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エイサイ的少女のランドスケープ  作者: みのり ナッシング 原作: 大和麻也
Episode.03 とうかい
11/16

Ⅱ 花火


 春日大社の参道を下っていくと、浅地ヶ原あさじがはら会場に出た。東大寺会場のように広大な場所を利用した迫力はないが、色とりどりの灯籠があったり、竹を組んだオブジェの中に飾られたりと、見せ方が工夫されていた。星形やハートマーク、「祈」の文字……様々な形を模して並べられており、絶好の撮影スポットでもあった。多くの来場客が撮影にいそしんでいる。森継さんも堪え切れられないように駆け出すと、人々の間に交じって夢中でシャッターを切り始めた。


「あー、行ってしもた。森継さんにウチらの写真撮ってもらおうて思ってたのに」

「あの様子だと、当分戻ってこないわね」

「もうええわ。3人で撮りましょ、英奈ちゃん!」

「はい」


 ほたるさんは腕を伸ばし、器用に私たち3人の姿をフレームに納めた。マリーさんはしっかりと眼鏡を外していた。夜道を歩く時は眼鏡はかけていたが、昼間と同じように撮影の際は必ず眼鏡を外してバッグに入れていた。だからさっきから森継さんも、マリーさんの横顔を黙って撮ることはなかった。


「その眼鏡は、高校時代にかけていたものですか」


 年賀状の写真を思い浮かべながら、マリーさんに訊いてみる。


「そう。厚ぼったくて嫌だったから、大学に入ってからコンタクトに変えたんだけど……今日みたいな時に役に立ったんだから、とっておくものね」

「私もたまに裸眼で過ごしますが、さすがに夜道だと厳しいものがあります」

「そうよね。昼間に学校の中を歩くくらいなら全然大丈夫なんだけど、さすがに今は無理。真っ暗な地面に、灯籠の明りがぼんやり浮かんでるのが見えるくらいだわ」


 彼女は苦笑いの顔で眼鏡をかけ直した。

 写真の眼鏡姿のマリーさんはよく似合っていたと思うが、コンタクトにした現在の容姿はより大人びた雰囲気を感じさせる。写真は長く残るものだ。自分の納得できる姿で写りたいという気持ちは理解できる。


「隼人さん、今ちょっと羨ましいって思ったでしょ」

「あぁ? んなことねえよ」

「もうー、強がっちゃって。ええ加減、森継さんも入れてみんなで写真撮りましょ!」

「そうね。そろそろ呼ぶわ」


 マリーさんが携帯電話での会話を終えて5分後には、森継さんは戻ってきた。


「遅えぞ。どこまで行ってたんだよ」

「お待たせ。すまない、ちょっと確かめていたことがあって」

「ようやく揃ったわね。私が撮るわ」


 森継さんがどこへ行っていたのか少し気になったが、マリーさんはなんとも思わなかったようだ。一眼レフを受け取ると、張り切って構えた。腕まくりまでして、気合いが入っている。藍色の浴衣から伸びる細い腕が、闇夜に白く浮かび上がった。


「えー、マリーさんも一緒に入ろうや」

「いいのよ。たまには引率らしいところを見せないとね」


 焚かれたフラッシュが闇夜を切り取り、高校生4人の姿を写真に収める。私以外の3人にとっては、あの高台の校舎で過ごす最後の夏なのだ。廃校という確かな終わりを前に、一つ一つの出来事を噛みしめているようにも思えた。

 一通り会場を回り、私たちは最後にしずか池に来ていた。一応燈会の会場ではあるのだが、昼間の賑わいと対照的に人数は極端に少ない。池を囲むようにポツポツと灯籠が置かれているだけなのが原因だろう。


「お堂までライトアップすると毎年多くの人が入っちゃって、橋の劣化が進んだらしいのよ。それで数年前から橋やお堂は飾るのを辞めて、池の周りだけになったの」

「えー、なんかもったいないな」

「夜は足下が危ないしね。ほら、柵とかないでしょ」


 マリーさんは池を指さした。昼間に見た通り、周りを囲むような柵はなく、石畳で舗装がされている程度だった。


「中央部はともかく、ここあんまり深くないしな。カップルがボートで端まで漕いでいったら座礁したって話もあるくらいだぜ」

「あはは、絶対気まずいやん!」

「まあ、なにはともあれ、こういう落ち着ける場所があってもいいよね。この池にぴったりだと思わないかい?」


 森継さんは、静池という名前を踏まえて発言したのだろう。思わず頬が緩んだ。


「しかも僕の見立てでは、ここは今日の花火がよく見えるはずなんだ」

「そうなん?」

「うん。花火は興福寺の隣の草原から打ち上げられる。ここは木々に囲まれているようで、ちゃんと場所を絞れば十分に視界を確保できるんだ。こっちが風上であることもさっき確かめたから、一万発の花火も快適に見られると思うよ」

「へえー、さすが野学部が誇るカメラマン!」


 先ほどの小さな疑問は氷解した。森継さんはここへ下見に来ていたのだろう。

 私は頭の中の地図と午前中の散策を照らし合わせ、花火の方向を考えてみた。静池は東向商店街を南下して、興福寺を通り過ぎて曲がり、東へしばらく歩いたところにある。ということは花火の打ち上げ場所はここから見て北西に当たる。

 そして私たちは今、森継さんの案内で静池の北西の一角にいる。林の中の少し開けた場所で、彼が保証した通り静かに鑑賞できそうだ。空のどの辺りに花火が見えるか、だいたい予想がついた。


「さっき英奈ちゃんと銭湯で話していたんですけど、この日を選んだのは花火があるからやねんって」

「お、それは素晴らしい」

「1300年記念祭の締めくくりに相応しい、豪華な試みですよね」


 花火を見るのは計画通りだったが、こうやって数人のグループの中に混じって見られることになったのは想定外の収穫だった。旅先で縁が繋がったのも、ほたるさんのおかげだ。彼女が野外学習部のみんなを紹介してくれたから。


「上見たり下見たり、忙しいことだぜ」

「もう、隼人さんはロマンがないんやから」

「昔の反動だね」

「ああ? ぶっ飛ばされてえのか」


 大前君は憎まれ口を叩きつつも、口調は柔らかい。斜に構えた態度は相変わらずだが、彼なりに楽しんでいるようだった。口の端が上がっているのが暗がりでも分かった。


「じゃあ、僕は周りを歩いてくるよ。これがあるから」


 森継さんは目を優しげに細めて、首から提げた一眼レフを掲げた。移動しながら臨機応変に良い一枚を狙うようだ。


「いってらっしゃーい」

「気を付けるのよ、森継君」


 池を背にする形とはいえ10メートル以上は離れているためか、マリーさんも平気そうだ。恋人である森継さんが彼女の不安を勘案しないわけがないから、これも計算の内なのだろう。部長に相応しい、本当にしっかりした人だ。


「ウチらもこの辺りで見よか」

「はい」


 森継さんがカメラを片手に池の反対側へ向かうのを見届けると、時刻は9時半を過ぎていた。私は改めて夜空を見上げた。灯籠の少ない静池は暗く、そのせいでよく星が見える。あと10分もすれば、この黒いキャンバスに大輪の花が描かれるのだ。

 私とほたるさん、マリーさんと大前君で横に並んで宴の始まりを待った。もう森継さんは絶好のポイントを見つけたのだろうか。池の水面を利用した写真も狙っているかもしれない。彼の手によって切り取られた風景を見るのが今から楽しみだった。


「……9時45分、10秒前。英奈ちゃん、もうすぐやで!」

「はい……!」


 ほたるさんの興奮した声の数秒後、花火が上がり始めた。

 始めは単発の打ち上げ花火がポツポツと。地上の明りに目を奪われていた人々の注意を誘うように、さりげなく。薄黄色の菊が放射状に花を広げたかと思えば、赤い牡丹が連続で咲き乱れる。色とりどり、様々な模様を描きながら、徐々にテンポを上げていく。それはまるでクラシック音楽のように。時に穏やかに、時に激しく、観衆を飲み込みながら惜しみなく花火を打ち上げていく。

 森継さんの見立ては的中していた。ここは最高の観覧場所だ。視界の端にある木々は花火を隠すことはなく、むしろ他の建物の明りや奈良町の夜景を覆って夜空に咲く主役を際立たせている。風向きも良くこちらに煙が流れてくることはない。

 天と地と。双方に万灯が点される。それはどちらも人を照らす灯火のように思えた。地上では歩む者が転ばぬよう足下を優しく照らし、上空では歩き疲れた者を勇気づけるよう派手に輝く。

 希望と祈りの光は途絶えることなく、今年も奈良の地を照らす。それはただの光ではない。紡いできた人の想いそのものだ。


『全て合わせるとおよそ1万本にもなるのよ』


 燈会が開かれる数日間、毎夜1万もの灯籠が並べられる。図面に沿って配置して、一つ一つに水を注ぎ、ろうそくを浮かべて……。気の遠くなるような作業は、多くのボランティアの働きなくしては成しえないことだ。


「きれい……」


 ほたるさんの声に気付いたのと、彼女がこちらへ歩いてきたことに気付いたのは同時だった。ずっと隣にいると思っていたのだが、そうではなかったらしい。どこかへ行っていたのだろうか?

 横を見ると、大前君の隣にいたはずのマリーさんの姿も見えなかった。彼は花火に見とれていて私の視線にも気付いていない様子だった。その足下の地面に、マリーさんのバッグだけが残されている。


「おかえりなさい。どこかへ行っていたんですね」

「はい、ちょっとトイレに。……あれ、マリーさんどこやろ」

「一緒ではなかったのですか」

「うん。誰もおらんかったけど」


 腑に落ちない感情は、しかし、辺りに響いた轟音で掻き消されてしまう。

 ドン、ドドン。

 いっそう激しく、花火が乱れ打ちに咲く。スターマインだ。首を傾げながらも、ほたるさんはすぐに空を見上げ、目を輝かせた。すっかり夏夜のショーに魅入られていた。少ししたら戻ってくるだろうと、私も気にしないことにする。

 夜の宴も終わりが近い。一発打ち上げられるごとに、音が身体の髄を叩いた。寸分刻みの衝撃に、私の視線はただただ夜空へと吸い寄せられる。辺りはまるで昼間のように明るくなる。

 奈良になんの縁もない東京の人間である私が、こうして1300年祭のフィナーレに臨み、古代の都を感じることができている。それは数え切れないほどの人々が紡いできた想いのおかげだ。考古学者が歴史を伝えた。名もなき人々が史跡の保存運動を行った。そして――私は隣で空を見上げるほたるさんをちらりと見る。旅人を快く受け入れた地域の住民もいた。

 無数の想いが降り積もり、重なり、生まれたこのランドスケープを、私は生涯忘れることはないだろう。様々な要素が重なることによって生まれた一夜の絶景を、私は瞳に焼き付けた。

 最後にひときわ大きな大輪の花が夜空に咲いた後、私たちは夢中で拍手を送っていた。


「すごかったですねえ、英奈ちゃん! なんかまだふわふわするわ」

「はい。分かりますよ」


 ほたるさんに答える声がつい大きくなってしまう。光と音のせいか、祭りの高揚感のせいか、温泉に浸かった時のような不思議な火照りに身体が包まれていた。夜空を舞台にした一夜の上演に、五感だけでなく、間違いなく私たちの心が動かされた証だった。

 花火が終われば祭りも終わりだ。時刻は10時に近付いていた。あちこちの会場で片付けが始まる時間だ。談笑する人々がそれぞれの帰る場所へ向かっていた。

 ほたるさんは大きくのびをした。私も彼女に倣う。身じろぎ一つせずに見ていたせいで、少し筋が凝っていた。


「あれ、隼人さんいてませんね?」


 のびをしたついでに身体を捻ると、確かに大前君の姿が見当たらないことに気付いた。すぐに帰ってくると思っていたマリーさんもおらず、バッグだけが地面に置かれていた。


「今度は大前君ですか」

「マリーさんもまだ戻ってきてへんし――」

「おーい。お前ら、マリーさん見なかったか?」


 噂をすれば、でもないが、大前君はすぐに戻ってきた。


「いや、ウチらも話してたんやけど分からへんわ」

「そうか。気になって見にいったんだが……ずっといなかったのか」

「そうですね」


 ある程度開けた場所だとはいえ、ここは林の中だ。木々があちらこちらにあって、隣を離れてもすぐには気付かなかっただろう。花火に意識を集中させていたせいもある。


「隼人さんはどうなんです?」

「すまん。姫川に訊いておいてなんだが、俺も花火に気を取られていた。木の陰にでもいるのかと思った」

「ウチ、電話かけてみるわ」


 ほたるさんはいつになく緊張した声音だった。大前君は眉間に皺を寄せ、思案している。私もどこか嫌な予感を覚えていた。

 と、その時。


「あかん、出てくれへんなあ――」

「どうしたんだい?」


 森継さんも戻ってきた。顔は上気していて、良い写真を撮れたことが窺えた。しかし私たちの顔が浮かないのを見るや、眉をひそめた。


「まさか」

「なにか知っているのか」

「いや……この暗さだから、どこかで」


 森継さんはふらふらと歩き出した。私たち3人も後ろを着いていく。彼が向かったのは池の方向で……。

 次の瞬間、夜の静池に、最悪を告げる声が響き渡った。


()()()()()()()()()!」


 闇に紛れた犯行が、皆の前に突きつけられた瞬間だった。


「おい森継、『落ちた』だと? どこからだ!」


 大前君はその不吉な単語から、高所からの転落を連想したようだった。彼も冷静ではなかったのあろう。それが違うことは、私たちがたどり着いた場所を見れば明らかだったのだから。

 森継さんは暗い池の水面を指さしていたのだ。


「違う。池に落ちたんだ。そこの池に! ――姫川さん、これを頼む」

「……!」


 ほたるさんは声にならない悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。それを視界の端で感じながら、私は呆然として森継さんからカメラを渡された。その意味に思考が至らなかったのは、その間、私の視線がずっと彼の指が向いた先へ釘付けになっていたからだ。

 池のお堂の下で、影が浮いている。

 波間に見え隠れするのは、衣服だった。濃い色の、浴衣。


「おい、森継!」


 大前君の緊迫した声が放たれるよりも早かっただろうか、重量のある物体を水たまりに落としたような音が耳に飛び込んできた。

 そう、このカメラを浴槽にでも落とせばそんな音になるだろう。けっこう重いな。高級品だろうか。落とすわけにはいかないな。だけどあまり手に力が入らないな。ちゃんと持たないといけないのに。いや、意識を集中させられないのか。あまりにも、処理すべき情報が多すぎて……。

 マリーさんが落ちたんだっけ。静池に落ちたんだった。ひとまず建物から飛び降りたわけではないらしい。だが安心はできない。彼女は泳げないのだ。おまけに浴衣。そう、あの暗い池に浮いている浴衣のような……。嫌な汗が私の頬を伝った。誰だ、「落ちた」なんて不吉なことを口走ったのは。

 そこで私の思考はやっと、発言の主が池に飛び込んだ現実に追いついた。

 森継さんは大前君の制止を振り切って、マリーさんを助けにいったのだ。

 彼は今年受験生なのに、縁起が悪いな。

 そんな思考に逃げかけた自分を、なんとか食い止める。私は自分の頬を引っぱたいてやりたくなった。しっかりしろ、姫川英奈!


「おい、行くぞ」

「はい!」


 ほたるさんはまだ座り込んでいる。顔色は青ざめているが、今はかまってあげられない。カメラを彼女に預けて、大前君に続いて私も池まで駆け寄った。すでに森継さんはずぶ濡れのマリーさんを抱きかかえるようにして岸まで泳いできていた。

 人も集まってきたようだ。帰りに通りすがった客もいるだろう。池の周りの騒ぎが大きくなっていく。好奇の視線を痛いくらいに感じながら、私たちは森継さんとマリーさんに手を伸ばした。


「ま、真栞を早く、上げてくれ」

「分かっている! 姫川、せーので行くぞ」


 石畳にまばらに置かれている灯籠を退けて、十分なスペースを作る。池は柵がなく、水面と地面の段差もあまりない。しかし細身の森継さんはマリーさんを抱え上げるのに手間取っていた。大前君と私で息を合わせ、まずはマリーさんを岸へ上げた。彼女の浴衣は濡れそぼり、かなりの重さになっていた。いや。実際の体重以上に重く感じる理由に思い当たり、寒気を感じた。彼女は意識を失っている。


「仰向けに寝かせるな! 横向きにするんだ。水を吐き出した時に気道に入らないように――」


 指示に従い、マリーさんを横向きの回復体位にする。大前君の言葉の終わりを聞かぬうちに、マリーさんは激しく咳き込んだ。顔は青白く、紫に変色した唇の間から濁った水が流れ出た。浴衣は水を吸ってすっかり重くなり、華やかな色合いは無残にも失われていた。

 大前君は屈み込み、マリーさんの口元に耳を当てた。呼吸を確認しているのか。そうこうしているうちに、一人で岸から上がった森継さんも駆け寄ってきた。


「真栞! 大丈夫か!」

「落ち着け。とりあえず、呼吸と脈はあるな」


 そしてマリーさんの手首から指を離した。それで、すでに脈拍も測っていたことに気付いた。不意に、さっき触れたマリーさんの首筋の冷たさを思い出し、ぞっとする。真夏とはいえ、日が暮れた後の池の水の温度は如何ほどのものか。彼女はどれくらい冷たい世界に身を委ねていたのか――。


「きゅ、救急車呼ばな。えっと」


 マリーさんのバッグを抱えたほたるさんも近付いてきた。薄暗がりの中でも分かるほどに顔面を蒼白にした彼女は、もたもたと携帯電話を操作している。大前君が、明らかに慌てているほたるさんの両肩を掴んだ。


「鹿野! 先に救護テントに行って事情を伝えてくれ。毛布も用意してもらうんだ。濡れたままだとまずい。場所は分かるな? 一番近いのは、駅と逆方向に真っ直ぐ行ったところだ」

「でも、救急車――」

「俺が呼ぶからいい。早く行け!」

「は、はい。了解っ」


 揺れていた瞳は一点に定まった。ほたるさんは青白い顔ながらも、力強く頷き、駆け出していった。

 大前君は落ち着いていた。第一声の時こそ慌てていたが、もう汗も引いている。携帯を操作すると、てきぱきと事態を告げていた。意外な一面を見た気がした。森継さんは濡れ鼠のまま、蒼白な顔でマリーさんの背中をさすっていた。寄り添う姿は、恋人同士であることを明確に表していた。

 昼間の写真が蘇る。密室にあれを残した人間の目的は分からない。だが私にはあれがきっかけに思えてならなかった。

 私はマリーさんのバッグを見つめた。中に彼女の眼鏡が入っているのが見えた。どうも引っかかる点が多すぎる。マリーさんが静池に落ちた。周りに柵はない。しかし縁には、まばらとはいえ灯籠が置かれている。視力の低い彼女にとっても、その光は十分に警告として役立っただろう。

 なぜ彼女は池に落ちたのか? あれほど水場を恐れ、近付かないようにしていたのに? もしくは、マリーさんたちに悪意を持つ人間がいたとすれば、話は別だ。その人は、闇に紛れて犯行に及んだのではないか。

 あの探偵なら、この謎にも説明をつけてくれるだろうか――。


真栞まり! 気が付いたか!」


 森継さんの声で、私は我に返った。マリーさんを見ると、目を開けて微笑んでいた。


「みんな……どうしたの……なんだか寒いわ……」

「真栞さん、気が付いたばかりで大変だけど、歩けそうですか? 救護所へ行きましょう」

「ああ、覚えていない……溺れる……! 助けて!」


 突如、取り乱したようにマリーさんは叫びだした。咳き込みながら、途切れ途切れに恐怖を表現していた。森継さんは顔色を変えて彼女を抱きしめた。それでもマリーさんは虚ろな目で「怖い、怖い」と小さく繰り返し呟いていた。


「もう大丈夫だから」

「早く運ぼう。姫川! 荷物を頼む」

「はい!」


 救急要請を終えた大前君がマリーさんを背負う。それを後ろから森継さんが支え、救護所へ向かって駆け出した。私もマリーさんが残した手荷物を抱きかかえ、後に続く。

 謎を求め、推理を好む、無邪気な子供のような「探偵」。今はそんなことを考えている場合ではない。深く考える時でもない。マリーさんが目覚めたことで、緊張の糸が切れたような感覚だ。だが、小さなことも見逃すまい。私は腹に力を込め直した。

 バッグの中で鈴が跳ねて、急かすような乱れた音を奏でた。






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