7-3
「私が地方院に出した提言書をみて、わざわざお越しくださったとか」
ひと通り、屋敷の中を案内してもらった後。向かいに腰かけながら、さわやかな笑みを浮かべてジュードが本題を口にした。その口調は、まるで天気の話をするかのように、気軽なものだった。
アリシアたちがいるのは、サロンを開いたりするような日当たりのよい談話室であった。太陽の光をいっぱいに取り込む大きな窓の外には、貿易商が住まうヘルドの街並みと、はじめて目にする青い水平線が広がっている。
景色に目を奪われていたアリシアは、一瞬きょとんとしたのちに、慌てて頷いた。
「ああ。えっと、そうなの。うん」
こほんと咳払いをして、アリシアは背筋を伸ばした。しっかりしないと、マイペースな若領主にのまれてしまう。
「あなたの提言書に、最初に目をとめたのは、ここにいるクロヴィスなの」
「へぇ。けど、それって地方院で却下された後に、ですよね?」
嬉しそうに歯をみせて、ジュードはクロヴィスに視線を向けた。
「もしかして君も、変わっているって言われない?」
「ときとして」
曖昧にそつなく答えたクロヴィスに、ジュード卿の眉がふたたび下がる。一方でクロヴィスは、会話の主導権をこちらに取り戻そうとするかのように、わずかに身を乗り出した。
「私が興味引かれたのは、ニコル殿が『流通に特化した商会を創設するべし』と提案した理由の方です」
「どうぞ、僕のことはジュードと。君のことも、クロヴィスと呼んでも?」
あくまでペースを崩さないジュードに頷いてから、補佐官は先を続けた。
「職人産業、――現在ハイルランドで栄える金物や織物、その他工芸品が、今のままでは諸外国との競争に負けてすたれる。あなたはそう、提言で述べていましたね」
「うれしいなぁ。僕の出した提案書、いつも地方院で取り下げられちゃって、まともに読んでもらえた試しなんかないのに」
明るい感嘆の声を上げて、ジュードは緑の瞳を輝かせた。
「書いたよ。君も、そうなると思うでしょ?」
「待って。どうして、あなたがそう思ったのか、まずそれを教えてほしいの」
思わずアリシアは、口を挟んでしまった。
ジュードが提言書に記した内容は、もちろんのこと事前にクロヴィスに説明をしてもらい、アリシアも把握している。そのうえでもっとも捨て置けないのが、「国内産業が将来的に廃れる」という部分だ。
彼が言うところの職人産業とは、先日の城下町視察でアリシアが交流を深めた、代々と受け継がれてきた工芸職人を指していた。おしのび視察の時、間近でその精巧な技を見せてもらった彼女としては、にわかには信じがたい話であった。
すると、ジュードはきょとんと首を傾げた。
「なぜって。港に出入りする商人たちと話していれば、簡単に予想がつくことでしょう。って、ああ、そうですね。王女様にそんな機会はないですよね」
まったく嫌味なく、ジュードはまいったと頬を掻いた。どうやら、自分が話している相手が商人でも地方役人でもなく、王都から来た王女とその従者であることを、一瞬失念していたらしい。
どこから説明しようかと、あれこれ悩んでいるらしい領主に、クロヴィスが助け舟を出す。
「海の向こうから入ってくる商品が、ここ十数年で各段に質のよいものになっているとは、聞き及んでおります。その影響でしょうか?」
「そうそう、それだよ! おまけに、色んな国に出入りしている商人たちによると、よその国の方が伸びしろがあるんだ」
ほっとしたように補佐官を見て、ジュードは先を続けた。
アリシアたちが暮らすハイルランドでは、歴史の早い段階から職人文化が発達してきた。それは、真面目で堅実な民の気質によるものや、厳しい自然環境で農耕が発達しづらく、手工業を生業と選ぶ者が多かったことに起因する。
だから昔から、ハイルランド製の工芸品は高値で取り引きされ、それぞれの職人を抱える領主の税制を支えてきた。
「けれど、なまじ今までが成功していたばかりに、うちの国の生産・販売体制は数百年前から進化していません。こういっては何ですが、実に古臭い」
「つまり、一つ一つの商会が小規模で、受注できる仕事の量が限られる」
「そういうこと」
ジュードは指をぱちんとならして、補佐官に微笑んだ。
「一方で海の向こうでは、ハイルランドに追いつけ追い越せっていうんで、領主や国が入り込んで、ばんばん自国の産業を売り込んでいる。エアルダールがいい例ですよ。あそこは、女帝の許可を得た巨大商会が、何でも売り込みに回っていますから」
一昔前のように、ハイルランド製の商品が群を抜いて質が良かったのなら、それでも勝てた。むしろ、生産が限られるということは、かえって希少性を高めもした。
だが、周辺国の技術が我が国に追いつき、質で見劣りしない商品を生産するようになった今となっては、ハイルランドは圧倒的に不利だ。同じ質、値段であれば、より多くの仕事を受ける体制が整っている他国の方が、今後伸びていくに違いないためである。
「と、ちょっと商人と話していれば、すぐにわかることです。なのに、この国の貴族ってやつは、貴族同士でしか仲良くしないから、それがわからないんですよ……」
やれやれと首を振る若き当主は、どうやら目の前の二人が貴族(しかも、うち一人は王族)であることを、再び忘れている様子。困ったアリシアは、曖昧に頷くことしかできなかった。




