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ナイゼル・オットーが説明するのを、集まった貴族たちは静かに耳を傾けている。
それを見守るアリシアは、緊張した面持ちで、彼らがどう反応するか寸分も見落とさないように注意を払った。
領主制の枠組みを超え、各地を自由に行き来しながら、各地の物や情報を取り扱う広域商会。それを実現するには、物や情報のやりとりができるだけ活発となるよう、各領地内で自在に動くことを認めるとの証書を出してもらう必要がある。
通常、様々な商会は、それが属する商会で活動することを領主に許可してもらうかわりに、一定の税額をおさめている。だが、メリクリウス商会でも同じことをすると、各地に支払う金額がかさみすぎて、とてもじゃないが経営が成り立たなくなる。
だから、あくまで拠点はローゼン侯爵領とし、わずかな交通料のみ各領地に納める形で、商会の出入りを認めてほしいというのが、提言の中で貴族たちに示した要求だ。もちろん、その対価は、各領地の産業を今までにない規模で売り込むことができるというものだ。
長い目で見れば、莫大な富が約束される新商会。しかし、そうはいったものの、小規模な商会や個人商人ならまだしも、これほどに大規模な商会で、かつよその領地に拠点をもつものが自領地を歩き回るというのは、相当に抵抗があることだろう。
(反対の声があがるのは、当たり前のこと。けれど、誰が最初にそれを口にするかしら)
アリシアの背中を、冷たい汗が滑り落ちる。皆にそれを悟られないよう、幼い王女は聡明な目を伏せることなく、貴族たちに向けていた。
「……以上が、『メリクリウス商会設立に関する提言書』の概要だ」
いつの間にか、商会に関わるひと通りの内容を説明し終えたナイゼルが、きらりと光る銀縁の眼鏡を押し上げた。
「本商会を実現させるには、各領地の協力が必須。ゆえに王は、民の代表である枢密院の意を汲み、全ての憂いを取り除くことを望まれた」
さすが、長く王の側近を勤めていただけある。こんなにも多くの目にさらされても、ナイゼルの言葉には少しも怯むところがない。それどころか、筆頭補佐官は枢密院全員を促すかのように、ぐるりと彼らを見渡した。
「皆それぞれに、思うところがあるはずだ。賛同の者はその意を、また、不満に思う者もなにを不満とするか、ここで発言してほしい。その上で、解決策を探りたい」
ナイゼルの言葉に、貴族たちの間がわずかにさざめく。やがて、アリシアの場所から遠い奥の席で、ハーバー侯爵ダニエル・ベインが口を開いた。
「私は、アリシア王女の提言に賛同する」
その一言で、大広間に小さなどよめきが起こった。そんな中でナイゼルは冷静に、最初の発言者にその先を促した。
「理由をうかがっても?」
「なぜって、そういう商会があったら、うちは助かるからだ」
同意を求めるように、ハーバー侯爵は他の貴族を見渡した。
「我が領は、はっきり言って貧しい。職人の数も少なく、商会も小さなものばかりだし、場所だって辺鄙だ。我がベイン家もなんとか彼らが潤うよう手をまわしてきたけど、一つの領だけでできることは限界がある」
「それなら、私も賛成だ」
ダニエル・ベインにつられるように、モーリス侯爵マック・グラントも手を上げた。
「もらえるのがちょっとばかしの通行料で、おまけに仲介料を払う? かまうものか。むしろ、大枚をはたいてでも、うちの領のものを売ってくれれば御の字だ」
「流れを切って悪いが、反対する」
そういってじろりと二人を見たのは、ジェラス公爵ファッジ・ボブスである。トレードマークである白鬚を撫でながら、ボブスは眉根を寄せた。
「現状ですでに潤っている領には、これといってメリットがない。自領を踏み荒らされたあげく、仲介料までとられたのでは堪らん。こういってはなんだが、商業的に遅れた領だけ、仲良く参加すればよいではないか」
ホブス氏の発言によって、議会は一気に白熱した場所へと変わった。
必要だ、必要でない、そんな言葉が相互に投げ交わされる。その間では、財務府長官がここ数年の各地の収支を報告するなどもあり、議論は熱くなる一方だ。
その光景に、アリシアはただ圧倒されていた。
(意見が、割れた?)
彼女は漠然とだが、反対か賛成、どちらかの立場で枢密院がまとまるものと思っていたのだ。だが、実際はそんなきれいなものではなかった。
アリシアはこの時、はじめて枢密院が一枚岩になれないことを知った。貧しい土地、富める土地。ハイルランドとひとまとめに括ったって、その中にはこんなにも差があり、抱える危機感も大きく開きがある。
内心に驚くアリシアの隣で、クロヴィスは別の感想を持って、成り行きを見守っていた。
比較的田舎に位置する領が賛同にまわり、力のある公爵領が反対を唱えるのは、彼の予想通りだ。むしろ予想を外れたのは、この膠着状態が長引いていることだった。
(あの御仁なら、すぐに場の流れを自らに向けるかと思ったのだがな……)
たった一言で場の流れを支配しうる人物――ちょうど向かいの席で、腕を組み静かに目を閉じたままのロイド・サザーランドに、彼は気味悪さを感じていた。
……なお、ロイドの隣で、今にも噛みつきそうな剣幕でこちらを睨むリディについては、意図して見ないふりをした。




