10-11
ロイド卿と隣国との繋がりが、前世において戦争の原因となった可能性がある。だからこそ、隣国の協力者は要注意人物として明らかにするべきだ。
そう説明したクロヴィスに神妙にうなずいてから、アリシアは表情を緩めた。
「ロイド卿がつながっていた人物がだれなのかは、すぐに明らかになるわ。だって、あなたたちが彼の罪を暴いてくれたのだもの。捕まった時の彼の様子を見る限り、素直に口を開いてくれるはずよ」
「そうなればよいのですが……」
生真面目な彼は、やはりそれでも心配をぬぐえない様子。白く長い指を折り曲げて思案に暮れる補佐官に、王女はついと肩をすくめた。
「大丈夫よ、うまくいくわ。クロヴィスが私の補佐官になってくれてから、何もかもが順調なのだもの。これからだって、きっと同じよ」
「それは少々、前向きすぎるというものではございませんか?」
「前向きで悪いことなんてある? 怖がって前に進めないよりも、ずっといいじゃない。未来はきっとよくなるわ。戦争は起きないし、ハイルランドはもっと豊かな国になる。それでね、私がお父様の後をついでハイルランドの王となるの。もちろん、そこにはあなたも……」
あなたも隣に。そう続けようとして、アリシアは言葉を失った。
無事に未来を変えることに成功をして、すべてが終わったとき。
自分はクロヴィスと、それまでと変わらずにいられるのだろうか。
生真面目で律儀な彼のことだ。おそらくクロヴィスは前世について打ち明けられることがなくとも、全身全霊を尽くしてアリシアにつかえてくれたことだろう。だが、図らずも前世について秘密を共有したことで、二人の仲が急速に縮まったのは確かだ。
そのせいだろうか。すべてがうまくいった未来に思いをはせたとき、自分とクロヴィスを結びつけるものが無くなってしまうような心もとなさをアリシアは覚えたのだ。
「どうされましたか? 私が、なんでしょう?」
不思議そうに、クロヴィスが小首をかしげる。その端正な顔を見上げるアリシアは、思い切って口を開いた。
「すべてがうまくいって、私がハイルランドの王になって。そうなった後も、お前は私のそばにいてくれる?」
言葉にしたとたん口の中はからからに乾き、アリシアは心臓が早鐘を打つのを感じた。
緊張で熱を持った少女の頬を、穏やかな風が優しくなでる。永遠のように思える一瞬の中で、アリシアは明るい空の色をした瞳で食い入るように補佐官を見つめた。
クロヴィスはというと、虚をつかれて切れ長の目を丸くしている。ややあって、まるで蕾がほどけて花びらが開くように、彼の秀麗な顔に美しい笑顔の花が咲いた。それがあまりに幸せそうな微笑みで、アリシアの胸はどきりと高鳴った。
「もちろんです。あなたが必要としてくださる限り、私はアリシア様の側を離れません」
「本当に? 私をおいて、どこかに行ってしまわない?」
「ええ」
クロヴィスの手が伸びて、アリシアの柔らかな頬にそっと触れた。そして、唇の端を釣り上げていたずらっぽく微笑んだ。
「側にいて構わないなどと、私を甘やかしたのはあなたの方です。今更に忘れたとは言わせませんよ」
二人の間を、一陣の風が駆け抜ける。灰色の雲の隙間から太陽の光が梯子のように降り注ぎ、向かい合う主従ふたりを包み込んだ。
心臓が、痛い。
柔和に微笑むクロヴィスを見上げるアリシアは、戸惑いながらぎゅっと胸を押さえた。
ずっと側にいる。たったそれだけの答えなのに、言い知れぬ喜びが全身を満たし、心臓が早鐘を打っていた。
「アリシア様?」
ふいに黙り込んだアリシアを、クロヴィスが怪訝そうにのぞき込む。だが低く優しく響く声も、吸い込まれてしまいそうな美しいアメジストの瞳も、ますます鼓動を激しくするだけだ。
途方にくれたアリシアは、ついに己の中に潜んでいた感情を認めた。
(……わたし、クロヴィスのこと、好きなんだ)
まるで太陽の光と共に天啓が下ったかのようだった。自覚した途端、甘く切ない疼きが身体中を駆け巡り、アリシアは顔を真っ赤にして俯いた。
(な、なにを馬鹿なことを考えているのよ、わたしは!)
空色の髪を揺らして、ぶんぶんと勢いよくアリシアは首を振った。
前世で自分はフリッツ王を恋しく思うがあまりに、王族としての責務を放棄して王国を破滅へと向かわせてしまった。そんな自分に、王国の未来を救って星の使いとの約束を果たすまでは、誰かに恋心を抱く権利などはないというのに。
そんな風に葛藤するアリシアの奇行を、クロヴィスは不思議そうに見守っていた。だが、何かに気が付いたように、はっと息をのんだ。
「まさか、お疲れで体調を崩されたのでは? いけません、すぐにお医者様を……」
「っ! ち、ちがう!」
過保護ゆえに見当違いな答えにたどり着いた補佐官をとめるべく、アリシアはぱっと顔を上げた。おかげで、薄紅色に染まった頬をクロヴィスの目がとらえることになってしまった。きょとんと瞬きをする彼に、アリシアは必死に言い訳を探した。
「具合が悪いわけではないの。これはね、その……」
言葉はしりすぼみとなり、自分が何を説明しようとしているのか、はたまたどんな余計なことを口走ろうとしているのか、アリシア自身わけがわからなくなった。真っ赤な顔であわあわと言葉を探す主人のことを、なおも不思議そうにクロヴィスは見つめている。
(もうだめ! 決めた! 逃げる!!)
もはや、うまく誤魔化すことはかなわない。そう腹をくくったアリシアが、自慢の俊足で鋸壁をけって脱兎のごとく逃走しようと決意を固めた時であった。
ふいに城の中が慌ただしい雰囲気となり、逃げだそうと腰を浮かしかけていたアリシアは動きを止めた。同じく異変に気が付いたクロヴィスが渡り廊下の方を振り返ると、同時に城の中からロバートが数人の騎士を従えて飛び出してきた。
「アリシア様、クロムウェル補佐官。私の後についてきていただけますか?」
普段の親しみやすく砕けた態度からは想像がつかないロバートの厳しい表情に、何か深刻な出来事が起きてしまったのだと、アリシアはすぐに悟った。
緊張を走らせる王女と補佐官に向かって、近衛騎士団副隊長ははっきりと告げた。
「ロイド・サザーランドが刺されました。犯人は敷地内を逃走しているとみられ、この場所も危険です。さぁ、はやく――――!」




