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新商会に誘っている商人のリストをもとに、何者かが妨害行為に及んでいる。
ジュードはクロヴィスへとあてた報告書の中に、そう確信するに至った経緯まで含めて事細かに書いてよこした。もちろん手紙はジュードが信頼する者の手により、直接エグディエル城へと届けられた。
「商人リストに目を通すことができたのは、提言をまとめた補佐室と地方院。陛下と王女殿下。そして、枢密院だけです。商人らを脅すよう指示している犯人は、おのずとその中に限られることとなります」
「当然、新商会の設立を推奨する立場にある補佐室と地方院は、容疑から外されるな」
「そうとも言い切れないだろうが。補佐室や……、認めたくないが地方院の役人の中に新商会の設立に意を唱えるものがいて、リストを悪用した可能性もあるだろう」
苦虫をかみつぶしたような顔で指摘したドレファス長官の言葉は、どこまでも中立で正しい。しかし、クロヴィスはゆっくりと首を振った。
「仮に犯人が補佐室や地方院がいたなら、枢密院の審議が始まるまえに妨害行為に及ぶはずです。なんせ、招集がかかるより先にリストに目を通す機会があったのですから」
若き補佐官の筋の通った説明に、広間には嫌な沈黙が流れた。恐る恐る、貴族たちの目が沈黙を貫くロイド・サザーランドへと集まる。ふいにアリシアは、壁や天井が迫ってくるような息苦しさを覚えた。
ありえない。
まさか、本当に。
疑惑と困惑とが入り乱れる中、誰もが対峙するクロヴィスとロイドに注目している。一歩間違えば崖下へと転落してしまうような緊張感の中、しかしクロヴィスは一度もアリシアを振り返ろうとはしない。
クロヴィスは恐ろしくはないのだろうか。そんな疑問が、アリシアの胸をかすめた。
枢密院に対峙することを思うと夜も眠れなかったのだと、以前クロヴィスは照れくさそうに告白した。普通に考えて、この緊張感の中に立たされて、彼がなんの不安も感じていないとは思えない。
その時、ふとクロヴィスの顔がアリシアのほうへと向けられた。
向けられたといっても一瞬のことで、他の者には彼が何を考えて後ろを振り返ったのか気になりもしないだろう。だが、アリシアだけは違った。なぜなら瞬きにも満たない僅かな時間の中で、クロヴィスはアリシアを見て安心したように微笑んだのだ。
とたん、アリシアの胸はぎゅっとつかまれたみたいに痛んだ。同時に、ふつふつと湧きおこる一つの気持ちに頬が熱を持った。
(私も、クロヴィスの力になりたい)
“あなたの頑張りが、俺に力を与えてくれた。あなたのためなら、俺は何にでも立ち向かうことができる”
優しい彼が紡いだ言葉を思い出し、アリシアはぎゅっと両手を顔の前で結び合わせた。あれがたとえ、気落ちした主人をなぐさめるための言葉だったとしても、自分の存在がほんのわずかでも彼のためになれるなら、クロヴィスを支える力となりたい。
この時、実際には後ろから背中を見守ることしかできなくとも、アリシアの心は間違いなく補佐官の隣に並び立っていた。二人をつなぐ強い絆が、ロイド・サザーランドという強敵へと立ち向かわせた。
「それで」
ふいにロイドが口を開いた。枢密院の場で告発を受けているというのに、冷ややかに成り行きを見守る公爵の顔は能面のようであり、その胸中をうかがい知ることはできない。怯んだ様子を見せる他の貴族には目をくれず、ロイドはじっとクロヴィスだけを見据えた。
「それで、なぜ私なのだ?」
「なぜ、とは?」
「たわごとを。わかっておるだろうに」
つまらなそうに言ってから、ロイドはぐるりと首を巡らせた。
「お主の告発により、この中にリストをもとに商人らを脅して回っている不届き者がいることはわかった。だが、お主が告発したのはこの私であり、その罪はエアルダールに通じているというものだ。お主が述べた内容だけでは、証明ができぬように思えるが?」
「ご指摘の通りにございます」
薄い唇をついと引き上げて、クロヴィスはロイドに微笑みかえした。
「近衛騎士団を通じてローゼン侯爵領の関所の通行記録を探りましたが、そこから犯人を割り出すことはできませんでした。この1週間にローゼン領を訪れた人物といえば、地方院の役人をのぞけば商人か騎士団所属の者かしかいなかったのですから」
「……ふん、ならば」
「情報を提供してくれた者がいるのです」
初めて、ロイドの顔に変化が見られた。しかし僅かにのぞかせた驚きの色はすぐに去り、公爵は余裕をみせて肩をすくめた。
「面白い。私がエアルダールの間者に通じている現場を見たとでもいったのか?」
「それだけではありません。後ろ暗いところのある男たちを雇い入れ、表向きは行商人として整え、かねてより裏で暗躍させていたこと。その彼らをローゼン領におくりこみ、リストに載った商人を脅迫させていたこと。これらについても、明らかとしてくれました」
「ふん。わがシェラフォード領は、交易の盛んなヴィオラの町がある。たしかに私が隠密を雇うのならば、行商人に紛れ込ませるのが確実であろう。情報提供者とやらは、手の込んだ作り話を用意したものだ。……だが、聞き続けるのにも飽きた」
木を石に打ち付ける音が響いて、貴族たちが驚きに肩をびくりと揺らした。ロイドが飾り杖で地を叩いたのだ。よほどの自信があるのだろう。ロイドは勝ち誇ったように周囲を見渡した。
「告発者をこの場に連れてこい。自らの手で、下らぬ妄言を叩きのめしてやる」
「告発者ならここにいるぞ」
それは、今日初めて広間に響いた声であった。
アリシアは緊張のあまり、視界がぐらりと揺れるのを感じた。だが、自分にはこの結末を見届ける義務がある。
アリシアが、クロヴィスが、ジェームズ王が、大広間に集うすべてのものが見守る中、その人物は迷いを断ち切ろうとするように歯を食いしばって立ち上がる。立ち上がった人物を見て、さすがのロイドも鋭い目を驚愕に見開いた。
「告発者はこの僕だ!」
父をまっすぐに睨んでから、驚愕に染まる枢密院の貴族たちに向けてリディ・サザーランドは身を乗り出して叫んだ。赤みがかった髪はわずかに乱れ、目の下に浮かぶくまのせいで瞳が不自然にぎらぎらと輝いて見えたが、確固たる意志が彼を突き動かしているのがよくわかった。
己の胸に手をあてて、リディは叫んだ。
そうすることで、自らを鼓舞しているようであった。
「この僕リディ・サザーランドは、サザーランド家の名にかけて、当主ロイドを告発する!」




