眠れる森の美女になりかけた王女は、辺境でスローライフを始めます。すでに結婚していますので、今さら王子さまからプロポーズされても困るのですが。
「ねえ、今回の魔法薬の仕上がりはどうかしら?」
「多少濁りはありますが、適正範囲ではないでしょうか」
私の質問に、ノアが魔法薬の入った瓶を光に透かしながらにこりと笑った。ひーん、厳しい!
「結構頑張ったのに、まだこれでもイマイチなの?」
「一般用としては問題ないですよ。むしろわたしが作ると高ランク過ぎる魔法薬が出来上がってしまうので、ルイーズ姫くらいのルーズな作り方でちょうど良いとも言えます。辺境の村で最高級品を安売りするのもあまりよろしくないので」
「全然フォローになっていない上、私の名前に対して不敬過ぎでは?」
まあ確かに、元宮廷魔道士のノアが最高級品を露店で投げ売りしたら、近隣の薬屋さんたちが軒並み閉店する羽目になるだろうけれど。他に買い物先のない田舎で村八分とか、想像したくない。
「はいはい、愚痴はそれまでにしておいてくださいね。明日の朝市に備えて、今日は早めに休みますよ。晩御飯の準備にとりかかりますので、ルイーズさまは今の間にお風呂の準備をお願いします」
「そこは一緒に夕食の準備じゃないの?」
「魔法薬作成で結構時間を食いましたので、今日は料理のお手伝いをさせてあげる時間がありません」
「完全に戦力外の子ども扱い」
「ほらほら、時間を無駄にしないで」
「ノアは、私のお母さんか!」
魔法薬と同様に料理上手なノアに急かされ、私は慌ててお風呂場に向かった。第一王女の辺境生活は、本日も和やかなものである。
***
おそらく誰も信じてくれないだろうが、私はこの国の第一王女だったりする。それがなぜこんな辺境で暮らしているかというと、義妹の身代わりで呪いを受けたからだ。
今代の聖女は義妹のデボラただひとり。王家と神殿の繋がり強化のために、第二王女として迎えられたのけれど、これがなかなかどうしてわがままがすごい。まあ、あの子の立場を考えると頭ごなしに叱るわけにもいかないし、うちの両親も突き放せないんだろうけれど。
それでもさすがに、国を守護する聖なる薔薇を盛大に切った結果、茨の呪いを発動させちゃうとは思わないよね。「だってキレイだったんだもん」じゃないよ。切るなよ、絶対に切るなよと言われているものを切ってしまう、それがデボラクオリティー。
しかも私がかつてねだられて作った、お手製のお守り(材料:折り紙、状態:作成者が不器用なためボロボロ)をデボラが持っていたせいで、呪いが私に移っちゃうとかね……。いや、聖女が死ぬよりはいいんだろうけどさ。
本来なら即死のところを、私付きのノアが絵本の眠り姫になぞらえて「長き眠り」に置き換えてくれたので、なんとかこうやって生きているというわけ。
ちなみに呪いが解けるまで城で保護される予定が、デボラが私を見るたびに泣きわめいたために辺境まで運ばれちゃったのだとか。起きたら見知らぬ田舎だもん、びっくりしちゃうよ。デボラの癇癪、恐るべし。
もちろん、起こしてくれるはずの白馬の王子さまはやってきませんでした。一応幼なじみの婚約者――隣国の第二王子――はいたんだけどねえ。なんでも、呪いにかかってぶっ倒れるような鈍臭くて年増の姉より、若くてぴちぴちの義妹の方がいいってうちの両親の前でほざいたらしいよ。けっ、バーカ、バーカ。
それでどうやって目覚めたかと言うと、不明。そう、不明なのだ。その辺り、ノアは詳しく話してくれない。これは予想なんだけれど、たぶん自力なんじゃない? 一応第一王女だというのに、人気なさ過ぎか。婚約者どころか、王子さまじゃなくってもいいからさ、誰かちゅーのひとつくらい、試してくれよ。1回や2回、減るもんでもなし。はっ、まさか。
『もしかして、ドン引きするくらい大口開けてた?』
『いいえ』
『薄目が開いていた?』
『別に』
『寝相が悪すぎた?』
『特には』
『ま、まさかいびきが!』
『まあ気持ちよさそうに寝てはいましたが』
『じゃあ、どうして!』
王子さまもいないのに目覚めてしまったとか、非常にいたたまれない。城の両親になんて報告すればいいのよ。王子さまのキスはなかったけど、自力で起きましたよ☆とか完全に不名誉だ。婚約者を失ったあげく行き遅れ決定とか、親不孝以外のなにものでもないのでは?
城に帰れないとうち震える私にアフターフォローを申し出てくれたのもまたノアだ。完全にとばっちりだろうに文句を言うこともない、忠義者だよ、君は。そんなこんなで、ほとぼりがさめるまでと言いつつ、もう数ヶ月もここでのんびり暮らしている。……政務ほっぽりだしてるんだけど、大丈夫なのかな……。いやうん、考えないようにしておこう。
***
翌日、朝市の会場にてノアは近所のおばちゃんたちに囲まれていた。
「あら、今日もノアさんは美人さんね」
「ありがとうございます」
「ルイーズちゃん、ノアさんのことしっかりサポートしてあげてね。あんな綺麗なお貴族さまには、田舎暮らしは辛いだろうからね」
もしもーし、目の前にお姫さまがいるんですが、その辺りはスルーですかね? 王女、つまりプリンセスですよ、わかりますかー!
足元では、私の嘆きなんて知ったこっちゃない番犬のスーさんが、いい感じの棒を咥えて尻尾をふりふりしている。OK、OK。後から存分に遊んであげるから、まずは品物を売り切らなくっちゃね。看板犬としてがんばっておくれ。
気まぐれなスーさんは二重人格どころか三重人格くらい性格がかわるのだけれど、今日は人懐っこいスーさんなので招き犬としての効果は抜群だよ!
「身バレするどころか、普通に農村に溶け込めてしまう自分のオーラの無さに震えるわ」
「いいことじゃありませんか」
「むしろ田舎暮らしでは、『ぐへへへ、余所者がこの辺りで住むならわかってんだろうな? 井戸を使いたけりゃ、身体で払ってもらうぜ?』みたいな悪徳村長とかによるゲスい話があったりすると思ってたのに。みんな親切!」
「自分が治める国をなんだと思っているんですか。下らないことを言ってないで、しっかり売り子をしてください。お金を稼げなければ、今週はおやつの甘味はありませんよ」
「そんな、殺生な!」
「働かざるもの食うべからずです」
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ! 傷薬に、熱冷まし、咳止めはいかがでしょうか。お安いですよ!」
声を張り上げれば、どれどれと覗き込むお客さんたち。価格交渉は苦手だけれど、お客さんとのおしゃべりは嫌いじゃない。
「ルイーズちゃん、これは?」
「特製の虫除けですよ。害虫の種類によってそれぞれ効果が分かれるので、何相手に使いたいか教えてくださいね」
「軟膏はあるかい。ここのはよく効くんだよ」
「ありがとうございます。これから乾燥しがちになりますから、少しおまけしておきますね。しっかり規定量使ってくださいよ」
王城でのお仕事は、デスクワークがメインだ。長ったらしい法律も頭が痛くなるような数字の計算も、すべてはこの国に住む人々のために必要なこと。けれど、王城からはみんなの姿が見えない。だから、こうやってみんなの実際の暮らしに触れられることがとても嬉しい。
ずっとここで暮らしたいなんて思うくらいだけれど、そろそろお城に帰って仕事をしないといけないんだよね。これ以上両親と義妹に任せっぱなしにするのは、さすがにまずい。
「ところでルイーズちゃん、知ってるかい」
「なにがですか」
「ここ最近近くの村で、 『白馬の王子さま』を名乗る不審者が出ているらしいよ」
「仮装大会でもやってるんでしょうかね」
「さあ、でも見れば一発でわかるような格好らしいよ。あ、ほら、あそこにいるみたいなやつ」
「あそこにいるみたいなやつ?」
あ、本当にいるわ。ギンギンギラギラのザ王子さまスタイルのひとが。ずんずんこっちに近づいてくるんだけど、私に用事とか勘弁してほしいわあ。
***
目に眩しいそのひとは、いきなり私の両手をつかんだ。おいおい、まずは挨拶とか頭を下げるとかでしょうよ。
「こんなところにいたのか、ルイーズ! 頼む、俺と一緒に王都へ帰ってくれ!」
「え、ルイーズちゃんを迎えに来たの?」
「こっちのイケメンじゃなくて?」
おばちゃんたち、それ酷くないですか? 確かに私よりもノアの方が高貴な感じするけどさあ。
噂の不審者が元婚約者とかさすがの私もびっくりだわ。よし、とりあえずなんか売りつけよう。
「いらっしゃいませ」
「おい、ルイーズ」
「会話をご希望ですね。10秒で銅貨1枚となります」
「どこのぼったくり酒場だ!」
「えー、私から義妹に乗り換えた婚約者とタダでしゃべりたくなんかないし」
「ルイーズから離れてわかった。やっぱりルイーズ、俺にはお前が必要だ」
「この間、散々デボラのことを誉めていた癖に?」
「あれは、噂だけを耳にしていたからだ。実物を見たら、勘違いだったことに気がついた。それにデボラも言っていたぞ、お前が俺と結婚するのなら、慰謝料なしで自分との婚約を解消してもいいと。さあ、結婚しよう」
勘違いねえ。散々こちらは説明したのに、耳を貸さなかったのはどなたでしたっけ? ツッコミは果たせないまま、元婚約者の愚痴は続く。
「ルイーズ、聴いてくれよ。俺だって、浮気はよくないと思うんだ。だから、ちゃんと説明した上で他の女の元へ通おうとしたら、なんと断種すると脅してくるんだぞ! 横暴過ぎるだろう」
「ふーん」
「書類仕事をすれば、『そんなことも知らないの』と馬鹿にしたり、数字の間違いを上から目線でネチネチ指摘したり。こちらは婚約者だ、手伝っているのをありがたく思うべきではないか」
「へー」
「それになんだ。あの気まぐれさは。もう少しわがままを抑えて、おとなしくすることはできないのか!」
「ほー」
このひと、本当に何もわからないまま私からデボラに乗り換えたのね。ここまで頭空っぽで、よく暮らしてこれたもんだわ。これ以上説得するのも面倒くさいし、さくっと諦めて帰ってもらおう。
「すでに結婚していますので、今さらプロポーズされても困るのですが」
「は?」
「ですから、既婚者です」
「う、嘘だ!」
まあ、嘘だけれども。いいじゃん、嘘も方便だよ。ちらりと隣のノアを見れば、わかっていると言わんばかりに微笑まれた。そのまま腰に手を添えて、ぐっと引き寄せられる。ちょっと、ノアったらノリノリじゃん。
「まったく、ひとの妻に手を出すとはいい度胸ですね」
「だがデボラは確かに、『お義姉さまと結婚できたなら許す』と言ったんだぞ!」
ノアが前線に立ってくれるなら、おバカさんのお相手はお任せしちゃおうっと。きゃー、ノアったらカッコいい、やっちゃえー! 振り返ってウインクとか、余裕じゃないですかー。
「そもそも第二王女殿下は、本当にあなたを許すつもりだったのでしょうかね」
「どういう意味だ」
「どういう意味も何も。第二王女殿下はわたしたちの関係をご存知ですからね」
「う、嘘だ……」
嘘です。ノアったらさらに嘘を盛るなんて、まったく意地悪だね! いいぞ、もっとやれ。
「ルイーズさまと結婚できないことをわかっていて、あなたを煽ったのでは?」
ありうる。日頃から、笑顔で意地悪なぞなぞを出してくるし! 「パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?」って聞かれて、答えるたびに正解が変わるもんね。パンダ、フライパン、Gパン、この間は腐ったパンだったっけ?
「……そんな」
「それに第二王女殿下のことですから、他にも条件をつけられたのではありませんか。例えば、『自分との婚約解消をほのめかし、さらに第一王女との結婚ができなかった場合には、第二王女の部下として無期限で辺境で開墾に従事する』とか」
「!」
図星かあ。デボラったら。また相手を煽りまくって冷静な判断を失わせたあげく、自分の都合のいいように誘導したのね。私も最初の頃はこの手に乗って、よくゲームに負けたものよ。見た目に騙されて相手を舐めてかかると痛い目にあうって学ばされたわ。
***
「どうしてだ。どうして、俺ばっかり、こんな目に!」
「まあまあ。辺境も結構いいところだよ?」
まるで魔王との戦いに負けた勇者のように、地面に膝をつき悔しがる元婚約者。でもカッコつけたところで、内容が内容だからね。そもそもこのひとの場合、自業自得だし。
「あら、これからここに住むのならうちの近くなんてどうかしら」
「縁ができたのだもの。これからは家族だと思って頼ってちょうだい」
ちょっと、おばちゃんたち! 興味津々なのはわかるけれど、いっぺんに話しかけてもわかんないからね。落ち着いて。あとは、もうちょっとダメ押しが必要かな。ノアに矢面に立ってはもらったけれど、やっぱり自分の言葉で拒絶しておかないと、後々までまとわりつかれたりしたら面倒だし。
「ねえ、デボラを放っておいて他の女性の元に通って許されると思った?」
「貴族の男が妾を持つのは普通のことだ」
「あなたは婿養子なの。種をそこらへんに撒き散らかされたら困るのよ。それにもしもデボラの夫になっていたなら、一生清く正しい生活になるのよ。だって聖女の夫なんだから」
「俺に童貞のままでいろというのか!」
あ、童貞なんだ。また要らない情報を得てしまった。ほら、おばちゃんたち、意味深な笑みを浮かべないの。
「数字の間違いを上から目線で注意されたって言われてもね。結婚したら仕事はできて当然なの。まさか本気で、種馬として働くつもりではなかったよね?」
「だが、言い方というものがあるだろう!」
「年下に間違いを指摘されてプライドが傷ついたというのなら、計算間違いくらい自分で気がつきなさい」
本当に情けない。国は異なるとはいえ、同じ王族。このひとこそが、デボラを教え導く立場であったとしてもおかしくはないのに。
「それから、デボラが気まぐれでわがままだなんて。考えてもみて。あなた、自分があの子の年齢の時におとなしくしていられた?」
「くっ」
「できなかったはずよ。むしろ、できていたと言い張るなら、あなたが都合よく忘れている黒歴史を一から十まで披露してあげるわ。えーと、私を池に突き落としたのは……」
「や、やめろ! まだあの時のことを恨んでいるのか」
「だから、恨んでなんかいないってば。ただ確認しているだけよ。4歳の子どもにどうこう言っても、無理なものは無理なの。あの年頃にしては、あの子はおとなしい方よ。あなたより賢いし」
そう、まだたったの4歳。だからと言って、聖なる薔薇を笑顔で切っちゃうのはどうかと思うけれど。
「ねえ、一体どうしちゃったの。最近、なんだか変よ。私から義妹に乗り換えるにしてももう少しやりようがあったはずだし。どうしてあんな馬鹿な真似をしたの」
「……デボラだ。全部デボラの仕業なんだ。あいつからもらった手紙では、もう成人してるって書いてあったし。それ以外にもルイーズから自分に乗り換えたらいろんなメリットがあるって言われて……。本当なんだ、ルイーズ、信じてくれ」
……心配して損しちゃった。言うに事欠いてデボラのせいだなんて。幼児に責任転嫁をするなんて、大人のやることじゃないわ。もしも万が一デボラが大人をからかうようなイタズラをしていたのだとしても、裏付けをとらなかった元婚約者が悪いのよ。私たちが生きる世界は、甘くないんだから。
「まったく」
「俺は知ってるんだ。あいつが薔薇を切った理由も、お前をここに追いやった理由も!」
「薔薇を切ったのは、私の誕生日プレゼントにしたかったから。私をここに送り込んだのは、自分のやったことに耐えられなかったから。泣きすぎて吐いちゃうような状態なんだから、仕方がないの」
「それを信じるのか」
「子どもの反省に意味はないとでも言うつもりかしら。まあ、神殿側への説明は大変だったみたいだけれど、デボラが聖女だったことでなんとかなったみたいだし」
反省できるだけデボラは育てやすい子だ。魔のイヤイヤ期だって、ほとんどなかった。侍女たちから聞いて戦々恐々としていたから、物分かりの良さにもうびっくりなのよ。
差し出されたクッキーを食べたら「クッキーが無くなった、ひどい。返して」とか、「お兄ちゃんがほしい。今すぐ産んで」とか言わなかったからね。聖なる薔薇は切ったけどさ……。
「いいや、そんなことで聖なる薔薇を切るなんておかしい。デボラはきっと前世持ちに違いない!」
「あなた、自分が何を言っているかわかる?」
「……あ、いや、ちが」
「何が違うって言うの?」
前世持ち……それはこの世界では最大の侮蔑だ。この世界に輪廻転生は存在しない。唯一の例外は、罪を雪ぐために転生を繰り返している魔王だけ。人間の器に閉じ込められた魔王は、転生のたびに少しずつその力と記憶を失っていくのだそうだ。そしてすべてがこの世界から消え失せたときに、ようやく真の平和が訪れると言われている。神殿と聖女は、それまでこの世界を見守っている。
聖女であるデボラを前世持ちと罵ることは、聖女を魔王と名指ししたことに他ならない。いくら言葉のあやとはいえ、これ以上は庇いきれない。
それに私は怒っているのだ。私の可愛い妹を魔王扱いするボンクラなんて、もうどうなっても構いやしない。
「迷惑なの。もう二度と私に関わらないで」
「そんな、ルイーズ。俺の話を聞いてく、あ、あれ? るいず、からだが、たすけ」
「あんまりふざけてると、我が家のスーさんにお尻を噛んでもらうから。出ていって!」
思い通りにならなかったことがよっぽどショックだったのか、よたよたとタコ踊りをしながら彼はどこかへ行ってしまった。
***
「なんか、疲れちゃった。商品、どれくらい売れてたっけ。ある程度さばけたなら、もう帰りたいな……って、ノア、何をそこで盛り上がっているの?」
「何って、ふたりのなれそめについて話しています」
「はあ?」
瞳をきらきらと輝かせたおばちゃんたち。娯楽が少ない田舎では、ちょっとした痴話喧嘩ですら噂になるのに、こんなの面白おかしくみんなが飛びつくに決まっているでしょうが。
「やだもう、ルイーズちゃんったら、めちゃくちゃロマンチックじゃない!」
「呪いをかけられたけれど、愛するひとのキスで目覚めたなんてお姫さまみたい!」
いやだからですね、私、元からお姫さまなんですよ。生まれた時から王女さま、将来は女王さまなのよ。みんな、聞く気ないよね?
「それでプロポーズの言葉は?」
「新婚旅行はどこへ行くの?」
「子どもは何人欲しいのかしら?」
ひいいい、おばちゃんたちの押しの強さには敵わないよ! 誰か助けて! 番犬のスーさんはにこにこしながら一緒におばちゃんたちのおしくら饅頭に混じってくるし、ノアはなんだか嬉しそうだし。
「ルイーズさまは、わたしが夫ではお嫌ですか」
「そんなこと、ないけど」
むしろ、このままノアと一生辺境暮らしなら幸せだろうなって言うくらい好きですけど!
「けど?」
「だって、さっきの話はあくまで元婚約者対策で」
「違いますよ。わたしは、ルイーズさまのおそばにいたかったから一緒に辺境まで来たんです。本当に何もしないで目覚めたと思ったんですか。あんな元婚約者なんかに、あなたを譲るわけないでしょう? わたしのルイーズ」
ひえっ、破壊力抜群。突然の名前呼びで腰砕けだよ。美形、恐るべし。周りのおばちゃんたちもみんな立ちくらみを起こしたみたいで、いっせいに崩れ落ちている。うん、うん。わかるよ、その気持ち。
「それでは、いつ頃城に戻りましょうか?」
「え?」
「ご両親に合わせる顔がないと言っていたでしょう。でも、晴れてお婿さんができたわけですし。第二王女殿下もお待ちかねのようですしね」
ゆっくりと周りを見渡す。数ヶ月のうちにすっかり馴染んだこの土地。おおらかで優しくて気のいい近所のおばちゃんたち。家の裏の畑には、育てている途中の薬草や野菜たちがある。それはきっと他のひとに引き継いでもらうこともできるだろうけれど、もう私の手では育てられないのだろう。
「……ここから離れるのは寂しいね。まあ、王族がいつまでものんびりスローライフとかやってる場合じゃないか」
「……なるほど、わかりました」
「ちょ、何やってるの?」
「いえ、次元をいじって、こちらと王城を繋げました。わたしが設定したひと以外は通れませんので、安心してください」
「そんなさらりと、伝説の魔王さまみたいなことをして……」
「お嫌でしたか?」
「まさか。さすが、ノアはすごいね! これでお仕事をしながら、気軽にこっちに遊びに来られるのね!」
ちょっとやんちゃな義妹を立派に聖女に育て上げ、私は女王としてこの国をよりよい方向に導いてみせる。自分ひとりなら無理なことでも、ノアと一緒ならなんでもできるような気がした。
わたしのお気楽スローライフは、まだまだ始まったばかりなのだ!
***
「おねえさま! デボラが あそびに きました!」
「デボラ、ルイーズはお隣の奥さんたちの手伝いに出かけて留守ですよ」
お勉強の合間にお部屋に飛び込んだというのに、いるのはクソ野郎だけ。ああなんということでしょう。タイミングよく、辺境の家の方にお出かけされてしまっているようです。
追いかけたいのはやまやまですが、次元の扉に登録されていないわたくしには、待つことしかできません。まったく腹立たしいことですわ。早くわたくしのことも登録しやがりませ。
まさか、おねえさまがここまで辺境を気に入ってくださるとは思ってもみませんでした。わたくしが神殿を潰す際に、万が一のことがあってはならないとおねえさまを避難させた辺境の地。
選んだ理由はただ単に、忌々しい聖なる薔薇があった王都から離れているおかげで、わたくしたちの力が一番効率的に使える土地だったからなのですが。
「ちっ、お前しかいないのだったら来るんじゃありませんでしたわ」
「すごいですね。その猫のかぶり方。よくもまあルイーズにバレないものです」
「年季が違いますもの。それにお前にだけは言われたくなくってよ。辺境の自宅周辺はえげつないほど強固な結界、村人は問答無用で洗脳、ご丁寧におねえさまにも目眩しをかけているでしょう。ケルベロスまで番犬に引っ張り出して」
「洗脳だなんて人聞きの悪い。善性をより発揮するように、少しばかり働きかけているだけです。ルイーズは露悪的なことを言うわりには、人間の善性を信じていますから」
確かに。昔からおねえさまは、相手のことをすぐに信用してしまいますのよね。人間は愚かで自分勝手ですぐに裏切るから、滅んでしまえばいいのですわ。そうすれば、世界にはわたくしとおねえさまの二人きり。なんて素敵な世界でしょう。
「さらりとわたしを消さないように」
「うるさいですわね」
「あなたとわたしは、表裏一体。片割れのわたしが消えれば、すぐにあなたも転生させられますよ」
「はあ、いやですわ。初代の聖女と一緒に転生できることは幸せですが、力と記憶に分けられたのはいただけませんわね」
「まあ過ぎたことを悔やんでも仕方がないでしょう」
まったく、あの時も勇者が邪魔をするから。あ、そういえば。
「辺境に固定した『勇者』はどうなりましたの?」
罠に引っかかったあげく、おねえさまに嫌われた馬鹿な男。でもずっとずっと昔、一番最初におねえさまを裏切ったのはあの男ですから当然の結果ですわ。
「ルイーズの口からはっきりと『もう二度と私に関わらないで』という言葉が出ましたのでね。ありがたく、『縁』を切らせてもらいましたよ。彼は同じ土地にいたとしても、一生ルイーズに出会うことはできません」
「今世の勇者も愚か者でしたわね」
「そうですね。面白いほど、勇者は毎回選択を間違えます」
「彼はきっとこれからも間違え続けますわ。一番最初に手放したものは、永久に戻ってくることはないというのに」
言葉は力。約束は呪縛。これでおねえさまは、わたくしたちだけのもの。魔王の力を持つノアと、魔王の記憶を持つわたくし。封印を施した聖女によって二つに分けられたわたしたちですが、おねえさまへの執着は転生を繰り返すごとに増すばかり。
可哀想なおねえさま。本来、聖女だったのはおねえさまだったのに。聖なる薔薇は、ただおねえさまを守ろうとしただけなのに。でも、もうあの薔薇が咲くことはないでしょう。わたくしが、しっかり念入りに潰しておきましたから。
ねえ、おねえさま。ノアがかけた魔法はね、おねえさまが素直になるだけの効果しかないんです。わたくしたち、知っているんです。あの時だって、本当はおねえさまは魔王を嫌っていたわけではないということを。
ぱたぱたと軽快な足音が聞こえてきました。おねえさまが帰ってきたようですね。
「あらデボラ、いらっしゃい。遊びに来ていたの?」
「おねえさま、こんにちは」
「ちょうど用事があって。遊んであげられなくてごめんなさいね。待ちくたびれたでしょ?」
「いいのです。あの、おねえさま。きょうは、おねえさまの おへやに おとまりしても いいですか?」
「ええ、もちろんよ」
「わあい。じゃあ、おふろも いっしょに はいりましょうね」
「いいわよ」
「よるも いっしょに ねたいです!」
「あらあら、デボラは甘えんぼさんね」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、おねえさまの匂いを存分に味わいます。おねえさまの肩越しには、青筋を立ててこちらを睨みつけるノアの姿が。ふふふ、これこそ子ども特権ですわ。わたくし知っていますのよ、まだおねえさまとノアは、初夜を迎えていませんものね。ええもちろん、これからもがんがん邪魔させていただきますわ。
わたくしは配偶者の座など望みません。大切な家族として一番近くにいられたらそれでいいのです。勇者のように失敗を繰り返すなんて馬鹿のすることですもの。邪魔な神殿も聖なる薔薇もなくなった来世は、どれだけ楽しいものになるでしょう。素敵な人生を邪魔されないためにも、これからもがんばりますわ!
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