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「まさか、それは」
「そのまさかですよ、父上。出来れば、こんな紙切れの力は借りたくありませんでした」
「陛下、こちらをご覧ください」
「うむ」
はじめて動揺をみせるロイドの前で、クロヴィスの手からジェームズ王の手へと紙がうつされる。王は真剣な顔で中身をあらためた後、目を閉じて小さく嘆息した。
「これは誓約書じゃ。それも、お主とエアルダールの何者かの間に結ばれた……。失われた言葉で書かれているが、ハイルランドとエアルダールの人間であれば、その意味を知らぬ者はおらぬ」
我、天の守護に誓う。
我、汝を友に迎える者なり。
ジェームズ王が訳して読み上げた言葉を、枢密院の貴族たちはもちろん正しく理解した。
その言葉は、建国王エステルがこの地にハイルランドを築いた際、彼を支えた臣下たちに向けて告げたものだ。そこには、相手を友人として信頼し、決して裏切ることはしないという意味が込められている。
「同様の誓約書を相手も持っておるのだろう。そこにはサザーランドの家紋が押されているはずじゃ。その対となるこの誓約書には、これが押されておる」
ジェームズ王の掲げた用紙をみて、貴族たちは一様に呻いた。数名わからなかった者のために、代表してナイゼル筆頭補佐官が刻印の持つ意味を答えた。
「征服王ユリウスの黒馬。エアルダールの元老院に属する者だけが使うこと許された刻印です。ロイド卿が隣国の高官とつながりを持っていたことを示す、これ以上ない証拠といえましょう」
「ありえぬ。なぜ、それがここにある……!」
「リディ卿、そして、サザーランド家に仕える方々のおかげですよ」
驚愕に目を見開いたロイドの額から、一筋の汗が流れ落ちだ。それとは対照的に、優雅な仕草でクロヴィスは功労者を指し示した。
「ロイド卿、あなたは用心深い人です。だからこそ、自分と隣国とを結びつける証拠は残していない可能性が高いと私は考えておりました」
「僕も、その点はこの男と同意見だった。けれど、父上は用心深いがゆえに、取引相手が約束を反故にするときのことを考えて、二人をつなぐ契約だけは必ず形に残しているはすだと思ったのです」
そういってリディはかぶりを振った。
「僕はずっと父上になりたかった。だから、あなたのことは誰よりも知っています」
ロイドと隣国の高官、二人の関係を示す書類の存在を確信したアリシア、クロヴィス、リディの三人は、ただちに行動を始めた。
要となったのは、リディが信頼できる者として連れてきたサザーランド家の若き使用人、アルベルトであった。彼によると、当主ロイドが密かに何かを企んで行動を起こしていることは、屋敷中の使用人がそれとなく感づいているとのことだった。
そこでロイドの目を盗んで、リディとアルベルトは使用人たちから彼らが知る情報を死に物狂いで集めた。
彼らは皆サザーランド家に忠誠が深く、口を割らせるのは並大抵のことではなかった。しかし、いつもは尊大なリディが必死に頭を下げてまわったことと、それにアルベルトが口添えをしたかいがあって、最後は協力してくれた。
彼らが知りえた情報は断片的で、つなぎ合わせるのは相当に骨が折れる作業であった。とはいえ、証言が集まるにつれて次第に全体像が浮かび上がり、ロイドが隣国の間者と会うのに使っていたと思われる場所を何か所か特定することに成功した。
それからは補佐室と近衛騎士団とが、それと疑わしき書類がないか隈なく捜索にあたった。ついに、サザーランド家がシェラフォード領内に持つ別邸の一つで文書を見つけたのは、太陽が空を白く染め出した頃のことだった。
夜通し捜索にあたった疲れをにじませて、ナイゼル筆頭補佐官は眉間を指で揉んだ。
「使用人の皆が協力してくれなければ、そして何より、リディ卿が彼らを説得しなければ、我々は文書のありかどころか、ロイド卿が隣国に通じていると信じることすらできなかっただろう」
「ですが、数多の人々の勇気により、誓約書は白日のもとにさらされました」
茫然と唇をわななかせるロイドの前にクロヴィスが立ち、水晶に似た澄んだ目がまっすぐに当主を見据えた。
「もはや、これまでです。隣国と密かに通じていたことを、認めてくださいますね?」
重苦しい沈黙が、広間を支配した。誰も身じろぎ一つせず、シャンデリアに灯る火だけがゆらゆらと揺れて影を落とした。
もはや疑うべくもない前代未聞の不祥事に、枢密院の貴族たちは表情をこわばらせている。役目を終えたリディは、緊張解けぬままに顔を蒼ざめさせて父をにらんでいる。
やがて静寂を破って、乾いた笑いが響いた。
声の主は、ロイドであった。息を吐きだすような笑いは次第に大きくなり、ついにロイドは身をのけぞらして壊れたように笑いだした。




