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11-2




 踵を返した宰相の背中を追いかけて、女帝の声が壁に反響した。


「隣国で、広域商会を作ろうとの動きがある。その提言を出したのは、あちらの姫だそうだな」


「……そのように聞き及んでおります」


「あれの年齢は、まだ10だったな。ずいぶんと頼もしいことだ。ますます、フリッツの妃としてほしくなる」


 微笑む女帝の強いまなざしの中で、蝋燭の火が揺らめく。側に仕えることになれた宰相ですら、王者の風格を漂わせた彼女の姿に緊張を走らせた。やがて、女帝は笑みを深くした。


「元老院に伝えよ。隣国の商会には、我が国での自由な交易を認める。イスト商会も、そのほうが刺激になって良いだろう」


「な!?」


「なんだ、不満か?」


 さすがに驚愕した宰相に、女帝は玉座から立ち上がると悠然とユグドラシルのもとへ歩みを進めた。女帝が歩くたびに長いドレスの裾野が地をひきずり、重い布がこすれてズルッズルッと音を響かせた。


「年端のいかぬ幼子が発案したとは思えぬ、せっかくの妙案だ。それに、ハイルランドと我が国とは並々ならぬ縁で結ばれた友好国だ。ここで一つ貸しを作ってもよかろう?」


「しかし、我が君。新商会が主に取り扱うのは、ハイルランドの良質な職人工芸です。いかに旧体制然とした隣国といえども、いずれ新商会もそれなりの地位に成長するかと思われます」


「それが?」


 宰相の耳元に顔を寄せた女帝は、妖艶な笑みと共にささやいた。


「商売敵がひとつ増えた程度で揺らぐようなら、イスト商会などいらぬ。いっそ滅ぼして、新しく作ればよい」


「陛下、そのようなことは」


「冗談だ。案ずるな。我がエアルダールの民は、そんなに弱くはない。―――だが、“内通者”とやらにはっきり示してやれ。現状、余はハイルランドと一戦を交えるつもりはない。決してだ」


「……御意」


 目を伏せて、ユグドラシルが答える。だが、その返事を待たずして、女帝は宰相のもとからするりと離れて玉座へと歩みよった。そうして再び身を沈めた彼女の関心は、もはや別のことに向けられているらしい。


 思案に暮れる美しくも恐ろしい女傑に一礼してから、宰相は今度こそ謁見の間をあとにしたのであった。




 いくつもの歯車がかみ合わさり、歴史は再び回りだす。


 そしてまた、アリシアという小さな歯車は―――。




「これは、これは。ようこそ、アリシア様!! それに、クロ君も!」


「ひさしぶりね、ジュード。元気そうでよかったわ」


 両手を広げて歓迎をあらわにする美丈夫に、クロヴィスに手を引かれて馬車を下りながら、アリシアはにこりと微笑んだ。


 枢密院が招集されてから数カ月。あれからとんとん拍子に中心となる商人も集まり、いよいよメリクリウス商会が動き始めることとなった。その激励もかねて、アリシアはふたたびローゼン侯爵領の地を踏んだのである。


 夫人への挨拶も済ませ、中に通されながらクロヴィスがジュードに確認する。


「商会の本部は、ヘルドの町にあるのでしたね?」


「ええ。午後には、さっそくそちらへご案内しますよ。ああ! ようやく、僕の愛するヘルドの町を、アリシア様にごらんいただけますよ」


「ええ。あなたに色々と教わったから、ヘルドに行くのも楽しみだわ」


 うきうきと声を弾ませる侯爵に、王女も心躍るのを隠し切れない様子。そんな二人の後をついて歩きながら、クロヴィスはやれやれと苦笑した。


 屋敷の中を先導したジュードは、とある扉の前に立つと無邪気な笑みを浮かべて振り返った。


「さぁ。着きましたよ。ワン、ツー、スリー……!」


「「「ようこそ、アリシア王女殿下!!」」」


 ジュードが勢いよく扉をあけ放った途端、いくつもの声が重なった。海沿いの町の明るい太陽をいっぱいに取り込んだ部屋の中央には長いテーブルが置かれ、その両側には日焼けをした商人が並び立ち、歓迎の笑みを浮かべてアリシア一行を見つめていた。


 彼らはジュードに賛同を示し、メリクリウス商会の設立に尽力してくれた者たちだ。アリシアの希望を受けて、ジュードが商人らとの一席を用意してくれたのである。


「初めまして、皆さん。アリシアです。今日は忙しい中、時間を割いて集まってくれてありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いします」


 アリシアがぺこりと頭を下げると、「「おお~っ」」という商人たちの感嘆が響いた。


「すごいぞ! 本当に、アリシア姫様だ」


「うわぁ。小さくて可愛いなぁ」


「馬鹿野郎。王女殿下になんちゅう口の利き方だ」


「王女殿下とお会いできるなんて、もしかして俺たち、後世に名前を残しちまうんじゃないか?」


 誰かが興奮気味に茶化して、広間に笑い声が響く。そんな彼らをきらきら光る瞳で見渡しながら、アリシアは嬉しそうに頷いた。


「ありえるんじゃないかしら。少なくとも私は、メリクリウス商会はハイルランドの未来に欠かせないものだと認識しているし、その気概と誇りを胸に皆さんも集まってくれたのだと感じています」


 真剣に耳を傾ける商人たちに、王女はにこりと付け加えた。


「メリクリウス商会のために、そして王国の未来のために、集まってくれてありがとう。皆さんの頭上に、守護星の導きがありますように!」


 わっと声があがり、自然と拍手が起こった。今更のように顔を赤くしつつも、アリシアもそれにこたえて笑みをこぼす。


 ―――うまいものだと、隣でクロヴィスは静かに微笑みを浮かべた。今の短いやり取りで、アリシアは商人らの懐に入り込み、がっつりと心を掴んでしまった。この会食は商人らの士気を高め、より商会のために尽力したいと決意を固めさせるものとなるだろう。


 それに、と改めて補佐官は、テーブルについた顔ぶれを見渡した。一国の王女と商人が同じテーブルにつく光景など、通常であればとても想像つかない。だが、アリシアは難なくその壁を飛び越えてみせた。


 それはまるで、アリシアとクロヴィスとが目指す王国の在り方、王と民とが支えあう未来を象徴するかのようだ。


 憧憬のような気持ちが沸き起こるとともに、どうしようもなくクロヴィスの胸は弾んで、彼は形の良い唇をゆるやかに釣り上げた。


(さぁ、アリシア様。次はいったい、何をいたしましょうか)


 うまくいくことばかりでは決してなく、苦しく険しい道のりだとしても。


 新しい未来が開けることを信じて、一歩ずつ前へ。


「クロヴィス、なんだか嬉しそう」


 グラスを手に、隣に座るアリシアがそっと囁く。その屈託のない笑顔は、彼女があっという間にこの場になじんでしまったことを告げていた。


「ええ」


 主人にならってグラスに手を添わせつつ、クロヴィスは微笑みを返した。


「これからの先のことを思って、少々浮かれておりました」


「あら。クロヴィスでも、そういうことがあるのね」


 小さく笑いあう王女と補佐官のうらで、乾杯を呼びかけるジュードの声が響く。


 そうして一同は、ハイルランドの未来とメリクリウス商会の躍進を願って、軽やかにグラスを高く掲げたのであった。




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