Ⅲ 疑念
「手、握って。はい離して」
還暦を過ぎたくらいの医師が、マリーさんの脈をとったり、痛む箇所がないか確かめたりしている。マリーさんはまだ青ざめているものの、しっかりした表情で従っていた。さっきまでは軽く錯乱したような状態になっていたが、今は落ち着いている。
救護所では既に受け入れの体制が整っていた。ほたるさんがいち早く情報を届けてくれたおかげだろう。濡れて重くなった浴衣を脱ぎ、マリーさんは乾いたシャツと厚い毛布に身をくるんでいた。
「とりあえず見た限りでは問題はなさそうだ。どういう風に池に落ちたか、覚えている?」
「いえ……まだ混乱してて。ちょっと思い出せません」
「うん、そうだね。ゆっくりでいいよ。飛び込みはけっこう怖くてね。立った状態から倒れ込んだら、頭には1メートルの高さ分の衝撃がかかるんだ。お嬢さんの場合は首は痛めてはないと思う」
老医師は優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと説明をしていた。剃り上げた頭と豊かな白髭が見る者に仙人の印象を与えるが、同時に不思議な安心感も抱かせてくれた。
マリーさんは額に切り傷があって、少し血が流れていた。適切な止血のおかげか、今はもう止まって包帯が巻かれている。
「頭を浅瀬にぶつけたんだろう。水も吸い込んだみたいだし、念のため病院で詳しく診てもらった方がいい。
ところで手に水ぶくれがあるけど、今日火傷をしたの?」
「え……ほんとだ。気付きませんでした」
不思議そうに自分の手を見つめた。確かに左の手のひらに白い水ぶくれがある。
「まあ問題はないだろう」
「……はい。すみません」
マリーさんはしおらしく頭を下げた。森継さんはそんな彼女の肩に手を置いた。ひとまず状況が落ち着いたことで、私は謎に向き合う余裕ができていた。
どうしてマリーさんは落ちたのだろうか?
池から距離は十分にあったはずだ。あの時私たちは花火の音と光に魅せられていて、彼女がいつ落ちたのか知らない。マリーさんはわざわざ池に向かっていったのだろうか? あれほど水を嫌っていたのに。
眼鏡の件もある。視力が良くない彼女は夜道を歩く際は眼鏡をかけていた。それなのに、花火の最中に立ち去った時にバッグの中に残していったのはどうしてだろう。もしかしたら、犯人の姿も分からなかったかもしれない。
それは私たちにも十分当てはまるのだ。ほたるさんも大前君も森継さんも、一人で行動している時間があった。ほたるさんは花火が始まってすぐにトイレに行ったようだった。大前君も途中から私たちのそばから離れていた。森継さんはずっと別行動を取っていた。この中の誰かが、なんらかの動機で、マリーさんを池に落とすことも……。
そこで自分に嫌気が差した。私はなんてことを考えていたんだ。恐ろしいことを想像していた。疑ってばかりで、なんの解決にもならない。あの写真を見せられてから、どうも疑心暗鬼になっている。
「おい、姫川。先に民宿に帰ってくれないか」
「ですが、私にもなにかできることは――」
「違う。後ろ見てみろ」
そこでは、ほたるさんがテントの外で、青ざめた顔で立ち尽くしている。あ……。ずっとこんな調子だったのだろうか。
「あいつにまで倒れられるのはごめんだ。民宿までの道は分かるな? 一緒に帰ってやってくれ」
私は黙って頷くしかなかった。つくづく自分が嫌になる。冷静なつもりだった。しかし私はなにもできていない。おまけに判断を間違えるところだった。
マリーさんが池に落ちた。もしかしたら命が危なくなっていたかもしれない突発的な危機に、私は全く動けなかった。「探偵」という存在が現れた時、嫌悪感すら感じた。同族嫌悪だったのではないか? 私は頭脳派を気取っていたのではないか?
「帰りましょう、ほたるさん」
「……うん」
ほたるさんは静かに首を縦に振った。昼間の元気な様子とはまるで別人のようだった。
二人で淡い光の中を歩く。救護所は駅とは逆方向にあったから、マリーさんを抱えて走った道をまた通ることになる。さっきと違って帰路につく客でごったがえしていた。徒労感と無力さに打ちひしがれた私と、ショックを受けたようなほたるさん。二人の間には、重苦しい空気が横たわっていた。
「……大前君は、大人ですね」
私は場の空気を紛らわせたかったのかもしれない。だが、こちらを見たほたるさんの目はうつろなままだった。
「同じ2年生なのに。私はなにもできませんでした。彼は見事な手際でした」
「いや、そんなことない。英奈ちゃんは」
なにかを言いかけて、口をつぐんだ。形にならなかった言葉を探すように、足下に視線を落としている。一瞬でも彼女に気を遣わせてしまったという事実が、私の胸を圧迫した。
再び静池の近くまで戻ってきた。あの林の向こう、暗い池にマリーさんは落ちた。周囲にまばらに置かれた灯籠以外に光源はない、寂しい場所。林に囲まれた空間は人気も少なく、それゆえ花火を見る絶好の穴場だった。
私は歩みを止めた。それは、人で混雑した帰り道から逃れたいためだけではなかった。
「ほたるさん」
「え?」
「少しだけ、待っていてください」
マリーさんの荷物を彼女に持ってもらって、池の方向へ走って行く。ほたるさんも慌てて着いてきたことは、バッグの中で微かに鳴る鈴の音が告げていた。目指すのは、私たちが花火を見ていた位置、マリーさんを引き上げた場所からは少し離れた地点。もしかしたらあれは――。
一瞬、林の奥に見えたもの。私の見間違えではなかった。
「どうしたん、急に」
「見てください」
私は足下の点滅する光源を指先で示した。池から数メートル離れた草地に放置されたそれは、携帯電話だった。画面が閉じられ、ランプが明滅を繰り返している。着信があったことを示すものだろう。
屈んで手に取り、機体を開くと、民宿おざきの前に立つ3人の姿が写った待ち受け画面が目に飛び込んできた。
「やっぱり。マリーさんの携帯ですね」
「ほんまや。ここに落ちていたってことは、マリーさんはここで……」
「そうかもしれません。ですが」
私はほんの少し躊躇った後、携帯を操作し着信履歴を呼び出した。すみません、マリーさん。もしかしたらなにが起こったのか分かるかもしれない。
直近の着信、一番上に表示されたのはほたるさんからのものだった。花火が終わってすぐにかけた時のだろう。マリーさんは携帯に出ることができず、留守番電話に登録された。
問題はその一つ下に表示された名前だった。
「これって……!」
「ほたるさんがかける前に、一件の履歴があります。9時50分。花火が始まって5分後です」
「なんで森継さんが……!?」
発信元には、「丈君」と――森継さんの名前が記されていたのだ。思わず、自分の口元が歪むのを堪えられなかった。名前で登録しているとは、恐れ入った。マリーさん、実は恋となると周りが見えなくなるタイプなのだろうか? そうは見えなかったけれど。
私は頭を振って雑念を振り払う。冷静に事実を積み上げていこう。
「も、森継さんがほんまに電話かけてたんやとしたら、どういう理由で? その時、マリーさんになにがあったん?」
「……まだ分かりません。ただマリーさんが場所を離れた理由は、彼からの電話があったからでしょう。
そして通話が終わった後に落としてしまい、地面に当たった衝撃で携帯は折り畳まれました」
「落としたって、突き飛ばされたとか? あ、まさか……」
ほたるさんが怯えたような表情を浮かべた。彼女の口からどんな言葉がこぼれ出ようとしているのか、容易に想像がついた。
「森継さんがマリーさんを呼び出して、それで――」
「ほたるさん」
反射的に彼女の肩を掴む。ほたるさんはビクッと身体を震わせた後、本来吐き出すはずだった台詞の代わりに、か弱い息を漏らした。
「鋭い言葉は、ときに相手よりも自分を傷つけます。滅多なことは口にしない方が良い」
「……はい。そうですね。ウチ、ちょっと冷静じゃないみたいです」
「無理もありません。私もなにがなんだか……。
ほたるさん、このことを告げるタイミングは私に任せてもらってもいいですか」
ほたるさんは黙って頷いてくれた。私はマリーさんの携帯を畳むと、彼女のバッグにではなく、自分の手提げ袋に滑りこませた。確固たる考えがあったわけではない。ただ、こうする方が良いような、こうすることで事態が動くような予感があった。できればそんな状況は願い下げだったけれど。他人の携帯は、ひどく重く感じた。
こうして私が悩んだところで、マリーさんに起きたことを推理するのは困難に思えた。だが彼女なら――「探偵」なら、すぐに解いてしまうのだろうか。
いや、違うだろう。
迷うのはそこではない。真実が分かったとして、それは本当に正しいことなのか? それは、恐らくあの場にいた3人のうちの1人の罪を暴くことになる。マリーさんはそれを望むだろうか? みんなはそれを望むだろうか?
私か探偵か、どちらが先かということでは、断じてない。そもそも部外者である、なんの責任もない存在が、重い役割を担うことをこそ熟慮すべきなのだ。私はひそかに奥歯を噛み締めた。なんのことはない。探偵の「推理対決」という言葉に引きずられているのだ。当事者であるほたるさんが心を痛めている、そのすぐ隣で!
東向き商店街を通って、帰路を急ぐ。ときおり花火後の煙たい空気が責め立てるように、私の乾いた喉をひりつかせた。
【午後11時 民宿おざき】
宿に入ってすぐ、心配した女将さんが出迎えてきてくれた。大前君たちからの電話を先に受けて、事情は聞いているという。
「娘がご心配をおかけしたみたいで、すみません。せっかくのご旅行なのに」
「いえ、私は大丈夫です。それよりも……」
「私どものことはお気になさらず。真栞も、夫が病院まで様子を見にいきました。
こんなことももう二度目ですから、慣れたものです。小さい頃、海で溺れかけたことがございまして」
「そうでしたか」
女将さんは職業人として振る舞っていたが、混乱は隠しきれていなかった。言葉数の多さが逆説的に、一人の母としての憔悴を色濃く表していた。ほたるさんが触れていた「トラウマ」というのはこのことだろう。平静でいられるはずがない。痛いほど心配が伝わってきた。
「あらやだ、私ったら。こんな話をしても仕方がないのに……。
姫川さん、助けていただき、本当にありがとうございました。なんとお礼を申し上げてよいのやら……」
「いえ……私はなにもしていませんので」
「ごめんなさい、ウチも一緒におったのに」
ほたるさんはうなだれながら、マリーさんのバッグを手渡した。
「ほたるは悪くないわ。真栞は昔からはしゃぎすぎることがあるから――ああ、すみません姫川さん。お疲れのことでしょう。ゆっくりお休みになってください」
「ありがとうございます。では、先にシャワーを浴びてきます」
女将さんに頭を下げて、部屋に戻ることにした。視界の端で、彼女がほたるさんを抱きしめるのが見えた。実の娘のように思っているのだろう。女将さんの腕の中で縮こまるほたるさんは、いつもの顔色に戻っていた。
部屋に入ってすぐ、すっかり汗を吸った浴衣を脱いで、シャワーを浴びた。マリーさんを引き上げた時に、身体も濡れていた。熱いお湯が肌を伝う感覚が心地良い。乾いたタオルに水滴をしっかり吸わせた後、室内用の白い浴衣に身を包む。少しは気が楽になったような気がした。
窓際に座り、外の暗闇を見つめた。よし、かなり落ち着いてきた。私は手提げから貴重品を取り出す。そこにはマリーさんの携帯も混ざっていた。森継さんからの着信のあった携帯。彼女が私たちから離れた理由は、予想がついていた。彼女が眼鏡をかけなかったことにも説明がつけられる。
しかし問題はここからだ。マリーさんは携帯を手放し、地面に放り出した。携帯のあった位置は、池からは離れた距離だった。あの場で転んだところで、池に落ちることはない。逆に池のそばで倒れたとしても、あの場所まで携帯が飛ぶことはないだろう。では、彼女は携帯を落とした後、わざわざ池に近付いたのか? なんのために?
もしくは。額に付いていた傷が脳裏をよぎる。何者かが、闇の中彼女の頭部を殴打し――恐ろしい思考を振り払った時、窓の外の夜道に人影が見えた。シルエットからして、森継さんと大前君だろう。
今は考えるのはよそう。私はゆらゆらと頭を振って、二人を出迎えるため部屋を出た。
1階に降りると、ちょうど二人が玄関に入ってくるところだった。大前君はビニール袋に入った浴衣をほたるさんに渡していた。森継さんは濡れたシャツのまま、立ちすくんでいる。
「鹿野、頼んだ」
「はい。後は任せてください!」
「お二人とも、お疲れさまでした」
「おお、姫川か。すまんかったな。迷惑かけちまった」
「いえ、かまいません。あの後のマリーさんの様子はどうでしたか」
「救急車で運ばれる頃には、空元気見せる余裕くらいはあったぜ。予想より早く帰ってこられるかもしれない」
話し声を聞きつけたのか、女将さんが再びロビーに現れた。
「あら――娘を助けていただいて、本当にありがとうございました」
「いえ、大事に至らなくて良かったです」
「あなたは森継君ね。あなたは大前君。いつも真栞から聞いているわ」
「はは、手のかかる教え子とおっしゃっているでしょう」
「あら、そんなことないわ。みんなのこと、とっても大事だって」
森継さんは目をそらしてから、口を開いた。後ろめたい気持ちがあったのかもしれない。
「先生の鞄はありますか? 携帯の心当たりがないみたいで、確認してもらいたいのですが」
「あらそうなの。すぐ持ってくるわ」
やりとりを聞いていたほたるさんがハッとした表情で私の方を見た。さりげなく顔を左右に振ると、意図を察してくれたのか、唇を固く結んだ。
女将さんが持ってきたバッグの中を、森継さんは食い入るように覗いた。
「……ありませんね」
「落としたのかしら。それもなんとかしなくちゃねえ……」
「いやあ、お手数をかけてすみません。俺たちはこれで失礼します」
突然、大前君が割って入った。やけに愛想が良くて、私は不審に思った。
「すみません、なにもできなくて」
「いやいや、女将さんはお疲れでしょう。真栞さん――先生が帰ってきた時に出迎えてあげてください」
「悪いわね。せめて近くまで送るわ」
「いえ、本当に大丈夫ですから。な、森継?」
鋭い目で森継さんを睨んだ。彼の目付きは、気のせいにするには強すぎるような気がした。
二人が夜の闇に消えてからも、嫌な胸騒ぎは消えなかった。ほたるさんに目配せしてから、私は女将さんに告げた。
「ちょっと忘れ物を届けてきます」
「あらそう? あんまり遅くならないようにね……」
不安そうに見送る彼女の視線を振り切り、私たちは急ぎ足で彼らの後を追った。
「変ですね。もう姿が見当たりません」
「近くに空き地があるねんけど、そっちに続く細道に入ったんかもしれません」
私はよりいっそう不安を感じた。彼らがそんな場所に移動したということは、なにか人目を避ける理由があるのだ。彼らだけで話をつけようとしている。
「いました!」
空き地では、二つの影が重なりあうほどに近付いていた。大前君が、森継さんの胸ぐらを掴んでいたのだ。怪我をしてもおかしくないような剣幕だった。
「答えろ、森継! なにを隠しているんだ!」
「二人とも、どうしたん!」
ほたるさんが飛びつくようにして二人の間に割って入った。大前君は息を荒げたまま、頭一つ分高い森継さんを睨み付けている。それを冷たく見下ろす森継さんも苦しげに口元を歪めていた。
「もう、落ち着いてください! なんで先輩らが言い争わなあかんのですか!」
「ほたる。お前だって昼間の写真を見ただろ」
「でも、せやからってこんなん、マリーさんが悲しむだけや」
その名前を出した効果はあったようだ。二人はいったん口をつぐんだ。その隙を縫って、私は大前君に向かって問いかけた。
「さっき、森継さんがなにかを隠しているとおっしゃていましたね。どういうことですか」
「分からないか? 姫川。俺は、こいつが真栞さんを呼び出したんだと思っている」
森継さんを睨み付けてから、考えを述べ始めた。
「真栞さんを池から引き上げてから、こいつは自分を責めている様子だった。だがその前、花火が終わって俺たちのところへ来た時、真栞さんの居場所に心当たりはないと言いやがったな。なにか俺たちに言えないことがあったから、負い目を感じていたんじゃねえのか」
「……ああ。そうだよ。すまない、僕は知らない振りをした」
「てめえ!」
「待ってください。私からも話すことあります」
事態は思った以上の早さで進んでいた。出遅れると、禍根を残すことになる。私は持ってきたマリーさんの携帯を三人の前に見せた。
「黙っていてすみません。会場から帰る途中、ほたるさんと一緒に見つけました。池の周囲に落ちていたものです」
「そうか。そんな気はしていたよ。僕の反応を見たかったんだね」
「……確証はありまえんでした。試すような真似をしてしまい、申し訳ありません」
「森継さん、どういうことなんですか……?」
「認めるんだな」
一斉に視線にされされて、森継さんは諦めたように肩をすくめた。だがその姿は罪を告白するには軽薄な感じがして、ちぐはぐな印象に私は胸騒ぎを覚えていた。
「本当は言いたくなかったが、こうなったら仕方がない。話すよ。
僕と真栞は写真を撮ろうと計画していたんだ」
「写真だぁ?」
「そうだ。……彼女の浴衣姿を、どうしても撮りたかった」
「ふん。胸くそわりい。そんなのいつでも頼めただろ」
「違うんだ。それは今夜でなければならなかった。なぜなら、燈会の最終日だからだ」
私は彼の意図が分かった。今日は花火が打ち上げられる。しかも1300年祭の最終日だけ。写真にこだわりのある彼なら、見逃す手はなかったのだろう。
予想はしていたことだった。なぜマリーさんは暗闇の中、眼鏡もかけずに歩き回ったのか。それは写真を撮るためだったから。彼女は写真に写る時は眼鏡を外してバッグに入れていた。
また、あの場から離れることを私たちに悟られたくはなかったのではないだろうか? バッグには眼鏡の他に鈴も入っていた。持ち出そうとすれば音が鳴って、私たちに見とがめられる可能性が高まる。それは彼女にとって避けたいことだった。
本来なら隠れるような真似はしなくて良かった。だが昼間、あんな写真を私たちに見られてしまった。彼女は気後れしたのではないか。
「彼女は僕と二人きりになることを嫌がった。あんな醜態を見られた後だから。僕らの自業自得だと言われても仕方がないが、マリーさんは教師として、あまり表沙汰にならないように振る舞おうとした」
「ふん、どうだかな」
「そんな……別にウチらは良かったのに」
「だがおかげで、最高の一枚が撮れたよ」
森継さんはカメラを操作し、一枚の写真を見せた。私たちは息を呑んだ。池の向こうに立つ、藍色の浴衣姿の女性。波一つない池には大輪の花火が咲き乱れている。スターマインの時だろう。思わず見とれてしまうような幻想的な一枚だった。
マリーさんは黒いシルエットになっていて、顔はよく見えない。だがその匿名性がいっそう、神話のワンシーンを切り取ったような印象を与えていた。
大前君ですら度肝を抜かれたように口を半開きにしていた。それだけの力がこの一枚にはあった。
「あらかじめ彼女と打ち合わせはしていた。通話を繋いだままにして、撮影の間も何度かポーズの指示を出したりした。スターマインの最中だったから、短い言葉でだけどね」
「携帯が落ちていた地点は、写真の場所と私たちがいた場所の間ですね」
私は森継さんの証言に補足をした。一応筋は通っている。
「そう。だから真栞は撮影から帰る途中に襲われたんだろう。石かなにかで殴られ、池に沈められた……。額に傷が付いていたということは、どういうことか分かるか」
森継さんは暗い眼窩の奥から全員を睨めつけた。思わず背筋が寒くなるような、どす黒い感情の炎をちらつかせていた。
「正面から殴られたんだ。犯人は彼女と顔見知りなんだよ」