九滴
九、 罪と罰
ドクンッ!
「う……あっ!?」
全身を揺さぶるような鼓動の音で目を覚ます。
「はっ……はあ……はあ、はあ」
噛みつくような夜風が意識を殴る。空の星は瞼が開いたり閉じたりするように明滅している。
時計を見る。……十二月三十日午前0時十二分。
「……」
記憶をたどる。エレベーターの中で、俺は誰かと過ごした。
「……ボーデ」
その前は?エレベーターの中で、誰かと過ごした。
「……」
姉さん。
ウ――ッ!!カンカンッ!
「!」
寒空に響く消防車のけたたましいサイレンの音。全身に走る痛みに耐えながら、体をどうにか起こす。
「ここを出ないと……」
破壊の限りを尽くした美術館。その現場に残っていたら面倒なのは明らかだ。俺はとにもかくにも美術館の敷地から去った。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
日付が変わったばかりの街は静寂に包まれていた。無理もない、いつ終わるともしれない“テロ”の脅威で、外出者はほとんどいない。この街も例外じゃないだろう。
ギュルルル……
「腹、減った」
痛みもひどかったけれど、それよりもひどい空腹だった。
「……」
落ち着いて考える場所、空腹を満たす場所を求め、俺は夜の街をさまよった。どれくらい歩いたか、どれくらい歩けたかはっきりしないけれど、ようやく二十四時間営業のファストフード店を発見する。
「ご注文はいかがいたしましょう?」
「Lサイズのオレンジジュース二つとハンバーガーを五個、チーズバーガーを五個ください」
安そうなメニューを数多く注文する。バックパックの底の方には、魔隷を殺して奪った現金がクシャクシャになって入っている。それを適当に取り出し、支払いを済ませる。トレーを持ってガラスで仕切られたテーブル席に移動する。
クシャクシャ……モグモグ……
「……」
包装紙から取り出したハンバーガーを口に運びながら、俺はボーデという名のドワーフと過ごしたエレベーターの出来事を思い出した。
――君はこの悲劇の主役だ。
地獄ではなく、心の深層の修理に向かったらしいボーデは最後、確かそう言った。
――最後は結局、君に行き着く。
モグモグ……。
俺に、行き着く?
水希が殺されたのも、ラヴラやイオスが次元を超えることができなくなったのも、俺のせい?
「違う……そういう意味じゃなくて……」
俺に何か用のある奴が、事件を起こしている?
……。
……。
「くそ」
眠くなってきた俺は、トレーをテーブルの端にのけて、突っ伏す。頭にじわじわと血と温みがのぼり始める。
恨まれるようなことを、俺はしたか?
したか?……したといえばいっぱいした、気がする。
いや、こんな大それた事件を起こされるほど恨まれるようなことなんて、していない。
恨みか……許せないほどの恨み。
そういえば、水希と付き合いだしてからすぐ、あのチンピラに恨みを買った。
あんな奴らがこんな事件を?それは無理だ。無理すぎる。
水希を好きな精霊がいて、その精霊が仕組んだ?……ははっ、まるでおとぎ話だ。
水希、人気あるからなぁ……人間だけじゃなくて精霊まで虜にしちゃったか……。
……………………………………………………………………………………………………。
……………………………………………………………………………………………………。
……………………………………………………………………………………………………。
「!」
はっと目が覚める。目が覚めて、寝ていたことに気付く。
「……」
時計は午前六時四十二分を示している。
「朝、かよ」
テーブルにはよだれの水溜りができていた。頭を乗せていた両手の薬指と人差し指がひどくしびれる。けれど、久しぶりに気持ちがいい。
「……」
本当に、気持ちがよかった。
「やれやれ」
首を回し、腕を回し、肩を回す。どのパーツもゴキゴキと音がする。
夢の内容を覚えているということは、疲れが取れていないとか。でも、確かに疲れはとれた感じがする。
そして、夢の内容も覚えていた。
「ミズキ」
水希を守るためにチンピラと喧嘩している夢。そのうちにチンピラは昆虫に変わり、俺は刀を武器に昆虫を倒そうとする。けれど俺の腕や足がちぎれ、腸が飛び出てしまうと、昆虫たちは飽きて、水希に手を出す。人間に戻り、水希をさんざん凌辱したあと、水希をどこかへ連れ去っていく夢。思い返してみれば反吐が出るくらい最低の夢だった。
「行くか」
水希。彼女の周辺に、なんとなくヒントがある気がする。アイツの家に、行ってみたい。
思えば一度も行ったことがなかった。聞いても教えてくれなかった。教えたくなさそうな雰囲気は、今思えば確かにあった。
「……」
立ち上がる。身体の痛みは全然なくなっていない。だけど、空腹は消え、頭もすっきりしている。
「あいつのバイト先で聞くか……」
ファストフード店を出て朝のすがすがしい空気を胸いっぱい吸い込んだ後、俺は水希の家を探すことにした。
駈都山駅。
学校の最寄り駅である東駈都山駅から四つ先のその駅前に、かつて水希がアルバイト店員として働いていた居酒屋がある。チェーン店じゃない。だから午後九時過ぎまでこっそり働けたらしい。水希の話だ。
「ねえ、ノモリガミ君さぁ、ぶっちゃけミっちゃんとどういう仲やったん?」
居酒屋の従業員の中に、同級生の女子が混じっていた。ネームプレートには月見里と書いてある。ルビはヤマナシとふってある。月見里と書いてヤマナシ……そんな読み方ができるのか。
「付き合ってた」
夢の中でチンピラと対峙した時と同じく、真剣な目で俺は答えた。
「そうやったん。なんかな、みぃんなノモリガミ君がしつこくストーカーやっとるとか言ってたからな、うちも実際どんなもんかなぁ思って……」
たぶん同級生の多くが思っていることを、月見里が言う。
「好きとか、最初はそういう気持ち、よくわからなかった。向こうから声をかけてくれて。……けれど、付き合って、一緒に時間を過ごしているうちに、本気で好きになった。アイツと一緒にいられるなら、他に何もいらない。それくらい好きだった」
昆虫になったチンピラに肉を食われつつ思ったことを、言葉にした。
「……」
「お前、顔赤いぞ」
「えっ、ほんま?どうしてやろ。あはは……えっと、付き合ってたのにミッちゃんの家とか知らへんの?」
「教えてくれなかった」
「うん。実はな、ウチもミッちゃんの家は知らん。っていうかミッちゃん、絶対に家のことは話さんから」
「どうして?」
「ん?知らんよ。どうしてやろね。でもな、とにかくアニキとかオカンオトンとかそういうのも話さへんね。聞いても適当に流されちゃうね。そこんとこはウチと同じとちゃうの?」
額の広い月見里は思い出しながら額と目の間の眉をひそめる。水希は俺にだけ教えなかったんじゃなかったのか。
「ああでも、スタッフの住所録とかあるよ。ちょっと待っとって。今ウチの店長、仕入れとか抜かしてパチンコ行ってて留守だから写メッてくるよ」
「できるのか?」
「できなくはない、そういうもんやね。もちろん誰にも言わへんといてよ?コジンジョーホーとか言うて今超ウッサイから」
月見里がウィンクする。俺も水希も照れくさくて一度もしたことのない仕草だった。
「ありがとう」
「へえ、ノモリガミ君、笑う時あるんだ。ちょっと意外や。学校じゃ絶対笑わんでしょ。……なんかミッちゃんの気持ちちょっと分かるかも。なぁ~んて」
月見里が頬を赤らめて朗らかに笑う。
「え?」
「なんでもない!本気にしたらあかんで。ちょっと待っててや」
月見里に水希の住所を調べてもらった俺は、さっそく水希の家へと向かった。
西駈都山駅。
駈都山駅からさらに六つ先の駅。東駈都山駅や駈都山駅周辺と違って、この駅はほとんど開発が進んでいない。だから街というより、町といったほうが正確かもしれない。
西駈都山駅はうらぶれていた。
そしてその西駈都山駅が、水希の家の最寄り駅だった。
最寄り駅とはいっても、駅からは徒歩で四十分くらいはかかる距離に、家はあった。歩きながら、周囲が田畑ばかりでめぼしい建物がほとんどないこと、あるとすれば総合墓地や老人ホームばかりだということを知った。
「これが」
調べてもらった水希の家に行ったけれど、すでに誰も住んでいなかった。それで、水希のアパートの管理人に聞いたら、保証人の住所を教えられた。保証人なら何か知っているかもしれないと思い、その住所へ向かった。
「こんな所に……すげぇな」
家というより、屋敷といった感じだった。
時計を見る。十二月三十日午前十時四十二分。普通の生活を送る人ならもう起きているだろう。あるいは共働きの世帯なら、親は両方ともいないか。それとも晦日でもう仕事なしとか……。
「誰かはいるだろう」
純日本的とでも言えそうな、その水希の関係者の屋敷の前で俺はインターホンを探す。けれどどう考えても屋敷に不釣り合いになるだろうそれは探しても見つからなかった。
「すいませ――ん!!」
大声でこちらの存在を知らせる。けれど応答はない。
「……」
だからって、引き下がるわけにはいかない。
意を決して、敷居をくぐる。
「失礼します!」
土間に上がり、もう一度声を出す。土間の大きさで、こういう家の豪華さは分かる。ジイさんの元々の家がこういう感じだったから、造り自体には新しさを感じない。ただ、うちのジイさんのより、はるかに立派なのは分かる。
靴を脱ぎ、寄付きを抜け、畳廊下を音を立てずにゆっくりと歩く。まず右手の襖をそっと開ける。三畳の小間がある。けれどそこには誰もいない。
「すごい……」
カタン。
小間の先の障子は開け放たれていて、贅沢な造りの日本庭園が見えている。苔むした石に囲われた古池から時々ニシキゴイが顔を出し、口をパクパクさせる。
カタン。
濡れた砂利の中のつくばい、灯籠、庭木、飛び石、すべて即席で造られたものとは思えない。歳月がずっしりと刻まれている。
カタン。
「見とれている場合じゃない。誰もいないのかよ」
音の原因となっていた鹿威しをようやく見つける。
「すいませーん!誰かいませんか?」
その時小間の中に、茶道具が置いてあるのに気づく。というより、鉄瓶に目が行った。
「……」
小間に入り、鉄瓶の前に膝を曲げる。鉄瓶に触れる。
「……」
体の中に金属が溶け込むイメージ……は、もうなかった。ボーデに出遭う前と同じように、触れた金属の温度しか、体には伝わってこなかった。
「元に、戻ったんだな、俺の体は」
そう言えば、もう泥団子の気配は全くない。あのエレベーターの時を最後に、もう俺は……。
ガタ。
「!」
その時、何かが落ちる音が聞こえた。庭の鹿威しの音とは違う。
「……」
誰かは、確実にいる。そしてこういう場合、“まとも”な出会い方は期待できない。
「……」
襲われるか、もしくは逃げ出される――。
覚悟を決め、俺は小間から畳廊下にそっと戻る。庭園に出て建物の外から建物の奥へ回り込むことも考えた。けれど庭の垣根の多さが、その案を取り消させた。本能は告げる。どこから狙撃されるか分からない。どこから襲撃を受けるか分からない。それならば太刀の自由に振り回せない室内を選べ、と。
鼓動の高鳴りを抑え、俺は畳廊下を足音一つ立てずに進みだす。小間の隣、つまり寄付きから八歩程度進んだところに、再び襖が現れる。小間が茶室だったから、たぶんそれを準備する部屋だろう。そっと開く。
「……」
案の定、水屋だった。けれど茶の湯を用意する部屋として使っているようには見えなかった。それまで見てきた部屋や家の造りとはあまりそぐわない、どちらかと言えば人間臭さのある部屋に思えた。
部屋には、布団が敷いてあった。シミだらけの敷布団の中心は人型にややへこみ、掛布団はたった今跳ねのけられたかのように畳の上に飛ばされていた。誰かが寝ていて、俺の侵入と同時に飛び起きて、屋敷のどこかで息をひそめているとしか思えなかった。
「……」
居場所を告げるようなものだけれど、仕方がない。
「すいません!どなたかいらっしゃいませんか!?」
確かに悪いのはこっちだ。不法侵入もいいところだ。警戒されても仕方がない。だからもう一度声を出す。包丁を持って誰かが現れても文句は言えない。
「……」
だけどやっぱり返事はない。身勝手だけど少しだけ苛立ち、ため息をつきながら小間同様開け放たれた障子の先を見る。飛び石、つくばい、灯籠、低木、砂利、鹿威し。見える角度が若干異なるだけで、さっきと同じ……
「あ……」
池を見て、絶句する。
「……」
古池の真ん中に、女の首だけが出て、こっちを見ている。
「……」
濡れた黒い長い髪の下の右の目は白く濁っているのに対して、左の瞳は朱く、大きく開かれていた。けれど肌の色は対照的にどこまでも白く、死人を連想させた。
「おあああっ!!」
「!」
その時背後から叫声が上がる。驚くも体が反射的に飛び退く。
ブオンッ!!
草刈り鎌を持った着物姿の男がいた。眼球は全て真っ黒で、肌はアオカビでも生えたかのように青白い。どう見ても普通じゃない。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
突然の襲撃に対して、当然のように俺の呼吸は荒い。でも、思考は冷静になる。緊張がほぐれる。ボーデの力は感じないけれど、魔隷と争った幾多の夜の記憶だけは、脳裏から離れる気配はなかった。
立ち上がる。
「勝手にお邪魔してすみません。ヤナギさ……」
「えああああああっ!」
カビ男は容赦なく鎌を振り上げて突進してくる。
「では失礼!」
ガシッ。
振り上げられた右手を、両手で止める。
グリュンッ!
体を反時計回りに回転させ男の左側に回りつつ、カビ男の腕をねじる。下に持っていく。
ガッ。
鎌を持った右腕を抱え込み、その手首を上に引き上げ、俺の腋は男の肘をロックする。
「あうっ!」
自然の流れで男は前のめりになる。
タン。
俺は少し飛び、畳の上に倒れ込む。鎌を握る腕をへし折るために。
ドグシャッ!!
「?」
腕は折れなかった。代わりに千切れた。
「ああああああっ!!」
カビ男は悲鳴を上げて転げまわる。千切れた腕の先から黒い蛾のようなものが次々と現れては飛び立っていく。
「!」
俺が握る腕の先も同じだった。蛾が次々に切断面から飛び立っては、部屋のどこか、庭のどこかへ飛んでいく。……そう、嫌な予感がする。この光景は、魔隷の最期に似ている。
「ひいいいっ!」
転げまわっていたカビ男は襖に体でぶち当たり、隣の部屋へと転がり込む。八畳の広さのある広間が水屋の隣にはあった。その広間を、男がわき目もふらず逃げて行く。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
こっちも急いで立ち上がる。千切れた腕から出てきた蛾たちは俺を調べるかのようにひとしきり俺の周りを旋回した後、広間と庭に分かれて飛んで行く。
「!」
そう言えばと思ってもう一度古池の中に浮かぶ生首を探す。でも首はなかった。
ビチビチッ!ビチチッ!!
そのかわり、ニシキゴイが五匹、池の周りに打ち上げられていた。
「……」
その鯉の上に、飛び立ってどこかへ行ってしまったはずの蛾たちが戻ってくる。鯉の島の上に次々に蛾が不時着する。
ピクピクッ、ピクピクッ……ビクンッ!!
鯉の上で蛾たちがコソコソと何かやった後、瀕死だった鯉が一度激しく動く。
ドクンッ。ドクンッ。
全神経を研ぎ澄ませる。鼓動が体全体に響き渡る。戦の記憶が警告となって脳を流れ出し、血管を伝わって全身の細胞に浸透する。備えろ、あれはおそらく、魔隷だと。
ブシャッ!グシュルグシュルグシュルグシュルグシュルッ!!
五匹のニシキゴイそれぞれが同じように変異を始める。生きている間パクパクさせていたはずの口から蛇のような太さの触手が伸び出す。どうしたらそんな太くて長いものが体の中に入っていられるんだ?
パンッ!!
触手は鯉の口から出るだけ出た後、宿主だった鯉を爆発させて互いに集まり、絡み合う。絡みながら触手たちはその表面に水疱のようなものを無数に浮かべ始める。そしてその疱は膨れるだけ膨れ上がると弾ける。弾けた箇所から麺のような細さの触手が伸び出し、それらが互いに絡み合っていく。その様子は神経か血管を連想させた。
「すぅ~……ふうぅぅ……」
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。吐き終わると男の“置き土産”を拾い上げる。草刈り鎌でも、ないよりはマシだろう。
ドスウンッ!
「まるでカバだな」
触手の塊はやがてカバのような姿になる。最後にカバを生で見たのは小学校三年生の時学校の行事で行った動物園以来だ。あの時も思ったけれど、やっぱりデカい。軽トラの二倍くらいありそうだ。
「しかもあの時の担任は……ヒカリ先生か。やれやれ」
そして今回のは、色も良くない。触手と同じ灰紫色のカバ……
「!」
鯉が爆発する直前に鯉の体から離脱していた黒い蛾が次々と灰紫色のカバの体表に取り付く。体表を覆い尽くすほど集まった後、ハッと気づく。まるで、鎧を羽織った巨獣のようだと。
「ヴォアアアアアアアアアアアッ!!!!」
さらに毒を送られたのか、それともこちらへの威嚇か。出来上がった鎧カバが地を揺るがすほどの咆哮を上げる。……おそらく“勢い”で突進してくる。
「……」
そう考えた瞬間、頭の中の記憶の箱が一つ、蓋を開く。それは大切な人と悲しい時間を過ごした、体育館の光景だった。それは一時協力し、後に殺し合う関係になってしまった大切な人との始まりの光景だった。
水希……。
イオス……。
水希を殺した“歯車”の気配を、俺は体の中にもう感じない。
イオスを殺そうとした“発条”の気配を、俺は体の中にもう感じない。
でも、独りだとは思っていない。
姉さん……。
ボーデ……。
俺のエレベーターシャフトの中には、温もりが残っている。それは激高する血が生み出した発熱かもしれないし、流れ出る涙が残した余熱かも知れない。でもとにかく、温もりはシャフトを伝わり、エレベーターの中で独りカタカタと震えるだけだった俺を立ち直らせてくれた。
ドスンドスンドスンドスンッ!!!!
フェイクもフェイントもなく、ただ巨体は突っ走ってくる。
ブシュウゥ!!
クワガタムシの顎を大きくしたようなハサミアゴが頭部に二脚現れる。一脚は鉤爪のようで、そのすぐ下のもう一脚は、ギザギザが無数についていて、切断を目的にしているようだった。
ドゴゴゴゴゴゴゴンッ!!
水屋の中まで進んだクワガタ鎧カバがそこで暴れ回る。突進と噛みつきをどうにかかわしながら、急所を探す。目と思しき穴が二つ見えているだけで、あとは全身鱗のように黒い蛾に覆われている。蛾に覆われた部分を攻撃しても、効かない。
……どうしてそんなことを知っているんだ、俺は?
……!
それで、思い出した。
そう、目の前の蛾を俺は知っている。知っているけれど、しばらく接触していなかった。なぜなら、この蛾の相手はいつも、イオスがしていたから。
魔隷――。
ラヴラの産み出した恐怖の産物。その魔隷の中でも、異常なほど防御力の高い魔隷がいた。ボーデとの融合がかなり進んだ状態の俺以上に装甲が硬かった。そしてそれはイオスばかりを狙っていた。俺には見向きもしなかった。ラヴラの牽制と考えたイオスは、自分が一人でその魔隷の相手をすると俺に言った。そして俺は、俺もイオスも分け隔てなく狙ってくる普通の、といってもマトモじゃない魔隷を独りで相手することになったんだ。“分業”が始まったのは、この、黒い蛾に覆われた魔隷が現れてからだ。
カワラケ――。
エレベーターで聴いたボーデの言葉が脳裏によみがえる。これが、これをカワラケとボーデは呼んでいた?
カワラケを追うんだ――。
目の前の敵は、魔隷じゃない。魔隷はまず、陽の中を行動できない。それがあいつらの行動を大きく制約している。だから極端に繁殖スピードを上げられない。餌となる人が陽の中に逃げればそれ以上は追えない。
それに魔隷はラヴラの奴隷でしかない。支配者であるラヴラが死んだ時点で、制御するものを失っている。あるのは本能。本能は暗い穴倉に隠れて獲物を待つ。その習性は魔隷との長い夜の攻防で知った。魔隷は臆病で、ラヴラの命令でもない限り、群れを成して襲ってきたりはしない。本来はクモみたいなもので、単独で巣を張って獲物を待つ。複数で同じ場所にいればそこで共食いが起こってしまう。だから縄張りを張って獲物を待つ。
「つまり……」
こんなふうに一騎打ちを挑んできたりはしない。挑むのは、誰かに、そう、ラヴラではない誰かに支配されている何ものか、だから。
「カワラケ、ね」
で、どうやってイオスはカワラケを退治していたんだ?
ドゴオンッ!! ドドドドドドドンッ!!
水屋から畳廊下に出て、畳廊下を軸に水屋と反対側にある台所に急いで移動する。カワラケはものすごい勢いで追い駆けてくる。
ガンッ!!
目を狙うしかないと思い、目の中に鎌を突き立てた……つもりだった。鎌は目に当たったところでへし折れた。急所じゃなかった。あるいは急所にもかかわらず俺の歯が立たないだけのことかもしれない。
ガオンッッ!!!
「!?」
その時、空気を切り裂く音が聞こえた後、台所で暴れていたカワラケが畳廊下とは反対側の壁の方に倒れる。
「……」
黒い蛾の一つに、二十ミリ機関砲の弾丸が突き刺さっている。兵器マニアのボーデと一緒にいたお陰で兵器には詳しくなったからよく分かる。最大射程は二キロメートル。銃だけで重さは二十五キログラム超。弾丸は四発で約一キログラム。そんなものを常時持ち歩いている個人は軍人でない限りまずいない。
「……」
普通は爆発するはずの砲弾が蛾にとまったまま。蛾のせいか?それとも細工……
キュルキュルキュル……
鎧カバがよろよろと起き上がろうとした瞬間に、蛾の上の砲弾がドリルのように回転を始める。台所のテーブルをひっくり返し、急いで俺は避難する。
カッ!バギャンンッ!!
「ヴォアアアアアアッ!?」
砲弾の爆発する音とともに鎧カバの咆哮が上がる。猛り叫んでいるというより悲鳴に近かった。シールドに使ったテーブルは一発で粉砕した。まるでカマイタチにでもあったかのように。これはやっぱり……
「しぶとく生きていたのね」
畳廊下の上に立つ、二十ミリ機関砲一梃を一人で持つ戦士。
「……」
筋骨隆々の大男ではなく、女性。
「イオス、さん」
切れ長の目。赤い瞳。金髪のショートストレート。
「イオスでいいわ。今まで通り」
黒のパンツに苔色のミリタリーコート。そして白のタートルニットにブーツ姿の精霊が、畳廊下に立っていた。
「ごめん。疑ったりして……」
「まだ分からないわ。私があなたに仕向けているかもしれないわよ?」
「……」
「なんてね、どうやらお互いにシロのようね」
「うん」
「さて……残念だけどコイツに弱点はない。装甲を追い払いつつ、中の肉を引き裂く以外に倒す方法はないわ」
「!」
その時、背後の壁の反対側で走る音が聞こえた。……さっきのカビ男!?それとも池の生首の主!?
「コイツは私がやる。もし可能なら、他のを仕留めて」
「わかった!」
「ね」
「?」
「私も謝るわ。疑って、ごめんなさい」
「……イオス」
「行って!」
「カワラケを頼む!」
ドギュドギュドギュンッ!!
「ヴォアアアアアアアッ!!!」
一旦畳廊下に飛び出し、寄付きに戻る。
ドスンッ! サクッ。
「くっ!」
寄付きに向けて走り出した瞬間、小間と反対側にある押入れから日本刀が飛び出してくる。躱しきれず、頬の肉を思いきり抉られる。
「うあああんっ!」
右腕を千切ってやったカビ男が押入れの襖を蹴破って出てくる。肘から千切ったはずの右腕はいつの間にか再生していた。
「いてええよおおっ!!」
例のカビ男は顔面の目や鼻や口から黒い液をまき散らせながら叫んでいる。叫びながら左手で剣を振りまわし続けている。
ドムンッ!!
広くはない畳廊下の壁に刀が突き刺さった瞬間、俺は右足を高く上げる。ひざを下向きにし、一気に真上から蹴りを落とす。
「ぎいああっ!」
カビ男の頭部左側から蹴りが直撃する。男の手が柄から離れ、小間に男がドカリと転がり込む。
「!」
小間に転がり込んだ男の“右手”と目が合う。右手はチア部の女子がつけているボンボンのようになっていた。
「……」
違った。右手はボンボンなんかじゃなかった。それは、髪の毛だった。そして、その下には女の子の首がついていた。池の女とは異なる、幼い女の子の首。
カッ!! ゴオオオオオオオオオオオッ!!!
「っ!?」
カビ男の右手になっている女の子の首が口を開いた瞬間、その中から火炎が噴出する。
火炎は緑色をしていて、熱くなかった。そのかわり“焼いた”箇所が強酸でも浴びたかのように破れて崩れていく。こいつ、一体何なんだよ!
シュパンッ!
「!」
小間の床畳を突き破って、足元から薙刀の刃が出てくる。危機一髪で刃を躱す。
「ハァァァァァァ……」
畳一枚が持ちあがり、下から不吉な死装束をまとった女が現れる。池で見た例の生首と同じ顔と真っ黒の目がそこにあった。
ブオンッ!!
薙刀が高速で旋回する。三畳間で振り回されればシャレにならない!
「くそっ」
切られたと思った瞬間、高い金属音と共に、薙刀の刃が一旦止まる。刃の目の前に、茶道で使う鉄瓶が転がっている。助かった!
「このやろおおおおっ!!」
いつの間にか起き上がっていたカビ男が薙刀を飛び越えてこっちに飛びかかってくる。上から振り下ろされる刀を躱す。緑の焔に焼かれる前に再び畳廊下に脱出し、急いで寄付きに移動する。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
二人の普通じゃない男女の“獲物”の間合いを考えた場合、庭に逃げるのは得策じゃない。といってもこの屋敷内部にどんな罠が仕掛けられているか、まだ全然わからない。まだ敵が潜んでいないとも限らない。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
意識を集中させる。
「うわあああああっ!」
畳廊下から聞こえる怒声。相変わらずの声で襲撃を掛けてくるカビ男。薙刀の女は、どこだ?
……。
……右!
寄付きの、庭側の壁から薙刀が飛び出してくる。その一瞬間前に気配に気づいた俺は薙刀を紙一重で交わす。そこへカビ男が飛び込んでくる。
「りゃああっ、あ!?」
俺は体を旋回させ、カビ男をおよがせる。勢いを減殺させずに、カビ男の後頭部を掴む。そのまま壁から飛び出した薙刀の刃に押しあてる。
ゴシャンッ!!
首が半分まで千切れる。振り返ってなお攻撃しようとした男の首を俺は後ろからロックし、骨を折る要領で時計回りに回転させて引きちぎる。
ズブシャッ!!
「!」
首なしのカビ男の右腕が急に持ち上がる。右手先の少女がこっちを大きく見開いた眼で見る。
「ハアアアアアアアッ!!」
その時背後の土間から死装束の女が玄関扉を走りぶち破って乗り込んでくる。寄付きの壁に突き刺さったままの薙刀の代わりに、手には木槌と包丁が握られていた。
「……」
極限状況で、全てがゆっくり、はっきりと見える。
ゆっくり、ぶち破られた玄関のガラスが散らばっていく。
はっきり、白い死装束の女が見える。振り上げられた右手には順手に握られた木槌。左手には逆手に握られた包丁。
「……」
そして、俺のすぐ下からこっちを見上げるカビ男の右腕先から生える少女の頭部。どこかで見たような顔だ。……いや、見たことない。でも、見たことがある気がする。……それが口をゆっくりと、大きく開いていく。
パシッ。
俺の本能は咄嗟に、カビ男の右腕、つまり少女の首を両手に掴んでいた。
カッ! ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!!
少女の口から吐き出された緑の焔が土間を埋め尽くす。寄付きではなく。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!??」
木槌どころじゃなかった。包丁どころじゃなかった。死装束の女に噴射された緑の焔が女を一気に腐食する。皮膚がただれ、眼球が落ち、肉が落ち、骨が溶け、体の内容物がドバドバと零れ落ちる。
「ふんっ!」
カビ男と同じように、右腕の少女の首を俺はもう一度時計回りに回転させる。骨の折れる音はけれどしなかった。
チャキッ!ザシュッ!!
仕方なくカビ男の左手から刀を回収し、男の右腕を切断する。
ドスンッ。
バラバラになった男の残骸とグチャグチャになった女の残骸の上に、少女の首が落ちる。
「……」
猜疑心のせいでギラついたような目元が緩む。溜息でも吐きそうな笑みを浮かべて、少女の首は目を閉じ、そのまま動かなくなった。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
ドオ――ン……
「はっ!?……イオスッ!」
思い出して、急ぎ台所に戻る。けれど台所は既に跡形もなかった。畳廊下の突き当たり、広間も畳がメチャクチャになってめくり上がり、下の土も抉れている。カワラケに突進されたのか、屋根の一部が崩れたらしく、折れた梁が畳の上に転がっている。
ドオンドオンドオンッ!!!
空気を裂く銃声は広間をぶち破った先の庭から聞こえてきた。見れば家の中と同じく、庭も空爆を受けたみたいにハチャメチャになっている。
「ヴォアアアアアアアアアアアッ!!」
カワラケを追う蛾がさっきよりも減っている。そして蛾がいなくなった箇所から夥しい液体が零れている。
ドウンッ!!
イオスの弾は蛾が去った箇所を狙っていた。命中すればおそらく肉の中で二十ミリ砲弾の時と同じように回転するんだろう。
「ヴォアアアアアアアアアアアアッ!!」
「タフね、ほんっと」
もう二十ミリ砲弾は使用していない。弾の節約からか、それとも消費しつくしたせいか。手にしているのは音失子美術館で俺の狙撃に使った十二・七ミリ口径弾のライフル。絶大な威力を誇るこの銃なら魔法なんて細工なしに戦車と張り合える。あれの直撃を食らって生きていられる人間はまずいない。……ドワーフの力を借りる例外を除いて。
オオオオオオオオオオオオオオオオオ……ッ!!
「!?」
俺の足元から地鳴りのようなものが聞こえ始める。同時に畳や壁の隙間からどす黒い煙のようなものが生じ、蛇行しつつスルスルとカワラケに流れていく。
「ヴォッ……オオオオオアアアアアアッ!!」
傷口へ流れ込む幾重もの黒い細流を受けてカワラケが身震いを始める。流出する液体が止み、傷口から、蛾が飛び出す。水牛のように二本の角が目の上に生じ、ワニの尾のような太くて長くて硬そうな尻尾が完成する。
「なるほど」
イオスがニヤリとして言う。言って黒い煙の上流にいる俺を見る。
「ここに、魔隷をアレに換える原因があるみたい」
俺は、ただ「そうだ」とうなずくしかなかった。それはたぶん俺だから。
ドスンドスンドスンッ!!
煙によって強化されたクワガタ鎧カバが再び暴れ出す。岩をかみ砕き、土を掘り貫き、家を刺し壊す。
ガキンッ! キンッ!!
「くそっ!!」
カワラケはひたすらイオスだけを狙い続ける。俺が刀を振るっても見向きもしない。そして俺の刀はどこまでも無力だった。
カ――ンッ。
「ちっ」
折れた刀で必死に蛾の止まるカワラケの体に食らいつく。けれど蛾は一匹も離れないし、殺せなかった。
ドウンドウンッ!!
「ヴォアアアアアッ!」
効果のある攻撃は、ひたすら命を狙われているイオスのライフル弾だけだった。くそ!どうしてイオスばかり狙うんだ!俺を狙え!イオスを、それ以上傷つけるな!!
ボンッ!!
カワラケの何気ない尻尾の一撃が俺の体を空高くにブチ上げる。
ザバ―――ンッ!!
体は偶然、鯉の棲んでいた池の中へ落ちた。
ブクブクウクブク……
「俺は……」
あのカワラケにとって、一兵力としてすら見なされていないのか。
「……」
本当の敵は、本当は俺のことなんてゴミほどにも思っていないのか。
「……」
ボーデ。
俺は、やっぱり無力なのか。
――君はこの悲劇の主役だ。最後は結局、君に行き着く。
「?」
声が、聞こえた気がした。独りじゃとても乗る気にならないエレベーターの中でその声は聴いたような気がした。
「ボーデ?」
……。
……。
反応はない。
「あっ」
それで、記憶の断片がよみがえったことに気付く。
俺。
悲劇の主役。
最後は結局、俺に行き着く。
ブクブクブクブク……
考えろ。
……。
そういえばどうして俺はここにいる?どうして俺はここで闘っている?
ここはどこだ?
……水希の保証人の住所。
……水希と関係する何かがここにはあると思って、俺は来たんだ。
……。
脳をフル回転させろ。今この瞬間までに、俺は何か水希に関する手がかりをつかまなかったか?何か、何かあったはずだ。何もないなんてことは、きっとない。何か水希に繋がる何かを目撃したはずだ。思い出せ。思い出せ!思い出せ!!
ブク……。
「!」
思い、出した。
ザバンッ!!
池の水面に顔を出し、思いきり息を吸う。酸欠状態だった脳が再び活性を取り戻し、記憶したデータを復元する。
襲い掛かって来たカビ男の右腕にくっついた少女の首――っ!
「はあ、はあ、はあ、はあ」
あの顔、よく考えれば水希にそっくりだった。どうして気が付かなかったんだ!?
じゃああの魔隷かカワラケかもわからない化け物は水希と関係があるんじゃないか?
「イオス!」
「?」
「そのカワラケをもう少しだけ頼む!俺はもう一度中に入って、探してくる!」
「探すって、何を!?」
それはおそらく、俺へとつながる者。
「お前の言った“原因”だ!」
瓦礫の山と化しつつある屋敷内にもう一度戻る。土間に向かって全力で駆け抜け、そこでいったん足が止まる。カビ男と死装束の女によって破壊された形跡は残るのに、肝心の死骸がどこにもない。少女の首もなかった。
「……」
何かが這ったような跡が、庭のある水屋とは反対側へと続いている。
「ふんっ!」
ズボコッ
壁に突き刺さったままだった死装束の薙刀を引き抜き、跡を追った。
「……」
這った跡は、蔵の入り口まで続いていた。入り口には壊れた南京錠が転がっている。
ゴメンナサイ……
「?」
入口の扉を押して入ろうとしたとき、中から声が聞こえた。
ユルシテクレ……
「……」
懺悔している?誰が?誰に向かって?
ギィ――ッ。
扉を開く。
「……!」
蔵の奥に、誰かがいた。誰かは抱え込んだ膝に顔を埋め、カタカタと震えていた。
ゴメンナサイ……ユルシテクレ……
その体から声が響く。体表は、ミキサーにかけた肉を無理やり成形してヒト型にしたみたいな、異様な色形をしていた。
ビクッ!
俺の踏み出した足の音に驚いたかのように、膝を抱えていたソレが顔を上げる。カビ男の右腕の先にくっついていた少女の首だった。首から上だけはそのままで、首から下は、油をひいて焼く前のハンバーグみたいな姿だった。
「イヤッ!ヤメテ!!」
水希によく似た少女は胸と足の間にノートのような冊子を抱えていた。その少女が蔵の中を転げまわるようにして、俺から遠ざかる。
ガタガタンッ。
収納物が次々に転がり落ち、倒れる。
「イヤヨッ!!オネガイダカラ、ヤメテッ!!」
「……」
俺は、一切動いていない。けれど少女は何かにおびえ、部屋中を転げまわっている。
ゴメンナサイ……ユルシテクレ……
転げまわっている少女を見ているうちに、彼女の背中と臀部に生じた二つの顔を認める。一つは死装束の女の顔で、もう一つはカビ男の顔だった。女の顔が歪むと「ゴメンナサイ」の声が体から上がり、男の顔が歪むと「ユルシテクレ」の声が体から上がった。
「イヤアアアアアアッ!!オネガイ!ダレカ!!ダレカ!!!タスケテ――ッ!!」
「ミズキ!」
一人もがき苦しむ少女を見ているうちに、俺の喉から勝手に声が上がった。その声に反応したのか、どうか。
「……」
うつ伏せのまま、少女は止まった。
「ダレヨ、ミズキッテ……」
少女はこちらに背中を向けたまま立ち上がる。
「……あの、あなたは」
「ミズキ……アイツトイッショニ……」
ゾビュゾビュゾビュゾビュッ!!
「!?」
両腕が一気に膨らむ。
「スルンジャネエヨッ!!!」
ドゴオ――ンッ!!
少女の下半身は扉に背を向けたまま、でも上半身は三百六十度回転し、振り回した巨腕が棚や梱包物を一気に殴り飛ばした。
「ぐっ!」
薙刀が一撃で折れる。握っていた腕に激痛が走る。
アナタッ!モウヤメテ……
ハア、ハア、ハア、ハア、イイグアイダ……
腕が肥大化した少女の体から上がる声と言葉が変化する。
「ミズキ……ミズキ……イツモアンタダケ……」
少女が振り返る。胸と腹にノートはめり込み、顔全体に太い血管が無数に走っている。明らかに、少女は怒っていた。水希という言葉に。水希という人物に。
「……ミズキ」
もう一度呼びかける。
「ダカラワタシハ、ミズキジャネェッテ、イッテンダロオオオオ!!!」
怒声とともに振り上げた拳が蔵の一切を砕いていく。肩に浮かぶ女の目は涙を流し、尻に浮かぶ男の口は卑猥に歪む。
モウイイカゲンニシテクダサイッ!ウウ……ウッ……ウウウ……
「オカアサン……デテイカナイデ……モドッテキテ……オカアサンノカワリヲスルノ……モウツカレタ……シニタイ……」
ホラ、アシヲヒラケヨ……ヘヘ、タマンネェナ。
……。
……。
……そういう、ことか。
「ワタシハドウセ……ワタシナンカドウセ……」
「夜凪水希を、激しく憎む人」
「オマエナンカニワタシノキモチガ……」
ドスッ。
「!!」
折れた薙刀の刃先を拾い上げていた俺は、少女が大事に持っていたノートとともに、少女の胸を突いた。
「分からないかもしれない。でも、分かろうとする努力はする。あなたが許せるようになるまで」
「……」
少女が膝をつく。黒い煙が背中の女と尻の男の口から出る。
「ワタシナンテ、ドウセ……カワリデシカナインダ。カアサンノ……ミズキノ、カワリデシカ」
ノートを残して、少女が消える。
ヴォアアアアアアア……
遠くで、獣の咆哮が高く響く。直後、その声は止んだ。
「イオス……」
ノートを手にし、蔵を出て、庭へと向かう。
「ふう、ふう、ふう、ふう……」
破壊をまぬがれた庭石の一つに腰かけたイオスがいた。そのすぐそばには、倒れて動かなくなった鎧カバがある。二脚のハサミも角も、折れていた。
「カワラケ……」
「え?」
「ソーマがさっきそう言っていたでしょ。コイツのこと、カワラケって」
「ああ」
「この国の古い言葉にあるわ。土器と書いてカワラケ」
「そう、なんだ。知らなかった」
カワラケ。土器。土の器。
「そうね。普通は知らないわ。……知りたいなんて普通、思わないもの」
イオスが遠くを見る。何かを、思い出しているような表情だった。
「イオス?」
「どうしてソーマはカワラケを知ったの?」
心配してかけた言葉はイオスの質問によって遮られる。
「ん?……ああ、ボーデに教えてもらった」
「そう。ドワーフのお嬢さんは他になにか言ってた?」
「カワラケを追え。そうすれば誰が仕組んだのかわかる、みたいなことを言った。後は……」
「ソーマが関わっている、とかじゃない?」
「そう言っていた。でも!」
「ソーマは何もしていない。あなたの中のドワーフもシロ。それは間違いない」
「信じて、もらえるんだな」
「もう疑うのはやめにする。疑っていられるほどの余裕もないし、それに……何でもないわ。とにかく敵はソーマ、あなたを狙っている。だからあなたに関わる人たちが狙われた」
「……俺のせい、か」
「違う。初めに狙われる方が悪いなんて道理はない。初めに狙う方が悪いに決まってるわ」
「……これ」
俺は手にしていたノートをイオスに見せる。
「それが、カワラケの力を鎮めた……記憶」
「え?」
「私が装甲を剥ぎ取っている最中に、このカワラケは勝手に倒れたわ。勝敗はソーマがノートを手にした瞬間についた。ならばこれが弱点、違う?」
ノートは古い血がところどころこびりついていた。何が書いてあるんだろう?
ペラ。
ノートを開く。
ビクンッ!!
「「!」」
倒れているカワラケが一瞬体を震わせる。咄嗟に拳銃を引き抜いたイオスがカワラケに照準を合わせる。
サ。ササササササササササササササ……
カワラケを鎧付きのカバにしていた黒い蛾が一斉にとびだち始める。それは宙を羽ばたきながら、徐々に形を崩していく。
「あ、ノートに!」
蛾は崩れつつ、黒い光の破片となって飛び、開かれたノートの上に降りると完全に消えた。蛾が降り立ち消えるにつれて、白紙だったノートの上に徐々に文字が出現する。日付と「私」という主語の多さから、日記だと知った。
シュウウウウウウウ……。
“鎧”を失ったカバは勝手に崩壊した。鎧の下の肉の表面に大きなブツブツがいくつもいくつも浮かび、それらが破裂し、腐った肉を連想させる腐臭を吐き出す。吐き出した後、それはスライムのように形を失った。そして自らが暴れることでつくり出したズタボロの地面の下へ染み込んで無くなった。
「……」
膨大な数の蛾が紡ぎ出した文字を目で追う。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
八月九日。
お母さんが家を出て行く。水希を一緒に連れて行った。
つまり、私はお父さんと二人きりになった。この大きな家の中で二人きり。
お父さん。
前は、違った。真面目な人だった。お酒をたくさん飲むのは変わらないけれど、今みたいにひどくなかった。
仕事がうまくいかなくて家族に当たっているって、お母さんは言ってた。
お母さん。
どうして私に黙って出て行ったの?
八月十日。
夢の中で、泣いているお母さんを見た。
よく考えてみたら、お母さんは怖くて出て行ったんだ。
一緒に入ったお風呂で見た、青いあざ。
病院でレントゲンを撮ってみた、ひび割れてずれた骨。
お父さんに殴られ過ぎて、見えなくなった右目。
「ごめんなさいね。本当に」
よく考えてみたら、お母さんは出て行く前、私を抱きしめていた。
あれは、そういう意味があったのか。
じゃあ、仕方ない。見落とした私が悪いんだ。サインを見落とした私が。
私は、ああ……無力だ。
八月十五日。
当面の生きていくお金はある。色々なものを売り払えば、生きてはいける。
でも私は働く。
お父さんのお酒を買うために、私はアルバイトを始める。
お酒があれば、私はお父さんに殴られないし、蹴られない。いや、殴られたり蹴られることもあるけれど、お酒がない時よりは、ましだ。
バイト先の人は優しい。
陰口をたたいたり、ロッカーに陰湿ないたずらしかしてこない。助かる。叩かれたり髪を引っ張られたりするよりはずっと軽い。
バイトの時間が永遠に続けばいいのに。でも深夜は働けない。要らない年齢制限のせいで。
家に帰りたくない。でも、家以外にどこにも行く場所なんてない。
だから、家に帰る。強いお酒を買って。
八月三十日。
間違えたと思う。
たぶん、私は馬鹿だったんだ。大馬鹿。
お酒は、人を眠くさせる薬みたいなものだと思っていた。
でも、そうじゃなかった。
お酒は最後、人の、最悪の部分を引き出す。
お父さんの、あいつの、最悪の部分が強く、強く出てきた。
あいつは、お母さんがいなくて寂しいんだ。
だから、私がまたあいつに
もうやだ。死にたい。
この先に生きて、何があるんだろう。
誰か、助けて。
十月十六日。
また生理が来ない。また妊娠検査薬を使用。
かろうじて陰性。
獣の相手をするストレスのせいか。
それとも私をここに残したあの馬鹿女のせいか。
そろそろ夜が明ける。
夜が明ければまた日が昇り、日が沈む。沈めば獣が私の体を舐める。においを嗅ぐ。噛みつく。そして蝕む。穢す。
ああ。
どうして私だけこんな目に遭うんだろう。
双子なのにどうして私だけこんな目に遭うんだろう。
なんであんな奴を必死に今まで庇っていたんだろう。
水希。
馬鹿女の子宮から出てくるのがわずかに早かった私だけが、どうしてこんな目に遭う?
馬鹿女の子宮から出てくるのがわずかに遅かったあんたを、どうしてあんなに同情したんだろう?かわいそうだと必死に守ろうとしたんだろう?
代わってよ。私と。もう嫌だ。
馬鹿女の子宮に垂れ流された汚物が今夜も、私を蝕むんだ。きっと。
十一月三十日。
全知全能の神様を、私は絶対に信じない。でも、運命の神とかいう専門的な神は、たぶんいる。誰かを助けるような、人間臭いことは一切しないけれど、ランダムに誰かを選び、ランダムに何かをその人に背負わす、機械みたいな神様。
その機械のような神様が会わせてくれた。
今日、水希と昼間に会った。全くの偶然だった。運命の神様以外、たぶん誰も想像していなかったと思う。
二人で昼食をお店で食べる。水希は楽しそうだった。高校を中退した私とは対照的に、転校先の高校で楽しくやっているらしかった。
私はふと、目の前の双子の妹に何を背負わそうか、考えた。
最近は、もう痛いとか悲しいとかあまり感じない。私の意識は細胞という複雑で生臭い機械の中に入っているだけで、私とかいう確かなものは最初からどこにもいないと思うと、獣の罵声も酒臭い息も白い汚物も気にならなくなった。
双子の妹も同じはずだ。所詮は生臭い機械に過ぎない。それに気づくのは、全てが運命の神に支配されていることに気づいた時だ。
そう、私も運命の神も大差ない。同じような機械。同じような部品。同じような仕掛け。
だから、私だって運命の神を演じられる。
心とか感情とかいうものが実は複雑に組み合わされているだけの部品の集合でしかないことを気づかせてやる。
この気持ちも、部品からできているのか、どうか。
十二月八日。
水希を家に招待した。仕組んだ芝居のフィナーレは家でなければならない。
予定通り、恋人と花火大会に水希は行く。ここ最近何度か水希と会って、恋人の話は聞いている。背の高い、がっしりした男だ。それでいて、陰がある。馬鹿女の設計図はああいうタイプを好むように仕向けるらしい。妹も例外じゃない、か。そう言えば昔、自分もそんなタイプの男を好きだと思ったことがあった。私が機械だと気付くずっと昔に。それは馬鹿女と別れた後、獣に変じ、私を食らい尽くしたが。
花火が終わる。前の日に私は水希と会い、怒って見せた。いかにもフラストレーションがたまり、妹を妬ましく思う感情が爆発したかのように振る舞った。我ながら上手な演技だったと思う。「私が毎晩どんな目に遭っているかも知らないで!」という捨てゼリフを残して、私はその場を去った。そして翌日、花火の終わったのを見計らい、招待用のメールを送った。
「昨日はごめんなさい。お姉ちゃん、もう疲れた」と。
水希は予定通り来た。家の扉の鍵は開けておいた。あと私はただ、いつも通りのことを父という獣と演じていればよかった。獣が薄汚れた床の中で白い汚物を噴射するまでの間、私は泣き叫び、私を馬鹿女の名前で呼ぶ獣の相手をしていればよかった。
運命の神様。私からの出題です。これから何が起きるでしょう?
水希に全てを見せました。確率なんて意味がありません。確実です。ただただ壊れます。私と同じくらいに。
「……ふぅぅ」
ノートを閉じて、落とす。深いため息をつく。
ガッ!!
倒れていた庭木を思い切り踏みつける。それだけじゃ足りなくて、しゃがみ、殴りつける。何度も。何度も。
「……」
拳から血がにじむ。目が涙で見えなくなる。
「くそ、くそ……」
水希がいなくなった夜を知った。その夜に、水希が何を見たのかを。
「くそ……」
水希に絶望を見せた者が、さらに深い絶望に呑み込まれていたことを、知った。
「く、そ……」
双子の姉。
水希には、姉がいた。
「……」
俺の姉さんのように物理的に殺されたのではなく、精神的に殺された姉が、水希にはいた。
「確か、朱里」
「?」
ふと目線を上げると、俺が落としたノートに目を走らせるイオスがいた。
「私が追っていたのはこの双子の姉。ヤナギアカリ。戸籍には登録されているけれど行方知れず。調べようと思ってここへきたらソーマに会ったというわけ」
「そう、か」
「……ヤナギアカリとその父親との行為を目撃した後、ヤナギミズキは行方不明になった。おそらくラヴラに襲われたのはその時じゃないかしら」
「ラヴラに襲われた後、この、ミズキの姉のアカリっていう人は」
「本当の犯人によって、カワラケの力を得た。……あるいは何もかも犯人が最初から仕組んでヤナギアカリを選別し、その後偶然か必然かラヴラがミズキを選んだとも考えられなくはないけれど、どっちなのかは分からない」
「双子がどっちも、こんな目に遭うなんて」
「偶然と考えるのはやっぱり出来過ぎている。ラヴラと犯人のどちらかが先に双子のうちの一人に目をつけ、その後、ラヴラと犯人のどちらかが双子のうちのもう一人を利用したと考えた方がしっくりくる」
「……犯人が、辻褄を合わせたんじゃないのか?」
直感を、俺は口にした。
「そうね。……おそらく。最後の最後まであのラヴラは自分の企てを邪魔されたことを憤っている感じだった。とすると、ラヴラがミズキを拉致した後、犯人がそれに合わせてミズキの姉アカリを拉致し、変異させたと考えるべきね」
「でもどうして、そんなことをする必要が……」
「それがボーデの、ソーマの中に宿るドワーフの言っていた答えなんじゃないの?」
「……」
俺の、ために?
「犯人は、ソーマに恨みがあるから、ヤナギアカリを選んだ。ヤナギアカリとソーマの接点は一つ。ヤナギミズキ。ソーマにとって大切な人」
「……」
「分かった?何が言いたいか」
「……ああ」
立ち上がる。
「犯人は俺の中に宿ったボーデを思っている誰か。そういうことだろう」
「イエス」
そのことに気づかせるために、これだけの犠牲を払ったって言うのか。
「……?」
その時、イオスの手の中にあったノートが黒く光り出す。一筋の細い煙が上がり、その煙は小さくまとまって、一匹の蝶になった。赤い斑点の輝く、黒い蝶。
「まだやるつもりか」
クロアゲハを二倍に拡大したような大きさと妖しい優雅さに警戒する。けれど黒い蝶は俺たちに襲いかかるでもなく、屋敷をフワフワと飛び出していった。その後ろに黒い光の軌跡が残る。
「誘っている」
イオスが言葉を漏らす。そのまま歩きだし、閉じたノートを俺の胸に押し付ける。
「え?」
「行きましょう」
最初はヒラヒラと風任せに飛んでいた黒い蝶は、俺たちが車を盗み出してそれに乗ると、エンジンでも搭載したかのように素早く移動を始めた。確かに、俺たちをどこかへ誘うつもりらしい。
「……」
助手席でもう一度広げたノートに、ダッシュボードの中から見つけたボールペンで日記の“続き”を綴る。
「何て書いたの?」
「……終わらせる。今日、十二月三十日で、この悲劇を終わらせる。そう書いた」
「……」
ペンをダッシュボードに戻す。ノートを閉じる。
「大丈夫?」
「ああ、平気だ」
……。
憎む。怨む。悲しむ。怒る。
そうやって人は自分の時間を殺してしまう。
元に戻すことはできないもののために立ち止まり、立ち止まったまま、横を過ぎようとする人たちを憎み、怨み、悲しみ、怒る。
自分の時間を殺した人は、他の人の時間を殺しにかかる。
人だけじゃないだろう。ドワーフも、シルフも、精霊も、神も、心を持って時間を生きる全ての存在が、きっとそうなんだ。
……。
立ち止まることは悪いことじゃない。
憎み、怨み、悲しみ、怒る気持ちは、誰にでもある。
でも、立ち止まってばかりいるのは、悪いことだ。
許せないのは、悪いことだ。
赦そうとしないのは、悪いことだ。
ゆるさなければ、他の人の時間を殺そうとしてしまう。
ゆるせなければ、自分を前に進めることができない。
だから、悪いことだ。
ゆるすとは、前に進もうとすることだ。
前に進めば、今とは違う未来にたどり着ける。
それはまた、憎み、怨み、悲しみ、怒る未来だろうか。
違うはずだ。
ゆるそうとするのは、相手を思いやること。
相手を思いやれるなら、もう立ち止まったりはしない。
手に入れる未来は、誰かのためにが叶えられた幸せだ。
……。
今の俺にできることは何か。
立ち止まり、他の人の時間を殺そうとしている誰かに、気づかせること。
気づかせるために、暴力をふるうかもしれない。
血を流させるかもしれない。
それはもう、仕方がない。
気づかせるために、もしもその誰かの命を奪うことがあるなら、俺はただ、背負おう。
その誰かの命の重みを。
その人の分まで誠意とプライドをもって生き、その人の止まってしまった時間を俺の中で動かすことでしか、その時はもう俺は償えない。
それが、俺の出した答えだ。姉さん。
……。
それにしても、相手は本当に、神かもしれない。それも……
「機械仕掛けの……運命の神様……」
いつか、大切な誰かに連れてってもらったうまい焼肉屋を思い出す。魔隷になりかけのアイツもまた、同じようなことを言っていた。……機械仕掛けかどうか。いるのかもしれない。いないのかもしれない。
「すう、ふう」
いずれにせよ。
「止めないと」
その“神”に傷つけられる誰かのために。何よりその“神”のために。
「ええ」
蝶。どこへ行く?どこでもいい。どこだって行ってやる!案内しろ!!
平日でさえ車などあまり通らなさそうな県道を、盗んだ乗用車でイオスと走り続ける。ましてや今はあと二日で新年の師走の際。後続車は稀で、対向車と言えば砂利や重機を運搬する大型車くらいものもだった。
「蝶が。トンネルに」
円形の闇に吸い込まれるようにして消えて行った蝶をスピードを上げて追う。けれどトンネルの出口で赤斑の黒蝶はいなくなってしまう。
キィーッ!
イオスがブレーキを踏む。左右をくまなく見、フロントガラスの先に蝶がいないかを急いで確認する。
俺はシートベルトを外して窓を開けて身をのり出し、周囲を確認する。けれど蝶は見つからない。
「ここまで来て見失うなんて、くそ!」
苛立ちながら窓を閉める。フロントガラスの先を見てもやはり蝶はいない。ふと右に座るイオスを見る。そのイオスの視線はルームミラーにある。
いや、釘づけだった。
「……後ろ」
イオスはハンドルを握ったままそう言う。慌てて俺はリアガラスの先を見る。
いなかったはずの蝶がいる。それも、
「あんなに」
たくさんいた。……そして、人が一人いた。
ブッブゥ――ッ!!
道路の真ん中に立っていたそれには、蝶が集っていた。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
呼吸が荒くなる。心臓が、高鳴る。
「風が告げているわ。あれは魔隷ではなく、“不吉”でしかないと」
ブウゥ――ッ! ブッブウゥ――ッ!!
トンネルの闇から烈しいハイビームが現れ、強烈なクラクションが何度も響き渡る。
「おそらくあれもカワラケ。ここで私たちを……」
「セーイチ!」
リアガラスに向かって旧友の名を叫ぶ。ドアを開けて外に出ようとした時、ドアのロックがかかり、イオスの右手が俺の胸ぐらをつかむ。同時にイオスがアクセルを目いっぱい踏む。
ブッブ――ッ!! グシャンッ!!
リアガラスに映る瞬間の悲劇。蝶のたかる血まみれの的野は円形の闇から現れたトレーラーに追突されて粉砕する。トレーラーはけれどブレーキを踏む気配はなく、俺たちの車目がけて突き進んでくる。
「セーイチ!セーイチィ!!」
叫びながら、トレーラーのフロントガラスに映る人影が目に飛び込む。
「……!」
戦慄した。
「轢かれた、じゃなくて飛び乗った、かしら」
言いながら、イオスは急発進させた車のハンドルを切る。
トレーラーのドライバー席には他ならぬ的野が座っていた。
「車両との融合……カワラケの所有者は私達を潰すために魔隷を強化しているわけじゃなさそうね」
バババババババババババババ………
空を飛行するヘリコプターの音。カーナビの情報によればこの辺は確か自衛隊の基地もあったはずだ。でも、どうしてこんなに音が大きい?
「全てはソーマを恨むゆえの痛烈な皮肉」
「……?」
「ソーマの中に宿るドワーフは、魔法を司る素粒子ヌペリムで血肉と金属を噛み合わせることに長ける特殊な力の持ち主。後ろのカワラケは、まるでそのソーマたちのコピー。いえ、それよりタチが悪い」
バババババババババババババババッ!!
「おい、前!」
フロントガラスに飛び込む、自衛隊のヘリコプター。
「ええそうね。あのAH-1攻撃ヘリコプターも……パイロットはやっぱり知り合いなの?」
操縦席は蜘蛛の巣のような糸に包まれている。けれどその真ん中に、ひっくり返った女の首がくっついている。
「……ヒカリ先生」
父親の不倫相手だった饗庭は今、ヘリコプターの中で巣を張って化け物になっていた。
「見ての通り、人じゃない」
「前から……知ってる」
「魔隷だった時を?」
「……ああ。なる前も、なった時も」
「……敵は、魔隷と金属を噛み合わせた存在すら、操れる。これはつまり、シルフ以上にシルフの力を持ち、ドワーフ以上にドワーフの力をもつということ。そんな存在が、ソーマの中のドワーフを狙っている」
イオスのギリギリのコーナリングで体が横にさらわれる。
「この状況じゃ、魔法もヘッタクレも関係ない!轢き殺されるか、蜂の巣にされるだけだろ!?」
手すりにつかまり遠心力に耐えながら、俺は大声で返す。
「うふっ、今は確かにそうね。飛ばすわよ!」
蛇行する坂道に入り、俺は急いでシートベルトを付け直す。同時にメーターの速度がものすごい勢いで上がる。
ドゥルルルルルルルルルルルルルルルルッ!!
ヘリの機銃掃射が始まる。薬莢が雨のように降り、アスファルトの地面が即効で穴だらけになる。イオスはハンドルを小刻みに切りながらその弾幕を悉くかわし、前へ前へとひたすら突き進む。後ろには戻れない。戻れば恋人を殺し魔隷になったはずの、俺の旧友に轢き殺されてしまうから。
「……ちっ」
あと少しでトンネルというところで、攻撃ヘリコプターがこっちの進む道の真正面に立ちふさがる。
ドクンッ!
薬莢の雨を降らせていたチェーンガンの回転が止まる。嫌な予感しかしない。
「ハンドル変わって!」
「えっ!?」
イオスは自分のシートベルトのロックを外した後、運転席のシートを突如背中で後ろに倒し、そのまま左手で俺のシートベルトのロックを外す。
「マジ!?ちょっと!」
イオスが後部座席の窓を拳でぶち割り懐からマシンガンを取りだして身を乗り出す。それと同時に、無我夢中で俺はイオスの座っていた運転席に移る。アクセルペダルを踏み込めるだけ踏み、下がっていたメーターを元に戻していく。
「真っ直ぐ走って!!」
言われなくても、生まれて初めて握るハンドルだ。しかも時速百キロを超えている。怖くてハンドルなんて切れない。
「……」
AH-1の中の元担任とその時、目が合う。君の悪い口元がニヤリとした形になった。
プシュプシュウウウンッ!
「!?」
攻撃ヘリコプターからついに気柱のような鋭い音が上がる。搭載されていたミサイルが二本、白煙を後方に挙げながら勢いよくこっちに進んでくる!
パパパパパパパンッ!! チュドオオオオンンッ!!
衝撃波がフロントガラスに亀裂を生じさせる。車のメーターが一瞬ものすごい勢いで落ちる。熱が後部座席の破れた窓からゾゾッと流れ込む。ミサイルをイオスは迎撃したっていうのか。
ドゥルルルルルルルルルルルルルルルルッ!!
ミサイルが命中しなかったことに遅れて気付いた攻撃ヘリが弾幕を再び張り始める。でも俺たちの車はそれより少し早くヘリの下を通過し、どうにかトンネルに潜り込むことができた。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
オレンジのナトリウムランプが高速で車の後方へと過ぎていく。誰の呼吸だ?あっ、俺か。
「変わって」
「あっ、うん」
運転席に再びイオスが戻る。
ブッブウウウ――ッ!
「!?」
忘れてた!後ろにはまだ的野の乗るトレーラーがある。
「これで最後……」
運転席側のフロントドアガラスを開けながらイオスが言う。ハンドルは左手で、右手は懐にある。
ドグンッ――!
「!?」
その時、突然胸が苦しくなる。
「どうしたの?」
「いや、なんでも、ない」
胸に穴が開くんじゃないかというくらい、激しい痛みに襲われる。その痛みに耐えながらイオスの懐から出した右手を見る。手榴弾三つ。
ヒュオン。
右手がわずかだけど青く光る。三つとも勝手にストッパーが外れ、上部のピンが抜け、安全把が抜ける。
「一、……」
イオスの右手が窓の外に出る。
「二、……」
手榴弾三つをイオスが真上に放る。
「三、……」
俺たちの車を追い駆けるトレーラーと宙に取り残された手榴弾との距離が一気に狭まる。
「四」
ドゴオンッ!!
ちょうどトレーラーのフロントガラスの高さで手榴弾が爆発したのを、ルームミラーで確認する。窓から乗り出して確認したいけれど、……胸の痛みが、シャレにならないほど、ひどい。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
ルームミラーからトレーラーの姿が消える。イオスがブレーキを踏む。
「どこが傷むの?」
トンネルの中、イオスがパーキングにギアを入れ、俺に聞いてくる。
「胸……どうしてかは分からない。けれど、ものすごく苦、しい」
ジワリと汗が浮く。意識が飛びそうなくらい痛い。けれど気絶している場合じゃない。
「見せてみて」
俺の体にイオスが触れようとした時、後方で再びクラクションが響く。
「……」
イオスが鋭いまなざしをリアガラスへ向ける。既にリアガラスは粉々に砕けてなく、そこには車の後ろに広がる現実を直接俺たちに投影する。
「うっ」
イオスが手で鼻と口を覆う。車の後ろから強烈な腐臭が風に載って流れてくる。痛みに気持ち悪さが加わる。最悪だ。一体、何が起きている?
「ニアアアアアアアア――ッ!!」
くぐもった、けれど聞いたことのある声がオレンジの闇の中をこだまする。
ゴオオオオオオオオオォォォォ……
イオスがギアをパーキングからドライブに戻す。俺は肩で息をしながらルームミラーに映り込み始めた異形を見つめる。
「はあ、はあ、はあ……」
「修復用にトレーラーの中には生モノを詰め込んでいたみたいね」
キキイイイイイッ!!
イオスが思い切りアクセルを踏み込み、車は再び急発進する。
「ニイイアアアアアアアアッ!!」
変じた旧友の声。声だけじゃない。その姿ももう、とても、人じゃない。
トレーラーの車台はかろうじて保っていた。けれど、その上には、たくさんの肉が蠢いていた。
バチャチャチャチャチャッ!!!!!
ホネと内臓で紡いだエンジンからは血液と炎が噴き上がっている。
ブヒイイイイッ!!
車のあちこちに浮かぶ豚や牛、人が思い思いに悲鳴をあげている。
「ニアアア……」
その車体の中心に“生える”上半身。臓物を絡ませて血液を塗りたくったようなソレには的野の顔があり、顔には口があった。けれど目はなく、目からは自転車のサドルのようなものが飛び出ていた。
「ニイイアアアアアアアアッ!!」
いや、きっと車イスのハンドグリップだろう。口から上がる叫びが、そう告げている。
「ふう……ふうう……」
そうこうするうちに、俺の胸の痛みが引く。
「?」
心臓近くに手を当てた時、胸の真ん中に、突起のようなものを感じる。服の中に手を入れる。確かに胸の真ん中に、何かが出っ張っている。しかも触っても、何とも感じない。痛くもかゆくもない。そしてそれは、冷たかった。
「んっ!」
思い切って引っぱる。するとそれはボコリと抜けた。何がとれたんだ?
「……」
俺は胸から引っこ抜いた何かを見る。けれどオレンジと黒の明滅でよく見えない。仕方なくルームライトをつける。俺の様子が変わったことに気づいたイオスも、俺の手元の何かに目を向ける。
「どこでこれを?」
イオスが驚いたような声を上げる。
「え?いや、今自分の体を触っていたら、胸に刺さっていて」
「ヌアメシュリの骨髄。これが、そうよ!…………ボーデ」
イオスが左手で俺の手の中の小さな黒い棒に触れる。俺はそのままイオスに渡す。
「イオス?」
「……」
イオスは何かを考えながらハンドルを切り続ける。後ろからは肉の塊と化したトレーラーが押し寄せる。
ボチャンッ!!
しかも肉の塊は“肉団子”を投げてくる。その肉団子は着弾するや否や紫色のガスを噴射する。視界は奪われ、しかも噴射したガスが周囲の壁を溶かす。
「あっ!」
トンネルの先に、青い光が差し始める。出口が近い!
「ねえ」
イオスが突如口を開く。
「さっき、ヤナギミズキでの家のことだけど」
「うん」
「巨体のカワラケを仕留めたでしょ」
「それはイオスが……」
「あの時も言ったけれど、私は致命傷を与えていない。カワラケは突如瀕死になった」
「……」
「カワラケが瀕死になる前に、誰かが何かをした。それで、ソーマは日記を持って現れた。日記は、どうやって手に入れたの」
「日記を持っている女の子がいた。ミズキ、そっくりだった。人間じゃない。殺した化け物の一部から全身が出来上がっていたような、化け物。その子から奪った。もちろん殺して」
「……そういうことか」
「?」
「分かったわ。カワラケの弱点が。そしてなぜあなたの中のボーデがヌアメシュリをあなたから摘出したかが」
「?」
トンネルを抜ける!案の定、AH-1攻撃ヘリコプターが待機している。
「心。それが弱点」
前方から降り注ぐ銃弾の雨と後ろから飛ぶ毒ガス団子をギリギリで躱しながらイオスが言う。車体から煙が上がり始める。ヘリの弾が当たったらしい。あるいは毒ガスのせいでフレームが腐食したのかもしれない。
「このままじゃ二人ともヤられる」
イオスは俺の体から出てきた黒い棒をポケットに入れる。
「ヘリの女は私が止める。ヌアメシュリの骨髄を突き刺せれば、何とかなるはず」
「じゃあ、後ろの的野は?」
「骨髄はこれ一つしかない」
強張っていたイオスの表情が緩む。穏やかに、微笑んでいた。
「この車で逃げ切って」
「!!」
「そんなの無理……」
「じゃあソーマが止めなさい!」
笑みが止む。それで、俺を見捨てるのではなく、互いに命を賭けるしかこの急場は乗り切れないのだと言っていることに気づいた。
「全てはソーマに関わりのある人たち。なら彼らの心を知っているのも、ソーマしかいない。後ろのアレを止める何かがあるなら、アレを止めて。そうじゃないなら、逃げ切って、最後まで逃げ切って、この物語を仕組んだ大馬鹿を殺して!」
「……」
「ごめんなさい。でも、もう私には、力も弾も残っていない。私にこれ以上、頼らないで」
車の後ろについた攻撃ヘリのチェーンガンが直撃する。ボンネットの端に穴が開き、車体の屋根にも一部穴が開く。後部座席のシートのクッションが破れる。
「……俺こそ、ごめん」
「……」
「逃げ切る……」
「そう。良かった。空からの攻撃は必ず止めて見せる」
「……」
目の前の坂道に急なコーナーが差し掛かる。そこへ素早く移動し、こちらを待ち構える攻撃ヘリコプター。
「ここでサヨナラ」
イオスが俺の頬にそのときキスをした。あまりに突然のことで、最初は何が起きたのか理解できなかった。
「イオス」
「会えてよかった。今度生まれてくるときは、ミズキよりも先に声をかけるわ。ソーマに」
コーナーで思い切りハンドルをイオスが切る。ドリフト状態でハンドルを俺に預け、イオスが車から飛び出す。
ドゥロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロッ!!!!
ありったけの銃弾が車体目がけて向かってくる。そしてその銃弾の雨の中心に向かって青い光を纏うイオスが飛ぶ。そのしなやかな体は螺旋階段を駆け上がるように宙でギュルギュルと回転し、黒い鉄の雨の中をひたすら突き進む。俺が運転席にしっかり体を固定し、アクセルを踏んだ時には、攻撃ヘリはバランスを失っていた。機体は大きく傾き、ミサイルが関係ない方向へとバラバラに飛ばされていく。チェーンガンも同じように四方八方に弾をぶちまけている。まるでもがいているようだった。
ブスゥゥゥゥ……
バランスを失ったヘリから噴水がいくつも上がる。ガソリン、じゃない。どう見ても血液にしか見えない。
カッ!!ドゴオオオオ――ンンッ!!!
「!?」
ヘリは墜落する前に空中で大爆発を起こす。
「イオスッ!!!」
頭が真っ白になる。イオス!イオス!!イオス!!!
ブッブオオオオオオオオ――ッ!!
「ニイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!」
けれどいつまでも真っ白でいることを許さない存在が、後ろから迫る。的野!
……。
………。
…………。
「逃げ切る」
わけないだろ。絶対にここで止める。
「セーイチ……」
左側のダッシュボードを開く。中に入っているものを全部助手席に落とす。運転席と助手席の間のボックスの中身も全部助手席の上に急いで出す。何か、アイツを止める鍵になるものはないか!アイツは何だ?アイツにとっての“心”は何だ!?考えろ!考えろ!!
的野成市――。
ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!
「ニイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……」
ニア――。
――彼女がいるんだ。俺の彼女の名前がニア。新しい愛って書く。アタラシキアイ。
焼肉屋の一コマが面影に立つ。
……。
ニア。
……新愛。
ひょっとしたら、的野新愛といつの日か名乗ることになったかもしれない一人の、女。
「……」
ポケットから、家の鍵を取りだす。鍵には、キーホルダーがくっついている。水希がくれた、鹿の角を磨いて加工したキーホルダー。お守りだと水希は言ってくれたから、鍵にくっつけたんだった。
水希。ありがとう。うまくいくかどうかわからないけれど、使わせてもらう。お前のお守り。
エンジンをフル回転させて、的野のトレーラーとの距離をとれるだけとる。そして、カーブに入る手前で車を止める。
ガチャッ。バンッ。
車から降りる。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
少し遅れて、トレーラーがすさまじい地響きとともに姿を見せ始める。
ボジャンッ!ブシュウウウッ!!
車を盾にして飛ばされてくる肉団子のガスを防ぎながら、俺はキーホルダーを急いで分解する。
「ニイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
的野の姿が、見える。
「セーイチ」
俺は舗装された道路の真ん中、白いラインの上に立ち、左手を拳の形にして、前に伸ばす。
ブウゥッ、ブウウウウウウウウウウウウウウウウ――ッ!!
「ニイイイイイイアアアアアアアアッ……?」
血まみれの的野の上半身の腹が裂ける。巨大な一つの眼球が姿を見せる。白目の部分は朱く、黒目の部分は緑だった。
キラ。
その、大きな目に、俺は左手を伸ばしている。その伸ばした左手の薬指には、銀色のリングを嵌めていた。
「どんなに姿を変えても」
俺は手を開き、手の甲を的野に向け、キーホルダーを壊して作った即製の銀色のリングをはっきりと見せる。
「心で思う者にしか、俺たちはなれないんだ」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「セーイチ」
トレーラーの車体全体から血煙が噴出する。トレーラーが走り抜けた崖の壁面も地面も全て血に染まる。
「もう休め。ずっとお前を待っているニアの傍に、行ってやれ」
右手で“結婚指輪”を外す。もう一度はっきり見えるように、リングを右手の親指と人差し指で的野に掲げる。そして、
「さよならだ」
崖の下に放り投げた。
ブッブウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――ッ!!
ガードレールをトレーラーが破壊する。車輪は地面を走るのをやめ、ついに崖の下へと飛び込んでいく。俺の真横を通り過ぎて。
「ニアッ!!ニアアアアッ!!!!!」
崖の下に転がり落ちるリングを追う旧友の声を最後、はっきりと耳に聞いた。
ドゴオオン…………
遥か下から上がる黒い煙。肉の焦げる臭い。
「うっ、うううっ、うう……」
車の運転席に乗り込んだ俺は、堪えられなくなって、泣いた。そのうちに、ボンネットの上に黒い小さな影が現れる。その影はひらひらと優雅に舞っている。
「ぐすっ……」
ダッシュボードの中にあったティッシュで鼻をかみ、俺はガタガタの車を再びドライブモードに切り替え、また現れた黒い蝶を追って走り出した。