セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』②
セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(1979年、草思社)より。
第一章「生活」部分のまとめ。その②。
ヒトラーが第一次世界政戦終結後に政治家になることを決め、そしてそのときに彼が抱いた9つの「政治的決意」と、ヒトラーが第二次世界大戦をどのようなものにしていこうと考えていたのかという構想について。
・ヒトラーの9つの「政治的決意」
ヒトラーが第一次世界大戦終結後に固めた9つの「政治的決意」
第一、1918年11月のような状況になっても今後は革命を不可能にしようとの決意。
第二、1918年11月のような状況をもう一度出現させようとの決意。そうでないと第一の決意が宙に浮いてしまうから。
第三、負けた、あるいは負けたとされた先の戦争(第一次世界大戦)を再開する決意をすること。
第四、その戦争を潜在的ないかなる革命勢力も存在しない国内体制のもとに、再開する。
第五、一切の左翼政党の廃止にまでもっていく。一緒にすべての政党を廃止してしまってもかまわない。しかし、右翼政党を支えている労働者階級までいらないというわけにはいかないので、彼らを政治的に「国家主義」の味方にする。
第六、労働者階級のために社会主義を、とにかく一種の社会主義が必要になるため、「国家社会主義」を提供していく。
第七、マルクス主義の根絶。
第八、マルクス主義の政治家と知識人の抹殺。
第九、ヒトラーの昔からの念願だったユダヤ人の撲滅
ヒトラーは第一次世界大戦終結後、後に「わが生涯における最も困難な決意」と述べた彼がいよいよ政治家となろうとした決意を固めるのだが、それを可能にしたのは大戦末期に、ドイツで起こった1918年の「ドイツ革命」だった。
<「ドイツ革命」とは‐ 世界史の窓より
第一次世界大戦の末期の1918年10月、ドイツ海軍が無謀な出撃命令を拒否して、キール軍港の水兵反乱が起きると、その動きはたちまちに全国に広がり、各地で労働者と兵士が連帯して労兵評議会が結成された。ベルリンでは11月9日にそれまで戦争に協力してきたドイツ社会民主党も戦争中止と、皇帝の退位を認めざるを無くなりヴィルヘルム2世はオランダに亡命して、ドイツの帝政は崩壊した。同日、社会民主党のエーベルトを首相とする政府が成立し、「ドイツ共和国」が発足した。こうして第一次世界大戦はドイツが敗北して終わり、ドイツ第二帝国は崩壊しドイツ共和国が成立した。>
この「ドイツ革命」が、初めてドイツの政党に国家権力への道を開き、同時に従来の政党体制を激しく揺さぶり、新しい政党にも機会が与えられることとなった。
そのときヒトラーはオースリア国籍のドイツ人だったが、革命が王侯の支配や貴族の特権を除去していたので、もはや彼がドイツの政治家になるのに社会的障壁など存在などせず、
また、当時のいわゆる「ドイツ・オーストリア」の合併は、戦勝国から禁止されたものの、国境の両側で1918年以降は熱狂的に希望されるようになって、オーストリア国籍だからといってドイツ国内で外国人だとみなさることはほとんどなかった。
・「1918年の犯罪(ドイツ革命)」をなかったことにするのがヒトラーが抱いた最大の政治的決意
ヒトラーは、1918年のドイツ革命の敵、「11月犯罪」の断固たる敵として政治に足を踏み入れた。
1918年11月の体験が、彼を目覚めさせた。
1918年11月は、彼が政治家になる決意のきっかけとなった。実際にその決心をしたのは1919年秋のことで、
「ドイツに二度と1918年11月があってはならないし、またそのようなことは起こさせない」
というのが、ヒトラーの最初の政治的決意だった。
そして彼が生涯において成し遂げたことは、唯一この目標だけだった。
ドイツの右翼は、ドイツは戦争に負けていないのに、十一月革命を起こした社会主義者の「背後からのひとつき」でやられたのだとして、彼らはドイツ革命を「十一月の犯罪」と呼んだが、ヒトラーが抱いた政治的決意とは、
まず第一に、1918年11月のような状況になっても今後は革命を不可能にしようという決意だった。
・「1918年の犯罪(ドイツ革命)」をなかったことにするために、第二次世界大戦を起こして歴史を正しく修正しなければならないというヒトラーの政治的決意
しかしすでに起こってしまったドイツ革命(十一月の犯罪)を覆すには、もう一度革命前のような状況を作り出さなければならない。
そのためにもう一度革命前と同じ状況を出現させようというのが、ヒトラー第二の決意。
そしてそのためには、負けた、負けたとされたあの戦争を再開しなければならないというのが、ヒトラーが抱いた「わが生涯における最も困難な決意」のうちの第三の決意。
・二度と「1918年の犯罪(ドイツ革命)」を許さないための「ファシズム」による「一党独裁」体制の確立
ヒトラー第四の政治的決意は、再開したその戦争は、いかなる革命勢力も存在しない国内体制のもとに、再開される必要があるというもので、
そこから第五の決意として、一切の左翼政党を廃止に持っていくということが導き出されて行く。(→ファシズムによる一党独裁の確立)
・左翼政党を支える労働者階級を取り込むために、ドイツを国家が社会主義を行う「国家社会主義」の国にする
ヒトラー第六の政治的決意は、「1918年の犯罪(ドイツ革命)」を引き起こした左翼を潰すためには左翼政党を支える労働者階級を取り込む必要があり、そのためにあえて、国家が社会主義を国民に提供する「国家社会主義」を導入するというもの。
・「国家社会主義」以外の社会主義撲滅のためマルクス主義者の根絶と抹殺
そして国家が提供する以外の社会主義をなくすためヒトラーは、第七の決意としてマルクス主義者の根絶と、第八にマルクス主義の政治家と知識人の抹殺が必要だとした。
・ユダヤ人の抹殺
そして最後、ヒトラー第九番目の政治的決意は、彼の昔からの念願だったユダヤ人の地上からの抹殺。
彼にとって都合がいいのは、当時マルクス主義の政治家や知識人にユダヤ人が多くいたことだった。
しかしヒトラーが抱いたこの全構想は、それ自体が一つの間違いの上に、築かれていた。
ヒトラーのみならず当時の多くのドイツ人たちは、彼らが「11月の犯罪」と呼ぶドイツ革命は、その革命戦争の敗北の原因になったと誤って考えていたが、事実としてはそうではなく、実際にはあくまでドイツ十一月革命は第一次大戦の「敗北の結果」によってもたらされたものだった。
・ヒトラーが抱いていた第二次世界大戦の構想
初めにヒトラーには、打ち切られた戦争(11月革命によって打ち切られた第一次世界大戦)をなんとしてでも再開するという決意だけがあった。
ヒトラーはその新しい戦争を、単に旧い戦争の繰り返しにはせず、第一次世界大戦中とそのあとで敵の同盟を破壊した対立を利用して、新しい、有利な同盟関係のもとに計画しよう、と考えた。
「わが闘争」に書かれている最終的結論では、
イギリスとイタリアを同盟国または好意的中立国と予定し、
オーストリア=ハンガリーの後継国家とポーランドとを支援民族にし、
フランスは前もって除去する必要のある第二の敵とし、
ロシアをドイツの生活空間、すなわち「ドイツのインド」とするために占領し、
恒久的に服従させる主要敵とするという構想だった。
第二次大戦の基礎にあったのはこの構想だったが、
イギリスとポーランドが彼らに割り振られた役割を受け入れなかったので、初めから予定通りにはいかなかった。
ヴァイマル政権時代のドイツの細かい歴史については、以下のまとめもご参照ください。
『ナチスの台頭に至るまでのドイツ(ヴァイマル)共和国の変遷』 https://ncode.syosetu.com/n6472fe/
『ヒトラーが政権を掌握するまでの略歴(神野正史『世界史劇場 ナチスはこうして政権を奪取した』等からのまとめ)』 https://ncode.syosetu.com/n3752fe/




