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神の仕事  作者: 岡倉桜紅
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桅 くちなし

 神社には地の神、空の神が大勢集まっていた。人間の街を一望できる小高い山の上の神社では、神たちが桅という地の神のために送別会を開いていた。鳥居の向こうに秋晴れの空が広がっている。雲一つない、夏が色あせた、薄い水色の空が高かった。見下ろす街の奥には海が凪いでいる。

 送別会の主役である桅は、直属の後輩である地の神たちと、飲み物を片手に和やかに語り合っていた。

 藍はその様子を眺めながら手に持ったグラスから飲み物を一口ちびりと飲む。昨晩の雨粒を集めたものらしい。混じりけのない、どこまでも澄んだ透明な水だった。

「藍くんも、来てたんだ」

 声を掛けられて藍が振り返ると深い黒のスーツを着て、黒のマスクをした、晩が立っていた。少し猫背で、藍を上目遣いに見ている。

「桅さんと仕事したこと、あったっけ?」

「一度だけ。かなり昔のことですが」

 晩は納得した、というように何度かゆっくりと頷いた。藍の横に立って桅の方を見て言った。

「話を、してみるといいと思う。彼とは……もう会えなくなるからね。……彼なら、きっと藍くんの悩みも、聞いてくれると思う」

 藍は晩の顔と桅の方を交互に見た。

「私などが相談などしてもいいのでしょうか。今日は桅さんが主役の日で、とてもおめでたい日です。そんな今日に、あまり接点のなかった後輩が個人的な悩みを聞いてもらうには少々気が引けます」

 晩は少し首をかしげるようにする。表情は変わらない。

「彼は、神だよ」

 晩がそう言ったとき、タイミングよく桅が新しい飲み物を取りに藍と晩の近くに一人で歩いてくる。晩は黙って藍から離れて行った。

「あの、すみません」

 藍は勇気を出して桅に話しかけた。桅は優しい笑みを浮かべて振り返る。

「藍と申します。以前は瞑という名前で一度、お仕事をいっしょにさせてもらいました」

「ああ、瞑くんね」

 桅はすぐに瞑との仕事を思い出したようだった。桅はかなり前に一度だけ接点を持っただけの神のことまで覚えていた。

「このたびは、引退お疲れ様です」

「ありがとう」

 桅は優しい声で言って、まだ何か続けたそうだが、少し周りや桅の都合を気にかけている様子の藍の言葉を待った。

「もし、こんな日にご迷惑でなければなのですが……。相談をさせてもらってもいいでしょうか」

 桅は頷いた。

「もちろん。僕の専門は悩み事を聞くことだからね」

「ありがとうございます。その、単刀直入に言いますと、今、私はもうデザイナーの仕事をしていないのです。だから名前も変わっていまして。空様に移動を命じられて、デザイナーから管理員になりました。私は自分がどうして管理員にさせられたのかが納得できていないのです。私の普段の様子などを知らない桅さんにはどうしようもない悩みかもしれないことは承知なのですが、空様はどうして私をデザイナーから外したのでしょう。長く神を務めてきた桅さんの意見を教えてくださいませんか?」

 桅は少し空を仰ぐようにした。

「君の作品は知ってるよ。思わず見とれてしまうような夕暮れをいつも描いていたね。地上から見ていた。君は美しさの創造に妥協しない」

「妥協がないからでしょうか」

「違う。妥協がないのは君の単なる性格であって、欠点ではないし、デザイナーとしての素質をなんら損なうことはない。むしろ美徳だ」

 ならばなぜ、と藍は言いかける。

「……僕が思うに、君が悩んでいるのはきっと、信念のせいだ。信念とは思い込みとも言い換えられる」

「どんな思い込みですか?」

「人間の幸福についての思い込みだ。君は人間の幸福というものの枠を作ってしまっている」

「私は人間の幸福を勝手に決めつけて、それに沿わないから悩んでいるということですか」

 桅は顎を指で触るようにして、紡ぐべき言葉を思案する。

「僕たちは神だ。神は人間の人生を変えることができる力を持っている。全部の神がだよ。人間を幸福にする力を持っているんだ。しかし、神は幸福の定義を知らない。全部の神が、だ。僕は長らく神をやってきたけれど、いまだにその定義を模索している。人間の幸福というのは誰にもわからないんだ」

「私がよかれと思ってしていることは、幸福のためになっているとは限らないと」

 桅は軽く首を振る。

「君のやっていることは正しいさ。人間の幸福のためを思って、最高の作品を創る。そう僕は思うよ。でも、結局神一人いても、人間の人生に及ぼせる影響なんかちっぽけなものなんだ。その事実はある意味、幸福の定義を知らない神への救済ともとれる。人間は神が思っているよりずっと力強く自分の人生を変えていく。君はきっとそのことを、まだ深く理解できていない。思い込みによって、これを否定しているんだよ」

 藍は桅の言葉を頭の中で噛み砕こうとする。

「神の力量と可能性を理解したとき、君は今の仕事を好きになることができるんじゃないかな」

 桅は優しく微笑んで藍のもとから離れていく。藍の頭の中で、透明な水の入ったグラスにインクを一滴落とすように桅の言葉が波紋を描き、やがてインクは形を変えながら水の中にゆっくりと溶けていった。

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