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立ち上がったアリシアに最初に気が付いたのは、あらかじめ伝えておいた補佐官二人をのぞくと、むかいで睨みをきかせるロイド・サザーランドその人だった。
「これはアリシア様。どうかされましたかな?」
ロイドの低い声が広間に響いたことで、激論を飛ばしていた他の枢密院たちが口をつぐんでアリシアに注目した。幼い王女自らが立ち上がったことで、はっきりと驚きの色をあらわにするものもいる。
すうっと息を吸い込んでから、思い切ってアリシアは口を開いた。
「しょうかっ」
声がからからに渇いて、アリシアは声がひっくり返った。小鳥が鳴いたかのように調子っぱずれの高い声に、いかめしい顔つきだった貴族たちは一様にきょとんと目を見開き、後ろでは父王が小さく吹き出した。
「……水を、用意させましょうかな?」
「いえ、大丈夫」
顔を赤面させて、アリシアはこほんと咳をした。張り詰めていた空気がどこかへと飛び去り、ロイドまでがなんだか拍子抜けしたようにアリシアが落ち着くのを待っている。偶然ではあったが、ロイドの顔には子を持つ父親としての表情が見え隠れした。
しっかりしろと、アリシアは自分を叱咤した。
城下町へと出た時と一緒だ。目の前にいる男は、化け物でも妖怪でもない。腹に一物かたえた手ごわい狸親父ではあるが、ふとした瞬間には父の顔も見せる普通の人間だ。
今から自分は、この男と対等に渡り合わねばならないのだ。
「――商会を枢密院としてどうするか。その決議に移る前に、はっきりとさせなくてはならないことがあるわ」
「ほう。それは一体、なんでしょうな」
10歳の少女を気遣う年長者の顔から一転、ロイドの瞳は獰猛にぎらりと輝き、枢密院の重鎮としてアリシアの前に立ちふさがった。それに怯まないよう、アリシアは背と腹とに力を込めた。
「メリクリウス商会の設立を妨げるものが何か。それを取り除くことが出来れば、後々の憂いはなくなり、公平な目線に立って決議をとることが出来るのではないかしら」
「さすがアリシア様。ごもっともなお見立てにございます。……ところで、その理由については、すでに何か思い当たるものがございましょうか?」
「ええ」
涼しい顔で答えれば、ロイドはついと眉を吊り上げた。
「それは、素晴らしきことにございます。よろしければ我ら枢密院に、あなた様のお考えを聞かせていただけますか?」
大広間に集う貴族たちは、アリシアとロイドの張り詰めたやり取りを聞き漏らすことがないよう、息をすることにさえ慎重になっているようであった。無数の目が自分たちに向いていることを意識しながら、アリシアは形の良い唇を開いた。
「私たちが議題とする商会の情報。それを隣国エアルダールに流し、妨害を働く者がいる。私はその犯人が、この中にいると考えています」
大広間は、水を打ったように静まり返った。やがて王女の言葉の衝撃に、ざわざわと何かがはい出すように貴族たちに動揺が広がっていく。
ロイドはというと、クロヴィスとナイゼル、そしてジェームズ王とに順番に視線を走らせた。そうすることで彼らが、アリシアがこれから語る内容をあらかじめ承知していたことを確認したのだろう。その瞳の鋭さが、一層のすごみを帯びた。
「これは、これは。厳粛にして神聖なる枢密院での議題を外に漏らす者が、我らのうちにあると……。恐れながら、大それたお言葉にございます」
一見、アリシアに語り掛けているように見せて、ロイドの双眼ははっきりと二人の補佐官を見据えていた。彼を相手にアリシアが立ち回るのは、このあたりが限界のようだ。
「当然、その根拠はございますな?」
「アリシア様」
アリシアがその名を呼ぶより先に、クロヴィスが恭しく己の胸に手を当てた。
「これより先は、私よりご説明いたしましょう」
「ええ。……お願い」
アリシアが頷くと、後は任せろと言うようにクロヴィスは頼もしくも美しく微笑んだ。その笑顔は彼に抱きしめられた時のことをアリシアに思い出させ、こんな場面なのに、王女をそわそわと落ち着かない心地にさせた。
さて、アリシアを庇い立つようにクロヴィスが広間の中央に進み出ると、ロイドは恐ろしく冷ややかな眼差しを補佐官へと向けた。その鋭さたるや、クロヴィスのことをよく思っていないはずの保守派の貴族でさえ、彼のことを心配したほどであった。
「やはりお主か、クロムウェル。王女殿下にお仕えする名誉を授かるまではよかったが、どうやら身の程をわきまえずに調子に乗っているようだな。我ら枢密院を愚弄しようとは」
「愚弄するなど、とんでもございません。私がこの場に参りましたのは、わが主、アリシア様を補佐官としてお支えするため。誉れ高き枢密院を敵に回すつもりは毛頭ございません。ただ一人を除いては」
「ほほう。裏切り者が誰か、貴殿には考えがあると見える」
シャンデリアの明かりが揺らめき、ロイドの皮肉な笑みを不気味に浮かび上がらせた。
「はっきり申してみよ。もっとも、我らの中に裏切り者がいること自体が疑わしい。告発がまったくの見当違いであったときは、相応のけじめをつけてもらおう」
「覚悟の上でございます。その時は補佐官の職を辞し、王政から身を引くことを約束しましょう」
叫ぶかわりに、アリシアは祈るようにぎゅっと両手を握りしめた。そうして、ロイドを前に毅然と立ち向かう補佐官の背中を、信じて見守った。
無数の目が一挙一動も見逃すまいと向けられる中、クロヴィスの右手がゆっくりとあがる。その手が、まっすぐにロイド・サザーランドを指し示した。
「エアルダールに通じているのはあなたです、シェラフォード公爵」




