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エイサイ的少女のランドスケープ  作者: みのり ナッシング 原作: 大和麻也
Epilogue
16/16

過去から現在へ

 

【2010年11月某日 東京】


 添付ファイルが一つと、数行の文面だけのいたって簡素なメールを大前隼人に送信したのは、あの地を去ってから数ヶ月が過ぎた頃だった。すでにあの祭の夜を思い出させるような暑さは鳴りを潜め、朱色の柱を想起させる紅葉は地面に寂しく散らばっていた。

 返事は数日と経たずに来た。電話だった。


『よく短い間にできたな。やっぱ、すげえよ』

「いえ。ちょうどこちらの文芸部に寄稿する短編があって、筆が乗っていたものですから」


 実際には逆だ。大前君に送った原稿を執筆する時に出た案を再利用し、同好会用にもう一話を捻出した。たいした労はなかった。

 それに、私の体験を文字起こしすることで、気持ちを整理できたように思う。……誰かさんに感化されたわけでは、ないけれど。


『いや、俺は筆の速さのことを言ったんだがな。まあ、あんたは相変わらずだな』

「ありがとうございます」


 彼なりの褒め言葉は素直に受け取ることにした。電話越しでもぶっきらぼうな口調は懐かしく、あの旅立ちの朝の出来事が鮮やかに浮かび上がってきた。




『夜学部の卒業文集に、あんたも加わって欲しいんだ』


 旅行の2日目、奈良を発った日。ほたるさんとの対決の後、民宿へ戻った私は女将さんから大前君の伝言を受け取った。指定先の喫茶店で、彼は唐突に頭を下げた。切迫した面持ちに驚いていると、先の発言が飛び出したのだ。

 大前君は栄藍高校を離れる前に、野外学習部の活動記録をまとめた文集を作りたいそうだ。


『もしよかったら、姫川のことも書かせてくれないかもちろん個人情報は伏せる』

「かまいませんが……私がお邪魔しても良いのですか」

『邪魔なんかじゃねえよ。ていうか、是非とも頼みたかったんだ。1日だけだったが、あんたには世話になった』


 大前君の気持ちは分かるような気がした。文化祭という目標がなくなれば、メンバーがバラバラになると思ったのかもしれない。

 思い出したのは、平城宮跡や、燈会の花火会場で感じた気持ち。あの素晴らしい光景のために、私はなにをできるだろうか。


『分かりました。私でよければ力になります』

『そうか、ありがとう!』




 疲労と安堵の入り混じった笑顔は今でもはっきりと思い出せる。彼もまた、野学部を大切な居場所と感じていたのだろう。

 電話越しに近況を話す彼の声は、良い具合に切実さが薄まり、明るさが増したように思えた。文集の作業は順調に進んでいるようだ。


『しかしあの小説、よく考えたな』

「大前さんなら気に入ってくれるのではないかと思いました」


 私が寄稿した掌編のタイトルは、『光を照らす』。卒業を間近に控えた生徒たちの心情を描いたのだが……。いや、やはり白状しよう。私は多少なりとも影響を受けていた。あの「探偵」の助言に従い、小さな仕掛けを施すことにしたのだ。

 結果は上々のようだ。ミステリが好きな彼らしく、たいそう喜んでくれている。文集自体にも仕掛けを施したい、と意気込んでアイデアを語ってくれたほどだ。私は微笑ましい気持ちで耳を傾けていた。

 あの夜。探偵に身を任せてしまったことは、今でも小骨のように胸の奥で引っかかっている。私にできることがあったのではないか。そう思うこともしばしばあった。

 それでも彼ら彼女らは、また歩き出そうとしている。大前君も。マリーさんも、森継さんも。そして――ほたるさんも。彼女はきっと海の見える故郷で、また自分を誇れるようになるはずだ。彼女の瞳には、希望が煌めいていたのだから。

 だから私は、せめて前に進む彼らを応援したい。できることなら光を当てたい。再び闇に溺れることがあったら、それに負けないくらいの光を照らしたい。

 あの夏の夜に見た幾千もの灯籠が、黒い空を彩り豊かに染め上げた花火が、これからも人を照らし続ける限り。灯火のように、望みが潰えることはない。

 栄藍高校から定時制はなくなる。彼ら彼女らの居場所は、青春は、すべて過去となる。しかし、塵に埋もれて見えなくなってしまっても、確かに残るものがあれば。

 いつか誰かが掘り起こし、そこに光が差し込むのだ。

 電話が終わった後も、私は考えに沈んでいた。私はどうする? どうしたい?

 悩み続ける心の中で、変わったのは、照らすともしびができたこと。あの夏の光景を思い出し、私は暗闇の中でも進んでいける。そう信じていた。






【2013年初夏 奈良】


「定時制だったんですね」


 E・Hなる人物が書いた短編小説、『光を照らす』。廃校となる高校を舞台に、生徒たちの心理が描写される……と、思いきや。

 最後のワンシーン。授業中、教師が思い出したように手を止めて、窓際に寄った。


『電気を消してください』


 一人の生徒が訝しんで蛍光灯のスイッチを押す。柔らかい闇は、次の瞬間、轟音とともに教室に差し込んだ光によって、切り裂かれた。夜空には満開の花が咲いていた。

 そう、花火。授業は日の落ちた夜に行われていたのだ。彼らは定時制の生徒だった。

 文集のラストを飾る小説には叙述トリックが使われていた。同時に、文集全体に同じ種が仕掛けられていたことが明らかになるという寸法だ。前書きにあった『廃校』の文字。周到に隠されたその理由までもが、鮮やかに浮かび上がる。


「なかなか考えたものよね。私も最後まで気付けなかった」

「この学校にも定時制があったなんて、知りませんでした」

「夜間部があったのは3年前までね。最後はあまり生徒もいなかったみたいだけど」

「廃校になったあと、残った生徒はどうしたんでしょうか」

「別の定時制高校と統合されたらしいわ」


 あとがきでは、野外学習部という名前の由来も書かれていた。「夜学部」とかけて「野学部」と呼ばれていたらしい。文集だけでは、普段の活動の全てをうかがい知ることはできなかった。人並み以上の苦労もあっただろう。

 だが彼らがれっきとした青春を送っていたことは、ひしひしと伝わってきた。そしてこの場所に集まっていた彼らは、それぞれの人生へと旅立っていった。

 少年は、部長に軽い抗議の声を上げた。


「先輩、僕をからかいましたね。最後まで読んでいたんでしょ」

「君の推理を拝みたいと思ってね。今日はあの『さて――』ってやつを聞けなくて残念だったけど」

「やめてくださいよ」


 顔をしかめた少年を放って、部長はさっさと帰る準備を済ませていた。彼も肩をすくめながら彼女に続いた。

 二人が並んで校門を出ると、そこには大学生くらいの女性がたたずんでいた。ベージュのチェスターコート。ポニーテールにまとめられた黒髪。丸いフレームの眼鏡と、その奥の涼しげな瞳が印象的だ。つり上がった眉は一見、厳しそうな印象を与えそうなものだが、ほどよく緩められた口元が、全体の印象を柔らかくしていた。

 卒業生か? 特に気に留めず通り過ぎようとした時。

 潤いのある唇から呟きが漏れた。少年は思わず立ち止まった。


「あのー、卒業生の方ですか?」


 少年に代わって、部長が問いかける。その女性は銀色のフレームの奥で、双眸を柔らかく細めた。そして綺麗な標準語で答えた。


「いいえ。ただの旅行者です」




 二人が立ち去った後も、彼女は高台から見下ろす古都の町並みを眺めていた。3年経った今でも大きな変わりはない。しかし細部は異なっているはずだ。例えばこの学舎に通う生徒、とか。

 景観。歴史をも内包した景色。ランドスケープは3年前に比べて変わっただろうか。栄藍高校ではどうか。

 積み重なった歴史を知る者は、もういない。今この瞬間においては、彼女だけが青春の証人。

 ――いや。


「英奈ちゃん、はよ行くで~」


 特徴的なイントネーションが、彼女の耳をくすぐった。

 姫川英奈は振り返ると、微かな笑みを浮かべたまま、その場を後にした。




『エイサイ的少女のランドスケープ』 了






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