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8-7




「ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。ご機嫌麗しゅうございます、アリシア様」


 二人の視線が自分に集まったのを確かめると、とたんにリディは父親そっくりの芝居がかった仕草で恭しく挨拶。それを見て、クロヴィス整った眉がつと寄せられた。


「今更ではありますが、なぜ、枢密院の一員ではないあなたが、今日は出席を?」


「う・る・さ・い・な! 僕は未来の枢密院メンバーとして、正統な権利を持って会議に立ち会ったのだ!たまたま出席を許された貴様とは、格が違うんだ!」


 クロヴィスのもっともな質問に、たちまち機嫌が悪くなるリディ。要は、次期当主として、特別に枢密院の集まりを見学させてもらっていたらしい。


 思わず声を荒げて調子を崩してしまったことを恥じるように、リディはこほんと一つ、咳をした。それから彼は仕切りなおして、意地悪く肩を竦めた。


「さて、親愛なるアリシア王女殿下。本日の一件で、あなたは真に味方につけるべき相手が誰か、よくお分かりになったのではないでしょうか?」


「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどう?」


 アリシアが空色の瞳で睨むと、リディは水を得た魚のように、満足気な様子で大広間の中に入った。その足取りは、今にもステップを踏み出さんばかりであった。


 彼は上機嫌にアリシアの前に立つと、冷静にことを見守るクロヴィスを鼻で笑ってから、身をかがめて王女に手を差し出した。


 いぶかしんで眉をひそめる王女に対し、リディは口火を切った。


「このリディめの手を、どうぞお取りくださいませ」


「どういうことです?」


 アリシアに代わって答えた黒髪の補佐官に、リディの口角はますます吊り上がった。


「クロムウェル、貴様も身に染みたことだろう。どんな優れた男でも、枢密院を味方に付けなければ、なんの力にもならんのだよ。そして、グラハムの血を引くお前が、枢密院で信頼を得ることは永遠にない。残念だったな!」


 歌うように、リディは続けた。


「私はいずれ、公爵を継ぎます。父や他の枢密院と、あなたを繋ぐ架け橋となれます。その男とはちがう」


 さぁ、とリディは笑みを深くした。


「私を、サザーランドを、友にお選びください。何を選びとり、誰の言葉を聞くべきか。それさえ間違えなければ、今回のような無駄足を踏むことは、二度とございません」


 普段の彼女であったら、リディの戯言など毅然とはねのけただろう。


 だが、今のアリシアは、自分の言葉に自信が持てなかった。というより、自分が何を言ったところで意味があるのだろうかと、こらえようのない無力感に襲われていた。


 己が無力であることは、当の昔に自覚していたことだ。それでも、こうして負けを突き付けられると、未来を変えることなど夢のまた夢であるのだという心地に囚われる。


 むろん、王と民とが知恵を出し合い、一つに立ち上がる国を理想とするアリシアにとって、いまの枢密院の姿はそれに程遠い。


 大貴族の間ですら、治める地域によって保守派か穏健派かに分断され、両者は深い溝で隔たれている。加えて、彼らの間には暗くよどんだ不安と猜疑心とが常にはびこり、ほんの少しのきっかけで、すぐにほころびをみせる。


 だが、彼らをまとめ上げ、前向きに上向かせるなど、自分には到底できそうもない。


 ましてや、この国の王となるなど。




「どうぞ、お引き取りねがいます」




 厳しい声が、アリシアの澱んだ思考をかき消した。アリシアが驚いて顔を上げるのと、クロヴィスがリディの手を振り払うのとが同時だった。


 驚いたのは、リディとて同じだったらしい。払われた右手を呆然と見てから、次いで、燃えるような眼差しをクロヴィスに向けた。


「貴様……! 誰に向かって物を言っている!!」


「あなたの方こそ、どこまで、この方を愚弄すれば気がすむのですか」


 目を丸くする少女の視線の先で、はっとするほど美しい横顔が、静かな怒りに染まっている。黒髪の合間からのぞく紫の瞳は鋭く、対峙するリディがその様子に気圧されるほどであった。


「何を選び取るべきか。それは、アリシア様ご自身が決められる。補佐官の役目は、その手助けをするだけ……。それを履き違えたあなたに、この方の隣に立つ資格はない」


「なんだと!!」


 犬歯をむき出しにし、ぎりりとリディが歯を食いしばる。クロヴィスはそれを冷たく一瞥してから、はらはらとした心地で見守るアリシアの背を、そっと促した。


「お部屋へ戻りましょう、アリシア様。これ以上、ここに留まる理由はございません」


「待て!! クロムウェル!!」


 立ち去ろうとした二人に、リディの声が鋭く追いすがる。クロヴィスに庇われる隙間からアリシアがそっと振り返れば、憤怒に息を荒くしたリディの姿があった。その時、彼の目の中に、蔑みや怒り以外に、妬みのようなものが混じるのをアリシアは気づいた。


「僕は、お前のそういうところが、昔から大っ嫌いだ」


 地を這うような声で、リディは呻いた。そして、はっと笑い声を漏らした。


「なんだよ。正義の味方のつもりか? 貴様は、いつだって正しいものな。だが、いつまでも大きな顔をできると思うなよ。枢密院が、父上が、貴様の言いなりなどになるものか!」


「―――国政は、勝ち負けではありません」


「クロヴィス?」


 アリシアの位置からは前髪に隠されてしまい、補佐官が今、どういう表情を浮かべているのかを知ることは出来ない。だが、その低く響く心地よい声の中に、少なからず失望が混じるのを聞き分けることは出来た。


「リディ卿に問います。ナイゼル殿がメリクリウス商会について説明している最中、あなたは面白くなさそうな顔をしつつ、熱心に耳を傾けていた。それはつまり、我々が提唱する新商会の有効性を認めているのではありませんか?」


「それは……」


「あなただけではない」


 リディが悔しげに言い淀む。それに追い打ちをかけるように、クロヴィスが重ねた。


「あの場にいた大多数は、積極的に賛同するか否かは別にしても、新商会の意義を理解しつつあった。それを覆したのは、あなたの父君だ。……おかしいとは思いませんか? たとえ、枢密院に主導権を取り戻すことが目的だったとしても、いささか強引すぎる手だったと、疑問には思わなかったのですか?」


 その時、リディの瞳が初めて揺れた。動揺をみせてしまったことを打ち消そうと、彼は盛大に舌打ちをした。だが、それはかえって、リディ本人が父の行動を不審に思っていたことを決定づけた。


「勝敗に囚われるのではなく、何が本質であるか、そこに目を向けてください。――あなたの目が開かれ、真にアリシア様の味方となってくださることを、私も祈っております」


 そう締めくくって、今度こそ、クロヴィスはリディに背を向けた。





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