7-2
数週間後、アリシアはクロヴィスらを伴って、ローゼン侯爵領へと出発した。
つい最近はじめて城下に出たというのに、今度は王都の外に、それも泊まりでいくのだ。女官長は卒倒したり、侍女たちは慌てふためいたりしたが、ジェームズ王が娘の遠征をすんなり了承したので実現したのである。
アリシアを乗せた一行は、王都を出たのち、ハイルランドの広大な自然の中をゆっくりと前進する。その編成の内訳は、アリシアとクロヴィスを乗せたものと、アニとマルサを乗せたものの合計2台の馬車。その前後を、ロバート率いる近衛騎士団が固めている。
「なんだか、大事になっちゃったわね」
「目的が目的だけに、お忍びでとはいきませんので」
なんだか申し訳なくて身を縮めるアリシアを、クロヴィスがなだめる。
ところで、なぜアリシアがローゼン侯爵領に向かっているのか。これには、深いわけがある。
提言書を見せられた後、アリシアはクロヴィスと色々と話し合い、一度ジュード本人から話を聞いてみようとの判断を下した。そこで、はじめはジュードを城に呼び寄せようと考えたのだが、それでは会えないかもしれないとクロヴィスが言ったのだ。
「ニコル家は侯爵家でありながら、枢密院に籍を置いていない珍しい家柄です。なんでも、代々の当主が貴族との交流を嫌ったためであるとか。特に、現当主はその傾向が強いので、アリシア様の命であろうと理由をつけて断るかもしれません」
こうした補佐官の助言を受けて、ならば逃げられないようにこちらから訪ねていくことにしたのだ。さすがのジュードも、王女来訪より優先する予定を見つけることは出来なかったのか、お待ち申し上げているという旨の返答がきていた。
とはいえ、初対面の上、おそらく彼女の来訪を歓迎していない者と会うことに、アリシアも少なからず緊張していた。
「ついて早々、城に帰れと言われたら、どうしよう」
「それはありません。相手にはすでに、数日間の滞在となることを知らせているのですから。……それに、我が主人にそのような無礼はさせません」
美しいアメジスト色の瞳が一瞬鋭くなったのを見て、アリシアは若干顔をひきつらせた。そして、まだ見ぬジュードが友好的に接してくれることを、彼のために願った。
「ところでアリシア様、ごらんください。良い景色ですよ」
緊張する主人の気を紛らわせようとしたのだろう。カーテンをずらして、クロヴィスが窓の外を見るように王女を促す。
つられて視線をうつしたアリシアは、わぁ、と歓声を上げた。いつの間にか王都は遠くに小さくなり、かわって目の前にあるのは広大な草原だった。その先には、一本道の先にはなだらかな山が連なり、まるで神々が住まうかのような荘厳さを漂わせていた。
その光景は、いつか夢で出会った美しい少年を彷彿とさせた。
途中の町で一泊して体を休め、出発して二日目の昼過ぎ、アリシア一行はローゼン侯爵領にあるニコル家邸宅に到着した。
彼の屋敷は港町ヘルドに近い郊外の森の中にある、石造りの美しい古城であった。それは王都の近くに建てられるような貴族の屋敷とはだいぶん趣が異なり、アリシアには意外であった。
さて、はるばる会いに来た目的の人物だが、屋敷の前で夫人と家来とともにアリシアたちの到着を待っていた。どうやら、領内に一行が入った時点で連絡をうけ、いつ頃到着するかを予想していたようだ。
「お会いできて光栄です。ニコル家当主、ジュードです」
アリシアには礼をし、クロヴィスには握手を求めた若き領主に、王女はほっと胸をなでおろした。少なくとも最初の入りは、想像していたよりもずっと友好的だ。
というより、彼から受けた印象は、予想していたものと大幅に違った。
貴族嫌いで社交界に出ないというから、アリシアは気難しい男を思い描いていた。しかし、実際目の前に立つ彼は、明るい金髪とえくぼが印象的な、爽やかな色香を放つ男であった。
と、安心していたアリシアのふいをついて、ジュードが膝をかがめて王女のことを覗き込んだ。目を丸くする面々の前で、若き領主が笑み崩れる。
「いやぁ。噂には聞いていましたが、なんて愛らしくて、素敵なお姫さまなんだろう。青薔薇姫の呼び名にぴったりだ!」
「……旦那様、まずは皆様を中にご案内しないと」
「ああ、そうだね」
こほんと控えめに咳払いをして進言した奥方に、ジュードが素直に頷く。一行を中へ案内しようと彼が立ち上がった途端、クロヴィスがアリシアを庇うよう、さりげなく前に立ったのはご愛嬌だ。
「長旅でお疲れでしょう。さ、さ。こちらへ」
ほがらかに屋敷に招き入れながら、そうそうと、ジュードは白い歯を見せた。
「せっかく港町まで来たのです。ただ部屋にこもって話をしていても、もったいない。どうです、午後は町を散策でも……」
「いえ。まずは要件について軽くお話しさせてください」
丁寧に、しかし有無を言わさずぴしゃりとクロヴィスが答えると、ジュードは残念そうに眉を下げた。
「なんだか、独特な人ですね」
アリシアの耳に口元を寄せて、アニが呟く。「変な人」と言わなかったのは、彼女なりに、わざわざ長い距離を会いにきた相手だということを考慮したのかもしれない。
(ジュード卿……。なかなかに、マイペースな人物だわ)
なんとなくだが、生真面目なクロヴィスとの相性は、あまり良くない気がする。
どうか、この後の話し合いが、平穏にすすみますように。屋敷の中のつくりを簡単に説明されながら、アリシアはこっそりと星の使いに祈ったのであった。




