3-1
気がつけば、アリシアは無数の星が瞬く丘の上にいた。
(ここは……?)
自分がシンプルな簡易ドレスを着ていること、素足で柔らかな芝生の上に立っていることを確認し、アリシアは辺りを見渡した。
おそらく、自分は夢の中にあるのだと、彼女は冷静に分析した。あの男――クロヴィス・クロムウェルを王女付き補佐官に指名したあと、アリシアはすぐに式典を退出した。
そのあとは、ドレスで走るなというフーリエの小言をひとしきり聞いてから、アニとマルサに手伝ってもらいながら湯浴みを済ませ、ふかふかのベッドに倒れこんだ記憶がある。
(それにしても、ずいぶんと変な場所ね)
アリシアが立つ場所は丘の一番上のようだが、緩やかな裾野はどこまでも広がり、終わる様子をみせない。家はおろか木すら生えておらず、降ってきそうな星空の下は限りなく静寂で、虫けら一匹気配がないのだ。
しかし、これが夢というなら、たいそう不親切な夢だ。夢というものは、往々にして勝手にストーリーが進んでいくものであって、何もない場所に放り出したあげく、途方にくれさせたりなんかしないのに。
「心細い気持ちにさせてしまったのなら、ごめんよ。可愛いレディを不安にさせるなんて、ぼくはジェントル失格だね」
突然、近くで響いた親しげな声に、アリシアは文字通り飛び上がった。星の光を浴びて輝く髪を揺らし、アリシアが振り返ると、いつの間にかそこに1人の少年がいた。
全体的に、色素が薄い少年である。細く柔らかそうな髪はかろうじて金色と呼べるくらいで、優しそうな印象を生むなだらかな眉も、瞳を縁取る長いまつ毛も、すべて同じ金色だ。
白く滑らかな肌はいっそ東洋の陶器で出来ていると言われたほうが納得するほどであり、並外れた美貌とともに、どこかこの世のものとは思えない神秘さを少年に与えていた。
しかし、この少年はどこから現れたのだろう。なにせ、身を隠すものが何もないこの場所で、アリシアはたった1人でいたはずなのだから。
「この世界が夢の中だと決めたのは、君の方じゃないか。それに、僕はずっと前から君の近くにいたんだよ」
「あなた、私の考えていることがわかるの!?」
驚いて声をあげると、少年は口元を覆いながら、「おっと、しゃべり過ぎちゃった」などといった。
「それはそうとね。君がこうして、また会いにきてくれるまで、僕はずいぶんと待ちくたびれてしまったよ。ほんの欠片でも、記憶を取り戻してくれて、本当によかった」
「何を言っているの? 私はあなたと会ったことなんかないわ」
「本当に? アリシアは、僕を知らない?」
なぜ、私の名前を。そんな問いが無意味であることは、この短い対話の中ですでに学んでいた。とはいえ、少年が何と言おうと、アリシアにはこんな人間離れした友人はいない。
そう、少年に反論しようとした時、アリシアははっとして口をつぐんだ。
深い藍色に浮かぶ満点の星空、果てしなく広大な芝生の丘、柄も装飾もないシンプルな上下を身に纏った、妙に神秘的な少年。
「私、この場所を知っている……」
「ご名答」
無意識に零れ落ちた言葉に、少年はぱちりと両手を合わせた。
「僕は星の使い。君にやりなおしの生を与えた、張本人だよ」
やりなおしの生。この少年は、確かにそういった。
「君は僕を少年と呼ぶけど、僕は君よりずっと年上だよ。それに外見で比べたって、今は君の方が年下に見えるじゃないか」
妙なところでこだわる星の使いはさておき、<やりなおしの生>という単語をぐるぐると頭の中で反芻してから、アリシアは恐る恐る口を開いた。
「じゃあ、やっぱり、私が見た夢は」
「もちろん、ほんとうのことだよ。君はあの夜に一度、死んだのさ。そして、星の守護の導きのもと、君は僕の前に現れた。この場所にね」
あるはずのない傷が痛んだ気がして、とっさに、アリシアは胸のあたりを押さえた。それを見て、星の使いは苦笑をした。
「大丈夫さ。君と僕の契約に基づき、君の記憶に残る未来の出来事――ああ、そうだ。アリシアは“前世”と呼んでいたね。それらはすべて、無かったことにしてしまったよ」
「私と、あなたの、契約?」
「そう、契約」
星の使いが“契約”と口にしたとき、音もなく風が二人の間を駆け抜けた。その風に煽られて、一瞬だけ、糸よりも細い一本の線が彼と自分とをつなぐのを、アリシアは見た気がした。
「前回も自己紹介したのだけれど、その部分の記憶は戻らなかったみたいだね。改めて、僕は星の使い。この国の守護星の化身、といえば話は早いかな?」
「守護星って、建国王エステルにハイルランドを与えた?」
「ほかに守護星がいるなら、ぜひ紹介してほしいね。さすがの僕も、二股をかけられたとなれば嫉妬をしてしまうけれど」
ハイルランドの初代王、建国王エステルに関する逸話は、神話に片足を突っ込んだような内容がほとんどだ。中でも、特に浮世離れしているのが、建国にまつわる<守護星との契約>の部分である。
勉強嫌いのアリシアだが、建国にまつわる逸話に関しては、父やオットー補佐官、教育係がかわるがわるに繰り返したため、さすがに覚えている。
数百年も昔、まだ、ハイルランドが建国されるより前、大陸において大規模な“異教徒狩り”が勃発した。当時、とある宗教が力を持ち、最高聖職者に忠誠をちかわない諸侯を<悪の異教徒>として弾圧していたのである。
さて、ハイルランドのもととなったチェスター侯国においては、星を神々の化身とあがめ、星の動きから未来を占う<星読教>が主流であった。そのため、チェスター候エステルは、民を宗教弾圧から守るべく彼らを率いて新天地を目指した。
「そして、エステルはついに、このハイルランドに辿り着いた。人の手がまったくつかず、天候の大半が雨か雪で、木すらも育ちにくい不毛の土地さ」
僕は大好きだけれどね、と星の使いは付け足した。




