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当主に与えてもらった部屋でくつろぎながら、アリシアは改めて、頑なに協力の要請を拒もうとしたジュードのことを思い返していた。
“僕を中心に据えたりしたら、絶対に失敗しますよ”
そういって、彼は逃げていった。あれは、彼自身が他の貴族と関わることを苦手とする以上に、他の貴族から自分が疎まれていることを指しているのだろう。
たしかに、地方院長官のドレファスを始めとする複数の貴族が、社交界に顔も出さず、商人とばかり交流を深めているジュードを「異端者」と見て、好ましく思っていないとの話は聞いている。
特に、枢密院の重鎮に多い保守派層などは、貴族の秩序を乱すとして、何度かジュードに貴族のつながりを重んじるよう警告を入れている。
「どうして、ジュードはそんなに、他の貴族との交流を好まないのかしら?」
「さぁ……」
侍女二人が顔を見合わせる中、アリシアはふと思い立って、ぴょこんと立ち上がった。
「すこし、屋敷の中を散歩してくるわ。二人は、先に休んでいてちょうだい」
「え!? だって、もうこんな遅い時間ですよ?」
そんなに、驚愕するほど遅い時間でもないのだけどねと、アリシアは苦笑した。相変わらず、侍女二人はアリシアに過保護である。
「談話室から見えた海が、とてもきれいだったの。今まで、見たことのなかった光景だから、夜の景色も見ておきたくって。ね、おねがい」
ぱちん! と両手を合わせてお願いをしたアリシアに、二人の侍女はしぶしぶ頷いた。
本当は、危険がないようについていくとアニが主張したのだが、それは丁重にお断りした。海を見ながら考えをまとめたかったし、そもそも、ここは領主の屋敷の中。万が一にも、彼女が危険にさらされることなど、あり得ないのである。
かくして、アリシアは部屋を抜け出し、昼間に提言書について議論をかわした談話室へと、足を運んだ。
ひとり静かに、海を眺めて。
そう考えて、ここまで来たのだが。
「アリシア様!?」
「おお! お姫さまじゃないですか!」
談話室には、先客がいた。それも、三人も。
「クロヴィス! それに、ロバートとジュード卿まで」
目を丸くするアリシアに、真っ先に反応したのは、やはりというかクロヴィスであった。素早くソファから立ち上がると、目にもとまらぬ速さでアリシアの前に跪いた。
「申し訳ございません! このようにお見苦しいところ、姫様の目に触れるなど……!」
「へ? 見苦しい?」
「おいおい。見苦しいって、お前。俺たちは、大人の時間を嗜んでいるだけじゃないか」
クロヴィスの背後で、カラコロと涼しい音を鳴らし、ロバートがロックグラスを掲げた。すると、アリシアの前に跪いたまま、クロヴィスがそちらに鋭い眼光を飛ばした。
「アリシア様は高貴なる身。そんな方の前で、酩酊した姿をさらすなど言語道断だ!」
「待て待て、落ち着け。その無駄に整った目を凝らしてみろ。ここにいる誰が酔いつぶれているというんだ?」
呆れた口調でロバートが言う通り、3人の調子は昼間に見た時とまるで変わらない。ややあって、クロヴィスも冷静さを取り戻したのか、アリシアの前に跪いたまま秀麗な顔を赤らめた。
「こんばんは、アリシア姫。彼らを誘ったのは、僕なんです。夜なら、かまわないかと思いまして……。お怒りになられますか?」
ロバートと同じくグラスを傾けながら、ジュードが困ったように微笑む。そうやって眉が八の字に下がっていても、愛嬌のあるえくぼは健在だ。その向かいで、ロバートもやれやれと肩を竦める。
「この男ときたら、ご当主の誘いを断ろうとするから、無理やりに引っ張ってきたのですよ。けど、来たら来たで、せっかくの酒に口をつけようともしない。ローゼン侯爵領自慢のウィスキーを、ジュード卿が自ら振る舞ってくださるってのに」
「あら、どうして?」
確かに、クロヴィスが座っていた席には、手つかずのグラスがそのままに置かれている。空色の目をぱちくりと瞬かせて、アリシアは目の前の補佐官を見つめた。
「ご馳走になればいいじゃない? もしかして、お酒は苦手だとか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「奴は飲めますよ。2年を共にしたのだから、俺が保証します。しかし、己は職務としてここに来たのだから、今宵は飲まぬと。この堅物はそうのたまうのですよ、我らが姫君」
歯切れ悪く答えるクロヴィスに代わり、答えたのは銀髪の騎士であった。改めて補佐官をみると、きれいな紫の瞳をそらしているから、どうやら騎士の言葉は本当であるらしい。おかしくなって、アリシアは笑った。
「気にしなくていいのに。ちょっとくらい気を休めないと、疲れちゃうわよ」
「はい……」
「よかった。これで、クロくんにも、我が領自慢の味を確かめてもらえる」
にこりと嬉しそうに笑うジュードの傍らには、琥珀色の液体がはいった瓶が一本ある。ラベルにローゼン侯爵領の紋章が描かれているから、あれがそのウィスキーなのだろう。
「私もご一緒してもいい? ……あのね、クロヴィス。そんな顔しなくても、私はお酒に口をつけたりしないから、安心していいのよ?」
瞬時に顔をひきつらせた補佐官に、すかさずアリシアはフォローを一言。まったく、アリシア付きの従者は、皆がそろって過保護である。対して、他の二人は朗らかに了承してくれたので、アリシアはクロヴィスの隣にちょこんと腰かけた。
すかさず、ジュードがニコル家の侍女を呼んで、アリシアに紅茶を用意するよう指示を出す。彼らの仕事を増やしてしまったことを心苦しく思いつつ、じきに出てきた温かな紅茶を、アリシアはありがたく頂戴した。




