13-3
エリザベス帝との初の謁見を済ませた後も、怒涛のように公務は続いた。
宰相エリック・ユグドラシルが組んだスケジュールにのっとり、アリシアのもとには次々に大臣やら有力者だかエアルダールのお偉方が次々に訪れ、会食までの短い時間はめくるめく挨拶に追われてしまった。
それが済んだあとも、女帝やフリッツ王子をはじめとするエアルダールの王族との会食があった。いかに王族としての作法を叩きこまれたアリシアといえども、エリザベス帝と食事を共にするのは胃がひっくり返りかねない体験であり、味も何もわかったものではない。
そんなわけで、すべてが終わって宿泊用に用意された部屋に戻った時、アリシアはへとへとのくたくたであった。
「アリシア様ったらぁ。そんなところで寝ちゃだめですよぅ」
「ねてないもの。おきているもの……」
「あああ! 姫様! せめてドレスは脱いで!」
「……あの。私も、ここにいるのですが」
すっかり疲れ果て、くてんとソファに倒れこむ王女。そんな彼女の世話を焼こうと群がった侍女二人が、申し訳なさそうに掛けられた声にぴたりと動きを止めた。
「ちょ! クロヴィス卿! 何しているんですか!」
「姫様はこれからお着替えタイムなんですよぅ。あ、まさか覗きですか? やだぁ」
「な!! 私は最初からここにいました!!最初から!!」
顔を真っ赤にして、クロヴィスが叫ぶ。それで、今すぐにも眠りの世界に引き込まれてしまいそうになっていたアリシアは、なんとか瞼を持ち上げた。
「ごめんね、クロヴィス。そういえば、明日の段取りを話し合うために、お前についてきてもらっていたのだったわ」
「あ、いえ……」
気まずそうに顔を背けつつ、クロヴィスは気遣わしげな眼差しをちらりと向けてきた。
「とはいえ、相当にお疲れにみえます。明日朝、少々早く参りますので、スケジュール確認はその時にいたしましょう」
補佐官の提案はありがたく、つい、アリシアはそれに飛びつきそうになった。だが、と王女は考え直した。
今日は前世に関わる人物に次々に出会った衝撃的な一日であった。どれほど疲れていようと、一人になった途端、色々と前世について考えて眠れなくなりそうだ……。
「ううん。やっぱり、今日のうちに少し話しておきたい。お前が大丈夫なら、だけど。疲れているのは一緒でしょう?」
「私はかまいません。ですが……」
「しょうがないなぁ。私たちが一肌ぬぎましょう!」
億劫な体を起こして座りなおしたアリシアと、逡巡するクロヴィス。そんな二人に助け舟を出したのは、アニであった。頼もしい侍女は相棒と腕を組むと、ぽん、と気持ちよく胸を叩いた。
「ちょっくら、ハーブティーでも淹れてまいりましょう。寝る前にのめば、疲れも取れるはずです。だからクロヴィス卿。私たちが用意している間に、ちゃちゃっと話を終えちゃってくださいな」
「は、はい。」
「さ。行くわよ、マルサ!」
「はいはぁーい」
主従二人が止める間もなく、アニとマルサはさっさと出ていってしまった。残されたアリシアとクロヴィスは、ややあってから顔を見合わせた。
「……これは、気を遣わせてしまいましたね」
「あとで、私からお礼を言っておくわ」
アリシアがクロヴィスにだけ特別に意見を求めようとするとき――大抵、そうした場合に話すのは前世に関することが多いのだが――侍女たちはそれを鋭い勘で読み取って、こうして席を外してくれる。申し訳なくもあるが、本当に出来た侍女たちである。
と、二人きりになれたことにほっとしたアリシアであったが、クロヴィスのほうは違う感想を抱いたらしい。主人に勧められて向かい側に腰掛けつつ、眉間に指を添えてうめいた。
「俺だからよかったものの……」
「なに? 聞こえない」
「……姫様。前々から申し上げようと思っていましたが、男と二人きりになる場合はもう少し緊張感をお持ちください。あなたは、少々無防備がすぎます」
「そう……?」
「そうです!」
急に語気を強めて頷いたクロヴィスに、アリシアは首を傾げた。とはいえ、相変わらず眠気は取れず、自ずととろんとした目つきになってしまう。そんな主人を見て、クロヴィスは再び顔を背けて呻いた。心なしか、その横顔は赤かった。
「本当に、おわかりなのでしょうか……」
「大丈夫よ。こんなに気を張らずにいられるのは、クロヴィスの前だけだもの」
「また、そういうことを仰る。そういう何気ない一言が、男のよこしまな気持ちを刺激しかねないということ、考えたことがありますか?」
「面白いことを言うのね。よこしまも何も、そもそも、お前は私をどうこうしたいだなんて考えもしないくせに」
「当たり前です」
力強く答えた割に、一瞬遅れて補佐官は微妙な表情をうかべた。きっぱりばっさり肯定したいような、それはそれで複雑なような、そんなのっぴきならない葛藤にクロヴィスは悩まされたのである。
だが、半分頭が眠っているアリシアに、補佐官が抱える悩みに気づく繊細さはなかった。というより、気づく余裕がないほどにむくれていた。
(どうせ、クロヴィスから見たら、私なんかいつまでもお子様ですよー……)
すっかりへそを曲げたアリシアは、アニが置いていってくれたブランケットを手繰り寄せると、頭からすっぽりとかぶってむすりと唇を尖らせたのであった。
一瞬の間があって、アリシアはぽつりと切り出した。
「シャーロット……、シャーロット・ユグドラシル嬢。革命の夜、フリッツ王と一緒に逃げたのは彼女だったわ。エアルダールから連れてきた誰かだとは思っていたけれど、まさか宰相の娘だったなんてね」
“お会いできて光栄です、アリシア様!”
純真そのものとしか言い様のない笑顔で、無邪気に歓迎してくれた娘を思い出し、アリシアのブランケットを掴む手には自然と力がこもった。同時に、シャーロットと対峙したときにも感じた、なんとも言えない違和感が首をもたげるのであった。
「ねぇ、クロヴィス。陛下が私とフリッツ様の縁談をのぞんでいることって、当然、エアルダールの人々も知っていることなのよね?」
「もちろんです。城に到着した時の歓迎具合が、それを物語っております」
「そう、よね……」
「何か気になることでも?」
補佐官に先をうながされ、アリシアはうんうんと呻った。なにせアリシア自身、いつも傍で支えてくれるクロヴィスにほのかに想いを抱く以外には、そうした事柄に疎いのである。やがて、王女はおそるおそる口を開いた。
「もしも、私とお前がこっそりと恋仲だったとしてね」
「はいっ!?」
「もしもの話よ。そんなに嫌がらずともいいじゃない」
補佐官が王女をそういう目で見ていないのは知っているが、ここまでぎょっとされると、いくらなんでも傷つく。半目になってアリシアが睨めば、取り乱したことを恥じるようにクロヴィスは小さく咳をした。
「もしも、ですね。わかりました。それで、もしも、その、なんでしょう」
「そう、私とお前がこっそり恋仲だったとして……そこに、フリッツ王子がまるで婚約者のような扱いで隣国からやってきたら、恋人の立場だったら普通、どう思うかしら?」
ちらりとクロヴィスを窺えば、例え話だというのに、クロヴィスははっきりと嫌な顔をした。冷静沈着、完璧超人と評される補佐官らしからぬ露骨な表情の変化に戸惑うアリシアを後目に、クロヴィスは紫の瞳をついと背けた。
「あくまで仮定の話、としてお答えしますと」
「ええ」
「仮定、ですが」
「わかったってば」
しつこいほどに確認するクロヴィスに、アリシアはあきれて肩をすくめた。早く話をすすめろと目で訴えかければ、補佐官は仕方なさそうに、本当に仕方なさそうに答えた。
「苦しいと、思うに決まっているではありませんか」
目を細めたクロヴィスの紫の瞳が切なげに揺れて―――アリシアは息をのんだ。硬直するアリシアを、なんとも形容しがたい表情でクロヴィスが見つめる。
まずい――――。眠気によりぼんやりとしていただけに、今のは完全に不意打ちだった。暴れだしそうになる心臓やら何やらを抑え込もうと、アリシアは慌てた。
「そ、そうよね。普通そうよね」
「恋仲であるかどうか、この際、それは些末な問題です。ただ、あなたを想うがために、身を引き裂かれるほどの苦しみを味わい、王子を憎らしく思うでしょうね」
「へ、へえ……。そんなクロヴィス、ちょっと想像できないけれども」
「あなたが思っているほど、私も人間ができているわけではありませんよ」
小さく微笑んで、クロヴィスが肩をすくめる。その軽い調子に、アリシアはほっとした。そうして、一瞬、補佐官の口ぶりが本気に思えたのは自分の愚かな幻想によるものだったのだろうと、彼女は納得をした。
主人が内心に胸をなでおろしていることなど知らずに、クロヴィスは探るように目を細めてアリシアを見た。
「つまりあなたは、フリッツ王子に恋情を抱いているはずのシャーロット嬢に、あなたを憎らしく思っている様子が一切感じられないことを不可解に思っているのですね?」
「そう。そうなのよ」
ぴたりと補佐官に言い当てられ、アリシアは何度もうなずいた。
なんというか、アリシアに対するシャーロットの態度はまっすぐすぎるのだ。「会えてうれしい!」と笑顔を咲かせる様子は本心としか思えないし、あれやこれや、キングスレー城について教えてくれる姿は一生懸命としか言いようがない。
「したたかで感情を隠すのがうまいだけかとも思ったけれど、そんな器用なタイプにもみえないし……。あの子、王子と特別な関係だったのは、前世だけなのかしら?」
「まだ判断を下すのは尚早かと思います。とはいえ、二人が恋仲だとして、それを承知したうえであえて彼女をアリシア様の世話役に指名するとは思えません」
実のところ、エアルダールに来る以前から、フリッツ王子の周りに将来的に「寵姫」となりえるような女性の影がないか、様々なルートをたどって探ってはいたのだ。しかし、宰相の娘という比較的近しい立場にいながら、シャーロットが浮上したことはなかった。
もちろん、ハイルランドの手前、万が一にもフリッツ王子に女性関係でうわさが流れるようなことがないよう情報を統制した可能性もある。だが、もし二人の仲を隠しているのだとしたら、むしろアリシアとシャーロットが顔を合わせることがないよう、徹底的に遠ざけるはずだ。
「こうして、はるばる隣国まで来たのです。中にいることで、新たにわかることもあるかもしれません。彼女について、どういった人物なのか私の方で探ってみましょう。その間、アリシア様は念のため、かの御仁と付き合う際は注意をしてください」
「よろしく頼むわ。色々、迷惑をかけるわね」
「めっそうもございません。私はあなたの、補佐官ですから」
頼もしく答えたクロヴィスだったが、続いて、彼は少し迷うように眉根を寄せた。




