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ウィンクひとつ残して去っていった父王のせいで、アリシアとクロヴィスは地下牢の前で向き合ってきた。
しばらく面会を断っていたからか、主人に掛けるべき言葉が見つからないのかもしれない。視線をさまよわせるクロヴィスを見て、そういえば彼がアリシアの補佐官となってからというものの、数日にわたって顔を合わせなかったのは初めてであることに気が付いた。
改めて青年を見ると、艶やかな漆黒の髪は軽く乱れ、肩で荒く息をついている。ジェームズ王からの知らせを受けて、執務室からここまで走ってきたことが容易に想像ついた。
「「あの!!」」
声が重なって、アリシアとクロヴィスは困ったように互いの顔を見た。クロヴィスが先を促す仕草をしたため、アリシアは改めて口を開いた。
「心配をかけてしまってごめんなさい。何度も部屋まで訪ねてくれていたのに、そのたびに断ってしまって」
「いいんです」
思いのほか、クロヴィスは強く首を振った。それから、大股に歩いて目の前に立ったかと思えば、ひざまずいてアリシアを気遣うように見上げた。
「いいんですよ、そんなことは」
紫の美しい瞳で間近に見つめられて、アリシアの胸は切なく傷んだ。自分は、この青年が好きだ。それを自覚したのは、ちょうどロイドが襲われる直前だった。
信じて支えてくれる青年を前に、アリシアは静かに目を閉じた。そうすることで、同時に甘く沸き起こる気持ちにそっと蓋をした。
アリシアが星の使いに二度目の生を与えられたのは、ハイルランドの未来を救うためだ。それが成し遂げられるまでは、―――少なくとも、ロイドの命を奪い、いつの日か再びハイルランドに毒手を伸ばすであろう何者かの正体を暴くまでは、誰かに恋心を抱く暇などはないのだと。
次に瞼を開いたとき、アリシアは聡明な瞳で補佐官をまっすぐに見据えた。
「ようやく目が覚めたわ。涙にくれて悲観しても、世界は何も変わらない。おかしいわよね。そんなこと、二度目の生を与えられた時から知っていたことなのに」
「……アリシア様」
「死んだ者の無念は、生きている者にしか晴らせない」
それは、まるで己に刻み付けるような言い方であった。
アリシアの空色の髪を、風が優しく揺らす。憂いを含んだ大人びた彼女の表情に、クロヴィスの胸は鈍く傷んだ。
枢密院の場で罪を糾弾してもなお、アリシアはロイドに心の善なる部分を信じていた。だからこそ、ロイドに残された短い生の中で、真実をすべて明らかにするという方法でその罪を償わせることを望んだ。
密通者だから、犯罪者だからと、見捨てることはしない。そんな心優しい彼女が、理不尽に奪われた命にどれほど心を痛めたのか、想像するに難くない。
だが、どれだけクロヴィスが彼女を案じ、つらく過酷な道から守ってやろうとしても、アリシアはそれを拒むだろう。
地下牢の前にたたずむ主人を見た時から、いや、ジェームズ王から使いを送られた時から、クロヴィスは気づいていた。閉じこもっていた部屋から抜け出してきた時点で、すでに彼女は再びに立ち上がることを決意したのだと。
――ならば、自分がすべきは、彼女を甘やかすことであろうか。
そんなことを、彼女は自分に望んでいるか?
「左様にございますね」
ややあって、クロヴィスは身を起こし、忠実なる補佐官として恭しく己の胸に手を当てた。
「あなたには果たすべき役目がある。王国の未来を憂い散っていた者のためにも、あなたにこのような場所で立ち止まる暇はございません」
「手厳しいわね。横面をはられた気分よ。……けど、そのほうが心地いいわ」
くすりと笑みを漏らしたアリシアの顔は、春の空のように晴れやかだった。
「お願いがあるの。明日の朝一に、サザーランド家に向けて馬車を用意してもらえる?」
「それは、リディ卿にお会いするということですか?」
「ええ」
数日の間ふさぎこんでいたのが嘘のように、アリシアは決然と頷いた。
「けりをつけましょう。リディ卿と直接話をするわ」
翌日、アリシアはクロヴィスと数名の騎士を伴って、エグディエルにあるサザーランド家の屋敷を訪れた。
出迎えたのは、リディと、告発に向けて尽力してくれたアルベルトという年若い使用人を含めてわずかであった。大きな立派な屋敷であるのに彼ら以外に人の気配はなく、がらんとした印象をうけた。
「他の者は、母や兄弟と一緒に公爵領に帰らせました」
リディの返答は、簡潔を極めた。
もし彼が詳しく話していたのならば、ロイドの葬儀をひっそりと済ませた後、王家からの沙汰を待つためにリディと数名の使用人のみが王都へ戻ってきたことや、領地では家の廃絶を予期して、使用人たちの受け入れ先を探していることが明らかとなっただろう。
アリシア一行を応接の間に通したリディは、向かいに座りながらいささか狐につままれたような顔をした。どう口火を切ろうか悩んでいたアリシアも、とっさにそれを指摘した。
「私が来るとは思わなかった?」
「いえ……。いや、その通りです」
相変わらず不可解そうに王女と補佐官をみながら、リディは素直に認めた。その顔が以前にくらべて痩せたことに気がつき、アリシアは目を伏せた。
「お父様のことは、本当に、その……」
「やめてください。あなたが謝ることじゃない」
ぴしゃりと遮って、リディは何かに耐えるように眉根をよせた。
「告発すると決めた時、私は父が刑死となることすら覚悟していました。父が殺されたからといって、自分の判断が間違っていたとは思いません。……どういった結末であれ、僕はあの人を止めるべきだったんだ」
「リディ卿……」
「ですが、父をそそのかし、あっさりと切り捨てた卑怯者のことは許せません」
その時アリシアは、リディの目の奥に燃え上がる怒りの炎を見た。もちろん、リディの怒りはもっともであった。放たれた刺客によって彼の父は、すべての真実を明らかにし、罪を償う機会を永遠に奪われてしまったのだから。
そんな彼の無念と怒りがわかるからこそ、アリシアははっきりと告げなくてはならない。怯みそうになる心を引き締めて、アリシアは口を開いた。
「ロイド卿と通じていた隣国の高官についてだけど、王国としては、これ以上の追求は行わないと決まったわ」
リディの目が大きく見開かれて、何かを言おうと口を開きかけた。しかし、二、三度繰り返して逡巡した後、ふいに彼は肩を落とした。
「薄々と、そうなるような気はしていました。父を殺したのが隣国の人間だという証拠がない以上、下手に深追いすれば隣国との関係を悪化させてしまいます」
「ええ。そうなれば、隣国と戦争が起きるかもしれない。悔しいけれど、いま戦争が起きれば我が国に勝ち目はないわ」
「……それがわかっていたからこそ、あの刺客は堂々と父を殺したというわけでしょうね。―――くそっ」
そう吐き捨てて、リディは唇をかみしめた。




