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エイサイ的少女のランドスケープ  作者: みのり ナッシング 原作: 大和麻也
Episode.02 ぎょうじ
6/16

Ⅰ 部活


 あれはなんだったのだろう。

 10分ほどしたら「探偵」の気配は感じられなくなり、身体の感覚も元通りになった。あまりに現実感がないせいか、さほど驚いていない自分がいる。

 急に、身体が自分のものではなくなったようになった。世界がモノクロになり、耳鳴りが聞こえて。私は意識の奥に沈み、世界と隔絶された。


『わたしは名探偵だよ!』


 まるで自分が誰か他の役を演じていて、それを舞台袖から眺めているような感覚だった。私は私ではなかった。何者かの意識が身体を支配していた。

 あの子は私の口を借りて、推理をした。彼女自身が名乗った「探偵」のように。


「それにしても、ほたるったら」


 マリーさんに声で我に返る。彼女はさっきから、ほたるさんのイタズラな行動に呆れ果てながらも、私を部室まで案内してくれていた。文化祭という一大行事に向けた部活動に、私が混ざることを快く了承してくれたのだ。

 そして私はといえば、ひとまず摩訶不思議な状況からは脱却できたことに安堵し、気が抜けていたというわけだ。身体は自分で動かすことができるし、あの子供っぽい口調の声も聞こえない。先ほど探偵が派手に暴れてくれたが、これ以上恥を上塗りするわけにはいかない。しゃんとしなければ。


「だってー。ちょっと脅かせようと思っただけやん」

「もう。……本当にごめんなさいね、ほたるがこんな感じだから疲れたでしょう」


 昔から、突発的な事態からの立ち直りは早い方だと思う。短く息を吸った時にはもう、完全にいつもの自分に戻っていた。にこやかに応答する。


「いえ。ここに来るまでも色々お話ができて、楽しかったです」

「それなら良いんだけど」

「うん、野学部のこともいっぱい話したしな――ていうか英奈ちゃん、そんなキャラやったんですね。急に『名探偵』とかって」

「ふふ。少しはしゃいでしまいました」


 困ったような顔をして微笑んでみせる。探偵と交代している時から感じていたが、やはりほたるさんたちは私の「キャラ」として解釈してくれたようだ。不幸中の幸いとして、なんとか取り繕えたことを喜ぶべきか。

 心の中に誰かが入り込んだなんて、普通なら信じられないだろう。あの少女はいなくなったのだろうか? 彼女の言説を借りるなら、「眠った」という。

 手っ取り早く解釈するなら、私は心の病気ということになる。だがそんな徴候は感じたことがなかった。二重人格――解離性障害の誘因は強大なストレスというけれど、奈良に来てからはおろか、それまでの生活でも全く心当たりはない。

 仮定ばかりになるが、彼女が現代科学で説明できるような現象ではないとしたら。いったいなにがきっかけだったのか。思い当たることを無理矢理挙げることは可能だ。私のなにげない発言に反応したようだった。


『さて』


 名探偵、皆を集めて「さて」と言い。探偵小説では、謎解きを始める際のお決まりの言葉だが……幼い少女は自らを「探偵」と称した。さらに、最後に彼女が口にした「推理対決」という言葉。思い付くのは、多重推理を扱ったミステリの数々だった。奇妙な符合に、喉がつっかえたような収まりの悪さを覚える。

 いやいや。あの子の話を真に受けてどうする。私は軽く頭を振って、雑念を追いやることにした。探偵についての疑問は枚挙に暇がないが、今は旅先での出会いを楽しむべきだろう。正しく旅行者として。

 そんな発想に落ち着いた時、思ったよりも図太い神経をしていた自分に、乾いた笑いを漏らしてしまう。幸い、前をいく二人に気付かれることはなかった。

 私たちはマリーさんがさっきやってきた通路――中庭を取り囲む回廊を通り、南側の校舎の中へ入る。昇降口と同様、陽が当たらない廊下はひんやりとしていた。夏期休暇中のためか、蛍光灯が消されていることも涼しげな印象を助長しているのかもしれない。


「この学校、基本的に暗いですよねえ。日が暮れへんと電気付かへんもんな」

「お休みだからではないのですか」

「だといいんやけどね。平日もいっしょなんです」

「仕方ないわ。節電のためだもの」


 肩をすくめたマリーさんが、足を止めて振り向いた。ちょうど階段の下だった。


「ここを上がって2階に職員室があるわ。さっきまでそこで、文化祭のことについて教頭先生と話をしていたの」

「私たちに手を振った場所ですね」

「正解!」


 私の頭の中で栄藍高校の地図ができあがりつつあった。横長の校舎が北と南で2つあり、それらは昇降口の通路で繋がっている。俯瞰すると、「エ」の字の縦棒が右へ寄った形になるだろう。私たちは南方にある校門から敷地に入った。「エ」の左側の空白が中庭で、今は左下まで来たことになる。


「で、さらに上の階は3年生の教室が並んでるねんけど、2階と3階の間の踊り場の窓からは夜景が見えて、めっちゃ綺麗なんです――用事で遅くまで残った時とか」

「それは良いですね」

「えへへ。野学部の先輩らが教えてくれたんです」

「部員の方々は何人いらっしゃるのですか?」

「あと二人だけですよ。2年と3年の、男子の先輩」


 もうすぐ会えますよ、とほたるさんは目を細めた。表情からは、彼らへの親愛が感じられた。

 校舎の南西の隅には、屋根付きの通路で連結した別館がある。「エ」の左下に当たる場所だ。この建物の2階が今日の集合場所らしい。


「本当は文芸部室なんだけどね。私たち部室がないから、今は文集作成のために場所を借りているってわけ」

「ま、学校の外での活動がほとんどやからね」

「それで大丈夫なのですか」

「あはは。『部』と名乗ってはいても、同好会みたいなもんなんですよ。まあ、栄高えーこーでは3人以下でも部として認められて、ちょっとやけど部費も出るんです。そこらへん緩いみたいで」

「自主性を重んじる、と言いなさい」


 あっけらかんと笑ったほたるさんに対して、マリーさんはさすがに苦笑いを浮かべていた。当たり前だが校風は違うものなのだと、妙なところに感心してしまった。天保高校では5人が最低条件だ。とはいえ私の所属する将棋部も実質二人で活動していて後は幽霊部員だから、彼女たちを羨ましくも思う。

 建物の2階へは外階段から上がることができた。途中で校舎を振り返ると、ほたるさんの話に出てきた3階の踊り場の窓が見えた。校舎は高台の上に建っている。確かに、あそこからなら町並みが綺麗に見えそうだ。

 その時、私は階段の壁に奇妙なものがあるのを見つけた。掛け時計だった。カバーは外れて長針と短針がむき出しになっている。見るからに故障していて、秒針は動いていない。時刻もでたらめで6時を指している。どうしてこんなところに置いてあるのだろう。


「着いたわ」


 マリーさんが扉を開けっぱなしの部室へ入っていく。私も後に続いた。

 狭い部屋には、私服の男子が二人で待っていた。私と同じくらいの身長の人と、対称的に入り口に頭をぶつけそうなほど背の高い人という組み合わせだった。

 小柄な男子は、警戒心を宿した瞳で私に睨みを効かせた。


「そこに立たないでくれ。部屋が暗くなる」

「すみません」


 2階の部屋は、こぢんまりとしていた。壁は本棚で埋められていて、窓も見当たらない。時計は本の山に立てかけるようにして置かれていた。11時30分過ぎ。こちらは正しい時刻を示している。

 例の如く蛍光灯は点いていないが、扉から光が入るからか、ある程度の明るさは保たれている。だから開け放っているのだろうか。入り口側にある照明のスイッチの上には張り紙があって「節電!」と朱書きしてあった。


「ってか、そいつ誰だよ」

「東京の姫川さんだろう。ほら、原稿を取りに来るって、隼人はやとも聞いていたじゃないか」

「ああ。そんなこと言ってたな」


 隼人と呼ばれた男の子は、髪色は明るめで耳にはピアスが付けられている。ポロシャツも派手な柄で、おまけにガムを噛んでいる。いかにもヤンキーといった感じの、近寄りがたい雰囲気だ。

 対して穏やかな口調で私の紹介をしてくれたのは、高身長な男子。額はせり出し、目元の彫りが深く、ともすれば隈が出来ているようにも見える。青白い細身の身体を包むのは、真夏だというのに黒い長袖のシャツ。それでいて涼しさを感じさせる微笑でたたずんでいた。


「二人とも、あんな――」


 ほたるさんが私の同行を改めて提案する。片方はそっぽを向き、片方は破顔するという対照的な態度ながらも、二人は快諾してくれたようだった。


「天保高校2年の姫川英奈です。今日はよろしくお願いします」

「よろしくね」

「ああ」

「はいはーい! ウチ、1年生の鹿野しかのほたるです!」


 元気よく手を挙げたのはほたるさんだ。マリーさんはくすりと笑うと、残る彼らを順に紹介してくれた。


「向かって左手が、大前おおまえ隼人はやと君。2年生よ」

「ごめんね、英奈ちゃん。目つきは悪い人やけど、歓迎していないわけとちゃうから」

「おい鹿野、余計なこと喋るじゃねえ」


 声を荒げてから、取り乱したことを少し恥じるように、再びそっぽを向いた。案外、硬派というわけでもないのかもしれない。

 そしてもう一人、ほたるさんによると3年生の彼は、マリーさんに目配せすると、自分から名乗った。


「僕は森継もりつぐひろと言います。一応、部長ということになっているよ」

「お前はいちいちおっさん臭えんだよ」

「ひどいなあ」


 大前君は森継さんに憎まれ口を叩いた。しかしほたるさんに対してもそうだったが、親愛の情がこめられているように感じた。派手な見た目ほどにはとっつきにくい人でもなさそうだ、と私はほっとしたのだった。

 しかし――森継さんは。愛想は良く、声も穏やかで紳士然としている。だがほんの一瞬、私の胸に違和感のようなものが芽生えた。

 長い首と手足は、夕暮れに伸びる影のような不気味さを感じさせる。不健康そうな見た目のせいか、にこやかな表情も仮面を貼り付けているふうに見えてしまう。高校生離れしたそつのない雰囲気もあってか、私は森継さんに、どことなく大前君よりも近寄りがたい印象を抱いていた。

 だが、それも刹那のこと。気付けば、森継さんは自然な微笑みを向けてくれているだけだった。なんだったのだろう、今のざわつく感覚は。私は唇を軽く引き結び、小さく会釈をした。


「そして私が尾崎です。森継君と同じく3年生ね。

 さっきから呼んでくれているけど、マリーでいいわよ」


 部員の間で笑いが起こる。マリーさんは諦めたような笑みを浮かべた。「探偵」が連呼するものだから、今さら呼び方を変えるのも不自然になるだろうか。それに、部活の中でもそれで通じているみたいだし。


「姫川さんとは、もう仲良くなったみたいだね」

「せやで。しかも英奈ちゃん、名探偵みたいやったんです!」

「名探偵だと?」


 眉を怪訝にひそめた大前君に、ほたるさんはさっきの出来事を身振り手振りを使って話した。実際には私が推理を披露したわけではないから、きまりが悪かった。


「ミステリ作家・堂森錬路のお孫っていうのは伊達やないね!」

「ほたるさんは、おおげさですよ」

「またまたぁ、謙遜して。

 実は隼人さんって推理オタクやから、英奈ちゃんが来るの楽しみにしてたんですよ」

「ば、馬鹿、なんでお前はそう余計なことを――」


 耳を赤くした大前君は、どうやら私を歓迎していないわけでなかったらしい。マリーさんは可笑しそうにクスクスと笑った。


「じゃあ、少し余興といきましょうか。姫川さん、外階段の壁に壊れた時計があったんだけど、気付いた?」

「はい。ちょっと不思議でした」

「さすがの観察眼ね。あれは文芸部のもので、昔から置いてあるの。どうしてあんなところに放置してあると思う?」

「ああ、あの問題か」

「え、隼人さん知ってるの?」

「……まあな」

「僕も挑戦したよ。昔は文芸部の入部試験だったとか」


 どうやら大前君と森継さんは事情を知っているようだった。場違いな時計。私も気になっていた。いつもなら楽しく頭を使えるだろうけど、今はそれよりも気にかかっていることがあった。「探偵」のことだ。

 あの子がいつ現れるかは分からないが、どうも不思議な事象に興味があるらしい。もしかしたらまた呼び出すことができるのではないか。自分の身体を得体の知れない存在に委ねることは常識で考えればあり得ないが、今は真相を確かめたい気持ちが勝った。

 なにも起こらなければそれでいい。あの出来事は夏の暑さが見せた妄想だったということにして、知的作業に没頭することができる。なにせ、あの子を呼び出すには、一言呟けばいいみたいだから。


『さて――』


 果たして、軽い希望の混ざった心配を嘲笑うかのように、世界は反転した。合い言葉と同時に視界が色あせ、耳鳴りが脳内に響く。先ほどと同じ不思議な感覚が私を包み込んでいく。

 幸か不幸か、今回は身構えたおかげで不快感はあまりなかった。早くも慣れ始めていることに、軽く驚きと呆れを覚えた。それと一緒に、豪胆な気持ちも湧いてくるのを感じる。こうなったら、徹底的に彼女の正体を明かしてやろうではないか。

 探偵の声がした。


『おはよう、エナ。また会ったね!』

(探偵。あなたに訊きたいことが――)

『そんなことより! 今は目の前の謎よ』


 私の問いかけに全く耳を貸すそぶりを見せず、勝手に話し始めてしまった。それはまるで子供だった。できる限り情報を集めておきたいところではあったが、当の探偵が張り切っているから仕方がない。こうなってしまったら、私から行動を起こすことはできないらしいのだから。

 探偵は一同を見渡して言った。


「さて――簡単な話ね!」


 それに私も壊れた時計の存在理由は知りたい。彼女がどんな推理を見せてくれるのか、興味はあった。悠長なことだと、自分でも思うのだが。


「文芸部の人たちは、どうして壊れた時計なんかを部室の外にかけていたのか……その答えは、()()()!」

「暗号だと?」

「あの時計は、ある人へのメッセージを伝えるものじゃないかしら」

「なっ」


 大前君は眉をひそめ、短くうめいた。それは図星を指されたようで、探偵の目の付け所は悪くないということが分かった。


「どうしてそう思う」

「だってすぐに手の届く位置にあるのに、野ざらしにしておくなんて不自然だもん。

 でもカバーを外して、針の位置関係で符号を伝えることはできるよね」

「ああ、ほんまやね」


 なるほど、誰かに伝えるため。なかなか洒落た方法だと思った。

 だが大前君は食い下がった。


「しかしどうしてそんなことをする? 誰がなにを伝えていたか、それを解いて初めて正解だ」

「ふふん。それはね、多分これが使えないから」


 探偵は、片手を目の前に突き出した。その手には、いつの間に鞄から取りだしたのか、私の携帯電話が握られていた。


「マリーさん、一つ質問させて。栄藍高校では、生徒は携帯電話を使ってもいい?」

「いいえ。禁止されているわ。持ってくること自体には目をつぶっても、見つけたら没収ね」

「でしょうね。だからその代わりに時計を使ったんじゃないかしら。

 先に来た部員が、後から来る部員に鍵が開いているかどうかを知らせるために!」


 あ、そうか。探偵の指摘で腑に落ちた。大前君は悔しそうな表情を浮かべた。


「3階に3年生の教室、2階に職員室、そして1階にここへ続く通路があったわね。教室から部室へ来るには、鍵を取るためにいったん階段から離れて職員室へ寄らなければならない。でもすでに開いていることが分かっていれば、まっすぐ1階まで降りることができるわ」

「くそ、どうして気付ける……」

「ふふん、3階の踊り場からあの時計が見えるもんね。そこで暗号よ。最初に符号を決めておいたんじゃないかな。ある時刻の時は開いている、とか」

「正解よ、姫川さん」

「くっそー、俺は何ヶ月経っても分からなかったのに」

「僕もだよ。君が探偵って呼ばれるのも分かった」

「当然だよ」


 探偵は子供のようにふんぞり返った。どうしてこう大げさな身振りなのだろう。高校生女子の態度ではない。


「せや英奈ちゃん、携帯番号交換しよー。隼人さんも!」

「な、なんで俺も……まあ、推理力は認めてやってもいいがな」

「ありがと、オーマエ!」


 探偵は天真爛漫な礼で答えた。大前君も、急に態度が変わった私を見てか、虚を突かれたように素直になっていた。まあ過程はどうであれ、部員の皆と距離を縮めるとっかかりがつかめたようで、良かったのかもしれない。

 ほたるさんが携帯を操作してくれている間に、改めて探偵に訊いてみた。


(あなたはさっき「推理対決」と言いましたね。具体的にはどうするのです?)

『細かいことは気にしなくていいわ。エナも謎を見つけて、わたしより先に解けばいいのよ』


 そんな、適当な。


(……質問を変えます。あなたが現れる条件は「さて」と口にした時、で合っていますか)

『そうよ。エナが疑問に思っていることがあるとね、その言葉をきっかけにしてわたしが起こされるの』

(では再び人格が戻るタイミングは?)

『そんなの私に訊かれても分からないわ。10分くらいじゃないかな。ちょうどそれくらい時間が経っていなかったっけ?』


 探偵の態度はそっけない。あくまで謎を解くことにしか興味がないのか。


『ふわあ、また眠くなってきちゃった』

(ちょっと待ってください。あなたはいったいなんですか)

『分からない』

(……記憶喪失ということですか。自分の正体が気にならないのですか)

『ふふ、わたしは名探偵だからね、それだけ分かっていればいいのよ。でも、これだけは感じるの。きっと、わたしは謎を解くためにここにいるんだわ。

 そして今はとても眠いの……』


 また彼女の気配が消えて、私は元に戻った。今度はふらついたりすることはない。本棚の時計を見ると、確かに10分ほどが過ぎたところだった。

 しかし、やはり厄介だ。あの気ままな子供を外に出したら、なにをしでかすか分からない。つい好奇心に負けてしまったが、誰かの前で「さて」と口にするのは控えよう。

 するとその時、部屋の照度が微かに落ちた。


「いやあ、素晴らしい」

「先生」


 マリーさんが声を上げた。扉を振り向くと、そこには教頭先生がいた。さっきインターフォンで聞いたのと同じ、春の日だまりを思い出させるような穏やかな声だった。


「立ち聞きみたいな真似をして、すまないね。見事な推理を邪魔してはいけないと思ったんです。

 しかし、まるであの人を見ているみたいだった」

「祖父のことでしょうか」

「そう。そっくりですよ。不思議なことを見つけるとはしゃぐところとか……特に目元は似ている。涼しげなようで、好奇心が炎のように揺れている。

 定年間近になってこんな日に巡り会えるとはね。懐かしいよ」


 柔らかいまなざしで、教頭先生は在りし日を眺めているようだった。

 私はどういう顔をしたら良いのか分からなかった。あのイタズラ好きの祖父に似ていると言われても、素直に喜べない。しかもさっきまでの「私」は得体の知れない別人だ。

 教頭先生は思い出したように、手に持っていた封筒を差し出してきた。


「はいこれ。用意していたものです」

「ありがとうございます」

「あ、それが堂森先生の原稿?」

「はい。民宿に帰ってからでも、ご覧になりますか?」

「うん! やったあ」


 満面の笑みを見せたほたるさんを微笑ましく見つめた後、教頭先生はマリーさんに向き直った。


「今日は平城宮跡へ行くんでしたね。後はよろしくお願いします。戸締まりも頼みましたよ」

「はい。分かりました。――みんな、外に出ましょうか」


 こうして私たちは部室を後にした。もちろん、入り口がきちんと施錠されていることを確認してから。






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