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枢密院に属する貴族の中で、特に発言力のある名家サザーランド。その当主ロイドは、会議が始まってから、いまだ口を開こうとしない。
できればこちらが話すのは、ロイドがどう出るかを見極めてからにしたかった。そんな内心の思いを完璧に覆い隠したまま、ある程度出尽くした貴族たちからの問いに答えるべく、クロヴィスは立ち上がった。
「アリシア王女殿下付き補佐官、クロヴィス・クロムウェルにございます」
美しい紫の目を伏せて、まず、彼は恭しく名乗りを上げた。その特徴的な黒髪に、リディを初めとする保守派の冷たい視線が、容赦なく注がれる。
以前の彼なら、グラハムの血を引く自分が、由緒ある枢密院の貴族の前に立つなどということは、それ自体が王国を愚弄するかのようでとても許せなかったであろう。だが、今の彼は昔とは異なっていた。
隣でクロヴィスを信じて見上げる少女の眼差しが、補佐官に勇気を与えた。彼女の道を拓くためなら、なんだってする。その決意が、クロヴィスに力を漲らせ、冷静な心地で貴族らの視線を受け止めさせた。
“姫様はああ仰るが、策もないまま正攻法で向き合ったところで、枢密院の堅物連中が頷くとは思えないんだ”
単身でローゼン領をおとずれた際、ジュードと密かに交わした会話。その中で、若き当主はいたずらっぽく微笑んだ。
“そこで、嫌われ者なりの駆け引き術を、君に授けよう。嘘偽りのない真実を相手に告げつつ、こちらの望む答えを引き出す魔法の技さ”
ポイントは二つだと、彼はいった。
すなわち、提唱するメリクリウス商会が自分たちに必要なものだと思わせること。それと同時に、それを自分たちで主導するのは面倒だと思わせること。
“手に入れたいものがあるなら、それを手に入れることが、あたかも貧乏くじであるかのように周囲に錯覚させるんだ。大丈夫、クロくんならきっと上手くいく”
「まず、財政が豊かな領が、新たな商会を使うメリットがないとの指摘ですが……」
この点については、必ず枢密院側から指摘が入るだろうと、他の補佐室のメンバーと繰り返し対策を練った。提案する新商会がなければ、王国の生産業は他国に負けて置いていかれてしまう。それを、どう彼らに納得させるかが課題であった。
だが、その答えは意外と近い場所にあった。ジュードが港町ヘルドの管理のためにつけていた、貿易船の積み荷に関する記録である。
“どうして、こんな簡単なことに気が付かなかったんだろう!”
その記録を引っ張り出してきた時、ジュードは興奮気味に説明した。
“他国から入る荷の量と、うちから他国へ出ていく荷の量。その増減推移を比べれば、国産が他国のものにどれだけ押されているか一目瞭然じゃないか! ”
おまけにだよ、と彼は嬉しそうに記録を見せてきた。流入数が特に増えたエアルダールを含む数か国。それらはすべて、広域商会やそれに近しい組織が、それぞれの国の産業を売り込もうと熱心に活動している国であった。
「むむむむむ……」
ヘルドの町における輸出入の増減推移を示した資料を穴が開くほどみつめて、ジェラス公爵が唸り声をあげた。堅調であるかに見える国内産業が、見事に窮地に立たされていることを示すのに、これ以上なくわかりやすい資料であったためである。
「こうした傾向は、ヘルドに限られたものではありません。地方院に過去に提出された記録を読み解く限り、陸の交易要所ヴィオラでも、同様の結果が得られました」
勝負の意味をこめて、あえてシェラフォード公爵領内の町の名をあげてみたが、ロイド・サザーランドはぴくりと眉を動かすに反応をとどめた。隣の息子の方は、思いっきり苛立たし気に犬歯をむき出したが。
さて、クロヴィスの提示した資料により、枢密院の貴族の間で明らかに流れが変わりつつあった。反対派に回っていた貴族たちが、他の出方をうかがうように互いに探るように目配せを始めたのだ。
そんな中、まるであら探しのように、反対派の貴族が新たな問題を提示した。とはいえ、客観的な数値を証拠として提示されてしまえば、あと彼らが満足に叩けるポイントは限られていた。
「そもそも、件の商会がローゼン侯爵領に属するというのも、一体どうしたものか。どこかに拠点を持たねばならない道理はわかるが、何も、あの変人ジュードのところでなくともよいだろう」
「ええい、ジュード・ニコルについては、ごちゃごちゃ言うな!」
クロヴィスに代わり、野太い声でそれに答えたのは、地方院長官ドレファス。ジュードと馬が合わないことで有名な彼が、ジュードを庇うような発言をしたことで、他の貴族はびっくりして目を丸くした。
山から出てきた熊のような粗野な印象をあたえる、ひげ面こわもての男、ダン・ドレファス。その実は、非常に情に厚い公明正大な人物であり、他の枢密院メンバーからの信頼も高い。ロイド・サザーランドとは異なる種類で、影響力のある男だ。
「なんだ。ジュード卿を庇うなんざ、どんな風の吹きまわしだ」
「ああ、俺はあいつが大嫌いだ。だが、今回のことに関しちゃ、俺はあいつを心から見直した」
クロヴィスは思わず、形のよい唇をゆるやかに吊り上げた。それに気が付いたのは固唾をのんで補佐官を見守っていたアリシアだけで、それ以外の人物は、大きな拳を握りしめて力説するドレファスに注目していた。
「あやつは、各領に便宜を働いてもらったり、後に仲介料をもらったりすることに礼を尽くし、代わりに、商会設立に向けた初期投資はすべてローゼン侯爵領で払うと俺に約束した! 実に男らしく、仁義の通った申し出だった!」
「ちなみに、商会設立のために初期投資でかかるのは、ざっとこれくらいです」
クロヴィスがこともなげに告げた数字の大きさに、今日一番のどよめきが貴族たちの間に起こった。




