤独でした。誰よりも大勢の人に囲まれているのに、大勢の人のために心の叫びを挙げられない指導者フレロンは、独りぼっちでした。

 シルフの娘カナウとの婚礼は、手始めに過ぎませんでした。王の側近の部下たちは、王の地位と権力を盤石なものにしようと、今回の戦争の功労者たちを次々と粛清することを立案しました。王は彼らの意見を選びました。大勢のために、少数を犠牲にする意見を。

 戦争の功労者たちは一度持ち上げられましたが、まもなく王フレロンの側近たちによる細かい粗探しを受け、政治の表舞台から失脚していきました。「失脚」というのはどこかあやふやで曖昧ですね。正確には処刑されました。全てはフレロンのためでした。ジラルエの民はけれど、フレロンを信じていました。フレロンを信じていないのは、生憎とフレロンの側近でした。彼らは病的なほど臆病で神経質になっていました。いつ誰かがフレロンの代わりになろうとするか分からない。だからフレロンを守るためにフレロンより目立ちそうなものは徹底的に消す。国を取り戻すために命をかけて戦った者が、国を守るために処刑される。悲劇が極まると滑稽になる典型的な話でした。

 粛清の対象に、やはりイオスは含まれていました。今回の戦争の最大の功労者です。含まれないはずがありません。他の功労者同様、大勢の民の前で罪状を並べ立てられて公開処刑でしょうか?いいえ。王フレロンは、それだけは許しませんでした。しかしそうかといってフレロンの傍にいることは、もはやイオスには許されません。

 フレロンは、選択しました。イオスを死刑ではなく、国外追放という処分に。

 イオスは、フレロンを愛していました。フレロンのためならなんでもするし、フレロンのために死ぬ覚悟すらありました。

 フレロンも、それを知っていました。ですから国外追放の処分後、イオスが自ら命を捨ててしまうのではないかと非常に恐れていました。それは、フレロンには耐えらえないことです。

 フレロンはそこで、自分を犠牲にすることを思いつきました。自分を愛してもらうのではなく、憎んでもらおう。それでイオスが別の生きる目的を見つけてくれるのなら……。王はそう考え、そう選択しました。

 ディルグニル一国を相手に当初一人で戦い見せ場をつくったイオスは、傷つき、疲れ果てていました。そして戦後の婚礼によって、フレロンと結ばれることは永遠にありません。薄々そうなるだろうと思ってはいましたが、改めて現実を突き付けられたイオスのショックは、言葉にならないものでした。

 そこへ、王フレロンの使者がやってきて、言いました。「国外へ退去せよ」と。

「……」

 フレロンがそう言うのならそうしよう。砂漠のどこかでのたれ死のう。イオスはフレロンの思った通り、自殺を考え始めました。

 ですがそれは実現しませんでした。なぜなら、王の使者はここで、一通の手紙をイオスに渡したからです。

 それはフレロンからの手紙でした。手紙には、イオスの今回の戦争の手柄をほめたたえているものの、自分がどれだけ今の妻を愛しているか、そしてイオスが今までどれだけの非道を犯してきたかについて長々と綴られていました。それは全て、フレロンの側近がイオスを処刑するために見つけてきたネタでした。けれどそのネタを、イオスを殺すためではなく、イオスに自分を恨ませるために、王は使用したのです。王は誰よりも、何よりも孤独でした。

「……」

 フレロンの真意は、イオスには伝わりませんでした。手紙を持つ手は震え、怒りで顔は青ざめました。涙がポロポロとめどなく流れ、呼吸が乱れました。フレロンの仕向けた通り、イオスはフレロンを憎みました。おかげで死ぬことを思い留まりました。

 ですが、それだけでは済みませんでした。イオスは憎しみのあまり、フレロンへ復讐することを思いつきました。やられたらやり返す。運命の女神の正体とはすなわち復讐です。これに勝る因果律などありません。王も民も奴隷も種族も関係ありません。これは一種の濁流で、身分も種も分け隔てなく一切をのみ込み、翻弄するのです。

「あははははははははっ!」

 砂漠を西へ渡るイオスは既に、狂っていました。感情の歯車は休みなく動き、その命に大量のエネルギーを注ぎ込み続けました。フレロンの婚礼を機に屍同然となっていたイオスは悲しいほど元の状態に戻っていました。死神は死神らしさを取り戻していました。復讐の力によって。

 愛ではなく狂気によって力を増した死神は砂漠の西の果て、ジラルエの元々の領内に戻りました。イオスはそこで、フレロンに関することを徹底的に調べました。砂漠を駆け抜ける間に、どうやってフレロンを破滅させるかイオスは既に考えていました。砂漠の砂を舞いあがらせながら、イオスはフレロンを破壊する手段を幾通りも考えました。その中でもっとも残酷な手段を選び、それを実行するためにイオスはフレロンの身辺調査を行いました。

 ジラルエの民は、イオスに親切でした。それもそのはずです。このジラルエの土地で、イオスは――シルフではありましたが――英雄でした。中にはフレロン以上に彼女を崇拝する者もいたほどです。ですから国外追放処分にもかかわらずイオスがフレロンについて調べるのに、差し支えはほとんどありませんでした。ジラルエの民はこっそりイオスをかくまい、こっそりフレロンについて何もかも知っていることをイオスに伝えました。

「実のところ、フレロンには元々許嫁がおったのです」

 イオスが仕入れた情報の中に、フレロンの許嫁の話がありました。

彼には、彼の親である先王の決めたドワーフの婚約者がそもそもいたのです。名前はヤバルといいました。ヤバルは確かに親同士の決めたフレロンの許嫁でしたが、心の底ではフレロンを慕っていました。それもそのはずです。子ども時代をずっとフレロンと一緒に過ごしてきた仲ですから。

 イオスはヤバルに目を付け、ヤバルに誘惑の魔法を教えました。

誘惑の魔法とは、誘惑したい相手の心の隙間を見つけ出し、そこに漬け込み、内に秘めている感情を増幅するための魔法です。すなわち相手の記憶や感情を支配し壊す力を秘めた凶悪な魔法です。一方で、相手を精神的により強くすることもできる素晴らしい魔法でもあります。要は用い方一つで相手を殺しも生かしもする、魔法らしい魔法でした。

ただ難点がありました。この魔法はひどく時間と手間がかかるのです。ですから、あまりイオス好みの魔法ではありませんでした。しかし今回は特別にこの魔法を使用することをイオスは選択しました。

 イオスの狙いは、王フレロンの破滅です。ですがそれはフレロンを物理的に破壊すること、つまりフレロンをイオスが殺害することではありません。フレロンの破滅、つまりイオスにとって復讐とは、自分と同じくフレロンを絶望させることにありました。イオスはこのたび愛によって希望を得、そして絶望しました。ですから相手も同じく、愛によって絶望させたい。これが、イオスの描いた筋書きの骨子でした。生き物らしくて、大層哀しい話でした。

 まずイオスはヤバルを洗脳します。つまり誘惑の魔法を彼女に使用しました。ヤバルは物静かで淑やかなドワーフの娘です。ですが心の奥底には、“女”を秘めていました。ヤバルの中には「自分こそフレロンの妻にふさわしい」という自負の思いがありました。けれどそれは普段心の最も深い部分に隠されていました。何もなければそのまま胸の奥深くに秘めて土に還るはずの彼女でしたが、イオスによってその感情が極端なまでに増幅され、気づけば嫉妬の鬼と化していました。

「心配いらないわ。あなたをフレロンと一つにしてあげる」

 イオスは誘惑の魔法を丁寧にヤバルに教えました。ヤバルはイオスに教えられたこの魔法で、日々職務に忙殺されているフレロンの心に侵入することに成功しました。

 経緯はこうです。

 イオスに魔法を教えられたヤバルは、イオスによってフレロンの元へ送られます。フレロンは日々の業務の一環として、都市を一日一度衛兵たちとともに巡行しています。その巡行の際にフレロンにヤバルを見つけてもらうよう、イオスは細工をしかけました。

「お前は……ヤバル!ヤバルじゃないか!?」

「フレロン様。お久しぶりです」

 はたしてフレロンはヤバルを見つけました。さっそくヤバルを自分が執務を行う城へと連れ帰りました。積もる話をしているうちにフレロンは、かつて自分がヤバルに思いを寄せ、けれど運命に翻弄され結ばれることなく今日に至ってしまった自分の人生を思い返しました。これは、半分は自然のことで、半分はヤバルの誘惑の魔法によるものでした。

「私の元で働かないか」

 同郷の、同種の、しかもかつての許嫁に対して色々と思うところのあった王はヤバルを自分の近くに置いておくことをヤバルに提案しました。ヤバルはもちろん承知します。これも全て予定のうちです。

 そのうち王フレロンは頻繁にヤバルと忍び会うようになりました。フレロンは、ヤバルにだけは何事も隠しませんでした。ヤバルも、フレロンの秘密は何一つ口外しませんでした。当たり前です。ヤバルはフレロンのスパイではありません。あくまでフレロンと結ばれたくてきたのですから。無論イオスの繰り糸つきで。

 さて。

 ヤバルとフレロンが“ただならぬ仲”になるのに時間はかかりませんでした。元から気持ちのつながった仲です。しかも誘惑の魔法もあります。フレロンは自分の孤独を癒やす相手としてヤバルを選びました。しかしフレロンには妻カナウが既にいます。つまりフレロンとヤバルの仲は王妃カナウに対する裏切りです。ですが、そんなことはフレロンにとってもはやどうでもよいことでした。本当はどうでもよくないし、どうでもよくないことは重々承知していましたが、もう自分の感情に歯止めが効かなくなっていました。イオスの“毒”が体内に充満してきたということです。

 王妃に、王フレロンの不倫が発覚しました。王妃カナウは純真なシルフでした。穢れを激しく嫌いました。ですので、フレロンの所業を激しくなじりました。けれどそれだけでは気が済まず、王フレロンを斬りつけました。

 フレロンのケガは、たいしたことはありませんでした。けれど王への殺傷行為は重罪です。結局王妃は獄につながれます。そして誰かが獄に持ち込んだ刃物をつかって自殺をしてしまいました。もちろんその誰かとは“死神”なのですが……。

 王は、自らが生んだ醜聞と終わることのない業務によって、さらに追い込まれていきました。そしてそれを癒やすためにさらにヤバルにのめり込んでいきます。気づけばヤバルは絶えず王フレロンの隣にいました。

 しかし、そのヤバルは王妃の側近によってある日毒殺されてしまいます。毒を手配したのも側近を操ったのも無論死神です。最初から計画されたことでした。

「う、ううう……」

 王妃が死んだときも泣かなかった王フレロンは、ヤバルの死を激しく嘆きました。身も世もないほど哭きました。それが彼の評判をさらに落とします。民の心も次第に離れていきました。

「……ふふっ、ふふふふふ……」

 死神の願いどおり、王は壊れてしまいました。ですが、壊れ方だけは、死神の予想をはるかに上回っていました。王フレロンは全てが嫌になってしまいました。嫌になったので全てを捨てることにしました。けれど彼にはしがらみがいっぱいあって、捨てて逃げ去ることは難しそうでした。ですから、彼は全てを破壊することにしました。

 魔法剣コスマリガを使って。

「生きとし生ける者ども。滅魔の重みを知れ。これがコスマリガだ!!」

 やはり、ディルグニルはシルフの国でした。シルフの国には魔法に長けた者が少なからずいます。その者たちの中には魔法剣コスマリガの使い方を心得ている輩がいました。その輩を脅してコスマリガの力を極限まで引き出す方法を知った王フレロンは魔法剣によって国をメチャクチャに破壊しはじめました。それはジラルエやディルグニルの民にとってまさに「この世の終わり」でした。

 イオスは、黙って見ているつもりでした。別にドワーフの国もシルフの民も彼女にとってはもうどうでもいい存在でした。

「……」

けれど魔法剣コスマリガを体内に取り込んで怪物のようになってしまった王フレロンを見ているうちに、様々なことが脳裏を駆け巡り、とうとうたまらなく悲しくなって、ついにはフレロンに止めを刺す決意を固めました。不思議ですね。生き物というのは。

「くたばレ。どいツもこイツもクタバレ。ミナくイコロシてやルッ!」

その者の力は、強大でした。

 もはやドワーフでも王でもなく、ただの魔獣でした。

「フレロンッ!」

その魔獣を相手に、死神が涙と血を流しながら攻撃を連ねます。

「フレロンッ!!」

ですが魔獣は手強く、それがもたらす被害は拡大の一途をたどりました。

「フレロンッ!!!」

多くの命が魔獣に食われ、殺され、散って逝きました。

「はあ、はあ、はあ、はあ……」

 終焉の時が訪れました。それは砂漠で訪れました。魔獣フレロンは砂の上でとうとう息絶えました。しかし同時に、不思議なことが起こりました。フレロンの流した血を吸った砂が形をとり、動き出したのです。

 砂は形をとっただけでなく、生き物を手当たり次第襲い出しました。誰にとっても最悪の出来事でした。フレロンの死後、今まで見たことのない、砂でできた“何か”が突如として発生し、それが誰彼かまわず襲い掛かり、フレロン同様に食い、殺してくるのです。しかもフレロンとは違い、それはいつのまにか数を増やしていきました。

 イオスは、まだ砂漠にいました。砂漠から出ようにも、砂でできた“何か”が延々と襲ってくるのです。

 イオスは必死に戦いました。戦いながら、これは誰のせいでこうなったのかと必死に考えました。

自分?

ヤバル?

フレロン?

ジラルエの民?

ディルグニルの民?

 どれもそれらしく、どれも違っている気がしました。

 “何か”と戦い続けているうちに、イオスは砂漠の僧院にたどりつきました。“何か”は僧院の中には入っていきません。それどころか僧院を避けているようでした。不思議に思ったイオスは僧院の中に入ります。僧院の中には武器を持った僧侶たちがブルブル震えていました。彼らに“何か”について尋ねても、答えらしい答えは一つも返ってきませんでした。

「カワラケといいます。……もっとも、名付けたのは私ですが」

 しかしただ一人だけ、答えを返してきた者がいました。それは僧院の僧主ポアソでした。

「魔法剣コスマリガの余波で誕生したのです」

 ポアソはニコリと微笑みながら泥まみれ汗まみれ血まみれのイオスに言いました。

「土器。カワラケ。……中身はドワーフの古文書に記されている古代兵鬼です。造るのにはかなりコツがいるのですよ」

 ポアソはゆっくり、静かに微笑みました。

「お前は、何?」

 肩で息をしながらイオスは尋ねます。

「かつてこの手で造ろうと試みたことがあるのですが、失敗しました。その結果この魔法砂漠が残ったのです。私では力不足でした。そこであなたを使うことにしました。水晶牢バルショエメグリはディルグニルに、魔法剣コスマリガはジラルエに送って、時が満ちるのを待ちました」

「答えろ!お前は誰だ!?」

「私ですか?ただの、人間です」

「?ニンゲン?」

 イオスは、その言葉を聞いたことがありました。けれどまさか、この世界で聞くとは夢にも思っていない言葉でした。

 ニンゲン――。

 それはドワーフの戦争の手本でした。あるドワーフの科学者の、ある可哀相なドワーフの娘の、あるシルフの元王族の娘の、戦闘の手本でした。

 にんげん――。

 それは多くのシルフたちの、研究対象の一つでした。

 人間――。

 それはあくまで、この世界とは別にある並行世界に生きる、一つの動物であり、一つの物語に過ぎませんでした。

 “それ”が今、イオスの目の前にいると、ポアソが言ったのでした。

「はい。私はこの地上とは異なる地に生きる者です。ドワーフやシルフが私の生まれた世界と“ここ”とを往き来できるように、一部の人間もまた“ここ”と私の生まれた世界とを往き来できるのです。本当に限られた者だけですが」

「そんな………」

「異世界に干渉しているのは自分たちだけ、とでも思っていましたか?」

 砂漠一帯と、砂漠の周りで起きた全ては、この僧主ポアソの仕組んだことでした。

そしてこのポアソには、異世界での名前が当然ありました。

 溝呂鬼――。

ミゾロギ――。

 奇しくも、あなたと同じ世界の、あなたと同じ島に生まれた、あなたと同じ種族でした。

 彼はイオス以上に誘惑の魔法の達人でした。彼は気の遠くなるような長い歳月をかけて、ジラルエの民もディルグニルの民も洗脳していました。この洗脳によって、ポアソの持ち物だった魔法剣コスマリガはドワーフの国ジラルエの国宝とされ、同じくポアソの水晶牢バルショエメグリはシルフの都市国家ディルグニルの国宝とされました。この洗脳によって、ディルグニルはフレロンを拉致しようとし、拉致するためにイオスの派遣を要請しました。この洗脳によって王子は僧院でイオスに近づき、イオスを愛し、イオスと共に脱獄しました。

「魔法で操れなかったのは、あなただけです。でもあなたは誰よりも操りやすかった。心に目を背けるあなたは母を求めてさまよい続ける幼子のようでしたから」

 まっすぐイオスの方を見ながら、突き刺すようにポアソは言いました。

「何が、目的なの……」

 崩れそうになる膝に耐えながら、イオスは異世界の住人に聞きました。

「カワラケは世界の様相を変えます。それを実現したかった。まとまりを欠く欲望の集合体であるあなた方の世界史を、より洗練された状態にしたい。それだけのことです。それだけのために私はこれまでを生き、行動し、そしてまもなく死ぬのです」

 誰も彼も操っていた異世界の魔法使いの望みは、異世界で新たな歴史をつくることでした。その思いだけがこの魔法使いを突き動かしていたというのです。

「……」

「結局のところ、世界は利用するか利用されるかです。私はあなたを利用しましたが、その私も世界史を進めるという行動原理に利用されて行動したのに過ぎません。利用される者がいて利用する者がいる。これが宇宙の理であり、全てです。何人も、何者もこの括りの外になど出ることなどできません。落ち込むことも絶望する必要もない。ただ起きるべきことがここでも起きた、それだけのことです」

「うるさい……」

「認めなさい」

「うるさい!」

「定めと知れ」

「だまれ!!」

 イオスは、ポアソを殺しました。原型をとどめないくらいに滅多糞に殺しました。そして泣きました。かつてフレロンがヤバルを失った時以上に烈しく。

「うあああ………ああ……ぁぁ……」

 ……。

世の中は利用するか、利用されるか。

それだけしかないのなら、こんな世の中で生きる必要なんてあるだろうか。

どちらも嫌というほど味わい尽くしたイオスはそう思いました。

強い者が利用し、弱い者が利用される。

自分に心があるとすれば、心はどちらの側に立ちたいと望むか。

ポアソを殺した後のイオスの中には、答えは、もうどちらの側にもありませんでした。

でも死にたいとは思いませんでした。そんなのは、逃げでしかなく、深く考えずに殺しまくる今までの自分のやり方と変わらないと思いましたから。

「もう、やめにしよう」

自分のためだけに殺すこと、強い者として弱い者を利用することに、イオスは嫌気がさしました。

「もう、やめにしよう」

 利用されたことを恨み、報復をたくらむことにも、嫌気がさしました。

「できるならば」

 望んだのはただ、ただの一つだけでした。

「最後まで守りたい」

 心は、弱き者たちの悲しみや苦しみを捉えていました。彼ら利用されるしかない者たちを守るために命を使い果たしたい。利用される側を守る者は、利用される側でも利用する側でもありません。

 何も難しい話ではありませんでした。

 世の中は利用するか、されるか。そんなもの知るか。自分は利用される側を守るために生きる。何があっても彼らを犠牲にしない。もう十分犠牲にしてきたから。残りの命は彼らを守るために投げ捨てる。そういう話でした。

 初めてイオスは、自分の立ち位置を自覚しました。自分に初めて、心があることを自覚しました。利用するかされるかという濁流の中にようやく、あがきつつもその濁流に挑もうとする自分を見つけました。

「何があっても、何があっても……」

 ドオオオォォォ――ンッ!!

 ポアソを殺した直後、院内に外のカワラケがなだれ込みました。多くの僧侶や囚人が刃向いましたが殺されました。

 死神は、いえ、イオスは僧侶や囚人を守るために必死に戦いました。


 その後、ポアソの夢も叶いました。彼のもくろみによって誕生した兵鬼カワラケは自己増殖を繰り返し、シルフの地にもドワーフの地にも徐々に生息域を広げていきました。カワラケは動く物を分け隔てなく襲いました。これは言ってみれば、シルフとドワーフにとって、“共通の敵”の出現です。生き物は共通の敵を前にして連帯感を必要とし始め、結束を固めるものです。まだまだ王国の集団にすぎなかったドワーフ達は防衛意識の高まりから急速にまとまりを見せ、シルフ達同様一つの国家となりました。またシルフとドワーフの間も急接近し、紛争が全く起きないということはないですが、二国間の戦争は目立って減りました。

 歴史をつくりたいというポアソの、溝呂鬼の、異世界人の夢はこうして、カワラケという扱いに困る魔物の誕生によって叶ったのです。


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