ショート 吟遊詩人(ロマンチスト)の詠唱は終わらない
穏やかなギターの音色が砦の一室を満たしてゆく。
「――ああ、その女神の髪に触りたい。絹のような光沢に、金色を放つ糸に――」
「頼むからそろそろバフかけてくれないか」
ギターの音色が、止まる。
「……集中が途切れたではないか、ええと……どこまで歌ったか……女神の髪に触りたいー」
かれこれ15分。
目の前の中ボスは尖った爪を眺めて、時折壁の青白い松明へとかざしながら。
魔術師は立ったまま居眠りを始めてしまった。
俺と髭面の勇者は呆れ顔で見つめ合い、他にすることも無いからと吟遊詩人を見つめる事にした。
「――まるで秋風のような香りに包まれ――」
「……アイツを吟遊詩人に転職させたのは失敗だったな、じいさん」
「……歌の才能はあると思ったが、ここまでくどいとは思わなかった。しかし、この状況をどうする……」
吟遊詩人が唱え終わるまで、身動き出来ない。見えざる手により押さえつけられたかのように足は地面から離れず、恐らく目の前の怪物も同じなのだろう。懐から爪切りを取り出して――。
「あ! それ反則じゃん! それアイテム使ったよね!」
「狡いも何もなかろう。戦闘中に爪の手入れなぞしたのは初めてだが、まさか役に立つ日が来るとはな」
くそう……俺も何か……。背中のリュックから取り出せれば良いが、それで行動したと見なされる可能性もある。
「じいさーん、こっちも何か無いのか。暇つぶしになるようなモンとかさ」
「黙って聞いておけ。バフはお前さんに掛かる筈なんだから……」
「だって、こんなん聞いても分かんねーしさ。さっきから女神女神って言ってるからそっちに届けばいいんじゃねーの?」
「……やはり、いきなり実戦投入はマズかったのかもしれんな……」
話しかけて詠唱の邪魔をする訳にはいかない。
「爪切りさ、使い終わったらこっちに投げてくんない? ちょっと伸びてるからさ」
「……別に構わんが。投げても行動にカウントしないというのなら、だが」
「じいさん、良いよな? 頼むから良いって言ってくれ。ヒマすぎて俺も睡眠りそうなんだ」
「――次は俺に向かって投げる、ならば許可する」
宙を爪切りが舞い、足元に落ちた。
「あーっ!! おい、ちゃんと投げろよ! どこ見て投げてんだこのヘタクソ!」
「……当たってダメージが入ったらカウントされるではないか」
「そんなんゼロダメだろ! 変なところで気を回すから……ああー、届かないじゃんやっぱり」
両足を動かさずにしゃがみ込み、指を伸ばす。しかし爪切りには届かない。
「……剣士なら、その剣を使えば良いのでは?」
目の前の、実は優しいんじゃないかと疑い始めた化け物にアイデアを出された。
そうか、確かに……両手剣を片腕でプルプルさせながら、ゆっくりと爪切りを引き寄せる。
すまねぇ、デュランダル……まさかお前をこんな事に使うなんて。宿に帰ったらいつもより念入りに磨いてやるからな……。
「ようやくだぜ……」
朽ち果てた砦の内部、青白く照らされた室内に爪を切る音が響く。吟遊詩人の詠唱はまだ続いているが、こちらなど気にもしていないようだ。
「――その時の声がぁ――」
切り終えて、勇者へと爪切りをゆるやかに放り投げた。上手く左手でキャッチすると篭手を外していく。
「装備の切り替えは行動に入るのではないか? 勇者よ」
「剣を右手から左手に持ち替えても行動ではない。これは篭手を持ち替えただけ……とするのは詭弁か?」
「なるほど、ならば……これも許されるのだろうな」
腰に下げていた瓶へと手をかける。
「な、何しようってんだ?」
「何もせぬ。ただ中身を胃の中へと"移動させる"だけだからのう……」
何かしらの液体を、喉を鳴らしながら"移動"させていく。
濡れた口元を、毛皮に覆われた腕で拭いながら、ぶはーっと息を吐く。
「……まさかこの匂い、酒か……なあ、魔族の者よ。それを一口だけ――」
勇者が言い終わらぬうちに。
「ならぬ。これは人にとって毒なのだ。状態異常付与が行動と見なされてしまうからのう、残念じゃのう……」
やはり嫌なヤツだった化け物は、うまそうに、見せつけるように二口目を流し込む。
「……剣士よ、何かないか。この際、幻覚治しのポーションでも構わん」
「ないよ。魔術師に全部持たせてるじゃん」
「一体誰がそんな事を。行動不能になったらという事を考えておらんな……馬鹿者め!」
「いや、薬は分からんからまとめて持っておけって言ったの、アンタだよ」
「くそう……飲みたい……もう、我慢ならん……」
悔し泣きを始める勇者、それを酒瓶片手に見つめる化け物。いびきをかき始めた魔術師……。
そういや、今何時だ。腰にぶら下げている懐中時計を手にとる。
詠唱が始まってから3時間。
「おい、そろそろ日が暮れてきそうなんだが……じいさん」
「もう、そんな頃合いなのか。喉が乾くのも頷ける……」
「幹部会議に出なくてはならないのだが、これでは動けぬ。誰ぞ吟遊詩人に干渉術をかけてくれぬかのう……」
「あの、私……それ使えます。でも唱えていいんでしょうか、味方に」
いつの間にか覚醒していた魔術師が、メガネを上げながら全員に問う。
「んー、どうかな。やってみたヤツはいないだろうし……」
「許可する。いい加減足も疲れた。宿に帰って酒が飲みたい」
「たとえ唱えたとしても、儂には聞こえん。詠唱の"練習"が聞こえたところで行動とも見なさぬ」
全員の意見は、まとまった。
「誰かしら聞いてるのかも知れないが、いいよな! 吟遊詩人の戯言、これ以上聞きたくないだろ、女神さまよぉ!」
俺が言い終わると同時に魔術師が詠唱を始める。簡潔にまとめられた言葉の矢は光となって吟遊詩人へと突き刺さり、貫通する。
『ぎんゆうしじんのえいしょうが ぼうがいされた。それでもぎんゆうしじんは あきらめない』
「女神さま、どうかお願いです。アイツのギターを耐久切れで破壊してください」
俺は動かない足を逆手に取り、全身の筋肉を使って土下座のようなポーズを取った。
『けんしのこんがんにより ギターははかいされた』
体が思い通りに動く。これで俺は動けるようになった……。
「なあ、提案なんだが……今日のところは"逃走"しないか? 酒も入ってるだろうし、万全の状態でやりあおうぜ」
「良かろう。そもそも何のために戦い始めたか……憎き人間を滅ぼすと言ったが、憎めない人間も居るのだと知って驚いていたところだからのぅ……」
真っ二つに割られたギターを大事そうに抱える束縛術師を残し、両陣営は再戦に備えて歩き始めた。
新たな戦法を身につけ始めた各地の吟遊詩人は神殿へと申請し、自らを束縛術師だと名乗り始めた。
戦うのが面倒になった魔王軍は領地を手放し、その歌声を聞きたくない者は城へと帰った。
わざわざ魔王へと直接聞かせに行こうとした者も居るらしいが、門前払いされたようだ。
倒すことだけが正義ではない、と噴水の縁に腰掛けながら、吟遊詩人が今日も平和を歌う。