1.平民のモブ
特筆すべきことはなんにもない、ありふれた日常だった。
同じ学校の、同じクラスの、仲のいい4人の女子たち。
1日も終わりにさしかかり、学校帰りのその道で、いつも通り楽しい会話をして歩く。
夕焼けに照らされてまぶしい道に通る車はさほど多くはない。
ここで、その日常とは異なるのは、ただひとつ。
彼女たちのいる場所へ、トラックが突っ込んでしまったことだった。
☆
とまあ、記憶はそこで途切れている。
それが前世の記憶かもしれない、なんておとぎ話にもならないことは理解している。
ただ、物心がつくころからすでに憶えていた記憶がそれだ。
現在は車も信号もない、なんなれば日本でよく見た住宅もない。言うなれば中世ヨーロッパのような風景が取り巻いている。
そんな世界の平民に生まれた彼女、ココアラルは、あと3日ほどで入学式を迎えることとなる。
彼女の入学する学園は、身分隔たりなく勉学ができるところ。貴族は必要最低限以上の学習を家で行ってきているので面接を、平民は筆記テストで学園に入学できるかを試験する。
ココアラルはその筆記試験に合格し、学園への入学が決まっていたのだ。
貴族の方々と仲良くできるかはさておき、この世界において小学校も中学校もなく、高校生の年齢になって入る初めての学園に、不安と期待がとまらない。
「ココ、学園に入って目立つ行動すると大変だぞ」
洗濯物を干し終わった彼女に背後から声がかかる。同じく平民だが昨年学園に入った、幼馴染のコンラートだ。
「そんなヘマしないよ」
彼とは昔からのつきあいで、前世の話を夢物語のように語って聞かせたことがあるのだ。飛行機という大きな鉄が空を飛び、車という馬よりも早い機械が地を走り、6歳になればみな平等に学校に行き学び、魔法もない、話を。
ココアラルが薄々思っていることは、この世界がかつてプレイしていた乙女ゲームの世界ではないかということ。
むろん彼女は自身がヒロインのポジションでないことは理解しているし、そこになり替わろうとも思っていない。しかし、住んでいる王国の名前と、平民である幼馴染のコンラートの名前さらに容姿が攻略対象にあったこと、学園に入ることなどと、酷似していたのだ。
それはなんてことない話だと、幼いココアラルはコンラートにその話をしたこともあった。学園に入り、そこに出てくるキャラクターの名前や、起こることも語って聞かせた。
いまとなっては、予知のような薄気味悪いことをしたな、と思っているが。
まあ、事実本当にキャラクターが学園に居るかもわからないし、プレイヤーたるヒロインがどのようになっているかもわからないので、広めて言おうなんて気にはならない。
コンラートも学園の話をしてくれることは少なくて、はたしてどうなのか。
「持ち物の準備は終わったのか?」
「ラートじゃないんだから、1週間前には終わってるわ。あとは直前に詰め込むものだけ」
平民は貴族と違い、送り迎えなどが難しいので、寮が用意されている。もちろん貴族も利用できるが、寮で自力生活を送るより、世話係がいる家から出る者は少ない。
学力で学園に入った平民たちは家具が揃う寮に入るし、出費が必要になるものは現学園が支払い、卒業してから払う制度になっているのだ。学園を卒業できれば、平民でもそこそこの職につくことができる。
コンラートは現在、春休みだから帰省しているに過ぎないのだ。
「入学して、平和に卒業できればいいもの」
「欲がない。貴族の坊ちゃんでも捕まえて、将来いい生活を狙えばいいのに。奥方とか夫人とか呼ばれてさ」
「いらなーい。それはラートが狙えばいいよ。子爵のご令嬢とかどう?」
「俺も別に。まあ、できるならそれもいいんだけどさ。貴族なんて、人づきあい面倒そうだろ」
「じゃああたしにも勧めないでよ」
ヒロインは子爵令嬢だったはずで、コンラートは攻略対象。なくはない話だったが。彼がそんな話をすることもない。
ゲームシナリオに登場もしないココアラルでは、その望みは薄かった。
前世では高校卒業することもなく、大人になって働くこともできず死んでしまったから、ここでは無事に平穏に大きな事故もなく生きていきたい気持ちのほうが強い。
「あたしはただのモブとして、しっかり生きたいだけなの」
ぼんやりとつぶやく言葉は、そこそこに重い本望だった。
はじめまして。
この小説が、だれかの目に触れて、ふふっとなっていただければ嬉しい。