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後の5:内と外

 怪我人の手当てのため、数人が男を戸板に載せて去って行った後には、奇妙な沈黙が残った。

 地面に倒れ伏し、すでに絶命している旅人の周囲に、皆が立ち尽くしている。

 その間に、雲が、月を薄く覆ってしまったようだった。月明かりが霞み、照らし出すものが瓦斯灯だけになって、また夜が濃くなる。そして、雨が降り出した。


 ぽつりぽつりと天からの雫が彼らをなでる。

 日が暮れると人の姿が見えなくなる。黄昏時には、あやかしですら、人に見える。惑わされる。更に夜もふければ。照らす月が、杳杳ようようと雲の薄幕に、やわくさえぎられる。

 雨垂れは、人の目を狂わす。雨は、天と地をつないで。境界すらも取り混ぜて。

「お前、見たよな」

 同意を求める声が、横から奏にかけられる。

「何を」

 わざわざ問い返され、相手は束の間詰まり、結局口にした。

「あれが、何だったか」

「ああ」

 奏は、薄く笑みを浮かべた。

「人間だったな」

「それはそうだろうが。そうじゃなくて」

 あれは、誰だったのか。相手は最後まで言い切れなかった。

「なんだ」

 苦笑気味に、奏は言葉をせかす。相手は、遺体に向けていた目をひきはがし、奏の方へと向ける。

 襲われ、命を取り留めたもう一人は、見るからにおびえていた。痛みのせいもあるのだろうが、大声でわめき続けていた。

 それなのに。同じように襲われたのに、動転もせず、怒るでもなく、平然として見える奏に、町の男は気味悪く感じたようだった。無意識の動きで、後ろに下がる。


「お前平気なのか」

「ああ、二度目だしなあ」

「それもそうだが……」

 気弱く声を残し、男は肩をすぼめるようにして、他の人間のところへそそくさと去っていった。

 奏はただ苦笑し、それを見送る。

「……腕が無い」

 別のところから声があがった。立ち尽くして、遺体を覆うこともできずに、ひそひそと声をかわしていた人たちが、再び黙り込む。

 倒れた遺体のまわりには、血の海が広がっている。周囲を踏み荒らした裸足の跡が残っている。

 その遺体の、左腕が無い。

 点々と、血の跡が続いている。そして、赤い足跡。

 それだけでもう、決定打になるには十分だった。

 鬼、と誰かが声を上げる。


「おい、人を集めろ」

 別の誰かが、ひときわ大きな声を上げた。

 血の足跡は、山へと続いている。

「武器を持って来い、これを辿れば追える」

 犯人が誰かもう分かっているはずなのに、あえてそれを口にしないで、人々は怒りを叫びだした。

 墓を荒らし、屍肉を食らう盗人。人を襲い、その血肉を食らうものなど、人の技なものか、と。ならば相手は人ではないものだ。追い出さなければならない。鬼の仕業だ。殺して始末して、平穏を取り戻さなければならない。復讐を。

 周囲の人たちの、囁くようだった疑惑、恐れの声は、徐々に怒号へと変わりつつある。

 得体の知れないものへの恐怖。常軌を逸したものへの恐怖。彼らこそが狂気の塊になりながら、騒ぎを聞いて駆けつけた人間にまた感染していく。



「時間の問題とは思ってたけどな」

 人の群れから下がり、遠巻きに見やりながら、奏は怒号の中ひっそりとつぶやいた。

「それでまた襲われてたら、世話ないね」

 不機嫌な声が隣で聞こえて、奏は慌てて顔を向け、両手を挙げた。

「今回は、無傷です」

 睨み付けてくる蓮に、奏は「ほら」と掌を振って見せる。そのあまりにも暢気な仕種に、蓮は眉根を寄せる。

「どうして奏は、そうやって変なものを引き寄せるかな」

「さあ、なんでだろう」

 答えは変わらず、茫洋としている。いつもこうやって、掴み所が無い。相手を余計苛立たせることが分かっているくせに。

 蓮はますます不機嫌に染まった顔で言った。

「で、どうするわけ」

「どうもこうも、放っておけないしな」

 手を下ろして、奏は和やかに笑う。だけど蓮は、苛立ちを増した目で見上げた。

「無駄だと思うけどね。行ったところで」

「いや、俺もあの集団に真っ向からぶつかろうとは思ってないけど」

 顔を巡らせて、人々が、燭や、小雨に揺らぐ松明を持って集うのを見る。

「そういう意味じゃないだろ。はぐらかすな」

 蓮は奏に指を突きつける。

「正気があって、自分に執着がある人間は、ここまで馬鹿な事しないと思うけど」

「えらく、確信があるね」

「奏よりも、ぼくの方が繊細だから、想像もつくってだけの話」

「そうですか」

 納得した様子も無いが、奏はやはりただ笑う。そして、そのままで続けた。


「蓮は残れ」

「またひとりでそういう、勝手な行動をとろうとする」

「こういうときは、ひとりで動いた方が早いってだけで、変な意味は無いんだけど」

「邪魔だって言ってる時点で、変な意味だと思うけどね」

「いや、邪魔ってわけじゃなくて」

 集う人の数は、今まで闇に沈んでいた反動で、あまりにも多い。そして、強い。湿り気と一緒に、熱気と一緒に、人のむせるような感情までもが強く向かってくる。

「やっぱり、先に町を出てて」

 奏は、軽く口にした。

「ますます、ぼくを怒らせる気」

「俺がどうにかなると思うのか」

「どうにかなるような事態に突っ込んでいこうとしてたら、もっと怒ってるって、分かって言ってるの」

 目を戻して見ると、怒りと呆れにまみれた表情で、蓮は蛾眉を寄せている。

「馬鹿は殺しても死なないことくらい、知ってる」

 いつも感情に溢れ、生き生きとした目は、強く奏に据えられている。

「奏が面倒ごとに首を突っ込みたがるのは、重々承知だけど。いい加減、ぼくは菩薩にもなれると思うけど、どうかな」

「悟りを開けそうか」

 言われた皮肉にも、奏はくつくつと笑った。その顔に蓮は眉をつりあげ、大仰に息を吐いて、腰に手を当てる。


 そして、先程奏に話しかけた男と、集団のうちの数人がこちらを見て何かを話している。手に手に凶器を携えた人間たちのいくらかが、こちらに歩み寄ってくる。

 奏は、静かに笑みを深めた。

「どうした。俺のことは、あまり気にかけてくれなくても問題はないぞ」

 だが彼らは応えず、奏たちをぐるりと囲んだ。目の光は強い。怪我人や、襲われた人間を気遣うような色ではない。それは、得体の知れない事件へ向けられていた、その犯人へ向かおうとしているものと同等だった。

「心配しなくても、ここであったことも、これから起こることも、外へもらしたりはしないけど」

「信用したいがな」

 輪の後ろから誰かが答える。

 ――留まってほしい、か。

 事件がおさまるまで留まってほしい、手助けしてほしいと請われた。言われるまでもなく、気にかかることがあったから留まってはいたし、あの店主に果たして悪意があったかどうかは定かではない。

「例え事件が収束しても、話が外へ流れるのは、歓迎できることではないのじゃないかな」

 そうして彼らの生活を崩されるのが。

 噂が広がり、銭を落とす旅人が寄り付かなくなり、実入りがなくなれば、生活に関わるのだから仕方がないのかもしれない。だが、それだけではない。

 外から好奇の目を注がれること、そして外部の人間が事件のために乱入してくることすらも、彼らにとっては好ましいことではない。

「当たり前だ。我々は、我々の手ですべて解決してきた」

 一人が声高に口にする。

 町は閉ざされている。高い山に囲まれ、わずかに出来た平野に身を寄せ合って、彼らは閉ざされている。闇の底に沈んでいる。

 人は来て去っては行くが、表層を行き過ぎていくだけだ。微風は、凝り固まったものに風穴を開けない。


 町は、まるでそれ自体が一人の人間のようだ。

 明るみに出ている人の好い表の顔と、恐れ怒り騙す、奥底に隠したものと。

 たとえ陽が昇っても光の届かない場所。隅に追いやられ、それでもわだかまる闇の塊。

 けれどそれに危機感を抱くことも、不思議に思うこともない。当然だ、外を知らないのだから。ただひたすらに、乱されるのを嫌っている。移ろっていくものを嫌悪する。

 旅人をもてなしはしても、彼らが外の風を吹き入れ、かき乱すのを許さない。白日の元に暴かれるのを恐れている。それならば取り込み、閉じ込める。もしくは押し潰す。不可解なもの、目障りなもの、不要なもの、不都合なもの、不利益なもの。

 自分たちを、築いてきた規律を、彼らだけの調和を守るためならば、皆同じように歪むのだろう。彼らはすでに歪み、けれど歪んでいるのに気づきもせず、そのまま更に沈んでいく。そこに横たわっているのが楽なのだ。そうして澱のように、時と共に蓄積されていく。

 果たしてそれが、狂っていないと言えようか。

 ――そして彼らの内に、久我はいない。

 張り巡らされた垣根の内と外。閉じられた独りよがりな世界で、また隔絶されている。

 久我から見ても町は外のもの。従えるものは同等ではない。時代が変わり、外のものが雪崩れ込み、内の人間が望んではみても、些細な物事では変わりはしない。

 そうか、と奏はつぶやいた。分かっていたけれど。


「俺たちを生かして外に出すつもりは、最初からなかったということだろう」

 頼む、と言った。町を助けるために、頼むと。

 頼むから死んでくれと言うことだ。

 そこに一片の疑問も持たないのか。人を殺す鬼を恐れたくせに、風聞を守るために人を閉じ込め、口を封じるために殺すことへの矛盾もないのか。

 自分たちの輪を守るためなら。

 不穏な笑みを見せた奏に、彼らを取り囲む人間たちの輪が縮む。

 さらさらと、雨が彼らの表面を浅く撫でている。空に雲は薄く、細くさえぎられた月の光が、水に濡れた人の肌を照らしている。瓦斯灯は、利に濁る人の目を隠しはしない。

「さっさと行ったら」

 人々と向き合っていた奏に、蓮があっさりと言った。

 蓮は人の群れを卑下するように、雨を邪険にするかのように目を細め、先に場を離れていく集団の行方を見る。顔をそちらに向けたままだった。

 凶器を持った人たちの声が、離れていく。足を踏み鳴らして、歩き出す。

 時代が変わり、外国に染められ、外の視線を気にして見た目だけ法令を整備しても、国の端々には行き届かない。そして人の心にも。警察を頼まず、こうして不都合な口を塞ぎ、人を狩り、駆け出すのは、文明を謳い列国へ並ぶことを願う国のすることだろうか。――昔から何も変わりはしない。人の心は。

 警官隊が駆けつけて来たところで、止めようも無いことではあるのだろうが。


「でも蓮ひとりで」

「この程度どうにか出来ないとでも思っているわけ」

「いや、そうじゃないけど」

 心配しているんだけど、と言おうとして奏は口を閉ざす。馬鹿にしているのかと怒られそうだったし、これ以上言葉を重ねて時間をかけている場合ではなかった。蓮は小さく鼻を鳴らして、不満そうに言った。

「小半時しか待たないよ。山に火がつくような気配があったら」

「分かってる」

「どうだか」

 まったく信用の無い声を受けながら、奏は小さく笑う。

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