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エイサイ的少女のランドスケープ  作者: みのり ナッシング 原作: 大和麻也
Episode.01 きょうえん
2/16

Ⅰ 民宿

登場人物紹介(2010年時点)


天保高校(東京)

 姫川ひめかわ 英奈えな(2)


栄藍高校 野外学習部(奈良)

 尾崎おざき 真栞まり(3)

 森継もりつぐ ひろ(3)

 大前おおまえ 隼人はやと(2)

 鹿野しかの ほたる(1)



【午前9時30分   】


 視界が開けるやいなや、草原が視界いっぱいに広がった。奥にそびえるのは、黒い瓦屋根に白い壁の、巨大な建造物。流れる車窓の景色を見ながら、思わず膝に乗せた拳をぐっと握りしめた。

 私は今、1300年前の首都を、猛スピードで突っ切っている!

 平城宮跡。あをによし、と遙か昔に歌われたいにしえの都は、節目を迎えた2010年、おそらく当時に負けず劣らずの賑わいを見せていた。電車の中から見える朱色の柱を持つ建物は、平成の世に蘇った大極殿だいごくでん。線路を挟んで反対側にも、再現された朱雀門が位置していた。

 つい数時間前まで、私は現在の日本の首都にいた。そう考えると不思議な気持ちになる。この辺りは平城京の最も重要な区域で、政治や祭事が行われていた。車窓からはかつての「首都」の遺構を見ることができる。

 中等部の修学旅行で来た数年前にはまだ完成していなかった景色だ。やはり今、この奈良旅行を計画して正解だった。

 遺跡が見えたのもほんの10秒ほどの間だった。電車は再び市街地へと入り、地下へと潜った。微かな余韻に浸りつつ、私は気持ちを落ち着かせようと旅行鞄を開いた。すぐに取り出せるようにしておいたハガキを手に取る。


『姫川錬路れんじ様』


 祖父宛の簡素な年賀状は、今日の宿泊先から届いたものだ。数代続く民宿は家族経営で、祖父とも交流が続いていたらしい。今日も彼の伝手で一泊する運びとなっている。

 ハガキの裏面は写真になっていて、豊かな新緑の景色とそれを逆さに映す池を背景に、セーラー服姿の少女がお茶目なポーズをとっている。

 肩まで伸びた黒髪とやや太い眉、黒縁の眼鏡が印象的な彼女は、尾崎夫婦の一人娘で真栞まりさんという。同じ年の頃の女の子がいるらしいと祖父から聞いて、私は実際に顔を合わせられるのを楽しみにしていたのだった。新たな人との繋がりができるのも、旅の魅力の一つだ。

 間もなく、電車は終着駅へ滑り込んだ。

 地下にあるプラットホームから地上へ上がると、8月の熱気と眩しい日差し、そして広場の噴水の中で立つ行基ぎょうき像に出迎えられた。東大寺を建てた高僧は、前回と変わらず大仏様がいる方角を向いている。

 周囲は人のざわめきで溢れていた。待ち合わせをしていた二人。すぐ近くの商店街を練り歩く観光客。人力車のかけ声も聞こえてくる。

 それら人の作り出すコーラスに負けじと、自然の音楽もそこかしこで奏でられている。木々のざわめき。鳥たちの鳴き声。眼前に迫るかのような迫力を持つ若草山からの風――そうした人工物と自然の演奏が混じり合って、複雑な和音を響かせていた。

 胸の高鳴りは、旅気分だけが原因ではなかっただろう。東京とはかけ離れた奈良の異質な空気が私をふわりと包み込んでいた。

 中央通りから離れ、坂道を登っていくこと十数分。歴史を感じさせる石橋や、大きなレンガ造りの建物が目を引く大学、香ばしい匂いを漂わせるカレー店など、どこか異国情緒漂う街並みに目を奪われていると、いつの間にか喧噪は鳴りを潜めていた。ちょっと足を踏み入れれば、異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。

 自然すらも休息に浸っているような、住宅街と畑と雑木林が混在する長閑のどかな風景の中に、尾崎家はあった。二軒が隣り合っているように見えるが、手前が宿泊施設、入り口から遠い方は居住スペースなのだろう。


『民宿おざき』


 門にかけられた木札を横目に、敷地に足を踏み入れる。砂利が敷かれた区画――1台のトラックが隅に停められていた。駐車場だろうか――を横目に、ゆったりとした足取りで玄関へたどり着く。網戸だけで隔たれた入り口から屋内へと入った。

 中は小さなロビーになっているようだ。入ってすぐ左に2メートルほどの高さの鏡があり、旅装の私を映し出した。正面奥には机や籐椅子が置かれた休憩スペースが位置している。そこから視線を右にずらすと、幅の狭い階段が2階へと続いている。あれは客室へ行くためのものだろう。そして先ほどの外観から判断するに、右手にある廊下の奥は尾崎家の生活スペースへ通じているようだった。

 すると、階段から女の子が一人降りてきた。

 髪は色素が薄く、くりっとした両目と、眉の上で切り揃えられた短い前髪が活発そうな印象を強めていた。年賀状で尾崎さんが着ていたものと同じ制服姿だったが、雰囲気は対照的だ。

 私に気付いた彼女は、目をキュッと細めて微笑むと、背筋を真っ直ぐに伸ばし、


「本日はお越しいただき、ありがとうございます」


 おなかのあたりにすとんと落ち着くような、心地よい声音を響かせた。頭を下げると、ウェーブのロングヘアがふわりと揺れる。その洗練された所作は、彼女が客ではなくこの民宿のホスト側であることを如実に表していた。

 ただ、彼女は目的の相手ではない。私は淀みなく尋ねた。


「こんにちは。尾崎真栞まりさんはいらっしゃいますか?」

「あいにく真栞は不在ですが――あ、もしかして」


 少女の表情が明るくなった。


姫川ひめかわ英奈えな様ですか!?」

「はい、そうですが」

「やっぱり! ようこそ、奈良へ!」


 イントネーションも親しみのこもった関西弁に変わり、歓迎の意を伝えてくれた。弾けるようなその笑顔は魅力に溢れていて、私はこの数秒の間に彼女を旧知の友のように錯覚してしまっていた。それほど人の懐に入るのが上手なのだろうと思われた。


「マリーさん――真栞が高校まで案内をするお約束やったんですよね?」

「ええ、そうです」


 私から予約の電話を入れた際に対応してくれたのが尾崎さんだった。今日は彼女の通う高校へ案内してもらうことになっている。というのも、祖父から「お使い」を仰せつかっているから、なのだが。

 少女はちらりと私の横に視線を向けた後、


「すみません。先に出ていってもうたみたいです。たぶん文化祭のことやと思うんですけど……しばらく前に電話で教頭先生から呼び出されとったから」

「そうですか」


 十分あり得ることだと思った。文化祭は9月に行われるところが多い。


「もう、マリーさんったら……。せや、よければウチが案内します。ちょうどこれから行くところやったんです」

「いいのですか?」

「ええ、もちろん! マリーさんには連絡入れときますんで」

「ではお言葉に甘えましょうかね」

「はい! あ、言い忘れていました。ウチは鹿野しかのほたる、居候兼仲居です! なんなりとお申し付けくださいね!」

「え、ええ。よろしくお願いします」


 鹿野さんの自己紹介には気になる点もあったが、訊くほどでもなかった。右手の通路から和装の女性が現れたのだ。一目見てこの人が女将さん――尾崎さんのお母様なのだと分かった。年賀状の写真に面影があったからだ。


「あら、お客様。いらっしゃいませ」

「こんにちは。東京から来た、姫川です」


 再び挨拶をすると、途端に女将さんは接客用とは異なる笑みを顔いっぱいに浮かべ、奥へ声をかけた。


「まあ。お父さーん! 錬路さんのお孫さんがいらしたの!」

「おう」


 通路の奥を覗くと、割烹着姿の夫君が顔だけ出していた。ぎこちない表情で頭を下げ、また戻った。彼が料理を担当しているのだとしたら、この奥の母屋が厨房を兼ねているのかもしれない。


「父や母の代には、堂森どうもり様には大変お世話になって――ああ、今はもうそのお名前ではありませんでしたね。つい癖で」

「いいえ、お気遣いなさらずに。あまり顔を出せずに申し訳ないと、祖父が申しておりました」

「いえいえ。でも、嬉しいわ。あの方のお孫さんがいらしてくださるなんて。目元なんてそっくり」

「よく、似ていると言われます」

「それに口調もね。急に昔のことが蘇ってきたみたい」


 女将さんは昔を懐かしむように目を細めた。祖父が姫川家に婿入りしたのは40年ほど前、彼がこの奈良の地を訪れたのがその少し前ということだから、女将さんがまだ小学生くらいの時分か。子供好きの祖父のこと、幼き彼女の遊び相手を務めたことがあったかもしれない。


「そんなん言うたら、女将さんとマリーさんもそっくりやけどな」

「はい。本当に似ていらっしゃいますね」

「え!? なんや英奈ちゃん、マリーさんの顔知ってんの?」


 ほたるさんは大変驚いたようだった。私は微かな引っかかりを覚えながらも、理由を告げた。


「年賀状の写真でお顔を拝見したので」

「なにそれ、英奈ちゃん。ウチも見てみたい!」

「こら、ほたる。失礼ですよ」


 女将さんが咎めて初めて、私は名前で呼ばれていたことに思い当たった。それほどまでに鹿野さんの振る舞いは自然だった。距離を縮められても、不快感はない。それどころか、女将さんに叱られて肩をすくめる彼女が愛らしくさえ思えた。

 いつの間にか尾崎さんの呼び名を訂正せずに「マリーさん」としているのも、普段の愛称が出ているのだろう。本当に人なつっこい子だ。


「呼び方はかまいません。私も名前で呼んでもいいですか?」

「やったあ! もちろん、ほたるって呼んでくださいね」

「すみませんね、姫川様。

 では、奈良の街をごゆるりと堪能なさってください。ほたる、お荷物を運んでさしあげて」

「はーい。じゃあ英奈ちゃん、部屋に案内しますね」


 ほたるさんは、えへへと相好を崩した。屈託のないその笑顔は、誰からも愛されているのだろうと伺わせるような、素敵な笑顔だった。

 2階の客室へ案内してもらった後、ほたるさんは先に下へ戻った。私は荷物の整理だけして、小さな鞄に持ち変える。用意はあらかじめ済ませていたので、5分とかからない。尾崎さんの写真付きの年賀状も鞄に入れた。後でほたるさんに見せてあげよう。

 それにしても――ほたるさんが今年の年賀状に見覚えがなかったということは、つまり去年の12月には彼女はまだこの家にはいなかったのではないか。「居候兼仲居」という発言にも現れているように、なにかと複雑な身の上のようだ。半年ほどでここまで打ち解けてしまう彼女は、天性の人たらしと形容すべきかもしれないが。

 ……よそう。要らぬ詮索をしてしまうのは、悪い癖だ。思考は言葉に、言葉は行動になる。せめてこの2日間は気持ちよく過ごしたいではないか。

 再びロビーに戻る。階段を降りていくと、玄関の鏡越しに外の様子が見通せることに気付いた。もしかしたら、さっきほたるさんの視線はここへ向いたのだろうか。砂利の地面が広がっている。

 考え事は、ほたるさんの呼び声で中断された。


「あ、英奈ちゃん、もう準備大丈夫ですか」

「はい。お待たせしました」

「では、いざ栄藍えいらん高校へ!」


 ほたるさんが元気良く突き出した拳は、幸先の良い旅の始まりを予感させたのだった。






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