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後の4:彼岸と此岸

 噂が町を満たし、男たちが警戒をしていても、夜の出入りを完全に禁じることなど不可能だった。街道を行く旅人がいて、それを相手に商売(あきない)することで町が成り立っている以上、できることではない。夜の街を彩る店も閉め切られる気配はなく、ただ少しだけ華やかさを抑えている。

 大っぴらに行動できないのは、警官隊を頼み、悪評が立ち、人が来なくなることが、何より恐ろしいのだ。そして、完全に夜を閉ざして、寂れた印象を与えることすら、尾を引くことになる。

 そんな宵の口、しんと静まり返った中を、身を縮こまらせて歩く人がいた。必死に山を越えてきたのだろう。


「やあ、お兄さん。こんな遅くに大変だね」

 突然声をかけられて、男は飛び上がらんばかりに驚いた。奏は、振り向いた相手に笑って見せた。

「どうした。大丈夫かい」

 間延びした呑気な声で、もう一度声をかける。男は大げさに驚いたのが恥ずかしくなったのだろう。いや、と苦笑気味に声を返してきた。

「ちょっと驚いただけだよ。急に声をかけるから」

「それは悪かったね」

「人通りも少ないし、ちょっとビクついていたんだ」

「ああ、気持ちは分かる」

 くすくすと奏が笑う。だが、奏はもともと少しも怯えていない。和やかな笑いに、男の緊張もほぐれたようだった。

「この町は、多少遅くなっても、他所よりは安全だと聞いていたんだがな」

「瓦斯灯があるからかい」

「東京ほどとはいかないが、隣の町にも、その隣にも、こんなものはなかった」

 東京に行ったことがあるのならば、比べものにならないことくらい、分かっているはずだ。だが男は、物珍しそうに上を見上げていた。

「田舎で、夜道が、これだけ明るい場所もあまりない」

「まあ、そうだな」

 奏が同意すると、旅の男は不思議そうに見てきた。疑問を浮かべる目線に、奏は笑う。

「俺も、元々はこの土地の人間じゃないんだ」

 そうか、と旅の男も笑みを返した。

「瓦斯灯、か。最初は驚いたがな」

 松明のようには揺らがない、硬質な光を見上げる。上を仰ぐ旅の男に、奏もつられて見上げた。

 確かに、とつぶやいて。

「はじめて見た人間は、真昼のようだと騒ぐが、慣れてみるとたいしたことないな。明るいのは、真下だけだ」

「そうだな」

「この程度の光じゃ、夜道の安全をはかれない。無いよりはましだけどな」

 奏の言葉に、旅の男は少し身震いした。今まさに彼は、夜道の上を、身を寄せる場所も無くさまよっていたところだ。

 その仕種に小さく笑みを浮かべて、奏は少し鼻をひくつかせるようにして、息を吸った。深く空気を吸い込み、臭いを嗅ぐ。煙けぶるような花の香が入り込んでくる。

「どうした?」

「水の臭いがするね」

 旅人はそれを見て、同じように鼻を鳴らしているが、何もわからなかったようだ。

「そうかな。何も感じられないが」

「ああ、雨が降るね」

 男は首を傾げ、再び鼻を鳴らして臭いを嗅いだ。首をかしげている。

「旅の習いで、雨の気配には敏感になったものだが、わからないな」

 奏も、もう一度臭いを嗅いでみる。やはり、闇の向こうからは、むせるような花の香に混じって、湿った土の臭いが、空気を蒸らす湿気の臭いがしている。

 薄く笑う。


「気をつけたほうがいい。雨は、あやかしを呼ぶ」

「……なぜ」

「彼岸と此岸(しがん)を結ぶからさ。水の圧力は、人の思考を鈍らせる」

 言って、奏は再び笑った。にこりと、懐こい顔で。

「宿はどこか、お決まりで」

 奏の言葉に、男は少し、ぽかんとした顔をした。宿の呼び込みだったのか。ようやくと言うべきか、気づいて旅の男も笑いをこぼした。苦笑気味に。なんだ、脅かすなとつぶやいて。

「まだ入れてくれるだろうか」

「お望みとあらば」

「商売上手だな」

「そうかな」

 奏は頓着せず、旅の男を案内して歩いていく。町の人通りは極端に無いが、向かいから提灯を携えた男が歩いてくる。奏は向かってくる灯りに向かって、軽く手をあげた。

「おう、ちょうどいいところに」

「どうした」

 男を指して奏は、提灯を携え、下からも明かりに照らされた相手に言う。

「宿探してるんだって。空いてたら、入れてやって」

「分かった」

「悪いな」

 奏が言うと、相手は曖昧な顔で笑う。

 悪いも何も、奏があまり町をうろついて勝手なことをしてくれない方が、町の人間にはありがたいからだ。

 やはり彼らも、所詮余所者である奏が一人で出歩くことにいい感情を持っていない。それを分かっていながら、少しの嫌味も無く、奏は彼らの思惑に乗っている。だから旅人を早々と彼らに引き渡して、案内を任せる。

 町の男が客人を案内し、歩いていくのを見送って、奏は再び歩き出した。

 曖昧なまま迷走する町の人間は、一体どうするつもりなのか。

 淡い明かりの下、思案して歩いていた奏は、唐突に響き渡った悲鳴に、慌てて足を止めた。

 振り返り、先頃町の人と別れた場所を見る。当然そこにはもう誰もいない。

 静寂をつんざくような悲鳴が、再び耳に飛び込んでくる。今度は考える前に走り出した。絶え間なく聞こえる大声を目指して、路地を曲がって駆けていく。



 人影は三つ、別れたときより多い。

「助けてくれ、助けて」

 旅人の、うわごとのような声がする。白刃がひらめいて、その喉笛を切り裂いた。鮮やかな色が空間を染め上げ、男は音を立てて地面に倒れた。

「化け物。寄るなあっ」

 彼と一緒にいた町の人間は、以前の奏と同じように、首を切り付けられたようだった。地面にへたりこみ、血のあふれる傷口を抑えながら、叫んでいる。

 血濡れた刀を持った人影は、そんな相手には目もくれなかった。血の海を広げながら倒れ伏す、もう一人の横に屈みこむ。

 奏は激しい自責の念にさいなまれながらも、血臭の元へ駆けつけた。



「おい」

 発せられた声に、屈みこんでいた人影が、立ち上がる。

 明かりの下、着流し姿の少年が立っている。着崩した襟元から覗く肌が、不安をあおる白さだった。骨が浮いて見える。うつむいた前髪が、顔を隠している。

「……綾都」

 口をついて出た。

 闇に沈む黒髪も、やけに白い肌も、痩せすぎた姿も、ひと月前の彼の姿を髣髴とさせた。あまりに危うく、今にも壊れそうに張り詰めた姿。

 まだ、生きていた。

 奏は驚き、同時に自分を(なじ)る。

 ――勝手に決め付けていたのか。もう死んだものと。

 そして、ひと月たった今でも、彼がこうして、一人で出歩けるほどの力を持っていることに驚いた。

 ――否。

 不自然に夜を照らす瓦斯灯の元、相手が顔を上げる。長く伸びた前髪の隙間から、目が覗いた。

 意志が強く、頑固さを潜ませた綾都の目ではない。

 ゆらめく目が向けられる。少し気弱で、真面目で、優しい色をたたえていた瞳からは、何もかもの明確な意志が見えない。

 口の周りを血で汚して、少年は揺々ようようと笑った。

 そしてついでのような動きで、脇差を握った手を持ち上げる。

 初動に予想がつかなかった。白刃が光を返したのにハッとして、奏は慌てて刃の軌跡を避けた。切っ先が前髪を掠める。


「無駄だ。やめろ」

 叫ぶ。

「これ以上、馬鹿なことをするな。何の意味もないことくらい分かってるだろう」

 だが、相手が聞いている様子は無かった。再び刃を掲げる。しかし、それが振り下ろされることは無かった。

 いつかと同じように、人の足音が聞こえる。それも少ない数ではない。声を掛け合い、集まってくる。

 奏は相手から目を離さなかったが、相手は惑うように顔を彷徨わせた。

 そして白刃をしまうこともなく、血を滴らせたまま、突然踵を返す。唐突に、走り去っていった。人の作り出した光など届かない、夜の中に。



 追いかけることができなかった。唖然として背を見送り、再び大声で喚きだした男の声でハッとした。男は必死で傷口を抑えている。手があてがわれている箇所と血の量をみれば、致命傷ではない。

「落ち着け、大丈夫だから。もう行っちまったから」

 男の脇に膝をついて、なだめようと声をかける。だが男は、奏を見ても怯えて声を上げ続けた。そこにようやく、町の人間が駆けつけてくる。

「おい、大丈夫か」

 最初に到着した者は、現場を見て思わずのように足を止めた。それから慌てて、首を抑えて喚いている男の元に駆けつける。

 生き延びたのは町の人間、倒れ伏しているのは、旅の男だった。それは、町の人々にとっては、運のいいことに。犯人にとっては、折の悪いことに。しかも姿を見られている。人を襲っただけではない姿を。


「おい、これ、どうなってるんだ」

 誰かが大きな声を上げた。死んだ男の首もとの肉が、不自然に爆ぜている。

「食らってた。食ってたんだ、人間を」

 襲われた町の人間が、恐怖にひきつった声をあげた。上ずった声は、悲鳴よりもずっと遠く奇妙に響いた。人々の間を縫うように。

「あいつあいつあいつ、俺のことも、食おうとして」

 誰もが、知っていたはずだ。

 はじめは、屍肉を食らう盗人がでた。それがおさまったと思ったら、今度は人が襲われ、食らわれる事件が続いた。誰もが怯えて、門戸を閉ざして、家に閉じこもっていたのではなかったか。

 分かっていたとは言え、絵空事でしかなかった。だれも、現場を見たことが無かったのだから。

 男は喚き続けている。彼のそばに駆け寄っていた町の人間が慌ててなだめた。

「落ちつけ。もう逃げちまったよ」

 後ろから声がかかる。

「興奮させるな。血が流れちまう」

「近くの詰め所に運んで、早く手当てを」

「誰か、戸板を持って来い」

 現実から目をそむけるように、人々がせわしなく動き出した。

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