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14ー2


 初夏の日差しを受けて、青々とかがやく新緑が目にまぶしい。色とりどりの薔薇が咲き誇る中では、ますます色合いが華やいでみえる。そんな中、慎ましやかに咲く小さな赤い薔薇の香りをかいで、シャーロットはほっと息をついた。


「フリッツ様は何を考えているかわかりづらいところもありますが、お優しい方だと思うんです」


 そうして彼女が語ったのは、まだシャーロットが幼い頃、父であるエリック・ユグドラシルに連れられて初めて王城に上がった時の話だった。


 当時、双子の王女が生まれたことで、女官たちはそちらに付きっ切りであった。だが、第一王子であるフリッツなど上の子供たちも未だ幼く、誰かが相手をしてやらねばならなかった。


そこで白羽がたったのが、王に仕える役人たちの子供たちだ。詳しい経緯までは彼女は知らなかったが、同じ年頃の子供と交流することも情操教育となって良いだろうと、教育係の誰かが進言したらしい。


 7歳だったシャーロットも、名誉ある「王子の遊び相手」として声がかかった。彼女の他にも様々な役人の子供たちが集められ、全部で10人くらいがキングスレー城に招かれたのだという。


 そうして彼女は、フリッツ王子と対面を果たした。


「その時の王子は、どんな子供だったの?」


「それは、もう! もんのすごく、かわいかったですよ!」


 昔を思い出してか、シャーロットの声が明るくはねた。


「世の中にはこんなに綺麗な子がいるんだなって、ほれぼれしちゃいました。まつ毛なんか、女の私よりもずっと長いんですよ。私だけじゃなくて、連れられてきた子供はみんな、目をまん丸にして殿下を見ていました」


 けど、とシャーロットは目を伏せた。


「殿下は、全然わらいませんでした。初めは怒っているのかなとも思ったんですけれど、そうじゃないんです。話しかけても知らんぷりだし、誰が何をしても見向きもしない。私たちもまだ子供だったし、途方にくれちゃいました」


 シャーロットが7歳だったなら、当時の王子は10歳だ。つまりは、クロヴィスやロバートたちが使節団として隣国を訪れる一年前の話である。クロヴィスも、隣国への遠征期間中に対面したフリッツ王子のことを、まるで美しい人形を見ているようだったと話していた。


 城に集められた子供たちは、当然、困惑した。「王子の遊び相手」として意気揚々と来たのはいいが、肝心の王子が何をしても無関心ときた。幼い子供なりにあれこれと手を尽くしてはみたけれど、すぐに音を上げることとなってしまう。


 結局こどもたちは、フリッツ王子と関わることを諦め、第二王子の相手をしてすごした。もちろん目付け役の目もあるから、フリッツ王子を放っておくことはできない。だから、とりあえずは王子を輪の中心においてはみるのだが、誰も彼に話しかけることはしないし、王子もまた、ガラスのような瞳で皆をじっと観察するだけだった。


 そんな均衡は、ふとしたきっかけで崩された。


「実は私、両親と血がつながっていないんです」


「え?」


 あまりにあっさり告げられたそれに、アリシアは返答に窮した。しかしシャーロットに気にした様子はなく、あっけらかんと続けた。


「養子なんです。それがある日、他の子たちの間に広まっちゃったみたいで、輪の中から外されちゃって。いわゆる仲間はずれですよね」


 だが、意外にもシャーロットは、そのことを悲観しなかったという。城に上がるとなった時点でそうなる予感はしていたし、家に帰れば大好きな兄弟が迎えてくれた。そのことを思えば、ちっとも寂しくなかったのである。


 そんなわけで、三度目の王城上がりの頃から、シャーロットは一人で庭園の芝生に寝っ転がって時を過ごすようになった。そうして、形を変えながら流れていく雲を目で追ったり、遠い空をかけぬけていく鳥の声に耳を澄ましたりしていた。


 遠巻きにされながら沈黙を守っていたフリッツ王子が、突然シャーロットに声をかけてきたのは、そんな昼下がりのことだったという。






“こんなところで、ひとりでなにをしている”


どこまでも青く広がる、さわやかな空の下。大の字になって、空をながめるシャーロットの視界をさえぎったのは、きらきらと輝く金髪頭の少年だった。


 シャーロットの小さな口から、ひゅっと息がもれた。もしここで王子がにこにこと笑顔なんぞ浮かべていたら、彼女は本格的に悲鳴をあげたかもしれない。しかし、王子はいつもと同じ無表情のままで、そのことにシャーロットはかえって安心した。


 だからシャーロットは、じっと自分を見下ろす少年に、素直にこたえた。


“そらを見ています、でんか”


  “空? 空など見ていて、たのしいか?”


  “もちろんです。そらというのは、いいものです”


 寝転んだまま胸をはれば、王子はなんだかよくわからないという顔をした。そしてあろうことか、“ふむ”と小さく鼻を鳴らすと、王子は隣に並んで横になったのである。


 さわさわと風が草を揺らし、同じ風が雲をはこんでいく。さまざまに形をかえる雲を、しばらく二人はだまって眺めた。となりに寝転ぶ王子は、楽しんでいるのか退屈しているのかはわからなかったが、少なくとも文句は言わなかった。


 そのかわり、王子は別のことを口にした。


  “おまえ、腹立たしくないのか? おまえのことのけ者にした奴らに、仕返しをしてやりたいとは思わないのか?”


  “ええー……。したくないですよ、おもしろくないですもん”


  “呑気なやつだな”


  “うちにかえれば、父さまも母さまも、お兄さまも、みんながいます。だからわたしは、ちっともさびしくなんかないのです!”


 誇らしく告げたシャーロットであったが、なぜか王子からの返事がない。自分と話すことに飽きたのだろうかと彼女が思い始めたころ、風にまぎれて小さな溜息が聞こえた。


  “それは、うらやましいな。わたしの家はここだが、わたしにはかえる場所がない”


 その声があまりに寂しそうで、シャーロットはおもわず隣に首をむけた。しかし、風にゆれる草に阻まれて、王子の表情をみることはできなかった。仕方なく、彼女はふたたび抜けるような晴天へと目を戻した。


 青い空には、白い雲がいくつか浮かんでいた。その一つは、まん丸の形から一本ほそい糸のような雲が伸びるという、大変ユニークな形をしていた。


 何か見覚えのある形のような気がして、シャーロットはしばらくの間、うんうんと頭を悩ませた。そして、ぽんと手をうった。あれは、カエルの子だ。兄さまが池でつかまえて、こっそり見せてくれた。


 合点がいったことで、シャーロットはひどくすっきりした心地をした。


 やっぱり、空はいい。

むずかしいことをぜんぶ、ふわふわとした雲の中に溶かしてしまう。


 そんな風にぼんやりとしていたら、ふと、王子も空をながめることが必要なのではないかと考えついた。考えれば考えるほど、それは素晴らしい思いつきに思えた。


  “それでは、でんか。わたしといっしょに、そらをみましょう”


 “は?”と間の抜けた声がして、がさごそと音を立てながら王子が起き上がった。表情は対して変わらないのに、その顔はどこか怪訝なものと見えた。


  “空なら、いま見ているだろう”


  “いまだけではありません。こんどや、その次のこんどもです”


  “どうしてそうなるんだ”


  “そらをみるのが、いいものだからです。どうせならひとりで見るよりも、ふたりで見るほうがたのしいです。だから、わたしと一緒にみましょう。でんかは、そうすべきです!”


  “そうか……?”


  “そうです!”


 がばりと起き上がったシャーロットが力強く頷くと、王子が気圧されて目をまん丸に見開いた。ほれぼれするほど、長いまつ毛に縁取られた目がゆっくりとまばたきを繰り返し、―――次の瞬間、王子は笑った。


 ただ、10歳の無邪気な少年の顔で、フリッツは笑ったのだった。






「変な奴。王子はたしか、そういったのだと思います。けど、それになんて答えたのか、覚えていないんです。きっと、あの殿下が笑ったことにびっくりしてしまって、それどころじゃなかったんでしょうね」


 赤や黄色の薔薇が風にゆらゆらと揺れて、柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。幼い日にもそうしたように、白い雲がふわふわと浮かぶ空をながめて、シャーロットは笑った。


「結局、王子との約束を果たすことはできませんでした。あの日以来、仲間はずれにされることがぱたりとなくなって、庭園に寝転んだりできなくなってしまって……。そうこうするうちに殿下もいそがしくなって、私たちが呼ばれることもなくなりました」


 フリッツが見せた無邪気な笑顔も、あれっきりだったという。


「あの時のわたしは、殿下が何に苦しんでいて、何をそんなに寂しがっていたのか、まったくわかりませんでした。けれど、今なら、なんとなくわかる気がします。もしかしたら、アリシア様も同じ心地を味わったことがあるかもしれませんね」


「私が?」


 アリシアが驚いて聞き返すと、シャーロットはこくりと頷いた。それで、アリシアもなんとなく空を見上げた。


 自分がかつてどうだったかを思い返せば、10歳というのは彼女にとって大きな転機の年だった。その中であえて挙げるとするなら、前世の記憶を一部でも取り戻したこと、そしてクロヴィスという理解者を得たことだろう。


 もし、その二つがなければ、自分はどうなっていただろう。


 想像したアリシアは、すぐに心もとなさを覚えた。前世の記憶を取り戻す前、アリシアには現王の血をひく唯一の子としての自覚はなく、ただ、面白く生きることだけを大切にしていた。


 愉快に楽しく過ごすこと。それ自体は、決して悪いことではない。しかし一方で、己への自戒を込めて、これだけは断言できる。


 アリシアは逃げていた。王国を、民を、未来を背負うことから、のらりくらりと身をかわしていた。そして、それを強く咎める者もいなければ、いざとなれば言い訳をできる条件もそろっていた。それに、甘えていた。


 なるほどなと、アリシアは空にむかって頷いた。のんきに自分勝手に生きていたようで、自分にとって王族の子であるということは、意外に重くのしかかっていたらしい。


 ならば、フリッツ王子はどうだろう?


 女に生まれたアリシアとは違い、文句なしの第一王子であるフリッツは、生まれながらにして王座が約束された正統後継者だ。おまけに母は名高き女帝で、唯一救いとなりそうな王も遠い他国の王で、年に2、3回ほどしか会う機会もない。


 自分の母親が、他国からも恐れられる名高き王であったなら、その後継として生まれたフリッツにのしかかる重圧はどれほどのものであろう。


 逃げ出すこともできず。

 投げ出すこともできず。


 ただただ、押しつぶされそうなほどの期待だけが積みあがる日々は。


「昔みたいな無表情ではないけれど、殿下には、やっぱり空をぼおっと眺める時間が必要だと思うんです。だれか、あの方と空をみてくださればいいのにって」


「誰か、ではなく、あなたがそうすればいいのに」


「まさか! わたしと殿下では、あまりにも住む世界がちがいます。殿下とならんで芝生に横になるだなんて、今となっては信じられませんもの。それに父がわたしの縁談を探してくれていて、なんでも、もう少しで決まりそうなんです」


「そうなの!?」


「はい。結婚が決まれば今みたいな頻度では城にあがれなくなるし、お忙しい殿下とお会いすることはほとんどなくなっちゃうでしょうね」


 けらけらと笑った後で、シャーロットは大きな瞳に空を映した。


「けど、たまに思うんです。あの頃、ほかの子たちの誘いを断ってでも、殿下を青空のしたに引っ張りだすべきだったのかなあって。今の王子の笑顔は、あの時にみせてくださったものとは全然ちがうから」


 最後のは、思わずこぼれ落ちた本音だったのだろう。素直すぎるそれをあえてアリシアは拾うことはしなかったし、シャーロットも、それ以上を語ろうとはしなかった。


 だが、これだけはよくわかった。

 フリッツ王子にはきっと、シャーロットのような娘が必要なのだ。


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