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ニコル家当主であるジュード、護衛として城からついてきたロバート、そしてアリシア付き補佐官クロヴィス。加えて王女アリシアという珍妙な顔ぶれで座るのは、大きな窓がある談話室である。
その窓の外には、アリシアが生まれて初めて見る海が遠くに見える。幸いにも、今宵は大きな満月が出ているので、まん丸の白い月が海をぼんやりと照らす様は、とても幻想的で美しかった。
「ところで、私が来るまで何の話をしていたの?」
ティーカップを手に、アリシアが無邪気に問う。すると、人懐っこい笑顔を浮かべて、若き領主が身を乗り出した。
「エアルダールへの遠征について、あれこれ教えてもらっていたんですよ。二人とも、二年もあっちの国に行っていたというじゃないですか! もう、僕はうらやましくて」
「いやいや、すごいのはジュード卿の方ですって」
からころと優雅に氷をグラスの中で転がしながら、ロバートがくいっと眉を上げて微笑む。アリシアが席についてから、彼のグラスはもう3杯目のはずだが、そのきれいな顔に赤みが差すことはない。よほど、酒に強いらしい。
「実際にあちらの国に行ったことはないっていうのに、この方ときたら、エアルダールの商業について物凄く詳しいのですよ。隣国だけじゃない。あちこちの国の事情に、精通しておられる」
「僕の話は、全部、商人たちから聞きかじったにすぎないよ」
照れ臭そうに笑いながら、大きな瓶を掲げて、ジュードがクロヴィスのグラスに酒を注ぐ。クロヴィスも、アリシアが許可を出してからは腹をくくったのか、ロバートほどのペースではないにせよ、ちゃんとウィスキーを嗜んでいた。
「港町を歩いて、馴染みのパブに顔を出すとね、顔見知りの商人が必ずいるもんなのですよ。彼らは商売人だけあって、話もうまいし、感じもいい。それで僕は、彼らから色んなことを教えてもらった」
「本当に、彼らのことがお好きなのね。商人たちの話をしているときが、一番楽しそう」
「好きというか、彼らといるほうが、僕にとっては自然なんですよ。ヘルドの町が、そうさせるんでしょうか。なぜだが、二コル家の者はそういう風に育つんです」
その言葉を受けて、アリシアは窓の外に広がる暗い海に視線を向けた。つい最近まで城の中しか知らなかった王女にとって、この海がみたこともない異国に繋がっているというのは、とても不思議なことであった。
そうした、海によって世界のどことでも繋がれるというヘルドの開放感が、ジュードのような通常の貴族とは異なる感性を生むのかもしれない。
「別の立場、たとえば商家に生まれたかったと、考えたことはありますか?」
ふと思いついたように、クロヴィスがそんな質問を投げかける。すると、若き当主の顔には、ぱっと笑顔が咲いた。
「ああ! そうであったなら、どんなにか楽しかっただろうね! いっそのこと、今からでも貴族の肩書きを売ってしまいたいくらいだ!」
朗らかに笑ってから、若き領主は己のグラスをくいとあおる。次にグラスを机に戻したとき、その横顔は、打って変わってどこか寂しげであった。
「同じ生まれだとしても、隣国に生まれたなら、これほどに窮屈な心地を味わうことはなかったのかもしれない。生まれも立場も関係なく、自由闊達に人々が入り乱れる、あの国ならあるいは……」
自国の王女を前にした発言にしては、いささか不敬な内容であったかもしれない。しかし、それを責める気には、アリシアはどうしてもなれなかった。
ハイルランドには、まだまだ身分による壁が厚い。だからこそ、城下の視察に出た際、市井の人々はアリシアたちを珍しがったのだし、筋の通った主張であろうと、リディは平民にたてつかれたと激昂した。
そんな風土を変えたいと願うが、まだ、アリシアにそこまでの力はない。
落ち込みかけたアリシアに耳に、あっけらかんとしたロバートの声が響いた。
「お待ちくださいよ、ご当主どの。ちょっとばかし、絶望するには早いんじゃないですか?」
手元のグラスを揺らして氷を転がしながら、美しい銀髪の騎士は片目をつむってみせた。
「確かに、隣国を見て回るのは楽しかったけれど、これからは、この国を見ていた方が、ずっと愉快で刺激的だと思いますよ。なんたって、敬愛するアリシア王女が、ハイルランドを色々と面白く変えてくれますから」
「え?」
どきりとして、アリシアは思わずロバートを見た。アリシアが次期王に名乗りあげたことを、ロバートに話していない。もしかして、どこからか噂が広まっているのだろうかと、彼女は一瞬危惧した。
だが、彼が持ち出したのは、アリシアが心配したのとは別のことであった。
「こんなに愛らしい顔をしているのに、アリシア様はその変の男よりよほど、度胸が据わっているんですよ。反対を押し切って、そこの堅物を補佐官に指名してみたり、お忍びで城下にでたと思えば、坊ちゃん貴族に啖呵を切って帰ってきたり」
「だれが堅物だ」
きれいな眉をしかめて、クロヴィスが苦言を呈す。だが、ジュードの方は興味をひかれたらしく、目をきらきらさせて身を乗り出した。
「何だろう、その面白そうな話は。ぜひ、教えてくれるかな?」
「では、先日の視察について、ここで一席。あ、相手が誰かは内緒ですよ? あまりに情けない体たらく故、個人名を晒しては気の毒というものでしてね」
そう前置いてから、吟遊詩人のごとく雄弁な口をロバートは開いた。
当然、リディの名を伏せるのは、あの時に両者で結んだ「これ以上、大事にはしない」という暗黙の了解に基づく。
その辺りを踏まえて器用に特定しうる情報は隠しつつ、まるで武勇伝のように、視察での出来事をロバートが再現するものだから、アリシアはすっかり赤面した。一方のジュードはというと、何度か目を丸くして王女を見ながら、感心して話に聞き入っていた。
こうして、ささやかな宴の時間は、穏やかに過ぎていったのであった。




